三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第144回は「お金」と「幸せ」にまつわる賢人たちの言葉を紹介する。
「たかが金」と「されど金」
投資部主将となったプレッシャーから失踪した渡辺信隆に対して、主人公・財前孝史は「たかが金のことなのに」と言ってのける。過去にも同様の事例はあったと聞かされた投資部メンバーは、学年順送りという機械的な主将選出の伝統に疑念を抱く。
財前が口にした「たかが金」という言葉は、私が金融リテラシーの目標について語る定番フレーズと重なる。正確には「たかがお金、されどお金」が私の持ちネタだ。
この後に「日本は『たかがお金』という金銭蔑視の傾向が根強い。しかし、その言葉を使っていいのは『されどお金』と言える知恵と経験を身につけてからではないか」と続ける。
もっとストレートに表現すると、「お金は幸福の必要条件だけれど十分条件ではない」ということだ。最低限のお金がないと生活は成り立たないし、プラスアルファの稼ぎがなければ心のゆとりは生まれない。老後資金も含めて「お金の必要条件」を満たせるように備える必要はある。
だが、「たかがお金」で人生が豊かになるわけではない。
何となく不安だからと貯蓄や投資を始めると、資産や口座の残高を増やすことが自己目的化しかねない。手段と目的を取り違えるのは人生の落とし穴の一つだ。お金を貯めても幸福の十分条件が満たされないことは常に頭の隅に置いておくべきだろう。
「2人の賢者」の教えとは?
一介の金融コラムニストのお説教では説得力に限界があるだろう。「されどお金」を突き詰めた2人の賢者の言葉を紹介したい。まず連載で度々紹介している起業家・エンジェル投資家のナヴァル・ラヴィカント氏の金言。
「とうとう富を手に入れたとき、君の求めていたものが富でなかったことに気づくだろう」(『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』)
もうひとつ、亡くなった経済評論家、山崎元氏が息子にあてた言葉。
「人生の幸福感はほとんど100%が『自分が承認されているという感覚』(「自己承認感」としておこう)でできている。(中略)『豊かさ・お金』が少々必要かもしれないが、要素としては些末だ」(『経済評論家の父から息子への手紙 お金と人生と幸せについて』)
この2人を並べて紹介したのは、最近本を読み返して、国籍もキャリアも違うのにこの「たかがお金」の境地と「されどお金」の知恵がとても似ているのに驚いたからだ。
後者については、具体的には「なぜ市場経済においてリスクを取ることが重要なのか」という問題意識と対処法に共通点が多い。
山崎氏の同書には「経済の世界は、リスクを取ってもいいと思う人が、リスクを取りたくない人から、利益を吸い上げるようにできている」という言葉がある。これからキャリアと資産を築く人に、極めて的確な指針だと私は考える。
一言に集約すれば「リスク無くしてリターンなし」となる。もちろん、投資や起業は気が進まないとリスクを避けるのも、ひとつの選択だ。だが、実際にはそんなリスク回避は「リスクを取らないというリスク」を取っている。
適切なリスクテークは幸福の必要条件を満たす可能性を高める。この辺りのバランスに興味がある方は私のnote「『リスクを取らないリスク』について 2人の賢者の言葉」をご一読願いたい。