せっせと撮った写真が多すぎて、しかもiPhoneの独自のファイル形式は、開くのに時間がかかるわ、そのままアップロードできないわで、めんどくさいことこの上ない。で、ついつい後回しになっています。もっとデジカメ主体で撮っておくべきだったか。(;´Д`) なんとか年度内には最後まで行きつきたいものです。
さて、プラハ7日目は、朝からユダヤ人地区を回りました。ぐぐっと寒くなり、しかもけっこうな雨… 以前にこの地区を歩いたときも雨だったような記憶が…
って言っても、ユダヤ人地区はプラハの中心部にあって何度も歩いている場所なので、雨の日の記憶が印象に残っているだけでしょうけど。
でもなんとなく、他のところよりも雨が似合うと言えないこともないかも?
さて、今回はプラハ初めての上息子(ウエムス)が一緒なので、入れるところには全部入ることにしました。2016年にシタムス(当時9歳)を連れてプラハに来たときは大行列ができていてあきらめ、2019年は他の行事を回るのにいっぱいいっぱいで、私もひさしぶりです。
まずは、ピンカスシナゴーグ。ここはユダヤ博物館になっています。壁には、ホロコーストの犠牲になった7万数千人にものぼる人々の名前がぎっしり記されています。
2002年にブルタヴァ川が氾濫してプラハの中心部が浸水したときのあとが記されていました。指さししているのはウエムスです。さほど背は高くないですが、それでも成人男性の肩のあたりまで水が達したとは!
このときはプラハの動物園の動物たちも流されるなど甚大な被害に遭っていました。たしか図書館の貴重な資料も水に浸かったのだったか。
こうして印があると、そうだ洪水ひどかったんだと思い出せたり、知らなかった人も新たに知ったりできるので大事ですね(関連記事を文末に)。
◇
階上には、ホロコーストで
テレジーン収容所に連れて行かれた子どもたちが描いた絵も展示されています。
テレジーンには今回の旅でようやく行くことができましたが、絵の展示は、1998年に夫氏とプラハに来たときに見ています。その頃は、まだ観光客も少なくて、他に誰もいないなかで見たように記憶しています。
以上はごくごく一部です。テレジーンの子どもたちの絵に関する本を関西ウーマンのブックレビューで紹介しています。ぜひお読みください。
そして、館外には墓地があります。ここはプラハの観光案内でもたいてい取り上げられるところ。古いお墓がみっしりと密集していて、それがまっすぐとは限らず、もたれかかったりしているのが、なんだか人間味がある?というか。
誤解を恐れずに言えば、エモいというか、映えるというか、絵になるというか、すべての角度から見て回って、ずーっといて、見続けたくなります。
偉人たちの眠るヴィシェフラド墓地とはまた別種の吸引力のある場所ですね。
墓地からシナゴーグを見るの図。
ぐるっと回っていると、地下の部屋で、何人もの人が、補修?のような作業をされているのが見えました。ユダヤ人地区の文化財を調査したり補修されたりしているのでしょうか。わかりませんが、その光景も印象的でした。
つづく。
ポーランドのユダヤ人墓地見学記:
プラハの洪水に関するページ:
京都大学防災研究所のレポート「2002年夏のヨーロッパの水害」
洪水被害のプラハを物見遊山で楽しむ観光客の記事 (-_-;)