ぜぜ日記

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難聴の祖母に AirPods Pro 2 のヒアリングチェックと補聴器機能を使ってもらった話

90歳の祖母が数年前から耳を悪くして困っている。放っておくと、人に会うのも億劫になって認知症になりかねず、そうなるとまわりもたいへん。 補聴器外来に行きなよ、とは周囲の親戚も長くすすめていて、2回くらい行ってもらったそうだけれど、うまく合わなかったようで、その後は嫌がるようになってしまっていた。

2年ほど前には、コミュニケーションの助けになればと Google Pixel 7 を文字起こしツールとして渡していたけれど*1、やっぱり直接聞こえたほうがよい。

そんななか、最近出ていた AirPods Pro 2 に補聴器機能がついたという話を聞き、Amazon ブラックフライデーでちょっと安く買って、この年末年始の帰省の折に使ってもらいました。ちょっとおもしろかったのと、事前のネット調査ではあまり事例がなかったので共有します。

ちなみに結論としてはちょうど2024年11月から挑戦し導入していた補聴器に負けました!!

環境

ヒアリングチェック

ヒアリングチェックは何度もできるし、過去の履歴も残るので聴力の推移を記録することができるしヘルスケアAppから削除もできる。

試してみると、左右で音が出て聞こえたときにiPhoneをタッチするというのを繰り返し5分くらいで終わる。38歳の自分でも聞こえない音がいくつかあったけど、結論として聴力には問題ないとのことだった。

また、かなり静かな環境ではないとだめなので他の人がいると難しい。祖母も何度か雑音が出て中断した。ちなみに、祖母の乾燥した指だとiPhoneへのタッチは失敗しがちで失敗(タッチ認識しない)を目視で確認し自分が追加タッチした。

結果はこう。

祖母の AirPods Pro 2 ヒアリングチェック結果①

祖母の AirPods Pro 2 ヒアリングチェック結果②

ちなみに自分の場合はこうだった。

30代男性の AirPods Pro 2 ヒアリングチェック結果

補聴器として

声の聞こえ具合は、補聴器とそう変わらないものの、テレビの音の聞こえは補聴器よりややよくない(あまり仕組みはわかっていないけど iPhone の位置をテレビに近づけても変わらない)。

また、補聴器はボタン電池で2-3週間使えるいっぽうで、AirPods Pro 2 は1回の充電で最大6時間の音楽再生*2で、さらに iPhone のバッテリーも気にしないといけない。lightning ケーブルと USB Type-C のケーブルがややこしいので今回はQi充電器も用意していたけれど、それでもややこしい。

さらに見た目としても補聴器はかなり目立たない、祖母だと髪に隠れて見えなくなっていたけれど、AirPods Pro 2 は耳からうどんが出ているようにみえる*3

というわけで AirPods Pro 2 は補聴器に負けたので実運用にはのりませんでした。 ただ家で手軽に自己診断できるというのは補聴器導入のきっかけづくりとしてはよいかもしれない。やっぱ難聴を抱えながら病院で指示されるのはストレスがあるし。

また、本格的な補聴器はかなり高価なので、それと比べると手に取りやすい(ガジェットとしてはかなり高価だけど)というのもある。 いまのところ補聴器のマーケットを削るというものではないように思うけれど、Appleさまのデータ収集・開発力が人々の健康につながるというのはおもしろいとは思う。

AirPods Pro 2 について

ちなみに AirPods Pro 2 のノイズキャンセリング機能を試すと、かなりすごいものの使いどころはなやましい。外でノイズキャンセリングするのは怖いし、家だとそもそもノイズも少ないし。近所で工事しているとか子がテレビをみているとかのときには便利なのかもしれない(タイピング音は消えなかった)。あとノイズキャンセリングモードだとインターホンも聞こえない。

ゆるぼ

というわけで購入したものの使わなくなった AirPods Pro 2, iPhone 12 を中古で欲しい方がいらっしゃれば下記価格でお渡しします。

  • AirPods Pro 2 Apple Care2年付き 3万円(購入価格 33,200円 + 4,380円)
  • iPhone 12 128GB ブルー MGHX3J/A (じゃんぱらでA品、バッテリー85% 45,690円) 4万円
  • セットで6.7万円

  • 知り合いなら郵送可・もしくは京都駅引き渡し希望。必ずしも先着順ではないです

  • Twitter( https://x.com/daaaaaai )などでご連絡ください

*1:Pixel 7以上からあるレコーダーはかなりシンプルなUIで文字起こしの速度精度も高く、まあまあ使ってもらっていた(iPhone 12で使ったNottaと比べても1秒以上早く、また精度よく文字起こししてくれるので会話のテンポがあう)

*2:https://www.apple.com/jp/airpods-pro/specs/

*3:AirPods をうどんと表現するのは rebuild.fm で聞いたのがはじめてだった。 https://rebuild.fm/196/ の 52:30

Kindle Unlimited のキャンペーンを試してみた話とおすすめいくつか

Amazonがやっている電子書籍サービスkindleの、定額で一部の本を読み放題になるというKinke Unlimitedというサービスがある *1。

こういう定額サービスは延々お金を払いそうで敬遠していたけれど、kindle unlimited対象で気になっていた本を突っ込んでいた欲しいものリストがまあまあ増えてきたのと、ちょうど2ヵ月99円キャンペーンをやっていたので試してみた。

あと、このtweet*2をみて、たまにやっている2ヵ月99円キャンペーンではすぐキャンセルしてもお金を払った期間は使える、ということを知ったのも大きい。

実際に、即キャンセルしても読み放題は有効で、新しく本を端末にダウンロードして読むこともできる。これはちょうど2か月後の購入時刻まで続き、Android端末では読書中に突然無効ですと表示された。ちなみにkindle paperwhiteで機内モードにして本を開いていると期限を過ぎても3日ほどは読み続けることができました(本棚に戻るとkindle unlimitedでダウンロードした書籍はすべて消えていた)。

ダウンロードして、巻末解説だけ読んでおわりにできたり気軽に拾い読みするのは便利だけれど、欠点としては、ほんとうに読みたい本よりも、期間限定のkindle unlimitedがあるしな・・・と貧乏性によって本を読む優先度に影響を受けたこと。しかし毎月990円払うほどではないとは思った。

読んだ中でのいくつかおすすめとしてメモを共有しておきます。

失敗の科学(マシュー・サイド)

一番おすすめ。医療過誤が発生し続ける医療の現場、組織的な対策がとれている航空業界の対比からはじまり、組織の失敗や個人の失敗、またどう失敗を防ぐかということがさまざまな本や事例から取り上げられている。無謬であると過信して冤罪を生み出す司法は日本にユニークなものではない、ということがわかって悲しい。

冤罪を生み出す司法のシステムは、検察や裁判官の傲慢さだけではなく、制度自体に失敗を認めがたい構造があるし、犯人をとらえることを警察に求め、厳罰を求める大衆の圧力も小さくはない。

学びとは何か-〈探究人〉になるために (今井 むつみ)

知識を積み重ねていくという学習観(本書では知識ドネルケバブ・モデルと名前をつけていく)ではなく、対象領域のスキーマをもち、これをアップデートしていくのが学習だということを解説している。

育児をしていると、子どもがどう学んでいるかをまじかでみているので、わかるところもあるし、育児のヒントのようなこともちらほら。 子どもは自身の言語を発明しているという視点がおもしろかった。

改訂版 賀川豊彦伝 貧しい人のために闘った生涯(三久 忠志)

日本最大の生協、コープこうべを興した人間の一人として知っていて手に取ったけれどそれ以上であった。

神戸のスラムでキリスト教による共同生活・奉仕活動をして労働運動を組織して、プリンストン大にも留学して生協運動を主導し世界にも影響を与えた人物。

一九二〇年から五〇年頃にかけて、日本の有名な人物は誰かとアメリカ人に聞くと、最初に返ってくるのはヒロヒト天皇陛下という答えです。二番目に挙げるのは賀川豊彦という名です。つまり一九〇〇年代前半、欧米で最もよく知られた日本人は賀川豊彦という人物だった

というほど。やってることがすごすぎるのと、伝記としては文章がこなれていなさすぎていて吹かしているのでは、という感じもしてしまう。

しかしマジでノーベル平和賞に何度もノミネートされている。 https://www.nobelprize.org/nomination/archive/show_people.php?id=4681

最後の竜殺し(ジャスパー・フォード)

モダンイギリス・コメディSFでおもしろかった。別に感想を書いていた。おすすめですがみなさまがどう読むのか気になる。

dai.hateblo.jp

隣り合わせの灰と青春 (ベニー松山)

RPGの元祖のひとつ、ウィザード・リィのノベライズで、傑作と聞いて読んでみたがたしかにダンジョン探索の緊迫感が表現されていてかなりよい。 いまどき異世界ものの源流ながら、話の筋も、ギリギリ感のある戦闘描写もすごい。

ダンジョン攻略を目指す、主人公たち、善(グッド)と対峙する、悪(イビル)の個性豊かなライバルパーティが好き。

ほか「風よ。龍に届いているか」「不死王」など同著者のウィザードリィのノベライズもおもしろかった。ゲーム的な表現はより薄く、絶望感は大きかった。不死王の、人が増えたことなどによってエルフの寿命は短くなり魔法が衰えているという設定もいい。

別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した(佐々木 閑)

こういう100分de名著シリーズもいろいろある。どれが対象でどれが対象じゃないかは誰がどう決めているんだろう・・・。本書では「釈迦の仏教」と日本に伝わった大乗仏教の違いを解説している。各宗派とお経の違いもあきらかでどう国家や民衆に受け入れられていくために変容したかがおもしろい。

独裁の政治思想(猪木 正道)

1961年初版の本。読み切れなかったけれど、旧権力がどう独裁に移行するかの雰囲気を感じられてよかった。

革命を破壊と創造の二つの過程の複合であるとみなし、旧政治権力が崩壊してゆくのと並行して、新政治権力が誕生、発展していき前者にたいし後者が上回る場合に、革命がはじめて発生するという洞察がおもしろい。

「独裁政は美しい場所であるが、一旦登ってしまうと降りる道がない。」 プルターク英雄伝(河野訳岩波文庫版 二三頁)

ふりかえり

こういう電子書籍エコシステムをなんとか国産でつくれなかったものか・・・

*1:日本では2016/8/3に開始した https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000596.000004612.html

*2:イーロン・マスクの強引なサービス名変更に反感を持っているので古い呼び名を使い続けています

「最後の竜殺し(ジャスパー・フォード)」 資本主義世界の魔法使いたち

読みました。かなりおもしろかったのでハリーポッターファンとか異世界転生ものにちょっと飽きてきた人、銀河ヒッチハイクガイド好きな人は楽しく読める気がする。

20世紀末期のイギリスのような、不連合王国(Ununited Kingdom)には魔法使いたちがいるけれど、かれら彼女らは、魔法行使のたびに役所に書類を提出せねばならないよう管理されているうえに、年々魔法の力は衰えていて魔法使いに敬意を持つものも減ってきている。 魔法使いたちは、魔法管理会社に所属し、家の配管工事をしたり、もぐらを追い払ったり空飛ぶじゅうたんのりは移植用臓器を運搬したりといった仕事でなんとか糊口をしのいでいる・・・。

そんな傾きかけている魔法管理会社で代表が疾走し、代理社長となった16歳の孤児が主人公なんだけれど、このジェニファーがまっすぐで気持ちいい。

ドラゴンスレイヤーの車(装甲ロールス・ロイス)に広告を載せたり、不可侵なドラゴンの領域に不動産会社が触手を伸ばしたりと資本主義的な魔法の世界でおもしろい。

文章もライトで小気味いい。

魔術師たちと仕事をするのはゆでたスパゲティで編み物をするのに似ていて、何かができあがりそうだと思った瞬間に手のなかでバラバラにほどけてしまう。でも、ほんとうのところ、わたしはあまり気にしていなかった。

このアナロジーは好き。

魔法というのは、手っ取り早く呪文を唱えて力を解きはなてばききめがあらわれるというものではない。まず最初に問題をきちんと見きわめて、どの魔術を使えばいちばん効果的かをあらかじめ値踏みし、そのうえで呪文を唱えて力を解きはなつのだ。三人はまだ「問題を見きわめる」段階にいた。「見きわめ」の具体的な作業は、たいていの場合、上から下までじろじろ見まわして、お茶を飲み、話しあって、意見がぶつかって、また話しあって、お茶して、またじろじろ見まわす……というようなことだ。

この魔法観もなかなかいい。

魔法を説明しようとするのは、千年前の人が虹や稲妻を説明しようと試みるようなものだな。説明がつかなくて、ふしぎで、一見不可能に思えるものなんだから。今じゃ、虹も稲妻も科学の教科書の数式でほとんど説明できるけどね。魔法は、強い力、弱い力、電磁力、重力につづく第五の基本的な力だと考えられているけど、重力よりさらに謎が多い。

魔法は第5の力

「まったく人間ってやつは」モルトカッシオンがあきれたようにいった。「なんでもかんでも知りたがる。今持っているもので満足するということがない。それは身の破滅にもつながるんだが、おかしなことにそれがまた人間の愛すべき性質のひとつでもある」 「愛すべきところなんて、ほかにもあるんですか?」 「ああ。たくさんあるとも」 「たとえば?」モルトカッシオンは少し考えてからいった。 「たとえば十進法を使うところなんざ、かなりいかれている。十二進法のほうがずっとすぐれているのに。それから人間は技術力がすぐれている。ユーモアのセンスが鋭い。親指がある。体の構造が裏返しだ──」 「待って! 裏返しって?」 「だってそうだろう。ロブスターから見れば、哺乳動物ってやつはアルマジロ以外みな裏返しに見えるだろうよ。」

竜の超常的な知性もおもしろい

オクスフォードではバス一台に乗りこんでやってきたデンマーク人が拘留された。トランクいっぱいに瓶詰めのニシンを積んでいたので、デンマーク人だとばれたらしい。

謎のヨーロッパジョークがちりばめられている。

バーサーカーたちは煉瓦でなぐりあうのをやめて、気持ちを落ちつけるためにヨーヨーをしている。

自分もヨーヨーしてみようかな。

4巻あるうちのまだ2巻までしか邦訳されていないけれど、映像映えしそうだしヒットして邦訳も続かないかなあ。

映画感想「インサイドヘッド」

4歳の子が手足口病にかかりどこにもおでかけできないときにディズニー+に2ヵ月無料のキャンペーンで入ったので勢いで観た。

物語としては11歳の女の子ライリーの引っ越しによる生活の変化を描いているという単純な話の映画なんだけれど、大きな特徴として人間の5つの感情、ヨロコビ、ムカムカ、イカリ、ビビリそしてカナシミを擬人化してかれら*1をを主体に描いているという点でかなりユニークな作品だった。かれらが頭の中(インサイドヘッド)でそれぞれの思い出を大切にしながらライリーの生活に感情という側面で深くかかわっていく。

頭の中はコクピットのような司令部があり深層心理への越えられない谷底や、長期記憶の破棄、感情のよりどころになる大きな島があったりと独特。子どものころの空想の遊び相手や恐怖したピエロが長期記憶の片隅にいたりというのもおもしろい。

物語としては司令部にいたヨコロビがちょっとした拍子にカナシミとともに遠い深層心理のエリアへ迷い込んでしまい、なんとか戻ろうとするものの、喜びをつかさどるヨロコビのいないライリーの引っ越し後の生活はうまくいかなくなっていく。この、頭の中の世界観をつくって、乗り越えるべき試練として、脳内でヨロコビがいなくなりました、とする作劇は勝手すぎてすごいんだけれど、思春期の女の子のストレスという映像的に地味だが難しい問題をコミカルに楽しく描いていくことに成功していてすごい。

親視点では、それまでまわりとうまくやっていて親との関係も良好だったのが、引越しによる友人との離別や親の仕事がうまくいかないことなどで大きなストレスにさらされ変化していくのがつらすぎる。あと、父親の仕事も運転資金を気にし続けるスタートアップというのもつらさがある・・・。

(ヨロコビからみると)勝手に動いて大切にしていた思い出を台無しにするカナシミが、ネガティブな印象だったものが終盤、重要な役割をもつところもよい。

終盤では父親や母親やほかの人物の脳内のコクピットも描かれるんだけれど、まあまあ個性があった(父親の各感情はライリーとそっくりだけれど、母親はそうではないというのがちょっと気になった)。

*1:「かれら」とひらがなで表記するときは性別を問わないつもり

越前松島水族館の「磯の生物観察会」に4歳児と参加してきた

先日、福井県坂井市の松島水族館という、1959年にオープンしたまあまあ歴史のある海沿いの水族館に出かけてきました。

目当ては夏の間だけ開催している「磯の生物観察会」(2024年はもう終了)。 www.echizen-aquarium.com

海に入って生物をつかまえる磯遊びに憧れがありつつも、安全な場所も準備もあまりわかっていなかったので道具やシャワーを貸してくれるこの機会にと帰省ついでに妻と4才の子とお出かけ。

きっかけはTwitterでのわたすけさんのこのポスト*1

9時オープンで現地で申し込むしかないのですが、10時ごろにつくともう午前の部は予約いっぱいで13時半からの午後の部に申し込みました。

それまで時間を持て余すかと心配していましたが見どころはたくさんあって、イルカショーをみたり、ナマコやエイをさわったり、ペンギンをみたりうろうろして昼ご飯を食べていると時間もあっというまにすぎました。

360度対応イルカショー

水槽の上からエサをあげることもできました(100円)

屋外エリアが多いので暑いのだけは気を付ける必要があります。 また、再入場は原則できないので注意(ただし、磯の生物観察会に申し込んでいると例外的に車まで荷物を受け取りにはいけるという記述も)。

磯の生物観察会では、更衣室やコインロッカー(300円)もあり、マリンシューズ、ライフジャケット、軍手に加えて、シュノーケル、水中メガネか箱メガネ、生物をいれるプラスチックのケースを借りることができます。説明をうけてから入ります。ブイに囲まれたエリアでスタッフさんが海の外と中でみてくれていて安心。ほとんどの人はラッシュガードか長袖のTシャツを着ている様子。

このシーズンでは、オニオコゼが4回目撃されているそうでこれとハオコゼについて注意を受けました。

4歳児にとってはじめての海は足場も不安定で怖いようでなかなか入ってくれず、ほとんどの時間、海につきでた岩にどかっとすわってそこからヤドカリをつかまえたりしていました。

ダイビングのライセンスを持っていたこともある妻はすいすいと遠くに泳いでいって大きな魚をみたり、きれいな貝殻を拾ってきてくれて楽しそうでしたが、自分はメガネだったこともあり子につきあって胸まで海にはいる程度でしたがカニなんかをつかまえたり子とヤドカリを観察して楽しく過ごせました。なにより、外は暑いけれど海につかっているとひんやり気持ちいい。

磯の生物観察会。ほぼ子連れです

終了時に他のキッズがつかまえたものもみることができたのですがおおきなアメフラシや、シロウミウシ、イシダイやヒトデなどいろんなものをつかまえているのを眺めることができました。

生き物はスタッフさんにみてもらえます(持ち帰りはできません)

売店でかき氷(300円)とコーラ(170円)を買って、海のみえるテラスで休んでおしまい。 10時から16時まで遊べました(子のすききらいにより全部は回れていない)。

そんなこんなでおすすめ水族館です。

ちょうどペンギンの散歩に遭遇しました

夕食には、海鮮処三国港ですしを食べました(17時オープン)。回転寿司のような寿司屋で子連れでも安心。地の魚も多いし、子どもが食べられるものも多い。 takesyo.co.jp

近隣おすすめスポットでは、あわら温泉とかもあるし、三国サンセットビーチもきれいでよいです。近くにはゆあぽーとという日帰り温泉もあるしここまでは電車で来ることもありです。涼しい時期だと雄島を一周歩くのもおもしろいかも。

今度はふつうに砂浜で遊びたいけれど、妻とお酒を飲むには近くの民宿に泊まるのがよいのかな。海の近くに住みたい。

*1:TwitterのXへの強引な名称変更に納得いっていないので以前の呼び方を使い続けています

4歳児、手足口病にかかる

まとめ:夏休みにちょうど手足口病になって甘やかした話です。

保育園のお盆休みの期間を前に、妻と4歳の子と3人で隣県の実家まで帰った。 移動が疲れたようで、子は夕食中にうとうとし、そのまま寝かせたのだけれど、翌朝も珍しく元気がない。

不穏さを感じ体をみていると、熱はないものの肘に赤いぽつぽつができている。手のひらにも2-3個目立つものがあり、口の中には口内炎・・・。典型的な手足口病だった。実家には高齢者もいるし、これからもっと小さい子もやってくる予定だったので接触を避けるためにも3人でとんぼ帰ることに。 今回の帰省、もともとは妻は1泊だけで先に帰り、自分と子だけ3-4泊する予定だったけれど、こうして3人で帰ることになってこれはまあ楽しかった。

電車の中ではスパム卵焼おにぎりを半分食べたり、まあ食欲はあるようだったけれど元気がない。 熱はそう高くないので家でもテレビをみてゆっくり過ごす。

翌日、朝は目覚めてくるけれど、口の中が痛いのかまったくしゃべらない。ん、とか、んーとか言ったり指をさしたりで意思疎通をとる。バナナすら食べずにヨーグルトだけ食べる。お昼もあまり食べず、テレビを見続け、珍しく昼寝をする。プリンをほんとゆっくりと一口ずつ食べていじらしい。心配。ただ、お茶は飲めているしトイレもいけているし発熱はないので病院にいくほどではないかと静観する。

子が体調を崩すのは1年9ヵ月前に新型コロナにかかって以来。そのときはくたっとはしていたけれど食欲はあったので親も心配し甘やかすし、普段は、ちゃんと言葉で説明できるようにあえて察しを悪くしていたのを、言葉をしゃべることができないのもあって先回りしてしまう。普段は大好きな柑橘系のゼリーも沁みるようで一口しか手をつけない。

こんな状態が2日続く。テレビといっても、YoutubeでBabyBusという中国のアニメとパトカーポリーという韓国の教育アニメをよくみていたのだけれど、あまりのくだらなさに自分が音をあげてディズニー+をJCBカードの2ヵ月無料のキャンペーンで契約してみせようとするが、前にどこかでみたラプンツェルにもリトルマーメイドにもブルーイにもあまり関心がなさそうで結局BabyBusをみつづける。残念。

3日目、すこし元気になってきて短い言葉もしゃべるようになってきた。好きなヨーグルトを買っていいよ、というと、いっしょにスーパーに行きたがり熱心に選んでR1ブルーベリー味を選んだり、コロッケを買おうとしていた。この夜ごはんでは好き嫌いはあったもののコロッケとキュウリをむしゃむしゃ食べていて復活を感じる。

保育園のお盆休みも終わり、ちょうど今日から行けるかな、と思うものの、珍しく保育園に行き渋って少し困惑する。けれど朝ごはんにトーストとバナナをぺろりと食べて、自分がつくっているお弁当に、ごはんじゃなくておにぎりがいいとか注文をつけているうちに元気がでてきたようで保育園に連れて行く。

3日間甘やかしたことで、わがままのステージがひとつあがってしまったような気もしつつ、なんとか一山乗り越えたか、と思っていると、妻の手のひらに赤いぽちができて痛むとのこと・・・。さて。

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6時間もある大作ドキュメンタリー映画、「水俣曼荼羅」を観て行政の冷酷さを痛感

石牟礼道子さんの苦海浄土を読んだあと、ちょうど近所で水俣曼荼羅という映画の上映会があると知って観てきた。

6時間もあるし、参加費3,600円となかなかするので身構えて行ったけれど、映画もよかったし、監督のトークもあっておもしろかった。会場の大津公会堂はほぼ満席で老若男女7-80人ほどいて関心の高さもうかがえた。

aoibiwako.org

これは2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決の日から撮影を開始し20年かけてつくられているという作品で、「水俣はもう終わった」と言われたりもする現代でもまだまだ問題となっている水俣病とその患者、そして行政にフォーカスしている。これまで水俣病と認められてこなかった患者が水俣病に認定されるかどうかという法廷闘争がひとつの主軸として描かれ、これによって、国や県といった巨大な行政システムの、強力なことなかれ主義と責任の希薄化によって患者が放置される構造が伝わってきた。

たとえば、最高裁で原告を患者と認定するよう義務付けられたものの、そのほかの患者については認定申請を棄却し続けたり、病身を押して裁判しても患者に謝罪できない環境省や、高裁で県が負けた後、上告しないよう懇願されても事務的に上告する熊本県(その後最高裁で県が敗訴するが上告したプロセスについては反省がない)などなど・・・。水俣病と認定することによって救済策の見舞金が増えて行政の出費が増えることを最小限にしたいのだろうと思うのだけれど、そのために裁判で膨大なリソースを割いて、患者たちにも負担を強いているのは残念過ぎる。

認定基準について、蒲島郁夫知事は法定受託事務執行者で国が基準をつくり判断を仰がないといけないとか、一貫性が必要だと言って、国は(現場である)県が判断することと言って責任をお互いによせてあいまいにしてしまっている。比較的しがらみの少ないだろう、住民に選ばれた知事がこの残酷な判断を機械的に進めてしまうのはなんなんだろう。どういう圧力があるのかは気になった。(役人だと、先輩たちの判断の誤りを認めることは部族の風習として難しいから控訴する、と愚かな判断をしてしまうことはわからなくはないけれど)

また、冒頭の小池百合子都知事が環境大臣だったときに、裁判で国が負けた結果を受けて原告たちから謝罪を求められてなじられるシーンや、熊本県で潮谷義子知事や、蒲島郁夫知事が県の敗訴を受けて曖昧な対応をして原告から詰められるシーンが激情と行政のその場しのぎさ感がつらい。チッソがやらかしたことをすぐに認めなかった当時の担当者とは世代が違うなかで謝罪に追い込まれる役人もかわいそうではあるんだけれど、国や県は零細な住民には本当に冷たいと感じた。

その他のシーンでは、豊かだった海で小さい巻貝(コゼやビク)をとっていたことを回想するインタビューや、患者の脳を新幹線で輸送する場面、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが作詞し、音楽祭で優秀作品賞をとってシンガーソングライターの柏木敏治が歌にした「これが、わたしの人生」が印象的。すごいのでみんな聞いてください。

www.youtube.com

描かれなかったものとしては、水俣病当事者や関係者ではない市民の思いとかチッソのいまがある。お金欲しさのニセ患者だ、と騒いでいた人たちがどう思っているかは気になった。主題ではなかったのかな。

重く厳しい大作でした。ありがとうございました。

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(以下、映画から離れて考えたこと) これはあまり調べられていないんだけれど、医療が組織立って動けていないように感じた。裁判で水俣病認定の訴えを起こし、認められたというのは、認定審査会が誤った判断をしていたとなると思うんだけれど、なぜだったのだろう。

この映画でも浴野成生医師が従来の学説を曲げるためがんばっていたけれど、学会とかは働けていたのだろうか。

昨今の新型コロナではさまざまな学会や医者が奮闘していたけれど(ちょっと先走っていたり、変な人もいたけど)、それと比べると存在感がなかったように思う。最初に明らかにした、細川一医師や、細川医師から依頼を受けて、動員をかけて足を動かして患者のいる漁村の全住民リストを調査した熊本大医学部は偉かったけれど、その後の補償対応をするかどうかの判断が消極的に過ぎるような・・・。

支出を減らしたい行政におもねったようにもみえてしまうし、これが行政不信や、ワクチン不信につながって"国益"を損ねてしまっているかも、と思ったのでした。原告たちが訴訟せざるを得なかった国のことなかれ主義は、まわりまわってHPVワクチンを巡る集団訴訟を起こすことになったのではないか、と・・・

HPVワクチンの訴訟についてはこの8/7の鈴木エイトさんのTweetは本当に迫力があるのでみんな読んでください。

dai.hateblo.jp

苦海浄土(石牟礼道子)感想

ここは、奈落の底でござすばい、 墜ちてきてみろ、みんな。 墜ちてきるみゃ。 ひとりなりととんでみろ、ここまではとびきるみゃ。 ふん、正気どもが。 ペッと彼女は唾を吐く、天上へむけて。 なんとここはわたしひとりの奈落世界じゃ。 ああ、いまわたしは墜ちよるとばい、助けてくれい、だれか。

苦海浄土(石牟礼道子)を読みました。

水俣病を描いた有名な作品です。厳しさのある重いタイトルや、池澤夏樹編集の世界文学全集に日本から唯一選ばれていたりとハードルはあったのですが、それ以上にすさまじい本でした。水俣で育った主婦が、たまたまこの病気のことを知り、患者や患者家族を訪ねて歩いて話を聞き書きしたりまとめていった本。

水俣病は社会の教科書でも公害として学び、Wikipediaやなんやかで知っていたつもりではあったけれど全然だった。水俣という熊本の南はじの自治体のなかでも、漁民の問題として、国だけではなく地域でも抑圧されてきていることが本当につらい。

ただ、それでも、海と、海との暮らしの豊かさの描写はほんとうに美しいし、憧憬を感じてしまいます。

年に一度か二度、台風でもやって来ぬかぎり、波立つこともない小さな入江を囲んで、 湯堂部落がある。湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな舟や鰯籠などを浮かべていた。子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみたりして、遊ぶのだった。

漁村の光景の眩しさよ・・・

どのようにこまんか島でも、島の根つけに岩の中から清水の湧く割れ目の必ずある。そのような真水と、海のつよい潮のまじる所の岩に、うつくしかあをさの、春にさきがけて付く。磯の香りのなかでも、春の色濃くなった あをさが、岩の上で、潮の干いたあとの陽にあぶられる匂いは、ほんになつかしか。  そんな日なたくさいあをさを、ぱりぱり剝 いで、あをさの下についとる牡蠣を剝いで帰って、そのようなだしで、うすい醬油の、熱いおつゆば吸うてごらんよ。都の衆たちにゃとてもわからん栄華ばい。あをさの汁をふうふういうて、舌をやくごとすすらんことには春はこん。

磯の香りを感じる。

魚は舟の上で食うとがいちばん、うもうござす。  舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて、茶わんと皿といっちょずつ、味噌も醬油ものせてゆく。そしてあねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。  昔から、鯛は殿さまの食わす魚ちゅうが、われわれ漁師にゃ、ふだんの食いもんでござす。してみりゃ、われわれ漁師の舌は殿さま舌でござす。 (中略) まだ海に濁りの入らぬ、 梅雨 の前の夏のはじめには、食うて食うて(魚が餌を食う) 時を忘れて夜の明けることのある。  こりゃよんべはえらいエベスさまの、われわれが舟についとらしたわい。かかよい、エベスさまのお前に加勢さしたぞ、よか漁になった。さすがにおるもくたぶれた。だいぶ舟も沖に流された。さて、よか風の、ここらあたりで吹き起こってくれれば、一息に帆をあげて戻りつけるが。  すると、そういう朝にかぎって、あの油 凪ぎに逢うとでござす。  不知火海のベタ凪ぎに、油を流したように凪ぎ渡って、そよりとも風の出ん。そういうときは帆をあげて、一渡りにはしり渡って戻るちゅうわけにゃいかん。さあ、そういうときが焼酎ののみごろで。 (中略) かかよい、 飯炊け、おるが刺身とる。ちゅうわけで、かかは米とぐ海の水で。  沖のうつくしか潮で炊いた米の飯の、どげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな。そりゃ、うもうござすばい、ほんのり色のついて。かすかな潮の風味のして。  かかは飯たく、わしゃ魚ばこしらえる。わが釣った魚のうちから、いちばん気に入ったやつの鱗ばはいでふなばたの潮でちゃぷちゃぷ洗うて。

海水でご飯を炊くというの気になる。

しかし、水俣病の症状は激烈。すぐに死をもたらす劇症型もつらいが、永年症状と障害を残すものもつらい。

うちの部落で死んだ大将は、打ち殺しても死なんごたる荒しか男じゃったですが。十一月二日のデモのときは、その大将が一番のりして、会社の正門にかけのぼり、会社が開けんのを内側に飛びおりて開けた男でしたが。デモ隊が会社にはいれたのはあの篠原保がおかげでしたもん。それが、アウ、アウちいうて、モノもいいきらん赤子んごてなって、あの大将がころっと二週間ばかりでうっ死んだ。

子ども患者の描写はことさらに厳しい。

ひとりで何年も寝ころがされている子たちのまなざしは、どのように思惟的な眸よりもさらに透視的であり、十歳そこそこの生活感情の中で孤独、孤絶こそもっとも深く培われたのであり、だからこの子たちがバスに乗り、その貌が一途に家の外の空にむけてかがやくとしても不思議ではなかった。

うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。病むちゅうこたなかった。うちゃ、まえは手も足も、どこもかしこも、ぎんぎんしとったよ。  海の上はよかった。ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕いで働こうごたる。いまは、うちゃほんに情なか。月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね……。

水俣の言葉で語られる文章の迫力も。

「あきらめとる、あきらめとる。大学の先生方にも病院にもあきらめとる。  まいっちょ、自分の心にきけば、自分の心があきらめきらん。あんたなあ、ゆりに精根が無かならば、そんならうちは、いったいなんの親じゃろか。うちはやっぱり、人間の親じゃあろうかな」 「妙なことをいうな、さと」 「ゆりは水子でもなし、ぶどう子でもなし、うちが産んだ人間の子じゃった。生きとる途中でゆくえ不明のごつなった魂は、 どけ 行ったち思うな、とうちゃん」 「おれにわかろうかい、神さんにきいてくれい」 「神さんも当てにはならんばい。この世は神さんの創ってくれらした世の中ちゅうが、人間は神さんの創りものちゅうが、会社やユーキスイギンちゅうもんは、神さんの創りもんじゃあるめ。まさか神さんの心で創らしたものではあるめ」

水俣病にかかった人やその家族の描写はかなりつらいのだけれど、それにもまして、チッソの対応や、チッソ(当時は新日本窒素肥料株式会社)関係者が多い水俣においては、町の将来のためと罹患者への抑圧があったことも悲しい。

水俣病患者の百十一名と水俣市民四万五千とどちらが大事か、という言いまわしが野火のように拡がり、今や大合唱となりつつあった。なんとそれは市民たちにとって、この上ない思いつきであったことだろう。それこそがこの地域社会のクチコミというものだった。

もし自分の家族がかかったらどうしていただろう、とか自分がかかわっていたり街の主要な産業で被害を被った相手にどう振る舞えるだろうか、と考えてしまう。どうできていたらよかったのだろうか、と。

ひとつほっとしたのは、最初に水俣病を病態として発見し、調査や動物実験で原因を確信し、会社にも進言した新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一医師や、細川医師から依頼を受けて、動員をかけて足を動かして患者のいる漁村の全住民リストを調査した熊本大医学部など、専門家の職業倫理。

細川氏がその高潔迫力ある人格を貫き、卓越した調査研究を続行せられたことと、附属病院の本家である新日窒水俣工場がみせたあらゆる態度とは、そのあまりにも見事な対比は、今となっては、それぞれに古典的な意味さえ持つのである。

kindleで50%還元なのでみんな買いましょう(続編の「天の魚」も還元!)

ちょうど、滋賀で水俣曼荼羅という映画の上映会がある。372分・・・3,600円で悩む・・・。8/4の回をみようと思っているので、どなたか一緒にみるかたいれば昼食ごちそうするのでお声掛けください。

aoibiwako.org

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ(加藤陽子)』どうしたら戦争を避けられたのか。

歴史学者が中高生(栄光学園の歴史研究部)への5日間の講義をもとにした本。口語で書かれ、質問と応答もあって歴史の本としては独特なんだけれど、日清戦争から国際情勢と日本のトップの判断を描いている本書は示唆も多くたいへんにおもしろい。日本はなぜあんな無謀な戦争をしたのか、避けようはなかったのか、と思う人は得るものあるはず。あとプロが歴史や研究をどう扱っているかをちょっぴりうかがい知ることができます。広大な文献があり、まだまだ最新の研究成果が出ているのをどうキャッチアップしているかも気になる。

冒頭の、歴史を学ぶ意義について、E・H・カーの、歴史は教訓を与えており、人物や事象は次に起きる事件に影響を与えているというから歴史は科学だ、という論はすこし受け止めにくかったけれど、続いてのアーネスト・メイが「歴史の教訓」にて、政策決定者はしばしば歴史を誤用する、防ぐためにはもっと広く歴史を学ぶ必要がある(要約)と論じていたという話は興味深かった。例として、ベスト&ブライテストと評された優秀な人々が政策立案をしていたにもかかららず、泥沼のベトナム戦争に突き進んでしまったアメリカは、過去の狭い成功体験と、中国の共産化という失敗に強く影響されてしまっていたのではないか、という分析だった。

本書で特に印象に残ったのは、日中戦争時の中国の外交官、胡適の「日本切腹、中国介錯論」。これは、日中戦争がはじまる前の1935年に大戦の帰結を予想していた提案で、日本はアメリカの海軍増強やソビエトの第二次五か年計画が完成するまえに中国に攻めてくるだろうが、ここで逃げずに、沿岸諸州が占領されるも2-3年耐えることで、満州が手薄になってソ連がつけ入り、世界中が中国に同情し、英米も軍を派遣せざるを得なくなる、という予想で、結果としてはほぼぴったりだった。胡適はもと社会思想を専門とする学者で、蒋介石によって外交官に抜擢されたらしいけれど、ここまで長期的で重い選択を提示できていたのは、恐ろしい決断を根拠の薄い楽観さで軽々と選択してしまっていた日本と比較するとすさまじいものがある。

また、国際連盟を脱退するときの演説から過激なイメージのあった松岡洋右が、それ以前は慎重で、国際連盟に残るためにも強硬姿勢をやめるよう内田外相に手紙を書いていたというのは驚きだった。これ以外にも外交での読み合いなどもたいへんおもしろい。しかし、この相手国に納得してもらうのと、自国内の世論とのバランスは難しい。政治家はいい落としどころと思っていても、国民は妥協したと批判してしまう。特に、日清戦争の賠償の成功体験を持っているとつらい。国民的なアンラーニングが必要だったが、どうしようもない。

また海軍軍人だった水野廣徳(ひろのり)が1929年の「無産階級と国防問題」にて、現代の戦争は必ず持久戦・経済戦となるが、資源もなく、主要輸出品目が生活必需品ではない日本は経済戦には勝てないから独力で戦争をする資格はない、と書いていたものの弾圧されてしまっていたというのも厳しいものがある。耳に痛い言を弾圧したり、無視するのは昨今の政治でもあるような・・・。

本書を通し、日本が戦争に進んでいったことは多数の背景や政治家・軍人の読み違えもあって、回避ポイントもあるにはあるけれど、回避できたらどうだったかと思うと悩ましい。関東軍が力をもったまま放置するのもつらそう。ソ連の影響を恐れて朝鮮を支配下に起こうとしてしまったからではなあったけれど、どこかいい塩梅はあったのだろうか。陸軍の皇道派が力を持ってしまった背景としての、世界恐慌化での農村の経済事情悪化が国会にどう影響を与えていたかはもう少し気になる(満州への移民政策についての記述はたいへん興味深かった)。

とはいえ、現代においては、日本の太平洋戦争突入という複雑さと比べると(もちろん、責任は大いにある)、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルによるパレスチナの抑圧と虐殺には、トップや自己洗脳された国民による傲慢なナショナリズムという単純でだからこそ受け止めいにくいつらさを感じてしまう。アーネスト・メイのいう教訓はなにかあるんだろうか・・・。

「日本一の農業県はどこか」(2024, 山口亮子)感想文

さまざまなデータを鋭い切りくちで分析していたり、行政の人や農業者にインタビューしていて参考になるし地域差の事例もおもしろいし、主張に同意できるところも多い。自治体や農政への批判も真っ当。自給率の問題についてもわかりやすく解説している。

ただ、おもしろいんだけれど、2点大きな問題があってあまり好ましく感じなかった・・・。

1)需給の価格決定プロセスわかっていなさそう

近年は米価が上がるたびに、とくに外食事業者や、弁当や総菜などを作る昼食事業者を中心にコメの消費を減らしてきた。具体的には、ご飯の量を減らしたり、ご飯をパスタに置き換えたりした。結果としてコメの需要が減る速度は上がってしまった。年間8万トンのペースで減っているといわれていたのが、いまや年間10万トンになっている。米価を上げるための生産調整がコメの需要を減らし、価格を押し下げる。そんなねじれが起きている。

p142。供給を絞ったことで需要が減って価格が下がる、と書いているが、実際には、米価は不作による瞬間的な値上がりはあっても一貫して下がる傾向になっている。また生産調整をしていなかったら過剰生産のままでもっと価格は下がっていただろうが、それでよいのだろうか。

www.jacom.or.jp

もちろん生産調整など水田にかけているお金は多すぎるのは問題だけれど、どう減らしてソフトランディングさせるべきだったかというのは簡単には言えない。所有者・利用者の集約を狙っていたらもう少しよかったようにも思うけれど。

2)農地改革批判をそのまま受け止めている

安倍政権時に農水事務次官をつとめた奥原正明氏の「(GHQの)農地改革というのは、日本の農業を徹底的に弱いものにした元凶なんです」というのを無批判に受け止めているのは気になった(p186)。 本人の言ではないし、農水省の事務次官という権威に取材することができたあとで批判しにくいのもわかるんだけれど、ちょっと見過ごせなかった。

多数の小作農と地主のままだったら農業は強くなっていたのだろうか?お金と影響力のある地主勢力が維持されていたら19世紀イギリスの植民地経営者たちのレントシーキングのような堕落もありえるのではないか、していたのではないか、とも思う。 収奪され続けていた小作人が社会不安をもたらして軍(皇道派)を後押しし、戦争につながった大きな遠因のひとつだと思っています。

その後、労働力需要が増して、機械化や農薬など労働節約技術が普及していくことも農地改革時点では想像できなかっただろうし。

ちなみに農地改革については成蹊大の川越俊彦先生のこの論文が数字や効果を推測していて参考になります。

戦後日本の農地改革―その経済的評価― HERMES-IR : Research & Education Resources

結論の、自作農への転換によっても、生産性自体はあがらなかったということは意外でした(社会的意義はさておき)。

まとめ

と、2点批判をしてしまったけれど、フットワーク軽く現場を取材したり、データを分析していく姿勢はとてもよいし勉強になる本でした。 農業初心者にはおすすめ。

今後の期待として、農業委員会がちゃんとワークしているかとか(実際、ヤミ小作はよく聞きます)、市場関連とか切り込んでもらえるとまたご著書を買います!

沖縄の路上園芸散歩

路上園芸という言葉がある。村田あやこさんという方が町のなかの緑のよさに着目してはじめた分野だ。氏の著書、たのしい路上園芸観察(2020)によると、「住人によって路上で営まれる園芸」と「人の手を離れ、路上が営む園芸」の2つがあるという。

RubyKaigi というプログラミング言語Rubyのカンファレンスで5月中旬に沖縄を訪れた際、自分の住んでいる関西よりも活力のある南国の路上園芸に接することができたのでいくつか紹介してみます。断り書きのないものは那覇で、路上に限らず、建屋内でのものもよかったのでいくつか取り上げます。

dai.hateblo.jp

竜宮通り まず繁華街の竜宮通りをみても緑が多い。

この金属製の容器はなんなのかわからないけれどかっこいい。エアコンの配管がシャッターをやぶっているのもクール。

繁華街の裏。みっしり鉢が集まっている。

高さに限りがあるところにも。隙間があれば緑。

プランターを破っても自立し続けている。

伸びすぎてアーチになっているかと思いきや支柱は道路の真ん中まで伸びている。自由。

反対からみてみると反対側の家も対抗してか大きな木が育っていることがわかる。

交差点の角も緑。さわやか。

つる性の植物に覆われている。ポスターはわりあい新しそう。

いしじゃゆんたく市場の隣 金武町のいしじゃゆんたく市場の隣のお店?園芸屋ではなさそう・・・

いじじゃゆんたく市場はこちらご参照ください。自分にとっては憧れの地だったけれど、同行者大人3名こども3名はまったく関心がなさそうだったし、うちの3歳児はトイレがいつもと違いすぎることに衝撃を受けていました。 dailyportalz.jp

ハリーズカフェ 浦添市 浦添市のハリーズカフェ。スープカレー美味しかったし窓越しの緑もさわやかでよかった。

通りをみると、道にもベランダにも緑。

いい感じの飲み屋が連なる栄町市場(これは2023/7撮影)

種類とプランターをそろえると秩序感がでる(これも2023/7撮影)

屋上に緑があるところも多い。ここは廃墟のようだけれど屋上の防水シートどうなっているんだろう・・・。メンテナンス不可能な気がするんですが。

モダンなおうちもちらほら。これはつる植物を這わせる設計になっていてかっこいい。

小さい花鉢が並んでいることによって影もおもしろい。

久茂地川から望むホテルサンパレス球陽館 久茂地川から望むホテルサンパレス球陽館。この植栽の豊かさはすごい。川沿いも気持ちよい。

屋上の緑地、憧れです。

モノレールからは屋上にプランターをしきつめているおうちも。楽しそう。

そんな感じで沖縄は路上の緑も豊かで散歩が楽しいところでした。もうちょっと樹種がわかるとより楽しめそう。また行きます。

(追記)あとで思い出したんだけれど、以前に読んだベトナム建築行脚でも、南国で緑が建物に不可分に彩られていたのを思い出した。ベトナム路上園芸は奥が深そう。

RubyKaigi 2024 参加してきた日記

3行まとめ

  • RubyKaigi というプログラミング言語についてのカンファレンスに参加してきた
  • 難しいテーマが多かったが、セッションで言語開発に学び、ハッカーの生態に触れることができた
  • Ruby 最高、Ruby の未来は明るい。貢献したい

RubyKaigi とkaigiに参加した経緯

Ruby という日本人がつくって世界中で使われているオープンソースなプログラミング言語があり、RubyKaigi というカンファレンスというかお祭りめいたイベントが毎年開催されています。

Ruby は日本だと食べログや CookPad、Timee など大きな会社でもメインの言語として使われているし、GitHub やShopify といった巨大なサービスもつかわれているので多くの人々が知らず知らず恩恵を受けているはず。

自分も仕事では Ruby をたくさん使っているし、好きな言語ではあるのですが、この RubyKaigi では Ruby でなにかやっているというよりは、Ruby 自体を開発している人が多数発表しており、難しい内容が多い。また、率直にいってすぐ仕事に役立つわけではないためこれまでは参加を躊躇していました。あと、公用語が日本語(日本語の発表もあるけれど、スライドは英語、同時通訳あり)というのも少しハードルです。

例えばセッション一覧はこんな感じ。

Schedule - RubyKaigi 2024

RubyKaigiは年々規模が大きくなり、最近では1000人以上で3日間3トラックやるという大がかりなものとなっており、会場確保の都合と楽しんで参加するために京都、広島、仙台などと開催しているそう。

esa-pages.io

そして、この2024年は沖縄開催でした。平日3日間仕事を止めることにためらいもあったのですが、家庭カレンダーにRubyKaigi@沖縄とだけ入れておいたのを妻がみて、沖縄行こうよ、と背中を押してもらい今回参加してきました。自分が最初に荷物を妻の巨大なスーツケースに積めて持っていき、会期最終日に妻が3歳の子を連れて飛行機に乗ってきて合流し週末遊ぶという旅程でした。

RubyKaigi 各セッション

難しいセッションが多く、理解度どれくらいかを数字に出すのも難しい。ただ、Ruby の開発にかかわるみなさまをみていると、Ruby の未来はマジで明るいし、参加者に若く意欲的な方々も多く、今もナイスな Ruby はこれからもっとよくなることを確信できる会でした。特に印象に残ったセッションの一行感想

  • キーノート Writing Weird Code (@tompng)
    • 圧巻だった・・・
    • トリックのようなコード、パズル的だったり遊びな先入観があったけれど、言語機能の限界を突き詰めるものだと知った・・・。
    • https://github.com/tompng/selftrick2024
  • The grand strategy of Ruby Parser (@spikeolaf)
    • パーサとパーサジェネレータの変遷の話。LSPがそろうと開発しやすくなって便利だろうと思っていたけれど裏側はたいへん・・・
  • Namespace, What and Why (@tagomoris)
    • 複数バージョンのRubyã‚„Gemを使うための名前空間
    • 素朴なユースケースでは古いバージョンのRubyでしか動かないGemをどうにかして動かしたい場合に使えそうな気がしたけれど、テストとかによいのかなあ。
    • これまでブログやTwitterでおみかけして参考になる記事を多数書かれていた方
    • サイクルメットなアイコン画像から精悍なアスリートをイメージしていたけれど、気さくでな印象でした
  • An adventure of Happy Eyeballs (Misaki Shioi)
    • Socketの名前解決の仕組みがちょっと古かったのを EFC8305 で定義された Happy Eyeballs Version 2 に置き換えていく開発プロセスの紹介。
    • やや複雑な仕様を、状態遷移を明確にすることでコードを書いていくというプロセスがたいへんおもしろく、学びがあった
  • Leveraging Falcon and Rails for Real-Time Interactivity (Samuel Williams)
    • Falcon気になる
  • RuboCop: LSP and Prism(Koichi ITO)
    • みんな愛憎をもっているだろうRuboCopの話
  • Embedding it into Ruby code (Soutaro Matsumoto)
    • 型、どうなるんでしょう。安全さというよりはエディタの支援を得られるメリットのほうが大きそうな印象ではあるが・・・
  • Using Ruby in the browser is wonderful.(Shigeru Nakajima)
    • WASMでブラウザ操作。なにができるか考えるとわくわくする
    • ギャバンアイコンでTwitterやはてなブックマークなどされている方で、宇宙刑事な先入観があったけれど誠実ながら遊び心がありそうな方でした

カンファレンスという場について

まだまだ続くコロナ禍を経験して、オンラインでもいろいろできることがわかってきていても、やっぱり同じ場所に集まるということは価値がある。身体性があることでやりとりできる情報量も多いし、偶発的な出会いも多い。

かつて一緒に働いた方、インターネットフレンズ、インターネットでおみかけしていた方とお話ししたり、懇親会で隣にいた方に技術的なお悩みディスカッションできたり、会社で利用しているサービスの開発者の方にお話をできたりたいへん有意義だった。勉強になった本を書いてくれた方もいてすごい。

大学2回生で授業を一週間休んできた大学生や、10代の高専生と若い人もいれば、若くしていけてるサービスをつくっている方々も。アイデアと意欲がわく時間だった。スタッフのみなさま、スポンサーのみなさま、登壇者のみなさますばらしい会をありがとうございました。

あと那覇というあまりなじみのない街に4泊してうろうろできたことも楽しい。 RubyKaigi とは関係ないけれど、子が生まれて病院から家にやってきてから、2日以上子と離れて1人で過ごすのは初めてだった。夜が長い・・・!家にビデオチャットで話したら、早く帰ってきて・・・とめそめそしていてかわいそうでした。

来年

次回は愛媛県松山! 2025/4/16-18。どうしよっかな~。もうちょっと悩んでおきます。

沖縄の鯉のぼりは横に並びがち

鯉のぼりというと、空に向かって伸ばした竿に、上から大きい順に並んでいるイメージがある。今年、うちの子が保育園で画用紙を切ってつくった鯉のぼりもそうだったし、Google画像検索でもだいたいそう。世の中には、川にロープを渡してたくさん並べて「映え」を狙ったものもあるように、必ず縦でないといけないわけではないけれど、縦が標準という先入観があった。

しかし、先日、RubyKaigi というプログラミング関連のカンファレンスで那覇を訪れてうろうろしていると、街中には京都や滋賀よりも鯉のぼりがたくさんあるし、ほとんどが横並びだったことに気付いた。沖縄在住20年長の義妹によると、たしかに鯉のぼりは本土よりも盛んかもとのことだったけれど、横並びの理由はよくわからないそう。

ちなみに、沖縄タイムスにも「こいのぼり」というサブカテゴリーがあり、今年だけで沖縄地域の16本もの記事がある。京都新聞でも10何本かは記事があるけれど埼玉や宮城や能登など全国が対象で密度が違う。

「こいのぼり」の記事一覧 | 沖縄タイムス+プラス

背景はさておき、まぶしい日差しのなかの鯉のぼりはすがすがしいものがあったのでいくつか紹介してみる。

マンションのすきま。日よけを吊っているところだと鯉のぼりも設置しやすいのかも。

変哲のないアパートの裏口のようなところにも。ちなみにこの近くにあったパーラー菊江のタコスそばが美味しかった。

保育園の軒先もカラフル

大きな公園ではたくさん。

縦向きある。立派だ。

商店街にも

のうれんプラザの中の通りは手作り感。これは横に吊るしつつ、水平方向を向いていて珍しい気もする。

アパートからもあえて横向きに吊っていそう。

こうしてみると、横向きに吊るすことで風がない場合でも重ならないでいて見目も美しく、鯉が天を向くことで登っていくぞ感があって縁起もいい気がしました。オチ無し。

沖縄(那覇)に行ってきた(2023年7月)

去年の7月なので時間がたっているのだけれど、5月15日から沖縄で開催される RubyKaigi というプログラミング言語 Ruby のカンファレンスに参加するにあたり、前回はどんな旅行だったかと振り返ってみる。

rubykaigi.org

村上春樹は「ラオスにいったい何があるというんですか?」のあとがきで「旅行記ばかりは旅行の直後に気合いを入れて書かないと、なかなか生き生きと書けない」と書いていましたが、沖縄の3日間はなかなか密度が高くて楽しかったのでまだ書けるのでは、と書き始めてみる。といっても写真メインです。

沖縄に行った理由は、子どもが3歳になる前で飛行機に無料で乗ることができるからというせこい考えと、うちの子の1歳上の従姉が住んでいてお互いに会いたがっていたというのがあります。

金曜の夜に到着してホテル。しょうもない居酒屋で夕食をとらざるを得なかったけれど、自分が子をホテルで寝かしつけているあいだに妻が近所で飲んできてお土産にテイクアウトしてきた13trece というお店のホットドッグは、これまでの人生で一番ワルイ味がしました。あとで聞くとこの界隈はまあまあやんちゃなエリアだそうですが観光客にはわかりにくい。

昼は沖縄そばも食べられるらしいのでまた近くにいったら行ってみたい。

宿泊にはゆいれーるでアクセスしやすくキッズを遊ばせるのにプールがあるところを選んだけれどプールサイドで飲み物のめて便利。海外からの旅行者がにぎわっていて国際感あります。

7月で、本土よりも日差しが強くて昼間に歩くのは痛いほどだけれど風は通るし暑さはそこまでつらくはなかった。そして南国の街並みがたのしすぎる。

巨大なイセエビがいたり。

かっこいいシーサーがそこかしこにいたり。

落書きもたくさんだったけれど・・・

朝ごはんは牧志公設市場。ここは、1Fに多数並んでいる魚売り場で魚を選んで調理法を伝えると2Fのフードコートみたいなところで食べることができる場所です。定番観光地だけれど、やっぱり市場は楽しいしなかなかみない南国の鮮やかな魚を食べることができてよい。捌いてすぐが一番おいしい魚なのかどうかはわからないけれどグルカンおいしかった。

魅力的な路地がたくさん

お昼には沖縄在住者イチ推し沖縄そば。まずはオーソドックスなものを食べたけれど冷やしトロロ納豆そばを食べるべきだったかと後悔しています。でも車じゃないといけない。

あまりいい写真はないのだけれど、友人の直売所めぐり大好きガールから教えてもらったハッピーモア市場という直売所に行きました。車がないと行きにくいけれどほんとおすすめ。ここで買ったマンゴー(かなり小さいやつ)はめちゃうまでした。6-9月が旬とのことで5月はまだ早いかなあ。キッチンのあるホテルにとまってこういうところで買ったものを調理して食べるのも楽しそう。

やっぱり路地歩きが楽しい・・・

気になる喫茶店

そして目当てのひとつ、栄町市場。妻が以前行ってよかった沖縄料理店があったからとやってきたんですがその周囲にこれだけいい飲み屋街が広がっていることを妻も知らなかったようでした。でも、那覇の医療従事者に聞くと、救急で栄町市場からは酔っ払いばかり来るので嫌がられているそうですが・・・。

せまい路地に椅子をだして飲んでいたり

なんか明るいうちから賑わっていたり

いい感じのお店が多い

行った沖縄料理屋は表とは違ってゆったりとした雰囲気でおいしい古酒をおいしい沖縄料理と食べることができました。2歳児も食べられるものがいくつかあった。子連れでの旅先の夕食はアラカルトで注文できる居酒屋が便利。

夜風も気持ちいい。

最終日、車で飛行機近くの瀬長島までいって、浜でキッズがシャボン玉を吹かせたりして遊んで空港のA&Wでハンバーガーを食べて昼頃の飛行機で帰ったのでした。瀬長島がリゾートとして開発されつつあることには複雑な思いもあります。

子連れでせわしなかったけれど、沖縄楽しい場所でした。また行って路地をうろうろ歩きたい。

おまけ

これまでの沖縄経験は、大学院生のときに、石垣島でウミガメ研究で長期滞在していた同期を見物しにいったり、妻と結婚する前に沖縄在住の妻の妹夫婦に挨拶に行ってついでに阿嘉島にいって民宿に泊まったりした程度。島キチの妻は学生時代一か月くらい滞在していろいろうろうろしていたそうですが。 あとは佐野眞一の「沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史」を読んでなんともいえない思いをもったくらい。

ついでに行きたいけれどなかなか行けない場所を共有しておきます。やはり車を借りないといけない・・・。

  • いしじゃゆんたく市場
  • 辺野古
    • 基地の工事とか規模感とか、街とどうつながっているのかとかみたい
    • 基地や米兵の犯罪とか負担を沖縄に押し付けていることに罪悪感を持ちつつも、中国も軍事力を高めているなかでどうあるべきかはわからない・・・(環境や司法の不平等などに十分配慮された状態で雇用を生み出せるならありなんじゃないか・・・とは思うけれど、場所の選択肢の妥当性や議論はわかっていません)
  • 沖縄愛楽園
  • 本と商い ある日、
    • ネットでみかけて気になっている本屋さん
  • 宗像発酵研究所 | 宗像堂

    • ネットで気になったパン屋さんのやっている謎施設
  • 那覇市東町なかのや

    • 沖縄の魚をつかった江戸前寿司気になりすぎる。妻と一緒に行きたいがタイミング・・・

長期滞在してうろうろしたい。 そんなこんなで来週のRubyKaigiが楽しみになってきました。今回はRubyKaigi会期中は一人で牧志あたりに泊まっているのでお気軽にお声掛けください。最近は Ruby on Rails で在庫管理システムとか販売管理システムをつくっています。

「大災害の時代」(五百旗頭真) 次の災害に備える

先日お亡くなりになった、防衛大学長や東日本大震災の復興構想会議の議長を務められた五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんの著書。 神戸大教授だったころに阪神・淡路大震災で被災し、ゼミ生を喪うなどした経験がある。

大きく分けて、関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災と3つの大災害について、被害状況や応急対応、その後の復興について概観できて、災害大国日本にいる身としてはたいへん有用だった。知らないこともたくさんあった。

特に印象深いのはこの3つ
1.復興で焼け太りすることへの批判として、被災前まで復旧させることにお金は出すが、平等の観点からプラスアルファの復興は自分のお金を出すように、との考えがあったこと。また、阪神から3年目に議員立法された被災者生活再建支援法で生活再建に300万円まで提供できるとなったということ。これ能登半島震災でもスムーズに使われているのだろうか。

2.阪神・淡路大震災では自社さ連立政権で自衛隊派遣が遅れたとの問題がいわれていたけれど、実際には情報伝達が遅いなかで各者かなりベストに近い対応をしていたのではないか、とのこと。当日午後以降の復興へのコミットはかなりよかったように思える。

3.警察や消防、自衛隊のちからはほんとすごい。特に阪神大震災では警察による救命が驚くほど多かったこと。すごい。

危機における政治と行政機構のリーダーシップの重要さを感じるけれど、今の、人件費削減で派遣が増えた行政や、裏金スルーな政治家にまかせられるのかどうかは少し不安ではある。ひるがえってみると、今の能登半島地震への対応は、報道やSNSでいち側面しかみえていないけれどうまく進んでいなさそうで心配。現場・後方で尽力されている方に感謝しつつも、五百旗頭さんがいたらどう評していただろうかとは気になる。

どの災害も時代や場所、タイミングによってユニークな災害になっている。次の首都直下や南海トラフ、あるいは京都の花折断層ではどうなるだろうか・・・

いかたけさんのこのブログで読んで気になったのでした。ご紹介ありがとうございました!

ikatake.hateblo.jp