1950年生まれ。建築家。東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授、内藤廣建築設計事務所主宰。
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(最終更新:2009年3月31日)
[現代住宅研究 2-1]
...らをいくつか見てみよう。 《千歳烏山の家》(内藤廣、一九九七)[図7]は、延五一・八九平方メー... ...の可能性を、くっきりと指し示している。 7──内藤廣《千歳烏山の家》 配置図 縮尺1/8008──坂茂《...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.12-15
[CONCEPTUAL 日本建築 6]
...った 内藤廣の島根県芸術文化センター。 写真手前の特異な瓦は雪止役物。 引用出典=『内藤廣/イン...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.188-201
[1990年代以降の建築・都市 5]
重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知...ルド・ロッシの建築が純粋形態としての三角形、内藤廣が構造的な理由をもつ切妻を使うとすれば、坂...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[フィールドワーク]
...) 久野紀光 •トウキョウ・ウィーク 伊東豊雄 内藤廣 Ángel Alonso(ACEBOXALONSO) Carlos Arroyo Javier Sanjuán Álv...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.161-168
[論考]
このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ば...繊細さを実現したのだという。同様に《虎屋》(内藤廣)では、穴開きブロックを用いた多孔質なスク...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.76-84
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...る生々しい素材の感触をつきつけているからだ。内藤廣の《海の博物館》(一九九二)は、構造の形式...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[論考]
建築にいながら何をやっているんだと或は人から思はれる位、一寸見ると建築とは縁がなさそうに見えるかもしれないような基礎理論を各方面から切り開いて行かなければならな...攻(主査=伊藤毅、副査=鈴木博之+藤森照信+内藤廣+西村幸夫[順不同、敬称略])に提出し、二...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...PACE》 ・レンゾ・ピアノ《メゾン・エルメス》 ・内藤廣《倫理研究所》 ・手塚建築研究所《越後松之山...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[対談]
隈——建築への関心がそれまでの内部から「お外」へと志向し始めたのは九○年代の最初の頃だったでしょうか。地面でゴロゴロする若者、いわゆる「ジベタリアン」が増えてき...雄さんのようにガラスを使っている人が白派で、内藤廣さんが赤派なのかな。しかし、建築がその二つ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[論考]
なぜ建築を扱うのに言葉が必要なのかは、これまでにも繰り返し問われてきた。そして、このところ建築と言葉の仲は、うまくいっていないのではないかという問いは続けて発せ...批評誌『オポジションズ』」(岸和郎+北山恒+内藤廣『建築の終わり──七〇年代に建築を始めた三...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.152-153