18時、東京。ホテルの喫茶で人と会っていた僕はひどくくたびれて、エントランスの片隅にあるソファーに思わず腰をかけた。カーペンターズのイエスタデイ・ワンス・モアが流れ始め、カレンのあの低い歌声が僕の足元に敷かれたレッドの絨毯に優しく染み込んでいくように響いていた。目の前には大理石でできたテーブルがあって、落ち着いた照明をバックにクリスマスツリーを映していた。ボール。イルミネーション。スター。金、銀、赤の豪華な色合い。それはまるで星空のようだった。テーブルサイズの星空。星。月。僕はそれを目の当たりにして彼らのことを思い出していた。そう、あれはやけに月が大きく見えた夜だったと思う。仕事から帰った僕はテレビを見ていた。異国の窮状を追う報道番組の1コーナー。カメラは暗がりで身を寄せ合う三人の少年をとらえていた。年齢は日本なら小学校高学年くらい。「親は?」「ご飯は食べたの?」「家は?」インタビュアーの質問に三人のうちの一人が振り向いて答えていた。「親はいない」「ご飯はゴミを漁る。今日は食べていない。ゴミもない」「家はない」それだけ答えると少年はそっぽを向いて横になっている仲間と身を寄せ合って横になり何も答えなくなった。場面転換。昼間の市場のシーン。少年たちが、消えた。彼らの身なりはボロボロで、靴下も履いていなかったと思う。僕はテレビを消した。部屋のなかに差し込んでくる月は大きく、眩しいくらいだった。この月の光を、今、あの少年たちはどう思って眺めているのだろう。彼らの目に明るい光として映っているだろうか、それとも、冷たい光と映っているだろうか。実のところ僕は彼らの国の現状をよく知らない。深刻な食糧不足に陥っているくらいしか知らない。ただ、政治、経済いろいろな事情があってもそれは馬鹿な大人の作り出した仕組みと結果であって、それによって無力な子供たちが苦しめられるのを見聞するのはとても悲しいし、たった数百キロ先に何万もの死と隣り合わせの子供たちがいるのに、せいぜいコンビニのレジ脇にある募金箱にお釣りを入れたりすることぐらいしか出来ない自分が情けなくなる。僕は春が来るまでに彼らをくりかえし、何度もおもうだろう。そして救いにならないかもしれないけれど、ときどき祈ってみたりもする。彼らに一日も早く春が訪れますように。暖かい冬でありますように。そして近い将来。僕の目の前にあるクリスマスツリーを日本の子供たちと同じように眺める日が来ますように。そして月光が寒い夜を身を寄せ合ってしのぐ少年たちを柔らかく包んでくれますように。春になるまでに祈りは千に届くだろう。無力な自分への苛立ちを抱えながら、この地上から悲しみがなくなることを信じて、僕は祈るのだ。