文学フリマ東京39、そろそろ帰ろうかなというところで、試し読みエリアで見かけた「本屋に行かない」という表紙を思い出す。本屋。行かない人もそりゃたくさんいるだろう、この時代、というところだが文フリともなるとなんとなく出店側の方々はみんな本屋に入り浸っていそうな先入観がある。行かない人もそりゃいるのか。文フリで本を出していても。いや、文フリだからあえてこの話題か?
気になったが、どのブースの何というZINEだったか何も覚えていない。ものは試しでX (Twitter)にログインして、「本屋 行かない 文フリ」とかでざっくり検索すると、運が良いことに見つかった*1。『away ぷち増補版』。向かう。買う。終盤で疲れていたので、他の本に目もくれず、それだけを買ってしまった。いろいろ読んでみればよかったなと今思う。
ということで、本屋に行かない人が書いた本を読む。
私は本屋に行かない。しかし読書が嫌いなわけでもない。それは、本屋に行かなくても本が買えてしまうからだ。
帰りのゆりかもめで早速広げると、冒頭にそう書かれていた。購入するという目的だけに照らすと、本屋に行くのは今時非効率なのはわかる。自分も通販でばかり買っていた頃もあった。ただ、一方でこの著者は本屋自体の面白さも感じてはいるそうだ。だから本屋探訪の本を出してもいる。このZINEには、本屋を巡る著者の様々な感情や考えが発露していて新鮮だった。
本屋に行く行かないという軸を、あまり気にしたことがなかった。いつからかはわからないが、自分はよく本屋に行く。新宿を経由して通勤していた頃は、週に1回は西口のブックファーストに寄っていた。出かけた先の近くに本屋があればまぁ寄る。先々月の京都旅行でも、わざわざ大垣書店に寄っていたぐらいには、寄る。ついでにコンビニへ寄るぐらいの感覚に近い。
本を買うためではなくて、眺めるために寄る。知らないものに出会いたいのだと思う。だからチェーン店でもいいのだが、書店員のセレクトが並んだ棚があるとなお良い。最近流行った記憶もないけど、なぜかポーランド文学が面陳でポップ作られててすごいプッシュされてる、みたいな。独立系書店であれば、当然ながらその傾向は強まる。そして最たるものが文フリなのだと思う。このZINEのなかで、文フリは「小さな本屋の集合体」だと表現されていた。本当にそう思う。
今回から文フリは東京ビッグサイトでの開催になった。昔は冬コミに行っていて、12月のビッグサイトはそれ以来、何年ぶりになるかわからないが、国際展示場駅の地下から上がってきて、駅を出た瞬間にカッと広がる青空を見たとき、懐かしい高揚感が蘇ってきた気がした。12月の澄んだ空気、海沿い、有明の広々とした空間を、まっすぐビッグサイトに向かう列。買い物をするというよりは、知らないものに出会える高揚感。
とはいえ、いまだに入りづらいと感じる書店もあるし、文フリでブースに立ち寄るときには少しの勇気を必要とする。このZINEでも「敷居が高い独立系書店」で特集が組まれている。特に個人経営の書店やイベントのブースというのは、「店に寄る」というよりは、個人間の対話に近いものにも思っている。あれは知らない人との、本を間に挟んでの会話なのだ。だからあまり詳しくない分野のZINEを、ちょっと気になった、ぐらいで買うときには、会話のネタがないのでそそくさと立ち去ってしまうこともあるのだが、そこで開き直って話してみれば、さらに世界が開けることもあるのは知っている。
最近、トーハンが小型書店向けの少額取次サービス『HONYAL』を始めて話題になったが、そういう方向性、本との接点が小さく広く分散していくというのは、自分はありなような気がしている。本が特別な存在じゃなくなるといい。文フリで見られるように、ZINEが気軽に作られたらいい。テクストが紙に残され、それが書店やイベントに置かれ、誰かが手に取るという循環が好きだ。
なんだかとりとめがなくなったが、今回も文フリには行ってよかったな、と、このZINEを読んでいても思う。これもまた、知らないことに出会えるZINEだった。
*1:しかし、今検索しても見つからない。なぜだ。