大日本帝国陸軍試作機通し番号である試作名称(キ番号)「キ84」
制式名称「四式戦闘機」、愛称は『疾風(はやて)』。
中島飛行機が開発・製造した、大日本帝国陸軍の2,000馬力級単翼単発単座レシプロ戦闘機である。
連合軍での識別コードネームはFrank(フランク)と呼称された。
1945年に終結する太平洋戦争戦争末期、1944年に制式化され、量産と配備が開始された。
中島飛行機の得意とするマスプロ技術により、零式艦上戦闘機、一式戦闘機『隼』に次ぐ3,500機が生産された。
増加試作機の段階から大陸で実戦も経験し、この段階からかなりの戦果を挙げてもいる。
第二次世界大戦中の最良の日本戦闘機と称賛され、大いに警戒された。
敗戦後の米軍に依って行われた試験飛行では、高品質ハイオクタン燃料、米国製点火プラグを使った条件での運動性能に於いて、米軍機を悉く上回り、米軍を驚かせた。この時の687km/hという最高速度発揮は有名である。
なお、この試験飛行を行った機体は、至極一般的な量産機であり、採算度外視の試作機ではない。
実際、四式戦闘機は整備状態が良好な場合、中途より集合推力排気管を採用したこともあり、日本陸軍航空隊でも650~660km/hの高速を発揮することも多かった(この点は甲型、乙型を問わない)。
ただ、戦争末期の劣悪な燃料事情、製造品質の低下により、多くの機体が設計性能を割り込んだのは否めない。
また、操縦性が高速発揮のために重く、着陸速度も大きいため、古株の熟練搭乗員達は特性の違う新鋭機への乗り換え訓練の手間を惜しんで、疾風を好まない者が多かった。
逆に先入観の少ない若手の空中勤務者は、さほど違和感なく飛ばせたという。この点は二式単戦と同様である。
戦争末期の登場故、「大東亜決戦機」と一般報道に公開されたことは、戦後でも有名である。
しかし「加藤隼戦闘隊」と映画になった一式戦闘機ほど、華々しい印象を当時の国民は持っておらず、当時の著しい戦局悪化もあり、その名前と性能が市井で評価されるようになったのは、戦後になってからのことであった。
本機で戦果を挙げた空中勤務者としては、比島戦線における13機撃墜の記録を持つ第16飛行団52戦隊高橋武夫准尉。あるいは兵卒から存命中少佐迄昇進した「赤鼻のエース」の二つ名を持つ若松幸禧(わかまつ ゆきよし)中佐が、二式単座戦闘機『鍾馗』で確立した一撃離脱戦法を用いて、本機で多数の戦果を上げた事でも知られる。
従来の旋回性重視よりは速度、降下性、機体剛性、火力に重点を置いたバランスのとれた設計である。
それ故に一式戦闘機、九七式戦闘機に慣れた空中勤務者などからの評価は分かれるが、当時の時代趨勢を概ね正確に見据えた、妥当な高速戦闘機といえよう。地味なようだが、増漕を用いた場合の航続距離も長い。
また、こればかりは海軍に遜色を見るが、設計段階より20mm機関砲を備えた最初の陸軍単戦である。
「ホ103」12.7mm機銃をスケールアップした設計で、些か故障が多く、軽量代用弾の多用故に20mmとしては威力は控えめだったが、それでも大型機迎撃や対地攻撃などでは、大いにその火力は歓迎された。
外見上はスタンダードな単翼、単座、単発戦闘機で、戦後も零戦や隼と混同されてしまうことがしばしばあった。
この点は同世代の海軍局地戦闘機で、太い胴回りから米軍機と誤認され、友軍機から襲撃を受けたり、菊水作戦出撃前の戦艦大和から誤射を受けた「紫電」などと、ある意味で対照的である。
なお現存機は栃木県宇都宮、京都嵐山美術館、和歌山県白浜御苑を経て、現在は鹿児島にある知覧特攻平和会館にて、唯一原型を留める形で飛燕と共に屋内展示されている。
これは元々はアメリカ軍でテストされ、レストアされアメリカの航空博物館で展示されていた機体である。
その後、パイロットだった日本人オーナーの手に渡り、1973年には国際航空宇宙ショーにて里帰り飛行を行った飛行可能機であったが、オーナー死後の所有者の劣悪な管理状況や、心ないマニアによる部品盗難などにより現在は飛行不能となっている。この結末に博物館側は大きく落胆したと言われている。
掲示板
133 ななしのよっしん
2024/08/22(木) 16:57:31 ID: amPAGy9EUM
>>130
×ハイオクで性能が上がった
△額面割れしてた性能が戻った
〇別物レベルに整備されて性能が上がった
誉は100オクタン前提の設計なので、そこに90オクタンそこそこの燃料使うために過給圧下げたりとかの制限をしてたのよ
で、水メタ噴射とかで少なくとも額面上はパワーを出せるようにしたのが誉21型
当然諸々に無理をさせてるから不安定になる
正真正銘のハイオクガソリン+米軍基準の整備とパーツで安定性もパワーも抜群なのが米軍テスト型
134 ななしのよっしん
2024/09/18(水) 20:38:23 ID: F8ziQqObiR
点火プラグとかの消耗品を米国製に取り換えたのは間違いないが、100オクタンガソリンを使ったかははっきりしていないはず。たぶん性能が上がった一番の理由は日米で試験方法が違う事。
日本は制限時間30分の公称出力で測る事が多いが、アメリカは高出力だが短時間(5~10分)しか運転できない緊急出力で測る事が多い。実際日本側試験時と同じ出力のデータだと時速663kmと、疾風乙型が出した時速660kmとほぼ同じ速度になってる。
135 ななしのよっしん
2024/09/18(水) 20:43:13 ID: luUbDFE/tG
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最終更新:2024/12/23(月) 19:00
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