
年賀はがきのやりとりを何年かかけて縮小している。やりとりをしているのは、古くからの友人、年に数回会うかどうか、あるいは全く合わない知人に限られている。年始の挨拶というよりは、生存確認の意味合いが強い。12月上旬になると少なくなったやりとりの中で喪中はがきが何枚か届く。同じようなモノトーンのデザインだ。どの喪中はがきも内容は一緒で、近い家族が亡くなったと言うもの。亡くなった人に面識はないので、僕は差し出し人を確認して、年賀状を出さないリストに入れるだけだ。20数年前、今の業界に入った数年間、お世話になった先輩からも喪中はがきが届いた。先輩からは昨年も喪中はがきが送られてきたので、2年連続だ。連続喪中はがきはめずらしくない。僕と僕に関係する人たちがそういう年齢に差し掛かったことの証だ。
20歳上の先輩と過ごした時期は暗黒の時代だった。僕が転職してきた数か月後に、先輩は後から中途で入ってきた。先輩からは業界の知識や、協会特有の営業のやり方について教えてもらった。だが、彼のために僕が動いた方がどう考えても多いので、お世話になったという気持ちも幾分控えめになってしまう。先輩は一匹狼だった。「営業は孤独だぞ。一人で戦えなくてはダメだぞ」とよく言っていた。先輩は、契約を取ること、数字を追い求めることに特化していた。数字を積み上げて目標を達成するという点では優秀だった。
ただし、その代償として周囲との争いも絶えなかった。関係部署との調整不足や条件のゴリ押しが原因。「仕事を取ってきているのだからいいだろう」といって先輩は気にしていなかったけれど、周囲からの攻撃は、先輩と行動している若い僕への風当たりの強さへと形を変えた。先輩が承諾なく隣の部署の資料を持ち出したときなどは、なぜか僕が怒鳴られた。「お前の師匠がメチャクチャなことをやっている。お前が抑えないからだ」と。
こんなふうに何度も先輩のせいで酷い目に遭った。それに対して、先輩から教えてもらったものは大変さと釣り合うものではなかった。当たり前すぎて、退屈で、奇跡的な方法や圧倒的な成果を求める若く血気盛んな僕には物足りなかったのだ。「見込み客へのこまめなアプローチ」「アプローチがうまくいってもいかなくてもフォローを欠かさない」「提案は一晩寝かせて客目線から見直す」等々。どれも当たり前の基礎だ。それを毎日、朝昼晩、くどくどしつこく言われるのだ。わかっているよ、しつこい、と頭に来る。僕は「言われなくなるまでやってやるよ!クソが!」と毒を吐いて地道に営業の基礎を繰り返した。
気がつくと先輩は何も言わなくなり、僕も意識しなくても基本を忠実に繰り返す営業マシーンになっていた。教える側になったとき、僕は、地味で面白みのない基礎を教えることの難しさに直面した。先輩のように、くどくどしつこく教えるのは教える側もしんどいのだ。それをやってくれたのだ。嫌われても。疎まれても。先輩は。若いときにはわからなくても、年齢を重ねてはじめて分かることがある。「あ、こういうことなのだ」と。ずいぶんと時間が経ったあとに先輩のやってくれたことの意味がわかって、感謝できるようになったのだ。
先輩は「営業はクソみたいにつまらない仕事だから相手と自分自身にサプライズを時々入れるといい」とも教えてくれた。先輩は商談が煮詰まってくると、突然「アッと驚く為五郎!」と大きな声で叫んだり、「これは見なかったことにしてください」と僕が苦労して作った企画書を客から奪ってビリビリと破いたりした。そういうアクションをした帰り道、先輩は「営業はつまらない仕事だから自分から面白くしていかないとやっていられなくなるぞ」と言った。まったく面白くない。「為五郎に営業開発上の効果はあるのですか?」という僕の問いに「ない。ゼロだ」と爽やかに先輩は答えたのだった。100%マイナスの効果しかなかったと思う。
営業という仕事はとことん地味に地道であること、目標に向かって毎日一歩一歩進めていくこと、ときどきバカをやって自分で楽しむようにすること、今でも僕が続けていることは先輩からくどくど言われ続けた日々にカタチ作られたものだ。あの頃の先輩のように、部下や若手に嫌われようともウザがられてようとも気にせず構わず、僕は教えているだろうか。わからない。ただ嫌われているようにも見える。わからないことだらけだけれども、為五郎と叫ぶ勇気が僕にはまだ備わっていないことだけは確かだ。
妙な胸騒ぎがして先輩からの喪中はがきを確認した。「私は永眠いたしました。生前のご厚情を感謝いたします」、先輩の喪中はがきは先輩自身が亡くなったことを知らせるものだった。差出人も先輩の名だった。サプライズ。相変わらず面白くないサプライズ。僕は先輩の言葉を思い出した。「営業は孤独。ひとりで戦えなくてはダメだぞ」。先輩は言葉どおり一人の営業マンとしてやりきったのだ。まだ70歳。一日二箱の煙草と、ストレスの多い生き方が命を縮めたのだろうか。
先輩と過ごした数年間は、お世辞にも楽しいものではなかった。あの頃の僕は常に先輩にムカついていた。苦しかった。つまらなかった。イライラしていた。いつかやり返してやろうと誓っていた。でも、長い月日を経て、僕の手の中にある喪中はがきのような、あのモノトーンの時代の記憶に少しずつ色が差しはじめている気がする。人生を彩る絵の具は薄すぎて染めるのに時間がかかってしまうのだ。あの頃の記憶も、きっと僕が引退する頃にはフルカラーになっているだろう。(所要時間26分)




