回答(5件)

理由は3つです。 1.原作に追いついてしまった。 当時はまだ、いったん休んで第二期、第三期という手法は存在せず、ダラダラとアニメオリジナル編で繋ぐしかなく、その間はスポンサーもお金を出し続けなければなりませんでした。 2.視聴率の低迷 上記の理由でスポンサー離れが起き、収益性もみこめなかった。 3.原作者の意向 とにかく井上雄彦はアニメ版スラムダンクの演出と作画が気に入らず、もうやめてくれーって感じだった。 結局2022年に井上雄彦自身でアニメ映画を作り、満足のいく山王戦が描けたのでチャンチャンですね。

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実際当時子供反応なりますが、かなり話題性あって人気はアニメ県大会まですごい人気あったです。 めちゃ神作とか騒がれておりました。しかし1人めちゃ納得してない人がおりました。 原作者、井上雄彦です。単純にこういったアニメのバスケ演出嫌いだったようです。 かなり編集部、井上雄彦、アニメ制作人、プロリューサなど、今後の会議などあったと思われます。 そして集英社、編集部にかなり愚痴こぼしていた説が濃厚しております。 というか井上雄彦なりの美学ありまして、全国大会は最後まで描くことはないとある企画に浮かんでしまう事なるわけです。 当時テレビではアニオリは常識です。後のマキバオーなんてこれはこれで改変が多く、世界挑んだり、チュウべいは生きてたりとやりたい放題な演出でした それにそろそろドラゴンボールが終わってしまうという集英社の焦りなどあったそうです。 この二つの衝突がアニメはきっちり終わらせてやるという井上の高い意思が出てしまう結果なりました。 正直いってあの人気で仮にテレビ放映できなくなっても、まじで劇場いやOVAでも全然全国編は創れたし、売れるとは思います。 それを一切しなかった理由は、作者の影響というか、アニメ制作きっちり×入れてしまったのではないかという噂が絶えないわけです。 そしてそのあと集英社とバチバチに揉め可能性あり、全国編って2試合のみなんですけど表向きの伝わった話しだと、作者がこれ以上試合を描けなかったというのが聞いている話しだと思いますが、違います。 もう少年ジャンプというか集英社とは距離おきたいという意思あったわけです。 これが分かるのは 1996年 - スポーツ・アイ ESPNのサイト上にて「BUZZER BEATER」連載開始(1998年まで)。 なんとすぐにバスケ漫画を描いてます 1998年 - 『モーニング』にて「バガボンド」連載開始 ちなみに講談社です。 1999年 - 『週刊ヤングジャンプ』にて「リアル」連載開始 ココでようやく集英社出戻りして戻ってます。 なぜ後の世にメガホンが持って監督したのが分かりますよね。 自分が認めるアニメ技法は平成後期まで出て来なかったからなのです。 なので上記のは私の空想的な話し多いですけど、実は理に適った説でして、私だけではなく色んな検証ブログなど噂が響いている説なわけです。

普通に視聴率低下によるスポンサー離れでしょうね。 当時アニメ終了と漫画終了とでは3か月しか空いていません。 まあアニメの制作は1クール毎に契約がくるらしいので実際はもっと前に終わらせる判断はされていたと思いますが、それでも少なくとも豊玉戦は余裕で出きました。 もし普通に全国大会を続けていれば原作に追いつく前に原作が終わっていた可能性が高いので、これで原作のストックの問題でやれなかったというのはちょっと無理があると思います。 確かにスラムダンクは一度試合を始めてしまうとドラゴンボールみたいに全く別の場所でのアニオリを挟むとかはやりにくいので引き伸ばしが難しい作品であったとは思いますが、少なくとも豊玉戦はやれた以上やれなかったのではなく敢えてやらなかったと見るのが妥当だと思います。

視聴率低下とストックがなくなったからではないでしょうか

「やらなかった」ではなく「やれなかった」が正解じゃないかなぁ。 技術的に激しく動くアニメを低予算で作れるわけがありません。 技術と予算の問題だと思います。