考えるということは、人間だけの特権だと思われがちです。でも、家のまわりの小さな生き物たちを眺めていると、どうもそう単純には言えない気がします。 ネズミが迷路を行き来する姿や、ちょっとした隙間を探る動きの中には、状況を読み、次の行動を決めるような小さな思考の痕跡がちらほら見えます。もちろん、私たちのように言葉で理屈を積み重ねているわけではないでしょう。でも、危険や食べ物を判断し、工夫して行動するその姿は、ある種の“考える力”をひそかに感じさせます。こうして日常を注意深く眺めるだけで、庭先や壁の隙間、地下の暗がりまで、ちょっとした哲学の舞台に変わってしまうのです。 ところで、問題になるネズミには、 ハツカネズミ、ドブネズミ、クマネズミがいて、それ以外いません。 スズメバチには、 オオスズメバチ、ヒメスズメバチ、キイロスズメバチがいて、 他の種類はあまり問題になりません。 これだけでも哲学に近づきます。 ハシボソガラスとハシブトガラスもこれと同じです。 うちに来るのはハシボソですが、とんでもなく賢いですよ。 暑いと、水道の蛇口を突いて「水を出せ!」とアピールします。 「(豚肉が)もうないよ!」と言うと、手元の餌入れにかけてある ボロギレを嘴で取り去って、肉がもうないことを確認します。 数年前「もう子供は大きくなったか?」と言うと、 次の日、子供を3羽連れて来て、ビックリしましたよ(笑) 彼らが哲学を語っても、あまり不思議でないぐらいです。 そこで質問ですが、こうしたネズミやカラス、スズメバチの賢さや観察力を見ていると、ふと思うんです。言葉を持たなくても、彼らなりの哲学や論理、感情のやり取りみたいなものがあるのではないか、と。もしかしたら、私たち人間が「考える」と呼んでいることの、ほんの小さな断片くらいは、彼らも理解しているのかもしれません。そう考えると、日常の庭先や水道のそばですら、小さな哲学の舞台になっているようで、ちょっとワクワクしませんか?みなさんは どう思いますか? ๑๐/๑๔