コサックとは、キプチャク草原(ウクライナの黒海沿岸からウラルまで)にいた半農半軍の集団である。現代ウクライナ人は自分たちのルーツの一つであると認識している。
自然発生したもともとのコサック。リトアニア大公国や共和国(ポーランド=リトアニア)にとりこまれテュルク系イスラーム諸国家への対抗手段としておかれたコサック。ロシア大公がシベリア開拓に使った屯田兵としてのコサック。これらをすべてコサックと呼ぶ。
部族というより軍団であり、そこも含めてモンゴル系テュルク系遊牧民の影響を強く受けたスラブ人集団である。
古来よりキプチャク草原には、フィン・ウゴル系、ペルシア系など多くの民族が暮らしていたが、ハザールやペチェネグ、キプチャクなどの国家がたちテュルク系民族が優勢になった。さらにモンゴル帝国が興こり、モンゴル人がやってくることもあったがこれもテュルク系民族に吸収され、モンゴル帝国の流れを汲むテュルク系国家ジョチ・ウルスの時代となった。
ルーシ諸公からショバ代を巻き上げていたジョチウルスは、内部抗争で急速に勢力を失う。同時に、北の方では共和国(ポーランド=リトアニア)がルーシの主要部分やウクライナにかけてを征服し、東方ではノヴゴロド公国を飲み込みモスクワ大公が力をつけていた。
このキプチャク平原にコサックはどこからか現れた。つまり、コサックの起源はよくわかっていないが、この頃共和国で地位を失った貴族、盗賊の類、モスクワ大公国から逃げ出した農奴などの説がある。その血統についてもテュルク系黒帽子族の子孫である、キプチャクの子孫である、ハザールの子孫であるなどいろいろの説はあるが、北方に成立したルーシもノース人の王様(リューリク)がテュルク系の王号(カガン)を用いて雑多な民族をまとめた国だったので土地柄コサックもそんなもんでしょう。
ともかく、大国の隙間となったキプチャク平原にスラブ語正教の愚連隊が出現、テュルク系をお手本に半遊牧化しつつ組織化されてコサックとなったということで。
共和国の配下に組み込まれ、たびたび反乱を起こした。ウクライナ人の心の先祖。ロシア帝国を使って独立したかに見えたが結局ロシア帝国に取り込まれるか滅ぼされた。
ロシア帝国に取り込んだコサックとそれを真似をして作った屯田兵団。革命期に白軍に参加したり独立を図ったりしたので反革命主義者としてソヴィエト時代に弾圧された。最近はプーチン帝が愛国的集団だったと評価するように指導しているため、コサックの子孫の復権とともに、愛国集団に入りたい愛国ロシア人を吸収して復活しつつある。
シーチと呼ばれる城を拠点としたコサックと貴族化して町に住んだコサックでは違いがあるはずだが、一般にコサックといえば一部を残して剃り上げた大五郎カット、ヒゲ、激しいダンス、帽子、遊牧民的な騎馬の扱い、楽器などテュルク系民族の影響を強く受けたような風俗がイメージされる。
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最終更新:2024/12/23(月) 00:00
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