河村英文(かわむら ひでふみ)とは、元プロ野球選手である。故人。
OB | |
---|---|
河村英文 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県 |
生年月日 | 1933年8月30日 |
没年月日 | 2005年2月16日 |
身長 体重 |
176cm 71kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1953年 |
引退 | 1963年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1954年のオープン戦にて、川崎徳次の投げる速くて手元で曲がるシュートを目の当たりにし、独自で研究し高速シュートを習得。決め球ができたことで急成長を遂げ、同年はリーグ最多の65試合に登板し25勝12敗、防御率1.99の好成績を残し、チームのリーグ優勝に貢献。
1955年、21勝9敗、防御率2.35と2年連続で20勝を達成し連覇に貢献、225奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。
1956年、高校の後輩である稲尾和久とともに投手陣を支え、18勝12敗、防御率2.54の成績を残し、西鉄のパ・リーグ3連覇、初の日本一に貢献した。
1957年には17勝、1958年には14勝と5年連続で二桁勝利を達成。
しかし、1959年に先発登板の数が大幅に減少。シーズンオフに大幅に減俸された事を機に移籍を志願し、広島カープへ移籍した。
移籍2年目の1961年に先発として7勝を挙げたが、翌年以降勝ち星から遠ざかり、1963年、現役を引退。
引退後は古巣の西鉄をはじめ、南海ホークス、オリックス・ブルーウェーブで投手コーチを務め、東尾修、加藤初、加藤伸一、山内和宏などを指導した。
サイドスロー気味のフォームから打者の内角に切れ込む高速シュートを強気に投げ込む強心臓右腕。
コーチ時代は鉄拳制裁も辞さない鬼コーチとして知られ、厳しい指導で多数の投手を大成させている。
シュートには絶対の自信を持っていたため、打者が上手くヒットを放った際には拍手を送ったこともある。
大下弘に気に入られ、大下の家に下宿させてもらい夜通し麻雀をしていたという。
通算:14年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 414 | 37 | 15 | 113 | 83 | --- | --- | .577 | 1660.0 | 580 | 1016 | 603 | 505 | 2.74 |
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最終更新:2024/12/23(月) 15:00
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