岩倉市って、暮らしやすい。
合言葉は「いわくらしやすい」。
名古屋市の北西部にある、典型的な郊外の街。名鉄で名古屋駅まで最短11分程の近距離(運賃360円)という好立地から、通学や通勤で名古屋市に通う人たちのベッドタウンとなっている。駅前は比較的開発されており、スーパーや高層マンションが建っているが、少し駅から離れると閑静な住宅街や田園地帯が顔を覗かせる。ちなみに愛知県で最も面積の小さい市(10.78平方キロメートル)であり、日本全体で見ても10番目の小ささである。市の面積が狭いため生活に必要な施設が集中しており、自転車で全域を回れるという。市内には岩倉駅、大山寺駅、石仏駅の三つの駅があり、市の最北部には名神高速道路が走っているため名古屋空港へのアクセスが容易。このように、田舎町ながら交通の便が良い。
「いわくらしやすい」を標榜しており、子育て支援の充実に注力。子供が生まれる前から助産師や担当保健師の助言を受けられる体制を確立し、身ごもった奥さんに嬉しい支援が受けられる。市内には14ヶ所もの保育施設が存在し、未就学児への教育も熱心に行っている。保育施設から離れた場所に住んでいる家庭には、くるくるい~わ号という送迎バスが送り迎えをしてくれる。登録制だが、乗り合いバス(のり愛い~わ号と呼称)が運行されており高齢者や妊婦の移動を助けている。一方で面積の狭さから小学校は5つ、中学校は2つと市としては少ない方に入る。公式サイトでは「いわくらがくらしやすい109の理由」を紹介しており、市の名所や長所を公開している。
岩倉市には幹部交番しかなく、北部に隣接する江南市警察署が対応する。イワマンや集団ストーカーとエンカウントする危険性があるが、平成25年の調査によると「住みやすい」が20.5%、「どちらかと言うと住みやすい」56.3%となっており、合わせて76.8%が高評価している事から治安は良い方と思われる。
市のマスコットキャラクターに「い~わくん」がいる。五条川の妖精という設定で、男の子である。モチーフになっているのは、のんぼり洗いの幟。岩倉市及びい~わくんのテーマソングとして「いわくらだいすきい~わくん」があり、市のイメージビデオや防災無線なとで聴く事ができる。岩倉市役所の保留音にも使われている。
市内では岩倉武将隊なるボランティア団体が組織されている。よくある武将隊と違って市役所や商工会議所からの支援は一切受けておらず、身銭を切ってイベントを開催したり市内の清掃活動を行ったりしている。
弥生時代ごろから人が住んでいたのか市内には古墳や遺跡が点在する。戦国時代では織田氏が守護代として治めていたが内紛により分裂。岩倉織田と清洲織田に分かれ、1478年から支配権を巡って対立していた。同時期、織田敏広によって岩倉城が築城された。やがて内紛が終わり、織田敏広が岩倉城の城主となって尾張北部を治世した。そのため織田氏ゆかりの地でもあり岩倉城跡は市の史跡に指定されている。しかし清洲織田氏の中から織田信長が現れ、1555年に清洲城の城主となる。岩倉城の城主・織田信安や信賢と対立し、両者の関係は修復不可能となる。1558年、尾張の統一を果たすべく信長は岩倉織田を攻撃。翌年、岩倉城は落城し、岩倉織田は滅亡。信長の手で尾張が統一された。
妻の内助の功で戦国大名に出世した山内一豊の出生地で、岩倉市もそれをPRにしている。岩倉城落城の際、15歳だった一豊は何とか落ち延びた。その後、織田信長や豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍についた事で家康から土佐20万石を与えられた。
江戸時代では岩倉村、八剱村、井上村、神野村、石仏村、北島村、野寄村、大地村、川井村、大山寺村、岩倉羽根村、曽根村の12の村に分かれて統治されていた。また江戸時代に山車夏祭りが始まり、現在でも毎年行われている。1667年、名古屋城と岩倉を結ぶ岩倉街道が作られ、枇杷島への輸送路として賑わった。1889年、市町村制施行により岩倉村を中心として村々を合併。それに伴って1892年に岩倉村から岩倉町へ昇格した。1906年5月1日、周辺地域との吸収合併により現在の岩倉市とほぼ同じ地域となる。合併された村名は、地名となって現存している。
大東亜戦争も末期に入った1944年7月7日、絶対国防圏の要であるサイパン島を失陥。日本本土を爆撃される恐れが出てきた事から、大本営は都市圏に住む学童を地方へ疎開させ始めた。8月11日、名古屋市から第一陣が出発し、丹羽郡岩倉町への集団疎開が始まった。最終的に266名の学童が岩倉町へ移動している。当時、小学5年生だった学童が記した2冊の日記帳が残されており、岩倉町での疎開生活を知る貴重な資料となっている。疎開した児童は龍潭寺で集団生活し、遠足や写生をして過ごしていたという。岩倉町には軍の施設も軍需工場も無かったため、終戦まで爆撃を受ける事はなかった。
1957年、岩倉町でも開発ラッシュが始まる。まず県営住宅が作られ、1965年に岩倉小学校が誕生。1971年12月1日、岩倉市となり現在に至る。ついでに市庁舎も増改築された。1976年に岩倉中学校が誕生。戦後は名古屋の近距離にある事からベッドタウンとして発展したが、まだまだ田舎である。
2010年代~2020年代にとあるいざこざで一部の人から聖地と言われている場所がある・・・らしい。
岩倉市内は五条川が流れており、ここでののんぼり洗いや日本さくら名所100選の桜の並木が知られる。7.6kmに渡って伸びる五条川の両岸には約1400本の桜が軒を連ねており、毎年4月に岩倉桜祭りが開催される。また、江戸時代から約400年続いている山車曳きが夏に行われている。
岩倉史跡公園や前述の岩倉城など史跡も多い。かつては養蚕も盛んであった。余談だが養鶏が盛んで、ゆで卵の生産数日本一である。そして、全国にファンがいる名古屋コーチンの本場であり、名古屋コーチンを使ったすき焼き「ひきずり」が名物料理。
日本ヨーヨー連盟本部および株式会社ヨーヨーカンパニー(ヨーヨーストア リワインド)の所在地でもある。そのため、「ヨーヨーの町」として町おこしを行っている。
主な活動は、以下の通り。
岩倉市役所内で、い~わくんをあしらった限定ヨーヨーを販売している。
機種は「ヨーヨーファクトリー・ONE」と「リワインド・サクラストリーム」。
「ONE」は、岩倉市へのふるさと納税で返礼品として受け取ることもできる。
岩倉市・株式会社ヨーヨーカンパニー・株式会社クリモトがタッグを組み、地元産ヨーヨー「リワインド・サクラストリーム」を製造している。
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https://twitter.com/Rei_4A/status/1228255465697660929
岩倉市内の小学校をめぐり、ヨーヨーのデモンストレーションやヨーヨー教室を行っている。
また、「サクラストリーム」の配布も行っている。
地元で行われるヨーヨー大会の後援・協賛を行なう。
具体的には「セントラルジャパンヨーヨーコンテスト」および「ジャパンジュニアヨーヨーコンテスト」。
COVID-19の流行に伴うStay Home政策にヨーヨーを利用している。
岩倉市の公式YouTube動画に従い、ヨーヨーの動画を投稿すると、図書カードや限定ヨーヨー(ヨーヨーファクトリー・カリフォルニア(2019))がもらえる(岩倉市内在住の小学生限定)。
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https://twitter.com/rewindyoyo/status/1263646510354317313
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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