山内和宏 単語

ヤマウチカズヒロ

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山内和宏やまうち かずひろ)とは、元プロ野球選手である。

概要

1957年9月1日生まれ。静岡県(現:浜松市)出身。

地元の高等学校に進学した後、駒沢大学へ進学。しかし仲の良かった同級生トラブルで退部したことで、同時に退部し、その後、大学退学してしまった。

その後、23ヶほどのフリーター生活を経て、高校時代の監督の勧めでリッカーに就職。

リッカーでは、エース格として活躍し、社会人日本選手権では2試合に登板都市対抗野球大会にも補強選手として出場し、2試合で好投したことからプロからも評価されるようになる。

1980年ドラフト会議にて、南海ホークスからドラフト1位名を受け入団。

当時の南海にはエース山内新一名から1年遅れで同期入団となった山内孝徳がおり、当時球団人気が低かった南海は三人を「山内トリオ」として売り出した。

1年から先発リリーフとして登板機会を与えられたが、5勝7敗、防御率6.47に終わる。

1982年、新たに就任したバーニー・シュルツコーチからチェンジアップを教えられ、新たな決め球を習得すると先発ローレーションの一として活躍。11勝13敗、防御率3.15の成績で初の二桁勝利を達成。

1983年河村英文コーチからフォークボールを伝授され、投球の幅が前年以上に広がり、途中血行障害に苦しみながらパ・リーグ最多の249.2投球回を投げ抜いた。チームは5位に沈んだものの、18勝10敗、防御率3.93の成績をマークし、最多勝タイトルを獲得した。

以降も南海先発ローテーション投手として活躍し、毎年安定して10勝前後の勝利数をマーク投手を支えた。

しかし、1990年投手コーチと口論となったことがきっかけとなり、シーズン途中で電撃的に中日ドラゴンズにトレードされた。

中日では中継ぎとして起用されたが、慣れないリリーフ起用に本領発揮できず。1992年に現役を引退

引退後は福山市に居住し、会社経営や中学軟式野球クラブチームの代表・監督として活動。

現在クラブチーム福山ローズファイターズコーチとして活動している。

人物・エピソード

変化球と抜群の制球力を武器80年代ホークス投手を支えた先発右腕。200投球回以上を4度達成するなどスタミナ自慢でもあった。

は「」の名で宝塚歌劇団の男役スターとして活躍している。

通算成績

投手成績

通算:12年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 326 73 9 97 111 1 --- .466 1723.1 737 956 934 823 4.30

主な獲得タイトル・記録

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