バレエ(フランス語:ballet)とは、主に西ヨーロッパ地域において成立した演劇的な舞踊である。
ルネサンス期にイタリアで行われた踊りを交えた無言劇、仮面劇、幕間狂言などを発祥とするのが定説。
のちにフランスの宮廷でも盛んに行われるようになり、ルイ十四世の時代に大きな発展を遂げた。1661年には王立舞踊アカデミーが設立され、これを基盤として多くの職業的舞踊家が登場することとなり、その活動の舞台は宮廷から劇場へと移行。大衆が鑑賞しうる演劇文化として成立するに至る。
スイス・ローザンヌで開催される『ローザンヌ国際バレエコンクール』が有名。15~18歳のアマチュアを対象とした「若手の登竜門」であり、入賞者は著名なバレエ学校・バレエ団に無償で留学・研修できる上、生活支援金も補助される。
『ヴァルナ国際』『ジャクソン国際』『モスクワ国際』も伝統ある国際コンクールである。こちらはジュニア部門・シニア部門に分かれており、プロやペアでも出場が可能など、ローザンヌとは意義を異にする。
登場人物は一般的に無言で、物語をもつ作品の場合、行動やコミュニケーションは踊りとマイム(身振り)によってのみ表現される。このため、観客はあらかじめストーリーを知らないと話の内容と登場人物の演技の関係がつかめない場合が多い。
踊り(振付)と音楽とはしっかりと関連づけられている場合がほとんどである。音楽を担当する指揮者は常に舞台の状況を把握して、踊り手の動きと演奏が合致するようにコントロールしている。
クラシックな多幕作品ではダンサーは主演女性ダンサーとその相手役の男性ダンサー、独立した踊りの中心となるソリストダンサー、群舞を担当するコール・ド・バレエなどに担当が分かれ、一種の身分的な階層を形成している。コール・ド・バレエを担当するダンサーたちは実際の登場人物としての役割を果たすほか、物語世界の背景的な枠組み(異界としての雰囲気の形成など)を構築するものとしての役割を果している場合も多い。
物語とは直接関係のない踊りが途中で挿入されることもしばしばある。特にディベルティスマンと呼ばれる踊りは修飾的な意味合いが強く、主役ダンサーやコール・ド・バレエとは一線を画した個性的な服装を着けて独特の踊りを踊ることも多い。こうした踊りをキャラクター・ダンス、担当するダンサーをキャラクター・ダンサーと称することもある。
男女のカップルによる踊りをパ・ド・ドゥ(二人の踊り)と呼び、とくに主演女性ダンサーと相手役男性ダンサーによって一定の構成様式に沿って踊られるパ・ド・ドゥをグラン・パ・ド・ドゥと呼ぶ。グラン・パ・ド・ドゥは導入部のアダージォと男女それぞれのソロダンス(ヴァリアシォン)、結末部のコーダの四部構成となっているのが一般的である。アダージォの部分だけ独立した形の主役男女の踊りをグラン・アダージォと呼ぶ場合もある。
グラン・パ・ド・ドゥは作品のクライマックスとして位置づけられるのが一般的だが、「白鳥の湖」における黒鳥と王子のグラン・パ・ド・ドゥのように必ずしも物語のクライマックスと一致しない場合もある。
バレエの動きやポーズはかなり厳密に定義された要素の組み合わせによって構成されていることが多いが、マイムを除くとそれらが具体的な事物や心理に対応づけられているケースは少ない。物語の文脈、場合によっては各人の感性によっていかようにもその内容は解釈されうると言える。
作曲:チャイコフスキー 振付:ライジンガー(初演:1877年)、プティパ/イワノフ(改訂版初演:1895年)
「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」と共に3大バレエと称される名作。オデットとオディールは同じバレリーナが演じ、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」と呼ばれる32回連続のフェッテ(つま先立ちでの回転)など、極めて高い技術が要求される。
あらすじ:
中世ドイツ。成人となる誕生日を迎えた夜、王子ジークフリートは湖の畔に白鳥狩りに出かけ、悪魔ロットバルトに呪われて半人半白鳥という向こう側の存在になっていたオデットに出会い、一目惚れして求愛するが、真実の愛であることの証を立てないと呪いは解けないと知る。花嫁選びの宴でオデットと瓜二つの悪魔の娘オディールに騙された王子は彼女に愛の誓いを立て、オデットを裏切ってしまう。オデットは王子を許すが、王子と結ばれぬ運命を儚み、湖に投身して死ぬ。王子も後を追い、二人の魂は天上において結ばれる(結末には複数のバリエーションがある)。
全三幕と上映時間が非常に長く、多彩なキャラクターが特徴。原作のペロー童話の主人公達も登場し、華やかに舞台を盛り上げる。
第一幕の「ローズ・アダージョ」、第三幕の「青い鳥のパ・ド・ドゥ」やオーロラ姫とデジレ王子のパ・ド・ドゥなど、非常に見所が多い。
あらすじ:
フロレスタン王の娘オーロラ姫が生誕した際、招かれた多くの妖精たちの祝福を受けるが、妖精カラボスを招き忘れたため、これを恨んで王宮に乗り込んできた彼女は「オーロラは成人の誕生日に針を指に刺して死ぬ」という呪いをかける。妖精たちの中でまだ祝福をしていなかったリラの精がこの呪いにわずかな変更をかけ、「オーロラは針を指に刺すが、その後百年の眠りについた後に外界から訪れた勇気ある者の口づけを受けて眼を覚ます」とした。オーロラはフロレスタン王の厳重な警護の指示もむなしく成人後予言通りに針を指し眠りにつく(同時に周囲の人々も含めて城全体が眠りにつき、全体がいばらに覆われる)。やがて百年後、王子デジレがリラの精の導きによっていばらに囲まれた城をおとずれ、いばらを解いて城中に進み、眠りについていたオーロラに口づけをする。オーロラは百年ぶりに覚醒し、同時に城の人々も眼を覚ます。オーロラ姫は王子デジレと婚礼を挙げ、フロレスタン王はじめ周囲の祝福に包まれて幸福を得る。
作曲:チャイコフスキー 台本:プティパ 振付:イワノフ 初演:1892年
第二場の雪の精のコール・ド・バレエ(群舞)、第二幕のお菓子達によるバリエーション豊かな踊りや、王子とこんぺいとうの精によるグラン・パ・ド・ドゥが見所。「お茶の踊り」「トレパック」「花のワルツ」など名曲も多い。
あらすじ:
かつてある王国に王子が生まれた時のこと。居合わせた人々の一人がうっかりとねずみの女王を踏み殺してしまい、ねずみの王に呪われた王子はくるみ割り人形に変えられてしまった。
舞台は変わり、ドイツ、シュタールバウム家で開かれたクリスマスイブの宴。少女クララは親戚のドロッセルマイヤー老人からくるみ割り人形をプレゼントされる。しかし乱暴者の弟が壊してしまったので、ドロッセルマイヤー老人が修理を請け負った。その夜、人々が寝静まり夜中の十二時となったとき、突如としてはつかねずみの王が指揮するはつかねずみたちがクララの部屋に襲来する。くるみ割り人形はおもちゃの人形たちを指揮してこの襲来に応戦するが、闘いの中で互いの部下を失い、はつかねずみの王とくるみ割り人形の一騎打ちとなる。そこへクララの投げつけたスリッパによってねずみの王は倒れ、戦いは終わる。くるみ割り人形は呪いが解け、元の美しい王子に戻った。王子はクララに礼を述べて彼女をお菓子の国へと案内し、お菓子の国の女王による歓迎の宴へと迎え入れる。クララは夢の様な時を過ごすが、やがて朝とともに目覚めて日常世界へと戻る(結末に至る過程にはバリエーションあり)。
作曲:アドルフ・アダン 台本:テオフィル・ゴーティエ
振付:ジャン・コラーリ、ジュール・ペロー 初演:1841年
結婚を前に死んだ乙女が妖精『ウィリ』となり、夜の森に迷い込んだ人間や自分を裏切った男を死ぬまで踊らせるという伝説に基づく。主人公が死装束を纏い踊る唯一の作品と言われている。
あらすじ:
心臓が弱いが心優しい村娘・ジゼル。シレジア侯爵アルブレヒトはジゼルに一目ぼれし、身分を隠して近づく。しかしジゼルに恋する村の青年ヒラリオンは彼を疎ましく思っていた。ジゼルの村にアルブレヒトの婚約者・バティルドが狩りの傍ら立ち寄り、バティルドとジゼルは同じ男性を好いているとも知らず、意気投合して仲良くなる。だがそこにヒラリオンがアルブレヒトの身分を明かして一同に事の顛末を暴露。恋人の正体とかなわぬ恋に絶望したジゼルは狂死してしまう。
死後にウィリとなったジゼルは、ウィリの女王ミルタによって仲間に迎えられる。夜中にジゼルの墓に許しを乞おうとやってきたヒラリオンはウィリに囲まれて踊らされ、苦痛の中で息絶えた。アルブレヒトもまた墓を訪れてジゼルと再会するが、ミルタからは裏切者と見なされて捕らえられ、踊らされる。アルブレヒトが力尽きる直前、ジゼルはミルタに許しを乞う中で時が過ぎ、朝を迎える。ウィリ達は墓に戻り、ジゼルはアルブレヒトに最後の別れを告げ、消えていった。
作曲:J・シュナイツホーファ 台本 A・ヌリ
振付:F・タリオーニ、ジュール・ペロー 初演:1832年
バレエ・ブラン(白い衣装を着用して踊る作品)としては初出で、「白鳥の湖」「ジゼル」と並び数えられる。
あらすじ:
スコットランドの農村が舞台。村の青年・ジェイムズは婚約者エフィとの結婚を控えていた。そんなジェイムズの前に彼に恋い焦がれる空気の妖精・シルフィードが現れ、嘆き悲しむ。魔女のマッジはエフィに「幸せな結婚をするが相手はジェイムズではなく、お前に思いを寄せるガーンだ」と不吉な予言を授ける。
結婚式の場にシルフィードが現れ、ジェイムズの手から指輪を奪い去る。ジェイムズはエフィを置いてシルフィードを追いかけるが、いつしか心をシルフィードに奪われつつあった。彼女を手に入れようと「妖精が飛べなくなるショール」をマッジからもらい、シルフィードの肩にかける。しかし実はショールには呪いがかけられており、シルフィードは背中の羽が落ち、苦痛の中でジェイムズに愛を告げて息絶えた。エフィとガーンの結婚式の鐘が鳴り響く中、ジェイムズは絶望の内に息絶える。
詳細は単独記事「春の祭典」を参照。
フランス国王アンリ二世の妃。イタリアのメディチ家より嫁ぎ、王妃として宮廷にあったときはさまざまな芸術のパトロンとしての役割を果たした。もっとも古い時代のバレエ作品として有名な「王妃のバレエ・コミック」は彼女によってプロヂュースされたものである。
フランスの王。パリに王立舞踊アカデミーを設立し、職業的な踊り手の育成を可能にし、劇場におけるバレエを成立せしめた。宮廷においては自らも踊り手としてバレエに登場することもあった。
フランスの振付師・舞踏家・作曲家。ルイ十四世のバレエの教師でもあったとされる。また、バレエの5つの基本ポジションを考案したとされる。なお、この基本ポジションをベースとした踊りをクラシック・ダンスと呼ぶ(クラシック・ダンスがバレエの意味と等しいわけではない)。
フランスの劇場で活躍した女性舞踊手。踵のない靴をはいて踊り、垂直の動き(跳躍)を交えて踊った。バレエの歴史上画期的なこととされている。
フランスの舞踏家・バレエマスター。それまでのバレエから歌や台詞を排し、踊りとマイムのみによって構成される舞踊劇(バレエ・ダクシオン)の形式を確立し、今日見られるバレエの枠組みの先駆者となった。
イタリア、ミラノのスカラ座付属舞踊学校校長。バレエの技法に関する多数の著作を残し、バレエ教育の体系の確立に多大な貢献をした。
スウェーデン・イタリアの女性舞踊手。バレエ作品「ラ・シルフィード」において彼女が釣鐘状のスカートをもつチュチュを着けてポアント(つま先立ち)で踊ったことが記録されており、事実上「初めてポアントで踊った踊り手」として認識されている。
フランス出身のバレエダンサー・振付家。フランスでダンサーとして活動後、ロシアのマリインスキー劇場と契約。同劇場にて主役級ダンサー・振付師として活動し、1869年にバレエ監督に就任。民族舞踊をとりいれたディベルティスマンや主役男女によるペアの踊り、グラン・パ・ド・ドゥなどの様式を確立し、娯楽性の高いスペクタクルとしてのバレエ作品を作り、バレエの父と呼ばれる存在となる。とくにチャイコフスキーの音楽による三大バレエ「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」は有名。
ロシア出身の興行プロデューサー。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者。絵画の展覧会の開催などを経てロシア音楽演奏会やロシア・オペラの興行なども手がけ、1911年に常設のバレエ団であるバレエ・リュスを結成。数々の舞踊家・振付師・作曲家・美術家を集め、すぐれたバレエ作品の制作と公演に尽力した。
ロシアのバレエダンサー。9歳にしてバレエの道を志し、理想的な身体能力と美貌によってスターダムに躍り出た。1907年にサン=サーンスの曲に振りつけられた『白鳥』を踊り話題となり、『瀕死の白鳥』として広く世に知られる。世界各国を積極的に巡演、1922年の訪日公演は日本バレエ界の黎明をもたらした。この時彼女の舞台を見た作家・芥川龍之介が「露西亜舞踊の印象」にて『瀕死の白鳥』を絶賛している。
50歳で亡くなった後、予定されていた公演では曲に合わせてスポットライトが無人の舞台を照らし、観客は彼女の死を悼んだという。パブロワの名を汚し、また比較される事を恐れ、以後『瀕死の白鳥』は20年間誰も踊る事がなかった。
ロシアのバレエダンサー、振付師。バレエにおいては伝説的存在として知られる。
詳細は単独記事「ニジンスキー」を参照。
ロシア出身の舞踊家・振付師。ディアギレフに請われバレエ・リュスに参加し、振付師としてのキャリアを重ねた。ディアギレフの死後、渡米し1933年アメリカン・バレエ学校を設立。1935年アメリカン・バレエを設立し監督となる。紆余曲折を経てのちのニューヨーク・シティ・バレエ団となるバレエ協会を第2次大戦後の1946年に設立し、1981年に病に倒れるまでバレエマスターを務めた。「シンフォニー・イン・C」「放蕩息子」「真夏の夜の夢」など多数の作品の振付を手がけた。クラシック・ダンスの技法を維持しつつ、プティパの多幕物バレエが残していた物語性から離れ、より抽象性の高い作品を産み出した。彼が古典バレエと現代的なバレエの架け橋となったと言われるゆえんである。
革新的な振り付けでその名を知られている、フランスの振付家。パリ・オペラ座バレエ団でコール・ド・バレエとして入団後、振付の道に入る。1959年に発表したストラヴィンスキーの『春の祭典』は鹿の交尾から着想を得た斬新な作品で、高く評価された。翌年発表した『ボレロ』は傑作として知られ、映画『愛と哀しみのボレロ』ではジョルジュ・ドンが踊り、話題を呼んだ。日本文化や東洋思想に関心を持ち、三島由紀夫をテーマとした『M』や、仮名手本忠臣蔵を元にした『ザ・カブキ』を振りつけている。歌舞伎役者の坂東玉三郎を始め、デザイナーの三宅一生、演出家の蜷川幸雄など、多くのアーティストと積極的に交流を持っていた。
フランスのバレエダンサー。「100年に一人の逸材」と称されたバレエの女王。片足を挙げて頭上でぴたりと止める「6時のポーズ」など、人間離れした踊り方はつとに有名。
元は体操選手だったが12歳でパリ・オペラ座バレエ団にスカウト。数々の賞や栄典に輝き、19歳にして最高位のエトワールに任命された。しかし自由がなく閉塞した環境に不満を覚え、1988年に電撃退団。「国家的損失」として大騒動になった。その後イギリスのロイヤル・バレエ団のプリンシパルとして、またフリーで積極的に公演を行う。クラシックの他にもコンテンポラリーにも力を入れ、ベジャールの『ボレロ』や『シシィ』なども踊っている。たびたび来日公演を行っており、東日本大震災の際にはパリでチャリティ公演を行い、11月には福島県いわき市で特別公演を行った。
2015年に引退を表明。ファイナルツアーの最終公演は日本で行い、大晦日のジルベスターコンサートでは最後の『ボレロ』を踊った。
掲示板
8 ななしのよっしん
2022/06/30(木) 23:14:44 ID: J2clNmFaPE
ロシア人バレリーナ、死体で発見。ウクライナ侵攻後、3人目
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9 ななしのよっしん
2023/06/27(火) 20:35:39 ID: +Iq3menUcY
別に元バレリーナがAVデビューしたり、現役でも自分の責任の範囲内で兼業するのは構わないと思うが、曲がりなりにも雇われの身でしかも勤めている先の生徒を盗撮して無許可で自分の宣伝のためだけにTwitterにアップロードするなよなと。
クビ切られたというのもそういう非常識なところが原因なだけでしょこれ。
https://
10 ななしのよっしん
2024/09/15(日) 22:57:23 ID: J2clNmFaPE
ウクライナ名門バレエ団、日本からの義援金で新作、来日公演へ
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急上昇ワード改
最終更新:2025/01/09(木) 08:00
最終更新:2025/01/09(木) 08:00
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