回答(7件)
マイルスはビバップ、クールジャズ、モードジャズ、フュージョン、 エレクトリックなど、ジャズの進化を牽引してきました。 都市部の中流層や文化的関心の高い家庭では、 マイルスのレコードが普通に流れていました。 ジャズ喫茶だけでなく、大学生や若い社会人が「知的でクールな音楽」 としてマイルスを聴いていた時代背景があります。 1950〜70年代は、家庭にステレオが普及し、 レコードを聴くことが一般的でした。 ジャズは「知的でおしゃれな音楽」として、 都会的な家庭や大学生層に広く受け入れられていました。 とりわけ『Kind of Blue』はクラシック音楽ファンにも受け入れられ、 ジャズマニアを越えて広く浸透しました。 モード奏法を導入し、聴きやすいメロディが万人に受け入れられ このアルバムが突破口となって、次々とアルバムを 買い求めたことも売り上げアップにつながってきたと思います。 マイルスのアルバムはジャケットも洗練されており、 インテリアとしても人気。『Sketches of Spain』や『Bitches Brew』、 『Plugged Nickel』などは視覚的にも印象的です。 http://www.maroon.dti.ne.jp/mimi/syumittoclub/jazzlp&cd/jyakekai_album.htm 又、十何年前にCBSソニーが企画した ジャズ史を塗り変えた25枚と題して、 MILES DIVISのLPを完全予約限定盤として 1800円で25枚一気に発売されたことがありました。 10枚購入するとボーナス盤がもれなくもらえる 特典があり、ライセンスの売り上げ戦略の 一因にもなっていました。 参考までに https://jazz2-0.com/jazz/1401/ https://everplay.jp/column/6790
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ありがとうございます。ステレオの普及、都市部で知的でおしゃれな音楽が流行っていたという背景があったんですね。 それにしても1959年発売の「カインド・オブ・ブルー」は全世界で1千万枚売れています。驚愕の数字です。ジャズファンは衝撃を受けたでしょうが、一般的人にとってはポップでもないですし、キャッチーというほどでもない、暗くて難しい音楽だったと思います。大宣伝も当初はなかったと思います。当時はエルビス・プレスリーとかポップスの大スターもいました。なんで1000万枚も売れたんやろ??
60年代半ばは「そば屋の出前持ちもモーニンを口ずさんでいる」という言葉 があったくらいブームがあったようです・・私はしらないけど これ https://youtu.be/Cv9NSR-2DwM?list=RDCv9NSR-2DwM マイルスも同時期に流行ったでしょうが、少しマニアックな層でしょう・・ でも、誰もが聞いたことがある音楽でもあった、例えば・・ https://youtu.be/GIgLt7LAZF0?list=RDGIgLt7LAZF0 こういうTOPクラス以外はあまり聞かれていませんでしょう(一般家庭では) なぜなら、ジャズのラジオ番組も限られていたし、音源(レコードは高価で 金持ち以外そうホイホイとは買えなかったので) 買う場合も、ジャズ喫茶に行ってリクエストして聞いてから買うような時代。 マイルスが人気だったのは確かです 特に60年~70年初頭は この時代最も「先鋭的」な音楽はマイルスのジャズだったからね。 例えば、この時代で私が好きなのは・・ https://youtu.be/AIqXprCArdo?list=RDAIqXprCArdo
日本では60年代、70年代初頭に、おそらく大学生を中心によく聞かれていたのは、なんとなくわかります。 でも59年発売の「カインド・オブ・ブルー」は全世界1千万枚売れています。とんでもない数字です。とがった若者に売れた・・では説明つかない。 一般的にはポップでもキャッチーでもない“難しい音楽”が、なぜこんなに売れたのか?不思議です。
今ならその手のサウンドは溢れかえっていて驚きませんが、当時は青二才の私にとっては新鮮でした。ビッチェェズブリューですね。 電子音、緊張感のある不協和度の高い和音、なにやらミステリアスな雰囲気から8ビートのドラムがそこはかにズンタツズンタツと流れ出し、この先なにが起こるのかとわくわくしたものです。淡々としたリズムでスウィングしてないところにも魅力を感じました。 結局、私の注目はマイルスのトランペットよりもバッキングに集中しました(笑) ライブでの深くオーバードライブしたロック調のエレキギターのソロも印象的でした。 その後、モントルジャズフェスティバルのフュージョンバンドのメタル風のエレキギターソロが好きでしたね。
ありがとうございます。私はハードバップ時代が好きです。 「カインド・オブ・ブルー」は全世界1千万枚売れたそうです。 とんでもない数字です。どんな背景があったのか、知りたいです。
実際 ジャズがアメリカで流行っていたのは 1950年代から1960年代 その時代のジャズを 日本で人気が出て 多くの人たちが聴いたのは 1960年代以降 当時若かった人たち 今ご健在であれば 80歳以上でしょう まあ 本場アメリカのジャズがかっこいい これが新しい音楽 ジャズだと酔いしれた そんなだったと思います そういう時代の中で やはり ジャズの第一人者 そうとらえられていたし 比較的 わかりやすいジャズだった それもあるでしょう ジャズは 1970年代になると クロスオーバー フュージョンの時代となって 人気は落ちてきますが 1980年代後半 かつてのレコード時代のアルバムが CDで再発されてゆきます そのブームに合わせて ジャズ入門書のような音楽雑誌が いっぱい特集を組んで記事にしていました 当時 30歳代だって人たちが はじめてのジャズ そんなで 大人買いをやっていました 今 60歳代でしょうか それで 新しい世代のファンがうまれました その時代 音楽雑誌 書籍が 推奨するミュージシャンは マイルス デイビスと ビル エバンスでした レコード時代からCD時代と通して ジャズ入門 そんな扱いだったので ファンが多かったのだと思います 今は 時代はひとまわりも ふたまわりもして アナログの人気の時代 受け継がれる そういうよさもあるのだと思います
ありがとうございます。日本ではおそらく全共闘世代のとがった若者たちが、難しい音楽を聴いて精神世界に浸っていたのだろうと思います。 ただ1959年発売の「カインド・オブ・ブルー」は全世界1千万枚売れました。とんでもない数字です。ポップじゃないマイルスの音楽が、なんでこんなに売れたのか?背景を知りたいです。
そうですよ。 家で聴くために買ったんです。 あの当時はラジオでジャズの番組が多く、ジャズ評論家がマイルスを褒め称えていたり、ジャズファンが読んだりする本にも必ずマイルスのことが書かれていたり、ジャズの帝王といわれたりで、ジャズを聴くにはマイルスを買わなくちゃという雰囲気の時代でした。
ありがとうございます。日本ではおそらく全共闘世代のとがった若者たちが、難しい音楽を聴いて精神世界に浸っていたのだろうと思います。 ただ1959年発売の「カインド・オブ・ブルー」は全世界1千万枚売れました。とんでもない数字です。ポップじゃないマイルスの音楽が、なんでこんなに売れたのか?背景を知りたいです。
AIからのお助け回答
マイルス・デイビスのレコードが広く売れた理由はいくつかあります。 ・常に音楽的革新を続け、時代ごとに異なるスタイルを開拓したこと(ビバップ、クール、モード、フュージョンなど) ・『Kind of Blue』のような、ジャズ初心者でも親しみやすい作品を生み出したこと ・優れたミュージシャンを起用し、彼らの才能を引き出す卓越したバンドリーダーだったこと ・独特のトランペット奏法と音色で、聴き手の感情に訴える演奏をしたこと ・ジャズの枠を超えて、ロックやファンクなど他ジャンルの要素を取り入れたこと 当時の一般リスナーについては、特に1950年代後半から1960年代にかけて、『Kind of Blue』や『Sketches of Spain』などの作品は、ジャズファン以外の一般家庭でも広く聴かれていました。これらのアルバムは音楽的に洗練されながらも親しみやすく、当時の知的な中産階級の間で「良い音楽を聴いている」という文化的ステータスにもなっていました。また、1970年代の『Bitches Brew』などのフュージョン作品は、ロックファンにも支持され、より幅広い層に受け入れられました。 マイルスは単なるジャズミュージシャンを超えた文化的アイコンとなり、その音楽は時代を超えて多くの人々に愛され続けています。
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マイルス・デイビスのレコードが売れた理由は、彼の革新的な音楽スタイルと幅広い影響力にあります。彼はジャズの枠を超え、ロックやポップスにも影響を与え、多くのファンを獲得しました。また、彼の作品はメジャーレーベルからリリースされ、広く流通しました。当時、ジャズは人気のある音楽ジャンルであり、多くの家庭で彼の音楽が楽しまれていました。彼の音楽は時代を超えて愛され続けています。
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