道徳的動物日記

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2024年の本ベスト5+年内に読んだ本たち(政治哲学とヨーロッパ哲学を中心に)

 

 本日、1月2日はわたしの誕生日です。36歳になりました。ヘビ年なので年男でめでたいです。よかったらなんか購入してください。

 

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 さて、例年、わたしは哲学を中心としながらもさまざまなジャンルの人文書を読んでおります。また、最新の本を読むということは少なくて、何年も前に出版された本を読んでいることが多い。なので、本当なら「年間ベスト」というのを作ることはできないんだけれど……あえて作りました。また、以下では、2024年(や2023年末に)読んだ本たちのなかで、良かったものや印象に残ったものをざっくりと紹介していきます。

 ただし、Very Short Introductionの邦訳本については3日前の記事で言及済みなので今年読んだものであってもこちらでは取り上げません。また、3日前の記事と同じく、大半はBlueskyのほうに投稿した感想の流用です。本によって感想の文字量や丁寧さに大幅なバラつきがあるのは、感想を投稿した当時のわたしのテンションや気分や忙しさなどによるものです。誤字もいっぱいありそうだけど、悪いのは2025年のわたしではなく2024年のわたしです。

 

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●2024年の本ベスト5

 

数字の近い2023年の本や2014年の本も含んでいます。

 

『まっとうな政治を求めて 「リベラルな」という形容詞』

 

 

 コミュニタリアン/社会民主主義の政治哲学者として有名なウォルツァーが、コロナ禍で自宅から出れず参考資料もあまり使えない状況で、自身の経験を振り返ったり最近の出来事に言及したりしながら民主主義や社会主義、コミュニタリアニズムにフェミニズムといった様々な政治思想について語ることを通じて、そのいずれの思想にも付けられる形容詞としての「リベラル」を浮き彫りにしていく……といった構成。多元性と寛容とアイロニー、もっとくだけていうと「他の可能性」や「留保」を重要視する思想や考え方としての「リベラリズム」の意義やエッセンスが、実によく伝わりました。

 単に抽象的な政治哲学を論じたり教条的なお題目を唱えたりするのではなく、ウォルツァー自身が政治・社会運動に関わってきた経験が反映されているからこそのプラグマティックな議論になっているところが重要。思想や理論だけでなく「現場」……運動の集団や雑誌の編集部、あるいは自分をそれらの思想に引き入れてくれる恩師や友人など……も重要であり、現場に身を置くと他の人たちの視点や留保が大切になってくるからリベラリズムが必要になってくる、という筋道が、ウォルツァーの人生を振り返りながら語られるからこそ見えてきました。

 後半では#MeTooに「トランスジェンダー問題」、キャンセル・カルチャーについても言及されていますが、コミュニタリアニズムから連想されるような「反ポリコレ」的な議論にはなっておらず、かなり中庸でまともな議論がされております。また、普段触れることのない「社会民主主義」の考え方のエッセンスを知ることもできました。

 

『実存主義者のカフェにて 自由と存在とアプリコットカクテルを』

 

 

 実存主義どころかそれを批判していた構造主義やポストモダンすらも古びた現在に、あえてサルトルからスタートしてフッサールまで遡りつつ思想史を展開していくという点ところに、著者の問題意識や戦略がうかがえました。実存主義だけでなく現象学にもたっぷり尺を割かれており、フッサールやハイデガーやメルロ=ポンティの思想がいままでにないくらいわかりやすく解説されている点が、優れていると思います。

 

 一方、ハイデガーを「悪役」に位置付ける構成や思想・政治運動としての共産主義に対する冷淡さなど、いかにも英語圏の本らしい一面的なストーリー作りや浅薄さも存在するので、やや注意が必要な本でもあります。

 レヴィ=ストロースによるサルトル批判がほぼ出てこないところにも、違和感を抱きました。「哲学者は思想よりも人物そのものが面白い」というのが著者の結論で、思想としての実存主義については「自由が重要な問題になっている地域(発展途上国など)では今だに重要」という感じに締められているんだけれど、構造主義によって批判されたような実存主義思想の弱点は結局ほとんど扱われていないために、片手落ちだと思った。

 そして、本書を読んでいくうちに、サルトルやボーヴォワールに抱いていた好感が(著者の意図とは裏腹に)どんどん減っていった。頑固で芯が通っているカミュや、粘り強く考え続けたメルロ=ポンティのほうが政治的にも思想的にもよっぽど優れた人物であるように思えるし、場当たり的な遊び人であったサルトルらの欠点が哲学としての実存主義の弱点(根拠のなさや深みのなさ)にもつながっているのではないか……と思わされてしまった。

 

 ……と、いまのところ絶賛の書評しか目にしないので批判を多めに書いたけれど、読みものとしては十分に面白いと思います。よかったポイントは下記など。

 

・現象学と実存主義という20世紀半ばまでの大陸哲学のメインストリームについて、思想そのものについてもわかりやすく説明されているうえに人物のエピソードで補強されて理解しやすい。

 

・マイナーな思想家についても詳しく知れる。

 

・当時のフランスやドイツ、アルジェリアなどの社会の状況についても知れるという世界史的な面白さがある。

 

・後半になるとマードックやリチャード・ライトなど英米の文学者たちが絡んでくるので文学系の人にも楽しみやすい。

 

『ジョン・ロールズ 誰もが「生きづらくない社会」へ』

 

 

 

「公正としての正義」とはどのような考え方なのか、ロールズの思想における「自尊心」やその「社会的基礎」の位置付けと重要さなど、これまでのロールズ入門ではよく理解しきれなかったポイントがわかりやすく解説されている点が、非常によかったです。

 9月に中部哲学会で「レジリエンスとリベラリズム」というテーマで発表した際にも、参考にさせてもらいました。

 ……ただし、やはりページ数が短くてロールズの魅力が伝わりづらいという難点もあるので、森田浩之さんの『ロールズ正義論入門』と合わせて読むことをオススメします。

 

『わかる!ニーチェ』

 

 

 タイトル通り、わかりやすかった。著者や訳者のニーチェ贔屓もちょっとは感じたけど、「人間とは衝動の塊」とか「真理の追及がルサンチマンにつながる」とか「力への意志」に関する解釈とか、いずれも理解しやすい内容だったし、それなりに納得させられました。

 それはそれとして、やはりニーチェは「厨二病」というか「大二病」的な思想だとも感じた。賢い大学生なら独自に辿り着けそうな思想というか。

 あとがきでスティーブン・ピンカーがディスられているところも面白かったです。

 

『社会思想の歴史 マキアヴェリからロールズまで』

 

 

 思想家ごとに「時代」の文脈 と「思想」の文脈から初めて紹介し、さらにその思想家が「自由」と「公共」についてどう考えたかをまとめる、という練られていて密な構成が、とても良いです。思想の背景にある歴史や社会と経済の状況にもかなり気配りされており、思想”史”を学ぶことの面白さが体験できます。

 全体的な結論としては「社会主義の失敗は歴史が証明したのでその理想だけは忘れないようにしながら、議会制民主主義と福祉国家を維持するためにがんばっていきましょう」といった感じ。経済史への目配りが非常に効いているのが、思想史の本として特徴的です。

 

 

●『モヤモヤする正義』の執筆にあたって(2024年内に)読んだ本たち

 

 

 

『認知行動療法の哲学ーストア派と哲学的治療の系譜』

 

 

 ストア哲学の歴史や古代における実践と、現代の認知行動療法の関係性や共通点について分析して論じられている本です。「現代ストア哲学」の本はいくつか出ているけれど、そのなかでも分厚く、また哲学的にも心理学的にも内容が細かくて参考になる。ただし、著者のドナルド・ロバートソンによるストア哲学の解釈や特徴付けには独特のクセや偏りがあるので注意が必要です。

「レトリック」や「印象」に注意しましょう、という(ロバートソン流の)ストア哲学の発想は『モヤモヤする正義』でも重要なポイントになっています。

 ……しかし、『認知行動療法の哲学』の「改題」はなんだかレトリカルな内容で、本書のメッセージと矛盾しているのではないか、と思わなくもなかった。

 

『差別の哲学入門』

 

 

 マイクロアグレッションに関する議論については『モヤモヤする正義』第5章で疑問を呈していますが……全体的には、「差別」の定義や種類について合理的に考えていくことを通じて(分析)哲学的な思考や発想にも導入されていく内容になっており、啓蒙的な本だと思いました。「差別」だけでなく「哲学」への入門としてもおすすめ。

 

『男性学基本論文集』

 

 こちらは褒めるところも見つけられなかった。『モヤモヤする正義』第6章で批判しています。

 

『私は本屋が好きでしたーーあふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』

 

 

 表現の自由をテーマにした第2章を書くにあたって参考にしたり、終章で言及したりしました。

 

『物象化』

 

 短いうえに議論も比較的明瞭でわかりやすく、本文を読み終わったら訳者解説がたっぷりの分量で復習させてくれるという親切な構成。「社会病理」を考えるには正義論や分析哲学だけでは不十分である、そして正義に適っていても病理的な社会は存在する……というのが主なメッセージだと解釈したけれど、これは本書に限らず批判理論の全体を通じて中核的な考え方なのではないかと思った。

 読みながら「この本でいう物象化ってマッチングアプリ批判にも当てはまるな」と思っていたら終盤で実際にマッチングアプリが登場したところが面白かった。また、ジャーナリストは他者を物象化するだけでなく自分の価値観や感情に蓋をしてしまう「自己物象化」を行う、という指摘も印象に残りました。

 

『承認をめぐる闘争: 社会的コンフリクトの道徳的文法』

 

 

 印象的なタイトルだけが人口に膾炙している本ですが、いざ読んでみるとゴリゴリにヘーゲル哲学について議論されている内容で、なかなか難しい!

『モヤモヤする正義』の終章で引用しております。

 

『不正義とは何か』

 

 

「難解」という評判があったので尻込みしていましたが、いざ読んでみるとわかりやすかったです。単なる「自己責任論批判」に終始せず、不運と不正義の区別や理に適った訴えとそうでない訴えの区別について論じられているなど、既存の正義論を批判しながらも極端な否定にははしらない、バランスの取れた内容であるように感じられた。終章で紹介しています。

 

『政治と情念』

 

 

 昨今ではコミュニタリアンのマイケル・サンデルなんかがアイデンティティ・ポリティクスを批判したり「とりあえず労働者の経済的苦境をなんとかしよう」といった主張をしたりしているなかで、同じくコミュニタリアンであるウォルツァーは本書においてアイデンティティを重視したり「何でもかんでも階級だけで捉えようとしたらダメ」といった主張をしているのは、時代の違いを考慮しても大切なポイントだな、と考えました。
「討議リベラリズムは誰もが理性を持つという点で対等性を保証するが、情念を重視するする思想においても”相手も自分も利益や信念を持つという点で対等だ”と考えられる」というくだりが印象に残りました。『モヤモヤする正義』の終章の脚注にさりげなく登場します。

 

 

 同じように正義論を批判しているシュクラーやアイデンティティ・ポリティクスを重視するウォルツァーに比べても文章や議論が上滑りしているという感覚が強く、アジテーション効果はあるかもしれないけれどフェアネスや誠実さを志向しているようには思えない……などと、ネガティブな感情を抱きながら読んだ。ホネットは『承認をめぐる闘争』の序盤でヤングの議論を「自分の設定した議論の枠組みをぶち壊しにした」として切り捨てていたけれど、わかるような気がする。

 とはいえ、批判理論の発想がわかりやすく示されているので、『モヤモヤする正義』の終章で引用させてもらいました。また、本書の第7章における能力主義批判やアファーマティブ・アクション擁護、そして第8章における都市論は興味深くて、ここら辺は改めて読み返すことになると思います。

 

『アドルノ入門』

 

 

 入門書としては内容や言い回しが難解だったけれど、アドルノさんとは価値観や問題意識が似ているおかげで、まあまあしっかり理解できた。読みものとしても、なかなかおもしろかったです。終章で引用しています。

 

『現代思想の冒険者たち ハーバーマス』

 

 

 VSIの翻訳である『一冊でわかる ハーバーマス』に比べるとだいぶのんべだらりとしているが、そのおかげで気楽に読めました。著者の真面目さとハーバーマスの真面目さが掛け算されて、背筋をシャキッとさせられるような内容です。1990年代というSNS以前の時代に書かれたこともあり、牧歌的なところもよかったです。終章で紹介しています。

 

『ネットはなぜいつも揉めているのか』

 

 

 テーマが似ているので『モヤモヤする正義』と共鳴するところが多く感じられました。6章で参照しております。

 

 

 

 このブログで何度か取り上げてきた本の邦訳がついに出版されました。けっこう話題になったようで、なによりです。『モヤモヤする正義』では6章や7章で参照しています

 

『社会正義論の系譜: ヒュームからウォルツァーまで (叢書フロネーシス)』 

 

 

 第10章「契約論的社会正義 -いくつかの現代の議論の概観-」(ポール・ケリー)を『モヤモヤする正義』第3章で引用しています。ケリー論文は「アイデンティティの政治」に対するリベラリズムからの批判/回答のお手本みたいな内容で参考になる。

 原著が1998年なので当然のことながら内容は古びているというか既視感があるし、翻訳も堅く拙くて読みづらいけれど、この本で提起されている様々な論点…1980年代から90年代のリベラル・コミュニタリアン論争を背景とした「手続き的正義」や「分配的正義」など政治哲学の基本的な論点、リベラリズムとアイデンティティ・ジェンダー・環境などのトピックの相剋…は現在ではまったく「解決」されることなく争点として残り続けているし、各論文で行われている議論も現在に通じるものが多いので、ネットやグローバリゼーションを経ても現在の論争の状況は80年代からほとんど変わることなく地続きなのだ、ということを再確認できました。

 

『道徳的に考えるとはどういうことか』

 

 

 内容にはあまり説得されなかったけど、ヌスバウムの『感情と法』の副読本という感じで読みました。「論理」と「感情」と「想像力」の違いを説明しているところも、参考になった。『モヤモヤする正義』の4章で引用しています。

 

『自省録』

 

 

 年末年始はこういった人生論を読むことに決めているので、2023年の年末に読みました。「世間の目なんか気にするな」「しょうもない奴らになんと言われても気にするな」みたいな箇所がちらほらあって、「アウレリウスさんはついつい世間やしょうもない奴の言動を気にしてしまうからこそ、自分に言い聞かせるためにこういうこと書くんだろうな」と思った。『モヤモヤする正義』の最終章の脚注でちょびっと登場しています。

 

 

●単行本など

 

『リベラルな共同体 ドゥオーキンの政治・道徳理論』

 

 ドゥオーキンの思想をガッツリと復習できました。

 

『人生の意味の哲学入門』

 

 

 

 杉本、長門、久木田、森岡の論文がおもしろかったです。

 前半の論文を読んでいてい「こういう議論も必要なのは理解するけど、分析哲学で『人生の意味」を扱うのって根本的に矛盾しているというかつまらないよな…」と思わされてきたところで、後半の論文で「やっぱり『人生の意味』は分析哲学だけでは扱いきれませんよ(それでも分析哲学による議論もある程度までは必要だし参考になりますよ)」と著者たち自身が認めることで読者の側の理解も深まる、という構成になっています。

 

『岐路に立つ自由主義 現代自由主義理論とその批判』

 

 

 安くなっていたので購入してリベラリズムやコミュニタリアニズムを復習するために読んだけれど、さすがに賞味期限が切れているというか、『リベラル・コミュニタリアン論争』を読んでおけば間に合う内容でした。

 

 

 

 個人の自由とか権利とかではなく「リベラルさ(寛大さ)」を重視する政治思想としての「リベラリズム」を、イギリスではなくフランス(ときどきドイツ)に由来するものとして捉えて、その系譜を語っていく……という内容。

 出だしでは「アメリカ以外の世界の多くの国では『リベラル』が自由市場主義・小さな政府を志向するものと捉えられている」という問題意識から始まるんだけど、「ヨーロッパならともかく別に日本ではそんなことないしな…」と思わされ、序盤の数章も「リベラルは古来から徳と共通善を重視してきたのだ」という筋書きにイマイチ説得力を感じずにノレなかったけど、読み進めていくとだんだん面白くなってきた。

 トマス・ ホッブズやジョン・ロックを差し置いてフランスにリベラリズムの系譜を見出す筋書きにはやはりかなり無理があると思うし、序盤は知らんフランス人の人名が出てきて「こいつらにどれだけの重要さがあるの」と辟易しながら読んでいたけれど、中盤頃からはJ・S・ミルやアメリカ大統領など馴染みのある英米系の人々が頻繁に登場して彼らに仏独の思想家が与えた影響を知れて、普段は触れる機会のないフランス(ときどきドイツ)のリベラリズムの歴史を学ぶことにも意義を感じられた。

 フランス革命を始めとして思想ではなく実際の政治的状況が重視されている面も興味深かった。とくに、ビスマルクがリベラリストたちを懐柔して骨抜きにすることで国民からも政治的批判能力を失わせていき権威主義的な政治支配を強固にする…というくだりは現代の日本にも通じるものがあると思った。本書でしつこく強調される「リベラリズムは個人の権利や利益からではなく、共通善や徳を重視する(べき)思想だ」という主張も、このくだりによって「たしかに一理あるな」とは思わせる。
 ニューディールの頃までは本来は共通善や徳を重視していたアメリカのリベラリストたちが権利主義・自由市場主義になった背景には冷戦がある、というのも納得。とはいえ、訳者解説でも表現されているように、やっぱりホッブズやロックを軽視している時点からまず無理があるし、「失われた歴史」ではあっても「正しい歴史」を語る本ではないなと思った。
 また、これも訳者解説で触れられていたけど、共通善や徳ではなく個人の権利を重視する・個人の権利を基礎とするタイプのリベラリズムの理論的正当性が軽視されていて、ロールズも雑に「冷戦のせいで変節した後のアメリカ型リベラリスト」の括りに入れられているのはかなりどうかと思いました。結局はリベラル・コミュニタリアン論争におけるコミュニタリアン側の主張の焼き直しに終始する結論になっていたように思えます。思想の由来や歴史的経緯と、正しさは切り離せるはずだし…。

 

『99%のためのマルクス入門』

 

 

 タメにはなるんだけど入門書としての導入やストーリーラインが不在というか、初手からマルクスの思想とその現代的修正を直球でぶつけられているような読み心地でした。

 

 また、以下のようなロジックが登場するんだけど……:(A)資本主義社会では賃労働者が労働を行い生産を行うから、(B)社会の本来の主役は労働者であるはずなのに、(C)実際には資本主義社会では資本が主役になっている(資本家は資本の人格化に過ぎない)、(D)なので現代の社会はおかしい。

 ここの議論ではかなり唐突に「社会の主役」という発想が登場して、(B)の部分にかなり違和感を抱きました。そしてその後も(A)や(C)については深堀りした説明がされるけれど(B)の説明はあまりなかったように思える。

 

 一方、第4章はマルクスが理想とする社会のあり方や、マルクスの人間観がくわしく取り上げられており、本書のなかではこの章がいちばんおもしろかった。

 とくに興味深かったのが、『ドイツ・イデオロギー』の「朝には狩りをし、昼には釣りをし、夕方には家畜を追い、そして食後には批評をすることができ~」の後には「私は狩人、漁師、牧人、あるいは批評家にならないという率直な欲望を持つことができるようになる」と続いており、むしろ後半のほうが重要な点。マルクスは古代ギリシアの哲学者にならって「職人芸」や「一芸に秀でること」に大した価値を見出さず、分業によって特定の職業に縛り付けられることを人間の在り方としてよいものと見なさかった、とのことですが、わたしも昔からこのような価値観を抱いておりますので、実に共感できました。

 

『生き方としての哲学』

 

 

 ストア主義者は政治から撤退しがちであったという話もされている一方で、哲学における「対話」というのは議論における他者の権利や自分より上位にある理性という規範を認めることであり、理性に従おうと試みたときにはエゴイズムを放棄せざるを得なくなる……という議論が印象に残った。

 哲学者も社会や生活に対する関心を持つべきだけれど、有意義な社会参加・政治参加をするからにこそ理性によって陶冶される「内面の平和」が重要…というのは実にバランス取れていて良い見方だと思います。マルクス・アウレリウスが『自省録』で示していたような考え方ですね。

 後半でも「普遍的な理性」と「同胞や共同体への道徳的な義務」などをつなげるストア派的な考え方がたびたび出てきて、倫理学的な議論としても面白かった。本書のなかでは「普遍的な道徳は以前から存在していて発見されるのを待っている」的な言い方がされていたけれど、ストア派的な倫理学の議論は読むたびに、ピーター・シンガーの『輪の拡大』を思い出します。

 

『人間の条件』

 

 

 アーレントの思想に関心を抱き始めたので、本人の書いたものも読んでみました。感想は秘めておきます。

 

『社会学とは何か』

 

 

 全体的に「社会」というのは実在するか否か(著者は「否」の立場)、実在しないとして「社会」をどう扱うか……という社会学者たちの悪戦苦闘の歴史を、諸々の理論の登場と挫折の過程を通じて描くという本。社会学の教科書としても使えると思います。

 ジンメルやウェーバーなどの歴史上の偉大な社会学者に対して「この考え方を採用する社会学としての意味がなくなる」とか「この概念をこの定義で説明すると矛盾することになる」とかいう風に、まるで存命の相手にするかのように“マジレス”な感じで批判しているところが、良く悪くも独特。

 基本的には理論メインの本ながら、パーソンズの理論が「1968年の学生反乱」をきっかけに問い直されたり、それまで客観性や「社会の外部にいること」を重視してきた社会学の方法論が1970年代から問題視されるようになる…など、「社会学」の背後にある「社会」の動きもうっすらと見えてくる。近年では社会学は「斜に構える学問」とは真逆な規範的なイメージが強いけど、その裏にある事情が伝わってきました。

 また「社会学とは現状分析と規範提示の両方を含む『秩序構想の学』『共同性の学』であるべきだ」という結論を提示。ハーバーマスも出てきたりして「共同性」は「公共性」と近い概念のようですが、「真理」を重視する学問共同体での(理想的な)議論のあり方が公共性の理想例として提示されたり、学問上の論争で戦わされるのはあくまで「仮説」に過ぎないと念押したり規範的な問題意識があるのに「客観的」に振る舞うのは矛盾だから問題意識を明示せよみたいに論じられたり……などなど、最近のわたしの考えにも合致するところが多くて、興味深く読めました。

 

『暴政 20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』

 

 

 Blueskyで本書の感想がバズっていたので気になって読みましたが、新品で注文したのが届いてみると文庫本サイズの薄い本で「これで1320円かい」とけっこうムカつきました。

 内容としては、ハンナ・アーレントを中核とするような反・全体主義や反・権威主義、反・ポピュリズムな思想のエッセンスをわかりやすく表現した感じ。「解説」では「パンフレットではない」とされているけれど、良くも悪くもパンフレット的な本だと思いました。わたしも含めて本書の内容に共感できる人や元々アーレント的な思想・問題意識を持っている人が「その通りだ」「確かにそうだ」と同意したり問題を再確認したりすることはできるけれど、その思想が何らかの形で論証や正当化されているわけではないので、異なる思想を持つ人を説得したり感化したりすることはできない……というタイプの本です。

 2016年のトランプ当選前後のアメリカの政治状況の惨憺たる有り様を示しつつ、それに対して前向きな反論の言葉を力強く提示してくれるのはよい……のだけれど、そこから何ら変化が起こらなかった2024年に読むと虚しさも強く感じました。

 

 ……とはいえ、政治的にも思想的にもモチベーションを保ち続けるためには、こういうパンフレットやアジテーションとしての書籍も必要だということは、わたしも最近になって理解するようになりました。

 2024年の当選の際に目の前の出来事しか見ず8年前と何ら変わり映えしない小手先の「分析」を披露していたタイプの知識人を目にして「冷静」とか「中立」とかの薄っぺらさを感じさせられてしまったし、スナイダーみたいな形で政治にコミットする方が知識人として担うべき役割をきちんと果たしているとも思います。

 

 本書の内容について言及すると、「制度や手続きがあるから大丈夫」「まだ慌てるような時間じゃない」という考え方に代表されるような、正常性バイアスに影響された様子見や楽観的思考が手厳しく批判されて、ナチス時代の実例などを示しながら「制度も手続きも国家も、壊れる時には一気に壊れてしまうよ」と警鐘を鳴らしているところが重要だと思った。終盤ではピンカー的な合理的楽観主義も暗に批判されている。

 また、「自分の言葉を大切にしよう」「私的領域も確保しよう」というアーレントっぽい個人主義も言いつつ、「制度や職業倫理に基づくきちんとしたジャーナリズムを信頼しよう」ともきちんと言っているところがいいと思いました。単に理念を言い続けているだけでなく「シビルソサエティ」や「法廷、新聞、法律、労働組合」などの具体的な制度や活動を支援したり守ろうとしたりする意思を持とうと促したり、「紙媒体のジャーナリズム」の重要さを説く一方でインターネットを徹底的に批判しているのは、具体的かつまともでよいと思う。ただこの内容で1320円はやっぱり高いです。

 

『入門 哲学の名著』

 

 

 代表的な西洋哲学者たちの主著20冊について、要約とこれまでになされてきた批判のまとめ、そして各章の訳者による補足(著者のまとめ方に対する苦言や、批判に対する反論など)が収められており、実にバランスよく西洋哲学史を復習できる。ただ、原著は版を重ねるごとに対象の著作が追加されており、現在では33冊にまで増えているようなので、最新版の邦訳も出てほしいと思った。哲学史の通史の邦訳本で読みやすいものって、意外とないのです。

 ほんとうにオーソドックスな解説書という感じなので、感想を書くのは難しいんだけれど、地味で興味を惹かれづらいロックの著作を二つ取り上げてくれているところ、ミルの『自由論』に対してちゃんと批判しているところ、サルトルの解説は熱が入っていて著者の情熱が伝わってくるところ、難解なイメージのあるカントやウィトゲンシュタインの思想も実にわかりやすく解説してくれているところ、などなどがよかったです。

 

『弁証法的想像力:フランクフルト学派と社会研究所の歴史 1923-1950』

 

 

『実存主義者のカフェにて』を読んだ後に、同じ時代の裏側にいたドイツ系の(そしてユダヤ系の人たち)の思想史も読みたいな……と思って手に取りました。しかし、如何せん昔の本なのでなかなか読みづらかった。

 

 中公新書の『フランクフルト学派』を読んだときと同じく、前向きで生産的なフロムと、ひたすら頑固なアドルノに好感を抱いた。フロムがフロイト使いながらも、過度に性愛を強調するあたりをばっさり切り捨てて家族関係とか愛情をフィーチャーしているのは、好感が抱けるし理論・思想的にもまともだと思った。また、6章では駄々をこねるアドルノに対して知人が送った手紙が紹介されるけど、まるでホールデン・コールフィールドを大人が説教しているみたいな内容で笑ってしまいました。

 

 また、70年代に書かれた本なので、現代では見放されたイメージの強いマルクーゼの出番が多いところも印象に残りました。

 3章ではホルクハイマーが社会的・政治的事象をいたずらに心理的事象と「同一」させることについて苦言を呈しているけれど、この「同一」については現在でも進化心理学・人類学や経済学なんかの理論を使ってやろうとしている人々がうじゃうじゃいるので、使う理論がなんであるかはともかく「同一」させることへの欲望は時代が変わっても残っているんだなと考えさせられました。

●新書本など

『戦後フランス思想』

 

 

 この本を読んだ時点ではボーヴォワールに好感を抱いたけど、その後で『実存主義者のカフェにて』を読んだことで、やや嫌いになりました。

 新書なのでページ数が短く、そして伝記的な事実や各人の人間関係にゴシップみたいなトピックに紙幅が多く割かれているせいで「戦後フランス思想ってすごく狭い身内サークル内で成立していたんだな」という印象を抱かされてしまった(実際そうなんだけど)。また、各思想家の哲学についても多少は解説されているんだけど、それが今日的にどのような意義があるか、あるいはどのような面白さがあるかまでは深掘りされていないので、どうにも中途半端に感じた。

 ……とはいえ、本書を読んだおかげで『実存主義者のカフェにて』を買う決心がついたし、予習にもなったのでよかったです。

 

『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』

 

 

 伝記的な要素が強いけれど、アーレントが直面した時代の問題を描くことで、アーレントの思想の意義や価値を浮き彫りにすることを試みている本だと思いました。そして、その試みは成功していると感じました。アーレントの思想そのものの入門書よりも、まずはこの本を読んでみることをオススメします。

 

『ハンナ・アレント再論―〈あるべき政治〉を求めて』

 

 

 こちらは、あんまり面白くなかった。とはいえ、「複数性」に関する議論や「真実より意見のほうが重要」などについては印象に残りました。

 

『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』

 

 

『わかる!ニーチェ』から続けて読んだということもあり、ウェーバーとニーチェの思想の親和性が感じられたのが印象的でした。
 伝記事実を多めに紹介しながら、その流れで思想も解説してく……というのは『ハンナ・アーレント』や『戦後フランス思想』にも通じる中公新書の西洋思想紹介の定番スタイルなんだけれど、ウェーバーの人生はアーレントや戦後フランスの人々に比べるとドラマチックさに欠けるな、と思いました。

あと節の末ごとに他の思想家や研究者、フィクション作品を持ち出すのはいいけど「ウェーバーと関係があると言えなくもない」みたいなビミョーな関連付けが多過ぎるので、無理にそんなことしなくてもいいのでは……と思った。

 

『フランクフルト学派:ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』

 

 

「批判理論は批判ばっかりで代替となる案や規範を提示しない」という意見に対して「現状を批判するのみの思想も必要だ」と、正面から批判理論を擁護する出だしがむしろ好ましく、序盤からグッと興味を惹きつけてくれました。

 2014年の本ですが、10年前とは思えないくらいアクチュアルで、とても面白かったです。「フランクフルト学はアメリカにも日本にもいるし、あなただったなれる」みたいな締めがスターウォーズのエピソード8みたいで、よかった。
 マルクスとフロイトを統合したフロムからスタートして「異質な考え方を統合させる」というところにフランクフルト学派の特徴を見出しているところが本書のポイントかな。

 

 

『民主主義とは何か』

 

 

 古代ギリシアから現代までの、民主主義思想が駆け足で説明されていくので、ちょっと内容が薄く感じた。とはいえ、まとめや整理の仕方はさすがに優れていて、参考になりました。

 

『「死にたい」と言われたら 自殺の心理学』

 

 

『男はなぜ孤独死するのか』とあわせて読みました。プラグマティックな議論だけでなく、そもそも自殺を予防しようとすること自体に正当性はあるのかなど、根本的な議論も含まれているところが実に興味深く、啓蒙させられます。

 

『刑の重さは何で決まるのか』

 

 

 刑法学のなかでも「量刑論」の考え方について学べる本。新書本としては内容がすこしハードだけど、じっくり読むとおもしろい。終盤では修復的司法の考え方や意義についてわかりやすく整理されているところも重要だと思いました。

 

 

 

『「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学』

 

 

「自由の相互承認」などヘーゲル哲学の考え方は他の考え方より優れている、ということを立証しようとする箇所が多くて、ちょっと疲れた。とはいえ、最近ではヘーゲル的な積極的自由論の意義がだいぶわかるようになってきました。

 2014年の本なんだけど、冒頭に「いまは無理に自由に生きようとしなければヌクヌクとほどほどに幸せに暮らせる、という雰囲気があるよね」といった社会観を前提にした論述があって、10年後のいまとなってはそんな雰囲気は皆無であり社会がどんどん殺伐していっていることに気付かされました。

 

『いまを生きるカント倫理学』

 

 

 わかりやすくてよかったしカントの魅力は伝わったけど、どんな問題にもカントを適用したりなんでもかんでもカントを「正解」に位置付けようとしているように感じられて、ちょっと無理があるなとも思った。同じ著者の『意志の倫理学 カントに学ぶ善への勇気』のほうがオススメかな。

 

 

 

 基本的に過ぎる内容であんまり面白くなかったけれど、「価格メカニズム」についてしっかりしっかり学ぶことはできました。

「買う側より売る側のほうが遥かに大変」、という当たり前の事実が心に残った。リスクに怯えてしまう人間なので、自分で(元手をかけて)商売することを志せる人間って(商売や資本主義自体の良し悪しはさておき)すごいなと思う。

 

『近代ヨーロッパ史——世界を変えた19世紀』

 

 

 政治だけでなく思想や経済、技術や制度が歴史に与えた影響がバランスよく取り上げられていたのが良かったです。通史を一気に読むことならではの理解が得られたというか、「思想史や経済史の本ばっかり読むまえに、オーソドックスな通史の本をしっかりと読んでおくべきだ(った)な」という思いを抱かされますた。
 近代ヨーロッパの負の側面はもちろん取り上げられているけれど、啓蒙思想が歴史に与えた影響が強調されながら、近代的な人間の在り方とか目的合理的な考え方のあり方とかいうのがこの時代にできたと論じられているのが印象的。一方で農村部の人々の生活やロマン主義にも紙幅が割かれているのが弁証法的でよかったです。

 

『第一次世界大戦』

 

 

第一次世界大戦といえば「銃後」が注目されがちなところ、あえて戦線の変遷や戦況の推移を中心に取り上げた……とのことですが、わたしは基本的に戦争に興味がない人間なので、もっと人物史や社会史・文化史の要素があった方がよかったです。

 とはいえ、定評ある入門書だけあってコンパクトにまとまっているし、戦争を通じて「列強体制」の論理が弱まったとかナショナリズムと福祉国家が進展したとか、基本的な歴史の流れをよく学ぶことができました。

 

『啓蒙主義(啓蒙主義)』

 

 

 現代と啓蒙時代の共通点と相違点を適度に取り上げつつ、啓蒙主義の成り立ちや意義がバランスよく論じられていて、とても参考になる本でした。

 

『フランス革命(ヨーロッパ史入門)』

 

 

 執筆当時(1990年代)における「階級闘争」重視派と「政治文化」重視派の論争に触れて、後者に寄せて説明した内容。リン・ハントの議論や、ハーバーマスの公共圏に関する議論、あるいはメリトクラシーに関する議論など、馴染みのある用語が出てきたおかげで理解しやすかった。

 フランス革命の本は、これまでは岩波ジュニア新書の『フランス革命:歴史における劇薬』くらいしか読んだことがありませでしたが、悲劇性を重視してエモーショナルだった『歴史における劇薬』に比べて『ヨーロッパ史入門』はマジで淡々としている。そして、悲劇性を強調すること自体もある種のレトリックになるな、ということに思い当たりました。いまだに、アンチ・フランス革命な言説はエドマンド・バーク的な反動保守の主張に利用されることがあるしね。

 

 

『アファーマティブ・アクション』

 

 

 序章からアファーマティブ・アクションの歴史を考える意義をしっかり伝えてくれる構成なのがよい。「制度的人種主義」の説明も、レイシズム理論が苦手なわたしにとってもわかりやすくて、受け入れやすかった。

アメリカでは「不平等の是正」としてのアファーマティブ・アクションに対して「逆差別」との批判がされるようになり、目的を「多様性の実現」にすり替えて継続したが本来の趣旨が忘れられていくうちに最終的に違憲となりました……という流れが綺麗に説明されているのが良いです。

 政策としてのアファーマティブ・アクションがどうかという問題とは別に本来の「不平等の是正」は必ずしも実現されていないからそこに立ち返りましょう、といった結論も真っ当。一方で、本書ではアファーマティブ・アクションの対義語みたいな感じにされていて扱いのよくない「メリトクラシー」の根強さや規範的意義も逆説的に考えさせられた。

あとがきで「アメリカではアファーマティブ・アクションは違憲になったけれど、他の諸外国では現在もアファーマティブ・アクションやクオータ制度が導入されている」という話がちらっとされているけれど、「やっぱりアメリカは特殊な国なんだから他の国のことももっと知らなければならないんだな」という思いを抱きます。

 

『カナダ人権史:多文化共生社会はこうして築かれた』

 

 

「人権は法律・法典や理論ではなく歴史を通じて社会のなかで作られていく」という著者の主張に基づく、歴史社会学のアプローチでカナダの人権史を描いた本。……なんだけれど、意外と「カナダ独特」というところは感じられず、むしろ「権利が拡がる流れはどこの国も近いんだな」と思ってしまった。

「……アメリカ合衆国の権利文化の中心にあるのは、憲法の起草者たちのもともとの意図や憲法の文言に関する議論である。カナダの人権の歴史には、このような傾向はまったくみられない。むしろ、カナダでは、権利文化がたえずつくり直されているように思われる。」(p.189):この箇所は、カナダと諸外国の違いというよりも、むしろアメリカと他の国との違いを表すものとして、印象に残りました。

 

 

『アメリカ革命 独立戦争から憲法制定、民主主義の拡大まで』

 

 

 基本的には政治史なんだけれど、ところどころで植民地時代のアメリカにおける人々の生活の様子とか産業や経済の状況などについての記述が入ることで、飽きずに読んでいけました。

 先住民・黒人に対する差別・迫害についても定期的に触れたり女性の人物も多く登場するのは現代的であり新鮮だと感じる一方で、マジョリティや従来の「正史」に対する批判が行き過ぎているということもなく、バランス感覚に優れている本だと思います。

 内容としてはどんどんハードになっていき、新書としてはなかなか手応えがありましたが、初期アメリカにおける憲法をめぐる葛藤とレトリックについての理解が深まりました。なお、登場人物のみんなには「自分のできることを頑張っていてえらいな」と思わされて好印象を抱きましたが、アンドリュー・ジャクソンだけはドナルド・トランプみたいなロクでもない人間だったので印象がかなり悪かったです。

 

『民主主義を疑ってみる:自分で考えるための政治思想講義』

 

 

 

 とくに共和主義と社会主義の章は知らなかった知識が多く、たいへん参考になりました。古代ギリシアにおけるノモスやピュシスの議論や、政治思想史におけるヘレニズム哲学の役割などについても参考になりました。

 一方で、由主義の章では著者の描くストーリーのためにストア哲学や功利主義にピンカー的な主張が矮小化されて紹介されているように思えた。

 

 著者の重視する「シティズンシップ」についてはわたしも「公共性」という表現で『モヤモヤする正義』のなかで価値を説いたし、共和主義・自由主義・社会主義などを経由したうえで民主主義を肯定する結論にもまあ同意できるけど、たとえば『アゲイント・デモクラシー』で行われているような徹底した民主主義否定論に対する反論にはなっていないように思えました。民主主義や政治に対して本気で無力感を抱いている人を説得できる内容ではない、というか。

 

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』

 

 

 各時代の経済や人口(または戦争)などの外的状況と経営者・労働者・政府それぞれの思惑が衝突と妥協を繰り返しながら日本社会の慣行が歴史を通じて形成されていく姿が具体的に描かれていて面白かったです。合間で引用される当時の経営者や労働者や学生らの「声」も昭和映画っぽくてよかったです。

 この本は学生ではなく社会人になってから読むべきですね。現に自分の自由を制限してストレスを与えまくってくる雇用慣行や労働環境にも、時代と成り行きに制約されながらの「合理性」が存在すること、とはいえそれは絶対的ではなく可変的なものであることが学べました。

 

 また、本書でも『日本のメリトクラシー』が何度も参照されますが、読んでいて思い出すのは、やはりマイケル・サンデルのメリトクラシー批判。哲学的にも社会学的にもぜんぜん妥当でなかったり内容が空虚であったりする「能力」という概念も、身分差別を打破するための民主主義・平等主義的な感性からアメリカでなく日本でも必要とされたこと、でもそれがけっきょく経営者に有利で労働者に不利なように操作されていく…という世知辛さを感じました。

「勉強した内容より大学名が優先され、旧帝大や早慶ばかり有利であり続ける社会ってバカみたいだしわびしいな」という価値観に対して、日本社会がそうなった理由を説明して、でも正当化はしない、という塩梅の本だと思いました。これが経済学者の書いた本だと、事実と価値・規範は分けるべきだとしながらも「説明」にとどまらず「正当化」に傾いちゃってしまう気がするし、そもそも時代や状況に制約されたなかでの合理性や慣行を丁寧に扱える人も少ないと思いますので、(歴史)社会学の強みや良さというものも感じました。

 そして、その時々の「合理性」の陰で排除されたり残余に押し込められてきた人々(とくに女学生や女性労働者、「推薦」から漏れた学生など)に関する描写や引用が印象に残ったし、表向きには強調されない著者のメッセージがうかがえました。

 

『自分で考える勇気 カント哲学入門』

 

 

カントの思想や生き様を「勇気」(と「啓蒙」)というキーワードによって語り解説する、というのが面白く、読むモチベーションを湧かせてくれました。カントの語る認識論や倫理学、美学や政治哲学なんかはすべて一貫した理論体系に基づいていることも、よく伝わった。

 

 倫理学の入門書で他の理論と並べられるとカント倫理って素っ頓狂であったり応用力が低そうだったりに思えるけれど、カント哲学という体系のなかに位置付けて説明されると、妥当に思えてくるもんですね。

 また、他のカント倫理学の入門書に比べると、善や義務や意志と「幸福」との関係を繰り返し指摘しているところが印象的でした。「自己の完全性」と「他人の幸福」を追求するのがカントの理想のようです。

 一方で、前半は読者に「自分で考える勇気」を持たせることや啓蒙の精神が感じられたけれど、終盤は、やや無理気味なカント哲学の理論を著者から押し付けられているように感じてしまったかな。

 

『人生の短さについて 他2篇』

 

 

 『自省録』と合わせて、2023年の年末に読みました。5年くらい前に読んだときはかなり感銘を受けた記憶があるけれど、再読するとちょっと内容が浅いように思えた。

 

『戦後民主主義』『戦後教育史』『「家庭」の誕生』

 

 

 

 

 

 ちょっと思うところあって昭和〜平成の日本の歴史を勉強したいと思い、まとめて読んだ。この中でも『戦後民主主義』は小熊英二さんの『「民主」と「愛国」』を思い出させる内容で、かなり良い本でした(他2冊も悪くはない)。これら3冊の本は扱っている時代やトピックが似ているのもあって同じキーワードや人物が登場してそれぞれ別の文脈や視点で取り上げられる、というのが良かった。

 図書館で借りて流し読みしてしまったけれど、改めてきちんと読み返したいと思っています。

 

『移民と日本社会』

 

 

 

 日本社会に限定されているけれど、思った以上にVSIの『移民』と議論やトピックが被っていて、移民に関する現象とか問題とかはどこの国でも普遍的なんだなと思った。中公新書には『移民と経済』という本もありますが、本書でも経済に関する議論が多く含まれています。

 

『正義とは何か』

 

 

 新書本としては詰め込みすぎであり、図書館で借りてさっと読んでしまったけれど、本来なら赤ペンを持って線を引きながらじっくりと読むべき内容です。……なんにせよ、ロールズ以前のいろんな正義論について紹介されていて、参考になりました。アリストテレスとプラトン、ロックとヒュームとアダム・スミスのあたりが興味深かった。

 

『ケアの倫理──フェミニズムの政治思想』

 

 

 こちらも、新書本としてはハード過ぎるというか、選書あたりで出すべき内容だったと思います。

 読んでいて思ったのは、エヴァ・フェダー・キテイ的な、ケア労働(再生産労働)に基づくロールズ批判はアナーキズムやリバタリアニズムと同じように政治・国家の正当性を掘り崩すことのできる思想だということ。そして、アナーキズムやリバタリアニズムと同じように、(キテイ的な)ケア論とはそれ自体を規範として採用するのには適さないけれど、極論と対比させること現行規範への理解を深めたり反省を促したりするという点で意義のある思想だということです。

 

素晴らしきVery Short Introductionの世界

 

 

 Xやnoteが差別や嫌悪を増幅・扇動する社会悪であるのと同程度にははてなも社会悪なので、もうあまり使用したくないのだけれど、先日に某オフ会に行ったところ数名の方から「ブログを更新しなくなって寂しい」「書評は役立っていたから再開してほしい」と声をかけられて、悪い気がしませんでした。

 

 今年は会社員としての仕事ががっつり忙しく、また夏までは『モヤモヤする正義』の執筆作業に追われていたので、はてなが社会悪だということを差し引いても、ブログを執筆する時間は元よりナシ。

 

 

 そんななかでも、本はいっぱい読んでいました。現在でも、Blueskyにて読んでいる本の感想を垂れ流し続けているので(書評というほどの内容でもないけど)、気になる方やわたしのファンの方はフォローしといてください。

 そして昨年に引き続き、今年もくちなしさんがまとめてくれたリストを参考にしつつ、オックスフォード大学出版会のVery Short Introductionの邦訳書を積極的に読んでおりました。

 

kozakashiku.hatenablog.com

 

 なお、くちなしさんも書かれているように、本邦におけるVery Short Introductionの翻訳には以下のような問題があります。

 

さて、このシリーズは当然ながら邦訳もたくさん出ているのだが、複数の出版社がそれぞれの形で刊行しているため、どれがVery Short Introductionの邦訳なのか分からないという問題がある。

 

 これは大変な問題です。というのも、「レーベル」や「シリーズ」とは読者が本を選ぶうえで重要な指標であり、それを重々承知しているはずの出版社が、その重要性をガン無視しているから。オックスフォード大学は世界大学ランキングで8年連続1位というとんでもない「権威」をもっており、そのオックスフォード大学様の肝煎りで「これぞ」という識者たちに依頼して作られているのがVery Short Introductionシリーズなのであって、その信頼性は錚々たるもの(なかにはダメな本もけっこう混ざっているんだけれど…)。

 それが、日本の読者が1冊読んで感銘を受けたとしても、同じシリーズの本が他にもいっぱい邦訳されていることを知らずじまいのままになる可能性がある。また、そもそも背景にオックスフォード大学様という権威に基づくVery Short Introductionというレーベルが存在することも知らされていないので、(わたしのように)本を選ぶ際に権威とレーベルを意識する読者にとっての指標が一つ失われる恐れがあり、とってもよくない。

 とくにひどいのは岩波書店。2000年代にカラフルでワクワクする装丁の「〈1冊でわかる〉シリーズ」として出してくれたのはいいけど、いつの間にか同シリーズはほぼ絶版状態。2010年代からは「哲学がわかる」シリーズをスタートしてくれたのはいいが、シリーズ名は同じなのに二種類の装丁が混在している。さらに、最近の『信頼と不信の哲学入門』(原題は"Trust")は邦題に堂々と「哲学」と書いているのに、なぜか「哲学がわかる」シリーズではなく岩波新書として刊行されるという有り様(新書の方が売れやすいとしたら、著者・訳者にとっては歓迎すべき事態なんだけれど…)。

 

 閑話休題。Very Short Introductionの邦訳は古いものだと絶版になっていて高騰しているものが多いので、くちなしさんのリストを定期的にチェックして新しいものが追加されているかどうかを確認しつつ、絶版になっているものも念のためにAmazonの値段を確認し、安くなっているタイミングですかさず購入……というのを繰り返し続けておりました。Amazonも社会悪なので本当なら利用したくないし、名著を独占しているようでなんだか欲張りかつ安く済ませようとしている点で吝嗇との誹りも免れないけど、背に腹は変えられない。ちなみに、よく勘違いされるけれど、このブログではアフィリエイトはほぼ行っておりません(Amazonのリンクは画像がすぐ出てきて本を紹介しやすいから貼っているだけです)。

 なにはともあれ、以下では、これまでにわたしが読了してきたVery Short Introductionの邦訳について、簡単に評価や感想を書いていきます。くちなしさんのリストでは律儀に日本十進分類を使って整理されているけれど、わたしは邦訳シリーズごとに雑多に紹介していきます。このブログで紹介済みのものには記事のリンクも貼っている。最近読んだやつについては、Blueskyに書いた感想を流用しています。文字数が多いので、誤字や脱字は見逃してください。

 

●「1冊でわかる」シリーズ

読んだものもまだ読んでないものも含めて、わたしが集めた「1冊でわかる(哲学がわかる)シリーズ」の本たち。『動物の権利』は京都の実家の本棚でお留守番しています。

『1冊でわかる 動物の権利』

 

 学部生時代に伊勢田哲治さんの授業を受講したとき、参考文献として挙げられていたので読みました。同時期、哲学や学問にあまり詳しくない友人が手に取って「こういう考え方もあるんだ」と面白がっていたのが印象に残っています。「1冊でわかる」シリーズは文系と理系やメジャーとマイナーがごちゃ混ぜになっているからこその出会いや発見があるのが良いですね(だから復刊しろ)。修士論文を書く際にもいちおう参考にしたような気がする。

 本書の内容はもうあんまり覚えていないけど、理論をサクッと紹介した後に畜産や動物実験などの話題を論じる、動物倫理の入門書としてオーソドックスな構成だった。現在となっては動物倫理の入門書もいっぱい出版されているけれど、翻訳本かつコンパクトで読みやすいのは意外とないので、この本にもまだまだ存在意義があると思います。

 

『1冊でわかる ヨーロッパ大陸の哲学』

 

 大陸哲学をバカにしている英語圏の連中に向けて、英語圏の学者が大陸哲学の考え方や意義を解説する、というのがポイントの本。今年からわたしは批判理論や大陸哲学の勉強をしているのですが、アメリカ人やイギリス人やオーストラリア人による“翻訳”や“輸入”を通じて入門していくのがちょうどよいと考えております。

 科学主義でも非明晰主義でもない中道の大切さを説くという内容で、おそらく指摘されている問題は一昔前のものであるように思えるけど(英語圏の分析哲学の扱いがやや戯画的であるように感じた)、それを差し引いても、実に面白く、タメになる内容でした。ただし、ハイデガーやニヒリズムの説明はちんぷんかんぷんだった。

 

『1冊でわかる プラトン』

 

 弁論術・文学と哲学の違いのくだりなんかは、手前味噌ながら『モヤモヤする正義』のレトリック論に通じるものがあると思いました。プラトンの大衆文化批判には共感できるところがある。訳者あとがきも、プラトンの「分析的」な読み方と「文学的」な読み方の両方の利点と欠点を指摘しているところが中庸でよかったです。

「徳」の章は同じ著者の『徳は知なり』(『21世紀の道徳』で紹介しております)における議論のプロトタイプな感じ。わたしは哲学は好きだけど形而上学や認識論にはあまり関心がない人間なので、魂と自己のくだりとかイデア論とかのくだりは「そうっすか」と思いながら流し読みで済ませました。

 

『1冊でわかる 古代哲学』

 

 過去に紹介しています。古代哲学が「時にはわれわれに直接関わりうる議論の一部となること」を強調している点がよい。

 

『1冊でわかる ハーバーマス』

 

 

 

 最初に読んだときはよくわからんかったけれど、『モヤモヤする正義』を書いていて「公共性」への関心が深まっていった段階で読み直してみたら非常に面白くて、感銘を受けました。批判理論の「袋小路」からハーバーマスが登場して風穴を開けたという流れがわかりやすいし、ハーバーマスの考え方の説明もしっかりしている。本書は『モヤモヤする正義』のなかでも引用しています。ちなみにハーバーマスに関心を持つようになったきっかけはロールズです。

 

『1冊でわかる ポスト構造主義』

 

 

 なんかお遊びみたいな議論ばっかりでおもしろくなかった。

 

『1冊でわかる フーコー』

 

 

 著者がテーマとしている対象から距離を取って冷静であったり批判的であったりすることも多いVSIにはめずらしく、フーコーの「ファン」が書いたという感じが漂っていて、フーコーへの著者の熱意や愛着がそれらを持っていないわたしにとってはノイズになった。ただ、後半ではフーコーによるギリシア哲学の扱いや人生論などについても触れられていて、パノプティコン云々や系譜学なんかよりもそっちのほうが興味深いなと思いました。

 

『1冊でわかる デモクラシー』

 

 

 お高くとまった性格の悪い老人によるつまんない嫌味や皮肉が混ざりまくった文章であるため、読み進めるのが苦痛。以前にブログで批判した。

 

『1冊でわかる 知能』

 

 

 学部生時代、なんとなく図書館で手に取って読んでみたけど、IQや「一般知能g」などの考え方を肯定しているのに衝撃を受けた。というのは、当時、現在以上にド文系であったわたしは社会構築主義的な議論とか科学批判的な議論ばっかり読んでいて、I Qについても否定論ばっかり読んでいたから「肯定論を堂々と書いてもよいんだ」ということを知らなかったのです。この本を通じて、文理が対決する分野があること、理系(?)側の議論にも言い分があったりおもしろさがあったりすることを知れて、ひいては進化心理学のような論争的な分野への興味を培う入り口になりました。

 社会人になってからも「また読んでみたいなあ」と思っていたけど、調べたら絶版だし中古価格も高騰しているし近所の図書館にも入っていないしで困っていたところ、つい最近にふと調べてみたらなんか急に中古価格が安くなっていたので慌てて購入して入手しました。

 

『1冊でわかる 政治哲学』

 

 

 アダム・スウィフトの『政治哲学への招待』やジョナサン・ウルフの『政治哲学入門』と同じく、国家が存在することの正当性や民主主義、自由に正義といったトピック別に論じていく構成。そして、どの本も構成は似ているのに、どの入門書もやたらと面白いというのが政治哲学のすごいところ。やはり「国家」や「民主主義」の是非を根本から考えるという営み自体がスリリングで刺激的であり、同じテーマでも別の人が書いたのを読むたびに発見があって新鮮な気持ちになりながら思索を繰り返し深めることができるのだと思う。……とはいえスウィフトのもウルフのも絶版?になっているなか、本書は『はじめての政治哲学』という題名で岩波現代文庫から再刊されているのが一安心ですね。

 岩波書店じゃないけど同じ著者の『ナショナリティについて』も読みたいのに高騰しているからなんとかしてください。

 

『1冊でわかる 感情』

 

 

 以前にブログで紹介しました。「感情の普遍性と合理性」という哲学味のあるテーマが論じられており、心理学者だけでなく哲学者も多々登場するところがおもしろいです。

 

『1冊でわかる 医療倫理』

 

 単に医療倫理を解説しているだけでなく「哲学的思考」や「倫理学の議論」とはなんぞや、というポイントにも多くページを割かれているのがよく、哲学・倫理学の入門書として一流です。いまは岩波科学ライブラリーから『医療倫理超入門』に進化して刊行されています。

 

『1冊でわかる 科学哲学』

 

 

 哲学に興味を持ち始めた学部生はまず科学哲学をかじりたがるというのが定番ですが、御多分に洩れず、わたしも学部生の頃に厨二病的な関心から読みました(その後に伊勢田先生の『科学と疑似科学の哲学』も読んだ)。科学哲学は入門書でも難しかったり面白みのなかったりするものが多いけれど、この本はしっかりわかりやすくて面白かったような記憶があります。現在は『哲学がわかる』シリーズから新版が刊行されています。

 

『1冊でわかる 法哲学』

 

 

 以前にブログで紹介しています。もともと法哲学が苦手なわたしにとってはこの本もなかなか難しかったけれど、ロナルド・ドゥオーキンの議論を紹介しているところは興味深く参考になりました。

 

 ……こうして並べると、なんだかんだで哲学系のものばっかり読んでいますね。

 

「1冊でわかる」シリーズについては、学部生時代に『グローバリゼーション』『暗号理論』『文学理論』『カフカ』『歴史』『ユダヤ教』『聖書』『古代エジプト』『ギリシア・ローマの戦争』『薬』『建築』などなどを読んだような記憶はありますが、なにしろどれも図書館で借りて流し読みしたものなので、内容はまったく覚えていないです。やっぱり、本というのは、中古でもいいから購入して赤ペンで線を引きながら読むべきものです。

 

●「哲学がわかる」シリーズ

 

『哲学がわかる 哲学の方法』

 

 

「常識から出発する」「議論する」「言葉を明確にする」「哲学史は役に立つか」などなど、まさに「哲学をする方法」が解説されているんだけど、抽象的でも難解でもなく、実におもしろかった。著者は論理学者のようであり、後半は論理学の話題も増えるんだけど、わたしは論理学には一切合切興味がないからこそ、こういった別テーマの本で間接的に広く浅く勉強できたのもちょうどよかったです。一方で、本書が想定している「哲学」は明らかに英語圏/分析哲学に偏っており、その偏りに対する反省や相対化が弱いの欠点でもあります。哲学史の本や『1冊でわかる ヨーロッパ大陸の哲学』と合わせて読むことをオススメ。

 

『哲学がわかる シティズンシップ』

 

 発売当初に購入してブログで紹介しました(全然読まれなくて悲しかった)。ざっくりまとめると「法的シティズンシップ(市民権)」と「政治的シティズンシップ(市民による活動)」を対比させつつ後者が擁護されていて、この本を読んで書評を書いた当初のわたしは前者のほうがずっと重要だと考えていて賛同しなかったんだけれど、その後いろいろあって考えを改めて、いまでは「やっぱり政治的シティズンシップも法的シティズンシップと同じくらい重要だな」という考えに落ち着いています。

 

『哲学がわかる 懐疑論』

 

 ブログで紹介しています。認識論の話に終始していたらつまらなくなるところ、「生き方」の話につなげているのが素晴らしい。

 

 

 

 ブログで紹介しています。哲学マニアが哲学マニアに向けて書いたような内容になっていて、『1冊でわかる 古代哲学』に比べると全然ダメ。

 

『哲学がわかる 自由意志』

 

 

 以前に図書館で借りて読んだけど、内容が興味深かったので購入して、また近日中に読み直す予定。自由意志は現代哲学でも盛んに論争されているテーマだけど、この本は哲学史的な議論が多いところが印象的でした。

 

●その他、岩波書店から刊行されているもの

 

『功利主義とは何か』

 

 

 

 自分でも忘れていたけど、2020年の正月にブログで紹介していた。言うまでもなく、功利主義の入門書として素晴らしいです。著者のラザリ=ラデクとシンガーは『The Point of View of the Universe: Sidgwick and Contemporary Ethics(普遍的な観点:シジウィックと現代倫理学)』も書いています。

 

『ファシズムとは何か』

 

 

 いかにも歴史学者が書いた本という感じで、ウンベルト・エーコによる「ファシズムは至る所にあり」のような議論をバッサリ切り捨てつつ、正確さや厳密さのこだわりがうかがえる。その一方でファシズムの定義論からはじまりながらも「厳密な定義を与えることはできない」という論調になったり、歴史パートの記述もやたらと慎重であったりと、研究書としてはともかく入門書としてはどうなの、と思わされる面が多々あり。読者のことではなく同業者の目を意識した結果、テーマの意義や面白みが伝わりづらくなっているタイプの本だと思いました。

 とはいえ、ファシズムとジェンダーの関係に関する議論など、面白い箇所もところどころにある。最後の章では、学者としての道義的・政治的役割について「政治的な意図を優先して学問的な定義を安直に行うべきではない」としながらも学問の民主性への信頼が表明されており、それこそがファシズムへの精神的な対抗手段であるみたいなメッセージも感じられてよかったです。

 

 

『「表現の自由」入門』

 

 

 

 2019年や2023年に取り上げている。『モヤモヤする正義』の第二章でも引用しております。

 

●白水社から刊行されているシリーズ

 

『フランクフルト学派と批判理論』

 

 2024年はわたしにとって「批判理論と出会った年」であり、本書は今年のわたしにとって象徴的かつ印象的な一冊、もちろん面白く読めました。新宿ブックファーストの「名著百選2024」にも選びました。明日までなので、関東にいる方は急いで行ってください。

 冒頭から「批判理論の意義」を提示したり「フランクフルト学派の人々のキャラクター」を紹介してくれるおかげでグッと興味を惹かしてくれるなど、入門書としての構成も良いです。世間では「フランクフルト学派を紹介する入門書なのにフランクフルト学派に対する評価が厳しすぎる」という評価もあるみたいだけれど、わたしは本書を通じてフランクフルト学派の人々と思想はかなり魅力的だな、と思わされました。環境や制度が意識や言説に与える影響の分析は参考にすべきところがあるだろうなとか、大衆文化に対するエリート主義的な批判や侮蔑もいまの時代にはむしろ必要だよな、とか。

 本書を読んだ時点では、ハーバーマスを除けばエーリッヒ・フロムが真っ当なことを多く言っているように思えていちばん好感が抱きました(その後、頑固で融通の効かないアドルノにも好感を抱くようになります)。

 

『福祉国家』

 

 福祉国家という地味だけれどなくてはならない制度を題材にして、ここまでタメになり考えさせられる内容を書くとができるのか、という名著。ブログで紹介しています。

 

『ポピュリズム』

 

 

 ポピュリズムについて書かれた本では逆張り的にポピュリズムが擁護されることも多いんだけど、本書はポピュリズムの特徴を「反エリート主義」と「反多元主義」と指摘し、きちんと分析したり利点も述べたりしながらも批判的な視点は忘れていなくて、それで読んでいるとリベラル・デモクラシーの意義なんかも考えさせられたりして、よい本でした。ブログ書いています。

 

『啓蒙とはなにか』

 

 過去にブログで書いた通り、読者に対して「啓蒙主義(とその時代)について学ぶ意義とはなにか」を伝えるという発想に欠けており、ただ歴史学者が近年の「啓蒙」ブームにうだうだ文句を言う内容で、まったく啓蒙的ではなく、ぜんぜん好きじゃない。啓蒙主義についての入門書なら岩波の「ヨーロッパ史」入門シリーズの『啓蒙主義』を読んだほうがいいです。

 

『脱植民地化』

 

 

 テーマがテーマだから仕方がないとはいえ、いかにも最近のアメリカ人歴史学者らしい“ポリティカル”な書き振りや扱う対象の広さ、小見出しの少なさも災いして、ダラダラ感を抱いきながら読みました。……とはいえ、第二次世界大戦後にも欧米諸国/旧帝国によるヤバい暴力は起こり続けていたことや国民国家への移行の複雑さみたいなのを学ぶことは重要だと思ったし、最終章における「忘却の政治」についての議論や、オーラル・ヒストリーや社会史を通じて個々の人々の記憶を残すことの重要さについて語っているところは印象に残りました。

 

『産業革命』

 

 地味で淡々としており、訳文もいろいろと不親切ではあるけれど、産業革命について成り立ちから意義と弊害まで「1冊でわかる」という感じでした。産業革命は「あった」という立場で「産業的啓蒙」と技術革新を強調する内容。訳者あとがきによると産業革命に関する議論には「悲観説」と「楽観説」があるらしく、本書は中立のようだけど、産業革命が土地所有階級と労働者階級との間や労働者階級の内部に格差をもたらしたことはキッチリ示されておりました。また、産業革命と民主主義の関係について章を割いて論じられていたり、マルクスやミルなどのお馴染みの哲学者の名前も出てくるけれど、あくまで経済学の本なので実質賃金とかインセンティブとかの概念でいろいろ説明しているところが逆に新鮮だった(そのために理解するのも難しかったけど)。

 経済史の本って「楽観説」のほうがストーリー・読み物としておもしろいから気を抜くとそういうのばかり読んじゃうけれど、そうしていると偏っちゃうので、意識的に「悲観説」の本も読むべきだなと思った。

 

●「シリーズ戦争学入門」+α

 

『第一次世界大戦』

 

 直前にちくま新書の『第一次世界大戦』を読んだせいで内容が被るところが多かったんだけれど(当たり前)、フランスの農民たちの諦め・社会ダーウィニズムと「男らしさ」の証明・ダックスフントはイギリスから姿を消し(かわいそう)、ジャーマン・シェパードはアルサティに改名されたというくだり・アメリカの参戦経緯などなど、諸々と印象に残るポイントはありました。最初の章と最後の章で、戦争前と戦争後に各国がどうなっていたかを国別に紹介することで戦争が与えた影響をわかりやすくして、最後の段落で第二次世界大戦を予言するような不穏さを提示して終わり、という構成も気が利いていると思った。

 

『第二次世界大戦』

 

 ややドイツを悪者にし過ぎた単純なストーリーになっているように思えるとか、日本の出番の少なさとか、気になるところはありつつも、第二世界大戦の流れや歴史における位置付けについて、しっかり学ばせてもらいました。

 

『核兵器』

 

 当たり前だけど、序盤は映画『オッペンハイマー』の登場人物たちの名前がいっぱい出てきた。過去から現代に近づいていく構成で、個人的には面白さはだんだん尻下がりしていったんだけれど(現生の政治よりかは歴史的な事象のほうが面白く読めるので…)、最終章の最終節でトランプ・ロシア・イラン・北朝鮮が出てくるのは最近のことを考えるとヒヤッとさせられるものがありました。

 

『国際関係論』

 

 

 第3章の「理論は友達」は、「だれもが理論に基づいて考えているからこそ、洗練された理論が必要である」として学問における理論の意義・役割を説明しており、個々の理論の説明以上にこの部分が面白い。国際関係ろんは「理論なんてなんの役に立つの?」と言われがちが学問であるからこそ、説明に工夫と気合が要されるのだとお察ししました。

 全体として、現代では当たり前のように思える主権国家体制はせいぜい1945年以降や1970年代にようやく確立したものであるということが何度か繰り返されており、「いまある世界の姿は当たり前のものではない」ということが強調されている。主に著者が「コンストラクティビズム」の考え方をしていることに由来しているけど、原著が2020年に書かれた本であることも影響していると思います。

 

 

●「14歳から考えたい」シリーズ

 

『ナチ・ドイツ』

 

 第一章の「ヒトラー神話」で本書のテーマ・目的・方向性を過不足なくコンパクトに提示されており、いきなり惹き込まれる。また、第二章以降は時系列に進んでいくんだけど、情報の提示の仕方が工夫されていたり社会状況や人物の描写が上手かったりして、この種の歴史系の本としては珍しいくらいに読みやすい。また、近年のナチス研究では「思想」や「文化」が重視されているんだな、ということも感じ取れます。ドイツ国民の過去との向き合い方、そしてナチスの経験が人類全体に突きつける課題について書かれた最終章は、昨今の国際状況により、良くも悪くも考えさせられるところがありました。

 

『貧困』

 

 ブログ書いています。テーマは「貧困」と広いけど、実際には経済学的な議論が主になっていて、タイトルは「貧困の経済学」にすべきだと思った。

 

『レイシズム』

 

 同シリーズの『セクシャリティ』や『優生学』とまとめてブログ書いています。レイシズム理論については学び直す必要があると感じているんだけど、本書がそうであるように、フェアネスやバランスに欠けていることが多いのが難しいところ。

 

●「サイエンス・パレット」シリーズ

 

『リスク』

 

 行動経済学の本とかで読んだことのあるような内容が多かったけど、まあ淡々とした筆致が参考になりました。

 

「サイエンス・パレット」シリーズについては『科学革命』『科学と宗教』『西洋天文学史』と、半分「文系」な内容のやつは中古で買い漁って入手済みなので、そのうち読む予定です。

 

●「サイエンス超簡潔講座」シリーズ

 

『動物行動学』

 

 

 タイトル通り、動物行動学の考え方や手法が超簡潔に学べました。

 

 このシリーズは『うつ病』や『感染症』も読んだけど内容あんまり覚えていない。『犯罪学』も入手しているので、そのうち読む予定。

 

 

●その他の出版社から

 

『ヘーゲル入門』

 

 

 ヘーゲルといえば難しいイメージがありますが、この本は異様に読みやすい。論理学に関する議論を大胆に省略する代わりに歴史哲学や法・倫理学に関するヘーゲルの主張を詳しく説明したりマルクスにつながる道を強調したり、ヘーゲルの「自由」論を重視したりと、読みやすくバランスがとれている一方でピーター・シンガーらしさも出ているのが印象的。訳者解説もやたらと充実しているしで、いい本です。

 

『マルクス』

 

 

 こちらもピーター・シンガーが書いた本。マルクスの思想について批判的に総括しながらもその現代的意義を評価するという内容で、やはり読みやすく、おもしろい。ブログ書いています。現在は入手困難になってしまっているのが、非常に惜しいと思います。

 

『人生の意味とは何か』

 

 

 甘やかされた大御所が与えられたテーマに正面から向き合わず、人生とか意味とかの単語から連想されるなんかをダラダラと書きつづっただけの内容で、読者の貴重な人生の時間を浪費させるダメな本です。ブログ書いてる。

 

『フロイト』

 

 著者はフロイトに対してかなり冷徹かつ批判的であり、それも著者自身が精神分析・精神医学の現場に立った経験にも裏付けされているが、一方で自身の分野の「始祖」であるフロイトに対する敬意もきちんと感じられ、「フロイトの思想は科学ではない」ときっぱり指摘しながらも先駆的な点はちゃんと評価する……という、実にバランスの良さが感じられて好ましい本です。フロイトのことを頭ごなしに否定してくるカール・ポパーのことが嫌いになる、という副作用はありますが。

「よほど忠実なフロイト主義者でないかぎり、宗教や人類学や芸術に関するフロイトの考えを受け入れることはとてもできない」(p.212)としながらも、精神分析という技法を開拓した時点でフロイトを評価しており、それも本人が自負していたであろう「分析の鋭さ」ではなく「苦しんでいる人に『適切な助言』を与えることは誰にもできる。そうした人びとの話をどうやって聞いたら良いのか、フロイトはそれを私たちに教えてくれたのである」と、医者としての「傾聴」の姿勢を評価するという結論が、現場に立っている人でなければ出てこないであろう発想で、意外かつ実に好ましく感じました。

 また、最終章における「フロイトの思想は何でもかんでも還元主義的に説明できる万能理論になろうとしていた(ダメ)」「フロイトのせいで西洋社会は利他主義や禁欲に対して冷笑的になった」「(ウィルソンに対する言いがかり本のように)精神分析理論にかこつけて気に入らない対象を攻撃するだけなこともあった」などの諸々の批判、すべて、現代における進化心理学にも当てはまり得るもので、耳が痛く感じました。

 いまなら大変お安く入手できるので、オススメです。

 

『リベラリズムとは何か』

 

 

 哲学や思想というよりも、制度やイデオロギーとしてのリベラリズムを、歴史的な視点をふまえながら解説する、という感じ。ただ、ロールズのようがガチ哲学系のリベラリズム思想に対する扱いの冷たさとか、ところどころ嫌味っぽく感じられる箇所があってあんまり好きじゃなかった。とはいえ、改めて読み直したいと思っています。

 

『移民をどう考えるか』

 

 

 プラグマティックな視点で分析されているからこその意外性や発見がある内容で、面白く読めました。ブログ書いています。

 

『性淘汰』

 

 

 ズックは学部生時代にも『性淘汰―ヒトは動物の性から何を学べるのか』を読みました。内容はさまざまな事例を取り上げながら、安易に一般化しないように注意を促す感じ。性淘汰というのはヘンな連中によって厄い方向に濫用されやすいテーマなので、こう言ってはなんだけれど、このテーマを女性研究者が書いているところはやはり重要だと思いました。

 

●これから読もうと思っている本たち

ここには映っていないけど講談社選書メチエの『ユング』と『ウィトゲンシュタイン』も入手済み。どちらも1円とか10円とか(送料込みで351円とか360円とか)で買えました。

 

『フロイト』が面白かったということもあり、この先しばらくは、諸々の出版社がバラバラに出ている個人をテーマにしたVery Short Introduction(実はその大半は同じくオックスフォード大学から出されていたPast Mastersというシリーズからの編入)を読んでいくつもりです。

『トマス・ホッブズ』については「ホッブズの思想っておもしろそうだけど日本人による入門書でおもしろいの読んだことないし…」と長年悩んでいたところ見つけて、でも中古で2800円となかなか高くてずっと踏ん切りがつかなかったけれど、ある日覚悟を決めて「えいやっ」と購入したので読む。『マキアヴェッリ』については『社会思想の歴史:マキアヴェリからロールズまで』を読んだおかげで俄然興味が湧いたので、値段そこそこしたけど入手。他の人らについては安くなっているタイミングで買いました。『ジョン・ロック: 信仰・哲学・政治』は読みたいけど図書館にはなかなかないし中古本も高いし……と迷っていたけど、引越し先の相模原市の図書館に収められていたので借りて読みます。

 

 こんなに他人の本について「高い」と連呼しながら自分の本が2860円(税込)するのはどうなんだ、と思われるかもしれませんが、560ページあるのでページで割るとむしろかなり安いほうの本だから買ってください。

 

 

 以下は、わたしがまだ読めていなかったり、いちど図書館で借りたけど手元に置いて読み直したいと思っている、Very Short Introdutionの邦訳本たちのリスト。および、色んな本などのリスト。先日はクリスマスで、そして1月2日(木)はわたしの誕生日なので、よかったら買ってください。『ヒューム入門』『メアリー・シェリー』『平和理論入門』、そしてまだ発売されていないけど『美学入門』なんかが、とくに気になっています。

 

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二作目の著書『モヤモヤする正義 感情と理性の公共哲学』本日発売です

 

 

本のなかでは、はてなブックマークのこともnoteのことも批判しています(宣伝のためには結局はてなもnoteも使わなければいけないのが世知辛いところですが)。よろしくお願いします。

 

「まえがき」はこちら。

 

note.com

 

目次は以下の通り。

 

【目次】

■第一部 社会的批判と自由の問題

第一章 キャンセル・カルチャーの問題はどこにある?
1 「キャンセル・カルチャー」が問題視されるようになった背景
2 デュー・プロセスの侵害
3 キャンセルをする人たちはどこが「おかしい」のか?

第二章 「思想と討論の自由」が守られなければならない理由
1 アカデミアでは「真実」よりも「社会正義」が重視されている?
2 「思想と討論の自由」を擁護するJ・S・ミルの議論
3 ロナルド・ドゥオーキンの「表現の自由」論
4 ネットやマスメディア、書籍の議論があてにならない理由
5 「言論の闘技場」としてのアカデミア

■第二部 マイノリティとレトリックの問題

第三章 特権理論と公共的理性
1 特権理論とはなんだろうか
2 レトリックとしての特権理論
3 「物象化」された特権理論
4 在日外国人の視点から「日本人特権」を考えてみる
5 アイデンティティ・ポリティクスが引き起こす問題
6 いまこそ「公共的理性」が必要だ

第四章 トーン・ポリシングと「からかいの政治」
1 「トーン・ポリシング」という概念とその問題
2 「怒り」に関する哲学者たちの議論
3 マジョリティは「理性的」であるか?
4 公共的理性を毀損する「からかいの政治」
5 「トーン・ポリシング」というレトリックがもたらす弊害

第五章 マイクロアグレッションと「被害者意識の文化」
1 「マイクロアグレッション」理論とはなにか
2 「名誉の文化」「尊厳の文化」から「被害者意識の文化」へ
3 「感情的推論」に対処するための認知行動療法とストア哲学
4 在日アメリカ人の目から見たマイクロアグレッション

■第三部 男性学と弱者男性の問題

第六章 男性にも「ことば」が必要だ
1 男性の不利益や被害は社会から無視されている?
2 ひとりの男性としての経験と感情
3 なぜ現在の「男性学」は頼りにならないか
4 「弱者男性論」の有害な影響
5 男性のための「ことば」をどう語ればいいか

第七章 弱者男性のための正義論
1 「理念」に基づいた弱者男性論が必要な理由
2 恋人がいないことや結婚できないことの不利益とはなにか?
3 リベラリズムと弱者男性
4 フェミニズムと「幸福度」と弱者男性
5 潜在能力アプローチと弱者男性
6 「あてがえ論」と「上昇婚」
7 弱者男性の問題に社会はどのように対応できるか

終章 これからの「公共性」のために
1 「壁と卵」の倫理とその欠点
2 インターネット/SNS時代の「公共性」という難問
3 「理性的」で「中立的」な政治はあり得るのか?
4 フランクフルト学派の批判理論
5 討議、承認、自尊
6 リベラリズムと理性の未来

 

著書『モヤモヤする正義:感情と理性の公共哲学』が出版されます

www.hanmoto.com

 

Amazonの予約ページはこちら。

 

2022年の前半に「晶文社スクラップブック」に連載した内容を大幅加筆していった結果、合計560ページの大著となりました。第七章を除くほとんどの章が連載時から2~3倍の文章量になっており、トピックやテーマや結論すら変わっている章もあるので、実質的にほとんど書き下ろしみたいな本です。

 また、加筆・修正作業は2024年の正月から夏にかけて行ったので、最近の時事的な問題も反映した、アクチュアルな内容になっています。

 

目次は下記の通りです(版元ドットコムから、そのまま転載)。目次には反映されていませんが各見出しごとに3~5くらいの小見出しも付けられていて、ロジカルかつボリューミーな構成になっています。

「まえがき」はそのうち晶文社のサイトで公開されると思います。よろしくお願いいたします。

 

●まえがき

■第一部 社会的批判と自由の問題

第一章 キャンセル・カルチャーの問題はどこにある?
1 「キャンセル・カルチャー」が問題視されるようになった背景
2 デュー・プロセスの侵害
3 キャンセルをする人たちはどこが「おかしい」のか?

第二章 「思想と討論の自由」が守られなければならない理由
1 アカデミアでは「真実」よりも「社会正義」が重視されている?
2 「思想と討論の自由」を擁護するJ・S・ミルの議論
3 ロナルド・ドゥオーキンの「表現の自由」論
4 ネットやマスメディア、書籍の議論があてにならない理由
5 「言論の闘技場」としてのアカデミア

■第二部 マイノリティとレトリックの問題

第三章 「特権」について語ることに意味はあるのか?
1 特権理論とはなんだろうか
2 レトリックとしての特権理論
3 「物象化」された特権理論
4 在日外国人の視点から「日本人特権」を考えてみる
5 アイデンティティ・ポリティクスが引き起こす問題
6 いまこそ「公共的理性」が必要だ

第四章 トーン・ポリシングと「からかいの政治」
1 「トーン・ポリシング」という概念とその問題
2 「怒り」に関する哲学者たちの議論
3 マジョリティは「理性的」であるか?
4 公共的理性を毀損する「からかいの政治」
5 「トーン・ポリシング」というレトリックがもたらす弊害

第五章 マイクロアグレッションと「被害者意識の文化」
1 「マイクロアグレッション」理論とはなにか
2 「名誉の文化」「尊厳の文化」から「被害者意識の文化」へ
3 「感情的推論」に対処するための認知行動療法とストア哲学
4 在日アメリカ人の目から見たマイクロアグレッション

■第三部 男性学と弱者男性の問題

第六章 男性にも「ことば」が必要だ
1 男性の不利益や被害は社会から無視されている?
2 ひとりの男性としての経験と感情
3 なぜ現在の「男性学」は頼りにならないか
4 「弱者男性論」の有害な影響
5 男性のための「ことば」をどう語ればいいか

第七章 弱者男性のための正義論
1 「理念」に基づいた弱者男性論が必要な理由
2 恋人がいないことや結婚できないことの不利益とはなにか?
3 リベラリズムと弱者男性
4 フェミニズムと「幸福度」と弱者男性
5 潜在能力アプローチと弱者男性
6 「あてがえ論」と「上昇婚」
7 弱者男性の問題に社会はどのように対応できるか

終章 これからの「公共性」のために
1 「壁と卵」の倫理とその欠点
2 インターネット/SNS時代の「公共性」という難問
3 「理性的」で「中立的」な政治はあり得るのか?
4 フランクフルト学派の批判理論
5 討議、承認、自尊
6 リベラリズムと理性の未来

●あとがき

2023年のおすすめ本(哲学&社会科学系がメイン)

 

 なんかこのタイミングで「2023年おすすめ本」の記事を書いたら多くの人に読んでもらえそうな流れなので、書いておきます(それぞれの本の詳細な感想や書評は各記事へのリンクをクリックしてください)。

 

■今年のベスト本

 

 今年に発売されたなかでの個人的なベスト本はポール・ケリーの『リベラリズム:リベラルな平等主義を擁護して』です。

 

 

 

 

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 大晦日まで新宿ブックファーストの「名著百選 2023」フェアコーナーにわたしのコメント付きで並べられているはずなので、関東に住んでいる方は年内に新宿まで急いで行って購入してください。

 

 

 

■中公新書

 

 新書本をいっぱい読みながらも「なんか新書本って内容薄いのが多すぎていくら読みやすくても読むだけ時間のムダだな」と感じたり、とくにちくまプリマー新書なんかには「いくら若い人向けだからといってこんな凡庸でつまらないお説教をよく書けるもんだな」と思ったりしてひとりでうんざりしていることが多いわたしだけれど、今年は、新書のなかでも中公新書はかなり内容が充実していてレベルが高く外れが少ないということに気付かされました(読書家の人々ならとっくの昔から知っていることだろうけど)。

 

 今年に発売したものとしては『J・S・ミル』と『ジェンダー格差』をしっかり読みました。

 

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 また、昨年以前に発売されたものとしては12月に読んだ『マスメディアとは何か』は内容がかなり充実しており、ひとつの学問の入門書を読んだくらいの満足感が抱けた。ネット民こそが読むべき本です。

 

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『リベラルとは何か』もまあまあ良かったです。

 

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 記事はまだ書けていないけど『ジョン・ロールズ』もヨシ。

 

 

 

 

■その他新書

 

 中公新書ほどではないけど下記の本にも考えさせられました。

 

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■ Very Short Introdutionシリーズの翻訳

 

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 くちなしさんの記事に触発されてしまい、今年の夏頃からは唐突にVery Short Introdutionシリーズの翻訳本を集めていっぱい読むというプロジェクトを行なっていました。Very Short Introdutionは玉石混合ではあるのだが(大御所の書いた本ほどクソになりやすいという妙な傾向がある)、よい本はとてもよい。

 

 今年に邦訳が出版されたものとしては『シティズンシップ』と『懐疑論』が内容も充実しているしいろいろと考えさせられたりすることも多くてよかったです。

 

 

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『福祉国家』はもはや名著の域。

 

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哲学系では『法哲学』『古代哲学』『マルクス』あたりがよかったです。

 

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『移民』や『ポピュリズム』なんかも社会問題のことを考えるきっかけとしてよいと思いました。

 

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 これからもどんどん邦訳を出してください。

 

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■哲学

 

 昨年出版の『アゲインスト・デモクラシー』はゴリゴリの政治哲学の学術書でありながら、主張はキャッチーだし文章も平易で読みものとしても面白い本でした。

 

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 昨年末出版の『自由意志対話』も哲学の伝統的なテーマでありながら「自己責任論」をはじめとした現代社会の問題にも関わっていて有意義でした(その前に『そうしないことはありえたか?:自由論入門』で予習するのもオススメ)。

 

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 2月に出版された『アニマル・スタディーズ 29の基本概念』は動物倫理を勉強している者としては見逃せない本で、6つも記事を書きました。翻訳についてケチを付けられたりもしている本だけど、翻訳されたこと自体がそもそも喜ばしいと思います。

 

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 あとは出版されたのはだいぶ前だけど『平等とは何か』とか『感情と法』とか『多文化主義時代の市民権』などの分厚い学術書も読みました。

 

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 これらの本の副読本として『平等主義の哲学』とか『一冊でわかる 感情』なんかも読んだ。

 

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 今年に出版された哲学書としては『なぜ美を気にかけるか』も読みやすくてよかったです(記事では批判的に書いているけど)。

 

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■フェミニズム

 

 ことしは「やっぱりフェミニズムの考え方も重要だよなあ」とか「アンチフェミってやっぱりロクでもないな」とか思わされることが多々あったというのもあり、またフェミニズム倫理に関して学会発表したというのもあって、フェミニズムの本も折に触れて読みました。……でも記事を読み返すと批判や文句ばっかり書いているな。

 

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『笑いと嘲り』は「からかいの政治学」から流れで読みました。

 

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■洋書

 

 忙しいのもあって、きちんと読めて書評をかけたのは2冊だけ。でもどちらも有意義な本なので、翻訳されることを希望します。

 

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 ところで1月2日(火)に誕生日を迎えますので誕生日プレゼントになんか買ってください(クリスマスプレゼントも可)。

 

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真・公共的理性とはなんぞや(読書メモ:『政治的リベラリズム』①)

 

 

 

 年明けからは分厚い本を読めるタイミングもしばらくなさそうなので、以前にほしいものリストからいただいた『政治的リベラリズム』を手に取り*1、とりあえず第二部第六章の「公共的理性の理念」のみ読んだ。今回の記事は過去の二つの記事のつづき。

 

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 ……しかし、『正義論』や「アレクサンダーとマスグレイヴへの返答」(『平等主義基本論文集』)を読んだときと同じく、相変わらずロールズの文章はまわりくどくて堅苦しい悪文で、事前に「ロールズってこういうことを言っているらしい」「ロールズの主張はこういうもの」という知識をほかのいろんな本から得ているからナントカ読み進められるのだがそれがなかったらさっぱりわからない。おそらくロールズの文章って大学のゼミとか読書会とかでの指導込みで読んでいかなければほんとうの意味では理解できないものなんだろう。

 

 ともかく、おそらく重要である、本章の出だしには下記のように書かれている。

 

政治社会には、そして実のところ個人、家族、あるいは連合体、さらには複数の政治社会から成る同盟だろうとありとあらゆる道理的で合理的な行為主体には、自らの計画を立て、諸目的に優先順位をつけ、しかるべき意思決定を行うやり方がある。政治社会がこれを行うやり方は、その理性(reason)〔の行使〕によってである。政治社会がこうしたことを行う能力もまた、異なる意味においてではあるが、その理性である。理性は知的かつ道徳的な力であり、政治社会の人間の成員の潜在的可能性に根ざすものである。

教会や大学に非公共的な諸理由(reasons)があるように、また市民社会におけるほかの多くの連合体にも非公共的な諸理由があるように、〔理性の行使によってもたらされた〕すべての理由が公共的というわけではない。貴族的・専制的な体制において社会の善が考慮される場合、その考慮は、仮に存在するとして公衆によってなされるのではなく、誰であれとにかく支配者によってなされる。公共的理性はデモクラティックな人民に特徴的なものである。それはデモクラティックな人民である市民の、すなわち<平等な市民であること>(equal citizenship)の立場を共有している人びとの理性である。彼らの理性が対象とするのは、公共の善、つまり正義の政治的構想が社会の諸制度の基礎構造に対して、そしてその精度が尽くすべきねらいや目的に対して要求するものである。そこで公共的理性は以下の三つの点で公共的である。〔1〕公共的理性はこのような市民の理性であるがゆえに、公共の理性である。〔2〕公共的理性の対象は、公共の善と基底的正義のことがらである。〔3〕公共的理性は、社会が有する政治的正義の構想によって表された諸理想と諸原理によって与えられており、かつそれに依拠して開かれたかたちで行われているため、性質と内容において公共的である。

公共的理性が市民によってそのように理解され尊重されるべきだというのは、当然ながら法の問題ではない。立憲的でデモクラクティックな体制にとっての理想的な<市民としての権利・義務>(シティズンシップ)の構想として、公共的理性の理念はーー正義にかなう秩序だった社会における人びとを想像しつつーーものごとがどうありうるだろうかを示す。それは可能なこととなしうることを説明する。なしえないだろうことも説明するが、そのために公共的理性の重要さが失われるわけではない。

 

(p.257 - 258)

 

 なお、以下でいう「特定の仕方」というのは「政治的リベラリズム」のことを指していると思う。

 

…デモクラクティックな憲法は、ある人民が自分たちを特定の仕方で統治するという政治的理想を高次の法において高潔に表したものである。この理想をはっきりと示すことが公共的理性の達成目標である。

(p.280)

 

  本章を読んでいて最も印象的だったのは、ロールズが「最高裁判所」を「公共的理性の手本」として挙げていること(第6節。具体例としてはアメリカの最高裁判所が登場するが、別の節では「実際の裁判所ではなく、理想的に描かれた立憲体制の一部としての裁判所を念頭においてほしい」(p.307)とのこと)。これにはスティーブン・マシードの『リベラルな徳 - 公共哲学としてのリベラリズムへ』を思い出した(本章の脚注でも『リベラルな徳』が取り上げられており、むしろ『リベラルな徳』のほうが『政治的リベラリズム』に先行しているようだ)。

 

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 本章の最後のほうにも、以下のような表現がある。

 

私たちが公共的理性に従っているかどうかを審査するには、次のように問うのがよいかもしれない。私たちの論証は、最高裁判所の判決理由という形態で提示されたとしたら、私たちの目にどう映るだろうか、それは道理的であるだろうか、それとも常軌を逸しているだろうか、と。

(p.307)

 

 一般的に「公共的理性」を持ち出す議論で主張されるのは、なんらかの公共的な問題について意見したり論じたりするときには、自分の信じる宗教や世界観とか自分の信念(「包括的見解」)でしか通じないような主張を振りかざすのではなく、他の宗教を信じている人や無宗教の人や別の世界観や信念を持っている人にも通じるような理由付けに基づく主張を行いなさい、ということ。……そう理解するなら、裁判所は公共的理性を体現する存在である(べきだ)、というのは納得ができる。裁判官が自分の宗教に基づいて訴訟の結果を判断したり憲法審査を行ったりしたらわたしたち市民としてはたいへん困ったことになるし、裁判の結果や判断過程は特定の世界観や信念に依拠せず大体数の人にとって理解や納得が行く理屈や理路に基づいていてほしいものであるだろう。

 一方で、本章を読んでみて意外だったのは、ロールズは「公共的理性」が適用される範囲をかなり限定しているということ。たとえば、市民や国会議員は「憲法の本質的要素と基本的正義が危機にさらされていない場合には(p.284)」、自分たちの包括的な見解を(投票を通じて)表明できるそうだ。また、ロールズによると公共的理性が必要となるのは「公共的な問題」といった広くて生やさしくて曖昧な範囲ではなく、「公共の善と基底的正義のことがら」とか「憲法の本質的要素と基本的正義」とかいった重々しい表現が用いられるような領域である。具体的には、アメリカにおける憲法制定や奴隷制廃止にニューディール政策(福祉制度のスタート)、あるいは女性の参政権や人工妊娠中絶の権利を認めるといった、国・社会レベルで重大な事態が起こったり画期的な出来事が起こったりするような場面だ。一方で、たとえば自然保護や動物の権利といった問題は「憲法の本質的要素でもなければ…基本的な正義の問題でもない」(p.297)ということで、公共的理性が適用される対象ではないらしい。

 当たり前のことだが、『政治的リベラリズム』におけるロールズの「公共的理性」に関する議論は『政治的リベラリズム』という本そのものの趣旨や問題意識に関連している。で、本書の趣旨とか問題意識はなにかというと、「リベラリストはリベラリズムを受け入れなかったり宗教的な世界観を保ち続けたりする人たちと共存することが可能か」「非リベラル/宗教的な人でも受け入れられるようなリベラルな原理を国家や社会は採用可能か」「可能にするためにはリベラリズムをどのように限定するか(「包括的リベラリズム」から「政治的リベラリズム」への移行/縮小/(後退))」といったこと。……つまり、本書においてのロールズの方針は「社会の成員すべてに関係するようなほんとうに重要なことについては議論して合意を成立させておく必要があるが、そうでないことについては(すくなくともリベラリズムとか政治哲学の文脈では)議論しはじめても価値観の異なる人どうしでは合意が成立せずに泥沼になるから触れないでおいたほうがいい」といったものである。そうなると、公共的理性が適用される範囲も限定されるというのは、ごく自然なことであろう。

 

『政治的リベラリズム』の文脈における公共的理性の位置付けや、本章の第4章のテーマである「重なり合う合意」と公共的理性の関係などは、仲正昌樹による以下の文章がわかりやすい*2

後期のロールズは、様々な宗教的、民族的、世界観的背景を持った人々が、自由、平等、公正、自律、連帯、厚生...等の、憲法の基礎になるような基本的な正義の理念について、普遍的合意に達することは可能か、という問題と取り組んだ。そこで、様々な世界観を持った人たちの間で成立する「重なり合う合意 overlapping consensus」と、それに基づく公共の場での議論で用いられる「公共的理性」に着目した。
「重なり合う合意」というのは、その社会で長年にわたって共存し、立憲的体制を共有するようになった集団間で事実上成立している合意である。例えば、「意見表明の自由」や「人身の自由」であれば、特殊な教義を持ったキリスト教の宗派であれ、イスラム信者や仏教徒であれ、無神論者やマルクス主義者であれ、それが憲法の中核的理念であり、(自分たちも)尊重しなければならないことは認めるだろう。そうした合意が安定化し、その社会で生きるあらゆる集団の共通了解になっていれば、それは「重なり合う合意」である。
ただ、包括的教説(comprehensive doctrine)を有するそれぞれの集団は、どうして「意見表明の自由」や「人身の自由」が重要なのかについては、それぞれの教義に基づく異なった論拠を持っているだろう。キリスト教は聖書を、イスラム教はコーランを典拠にするだろうし、マルクス主義者はマルクスやエンゲルスのテクストを参照するだろう。内部向けにはそれでいいが、外の人には伝わらないし、受け入れてもらえない。
そこで、外部との議論で必要になるのが、集団内部の言説を、その社会を構成する他のメンバーにも理解可能なものに変換する「公共的理性」、あるいは、「公共的理性」が論拠として用いる「公共的理由 public reason」が必要になる。「公共的理由」とは、同じ立憲体制の下で生きるメンバーであれば、当面の問題を解決するための基本的な原理として受け入れないとしても、無視することはできない「理由」、少なくとも、どうしてそれをここで適用するのが不適切であるか反論せざるを得ない「理由」である。
例えば、妊娠中絶が違憲かどうかという論争であれば、合憲であると主張する側が、妊娠した女性の〈right of privacy〉――日本語の「プライバシー権」よりも広い概念である――を論拠として持ち出せば、反対している側も無視できない。〈right of privacy〉とはどういうものか再定義したうえで、この権利を、中絶をめぐる道徳的・政治的・法的論争の文脈で適用することの是非をめぐる議論に応じざるを得ない。〈right of privacy〉が、アメリカの憲法それ自体によって直接保証されているかどうかについては議論の余地があるが、そんな権利など必要ない、と言う人はほとんどいないだろう。
各人がそれぞれ身に着けた「公共的理性」を駆使して、「公共的理由」に基づいて議論するのであれば、その人の思想的背景や出自は関係ないはずである。二〇一二年にアメリカの大統領選で、共和党の大統領候補だったロムニー氏はモルモン教徒であり、布教活動を行っていたことも知られているが、大統領選の最中そのことが特に話題として取り上げられることはなかった。彼の掲げる政策が、共和党の政策として普通に通用するものであり、別にモルモン教の教義を参照しないと理解できないようなものではなかったからである。

第51回 「公共的理性」を欠いた"民主主義" 仲正昌樹 / スクラップブック - 精神科・心療内科 新宿の都庁前クリニック あがり症など 夜間診療

 

 さて、一年以上前に読んだ『リベラル・コミュニタリアン論争』のうろ覚えに依拠すしているが、ロールズの政治的リベラリズムの問題とは、「政治的/包括的」の範囲が恣意的である、というところだ(ったはず)。……つまり、ロールズが「このポイントは宗教を信じていたり非リベラルな意見を持ったりしている人でも合意が可能だ」といくら主張しても、宗教的な人や非リベラルな人は「それは所詮は世俗的でリベラルな価値観に依るものであるからわたしたちには受け入れられない」と主張するかもしれない。逆に、ロールズが「包括的」と斥けるものであっても、他のリベラリストたちは「このポイントは充分に理性に基づいているから異なる価値観を持つ人どうしの間で合意可能だ」と主張するかもしれない。実際、現実に目を向けたら、頑固な非リベラルや宗教の信者たちは「重なりあう合意」なんて堂々と無視している。そもそも、非リベラルな人たちからすれば「重なりあう合意」もリベラルの価値観の押し付けに過ぎないかもしれない。それならいっそ、最初から政治的リベラリズムなんて捨ててしまって(ロナルド・ドウォーキンやジョセフ・ラズ、あるいは『正義論』の頃のロールズのような)「包括的リベラリズム」を主張したほうが論理として筋が通っていていい。……というのが『リベラル・コミュニタリアン論争』の著者たちの結論だったはずだし、わたしもそれに同意する*3。

 また、公共的理性が適用される場面をやたらと限定しようとするロールズの方針にも、やはりわたしは賛同できない。先述したように、『政治的リベラリズム』の外で「公共的理性」という用語を用いる議論とは「なにかを主張する際には他の人にも納得できるような理由を提示しましょうね」というものだが、たとえば『現実を見つめる道徳哲学』で強調されていたのも、「道徳的な主張/道徳的な問題を行う際には理由付けが重要となる」「理由付けを吟味したり、よりよい理由を発見したりするのが倫理学の役割である」といったものであった。そして倫理学では奴隷制廃止や女性の参政権や人工妊娠中絶の権利といったトピックについても、自然保護や動物の権利にその他のロールズが公共的理性の対象外に位置付けたトピックについても、いずれのトピックについても理由に基づきながらあれこれと論じたり主張したりする。そして、倫理学者に限らず、理性を持った市民たちもまた、ロールズが公共的理性の範囲内に含めたトピックと範囲外に放り出したトピックのどちらについても、理由に基づいた議論を行うことができるだろう。

(ある種の)倫理学者は、政治哲学が扱う問題のすべては倫理学でも扱えると主張するだろう。その一方で、(ある種の)政治哲学者は、倫理学が扱う問題を政治的なものとそうでないものとに「格付け」する。わたしとしては、やはり前者に賛同するところだ。

*1:

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*2:なお、いちおう書いておくと、仲正による統一教会や自民党の「擁護」的な主張にはぜんぜん賛同しません。

*3:要するに、ロールズは理想理論からリアリズムに中途半端に舵を取ったが、中途半端であるために理想理論とリアリズムのどっちとしてもダメになっている、ということ

「恥辱」と法、ヌスバウムによるJ・S・ミル論(読書メモ:『感情と法』③)

 

 

 

 

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 前回からだいぶ間が空いたが、「恥辱感」をテーマにした4〜6章とジョン・スチュアート・ミルの自由論やジョン・ロールズの政治的リベラリズム論について再考する最終章もなんとか読み終えられたので、メモっておく*1。

 

 ……とはいえ、「恥辱」に関するヌスバウムの議論にも「嫌悪感」についての彼女の議論にあったのと同様の問題を感じてしまったし、だんだんと飽きてきて読み進めるのが面倒になっちゃった。

 これまでにも書いてきた、わたしがヌスバウムの「感情」論に対して感じる疑問は以下の通り。

  • 生理的な「感じ(感覚経験)」に関して論じることは早々に切り捨てて、「思考」に関連するものとして「感情」を定義している。また、各種の感情を定義によって切り分けれるものとして扱っている。しかし感情について論じるうえで「感じ」を扱わないことには片手落ちという以上の問題があるように思えるし、思考に関連するところだけに注目したり定義によって切り分けたりする時点で「感情」というものの本質からはだいぶ離れた議論になるように思える。
  • 自分の議論の都合に合わせて「善い感情」と「悪い感情」を都合良く切り分けている。
  • 「善い感情」(たとえば「怒り」)については、通常ならその感情には当然含まれると思われる非合理的な側面や問題のある側面などを無視して、合理的かつ道徳的に望ましい側面だけを取り上げた定義になっている。また、「それって感情ではなくほとんど理性と一緒じゃない?」と思わされるような記述も多い。
  • 「悪い感情」については「人間性を否定する/人間性から逃避する」ものと記述しているが(原題も Hiding from Humanity である)、感情についてこのように表現したり議論したりすることは余りに文芸的であり、現実の感情の生物学的/生理学的な機能や側面を軽視し過ぎているように思える。
  • ヌスバウムは「自分の議論は心理学などの経験的な知見に基づいている」と主張するが、精神分析がベースとなっている箇所がかなり多いのでちょっと信用できない。

 

「恥辱」に関するヌスバウムの議論では、「恥辱刑を復活せよ」という共同体主義者たちの主張への反論から始まっていることもあって、アーヴィング・ゴッフマンによるスティグマ論がたびたび参照されている。また、「嫌悪感」は規範的に認められるポイントがほとんどない「悪い感情」だと論じられていたのに対して、「羞恥心」については建設的な場合もあり得る、と論じられている。具体的には、比較的裕福なアメリカ人がバーバラ・エーレンライクの『ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実』を読んだら「労働者たちにこんな辛い思いをさせる自分たちの社会は不正で間違っている」と感じるだろうし、そんな社会でのうのうと安楽な生活を享受している自分たちのことを恥じる、そして社会を改善すべきだと認識できるようになる(だからこの場面での羞恥心はよいものとして機能している)……といった議論がされるのだが、それって「羞恥心」ではなく(理性的な)「反省」なのではないだろうか?

 また、ヌスバウムは羞恥心とは「自分は脆弱性や欠点を備えた不完全な存在である」と認識させられることであると定義しており、社会が「異常」を定義したりマイノリティに恥辱を感じさせて彼らの生活や行動の様式を抑圧する背景には「自分が不完全な存在であることを認めない」という「ナルシシズム」の影響がある、といった議論が行われている(他者を「不完全」と定義して攻撃したり抑圧したりすることで自分たちの不完全さからは目を逸らす、みたいな)。……しかし、ここらへんの議論では「嫌悪感」のとき以上に精神分析がベースとなっているし、不完全性を認める認めない云々の議論もやっぱり文芸的過ぎて「感情や感覚ってそんなものじゃないでしょ」と思わされしまう。

 第5章第2節における「恥辱系は「群衆の正義」であり、わたしたちが法に求めるような不偏不党性や熟慮が存在しない(からダメだ)」という議論、有名人は公の場で屈辱を受けやすいという指摘や「恥辱系は個人に対しては不適切であるが害のある組織に対しては適切であるかもしれない」という指摘などは昨今のキャンセル・カルチャーの是非にも関連するものであって、それなりに興味深い。……とはいえ、「恥辱形を復活せよ」という主張のほうが現代のリベラルな(日本)社会に慣れ親しんだわたしたちにとっては寝耳に水というか意外性のある発想であり、当然受け入れ難いが、そのぶん興味深くはある。それに比べると、恥辱系を批判しようとするヌスバウムの議論は当たり前に聞こえ過ぎて退屈だ(同様の問題は「嫌悪感」のパートにも存在した)。

 そして、第6章の議論はもはや「感情」はほとんど関係なくなっており、アメリカの社会問題に関するさまざまなトピックや争点(若者の非行とか同性愛とか人種差別とか)についてリベラリストやフェミニストなら当たり前に言うであろう主張が羅列されている感じになっていて、かなりつまらない。

 いちばん印象に残ったのは、第4章第3節で、「男性(男子)は自分の感情を自覚したり自分の欠点や不完全性を受け入れたりすることが苦手である」という問題を、ミルの『自伝』も絡めながら論じるくだり。ここの議論には説得力を感じた。……とはいえ、女性のフェミニストによる男性論としてはいまやごくありがちなものなので、新鮮味はまったく感じられない。

 

 第7章では、ミルの功利主義論は一貫性がなく矛盾が多々含まれていたり、ミル自身が「社会の効用(の総計)」を無視した主張をしていることも多いという(ミル論としてはよくある)指摘がなされたうえで、ミルの理想を体現する理論は功利主義ではなくカント主義ひいては政治的リベラリズムではないか、といった主張がなされている。

 この議論自体には、とくに問題がないと思う(ミルの主張には一貫性がないことはわたしも感じるし、彼の主張に無理に一貫性を見出そうとしたり功利主義と整合させようとしたりするよりかは、ヌスバウムがやっているように「ほんとうに言いたいことや重視していることはこっちでしょ?」と別の道筋を提案するほうが建設的だとは思う)。ミルの自由論を「真理に基づく正当化」と「人格に基づく正当化」に切り分けたうえでどちらの議論にも苦しいものがあることを指摘するくだりもオーソドックスではあるがとくに間違っているとは思えない。

 ……だが、ヌスバウム自身の政治的リベラリズム論を主張するくだりは、共同体主義に対する批判には賛同できるとはいえ、まあやっぱり凡庸で新鮮味がない。本書のウリである、「感情」論とリベラリズムを接合しているあたりも、そもそもその「感情」論に本書を読んでいるあいだずっと疑問を抱かされたわけだから、ありがたみがなかった。

*1:このテーマだと次は『法と感情の哲学』を読みたいので引き続きご恵投を募集します。

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