10月下旬、地元の生協主催の福島スタディツアーに行ってきました。週末1泊2日で、震災と原発事故の被害が大きかった地域をバスで回るというものです。
東日本大震災に関しては、同志社の特殊講義(「負の遺産」と政治、記憶と継承の政治学)で関連の論文を読んだり、受講生さんたちの現地見学・ボランティア報告などを聞いたりしてきましたが、私自身はこれまでまったく行けていませんでした。
ある日、生協の配布物を見ていたら、スタディツアー参加者募集のお知らせがありました。滋賀は災害時の支援パートナーが福島県ということもあるのでしょうか、震災発生からずっと様々な形で協力や交流を続けてきたそうで、その一環としての催しです。そのため、ほとんどの費用を生協の事業として負担してくれるので、びっくりするような代金です。
土曜の早朝集合、日曜夜帰宅というハードスケジュール。月曜にも授業があるのでキツイかなあと思いましたが、なんと幸運にも直前の金曜の授業は大学行事の関係でお休み! 木曜日は授業がない日なので備えられる! もう行かねばならぬです。
やはり東日本大震災の跡を見ておきたいと言っていたウエムス(大4)と参加しました。
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10月26日土曜日の朝早く、京都駅の新幹線改札口で集合し、まずは東京へ。持っていった新書を読んで、浜名湖と富士山を見逃すまいとソワソワしていたら東京まではあっという間。
すぐさま特急ひたちに乗り換えます。
車内でお弁当をいただきました。よくある感じのお弁当ですが、これがおいしかった! このあとの食事にも俄然期待できそう!
いわき駅に着きました。
駅前で専用のバスに乗り込み、さっそく被災地に向かいます。このあとは、福島の生協の方がお2人添乗され、ていねいな案内をしてくださいました。銘菓ままどおるもいただきました。事前にお土産を調べていて、買おうと思っていたお菓子だったので、味見できて嬉しい~
まずは、富岡町の夜ノ森桜並木に向かいました。コープしがの本部には、この並木の桜の苗木が植樹されています(と事前説明会のときにチラッと聞いたのに、見損ねてしまいました…)。
駅への大通りでありながら、ほとんど人通りや車の行き来がなく、道の真ん中に堂々と立って写真が撮れてしまいます。
かつてゆったりとした建物があったであろう広い空き地には、草がぼうぼうに茂っています。
別の元店舗の前には、除染土か何かが入っているのであろうフレコンバックが積まれていました。
それでいて、その周囲には工事関係かなにかの会社のプレハブや事務所がいくつも並んでいて、古くなさそうな車がたくさん駐車していました。でも活気はまったくありません。
13年経ってこれか…と釈然としない気持ちになりました。
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バスに乗り込み、北上します。途中も、車の往来や人気(ひとけ)はほとんどありません。
白い建物は、放射性廃棄物のかさを減らすための処理場だと伺いました。
立ち入り禁止の柵がそこここにありました。
所有者でさえ自由に戻ってこられない区域の家々は、きれいなままのものもあれば、朽ちつつあるものもありました。車窓から一瞬見るだけでも、日常がある日突然断たれたということがわかる風景でした。
バス車内で、数人に一台、ガイガーカウンター(放射線測定器、線量計)を貸していただきました。走っていると、数値がものすごく高くなるところがありました。もちろん体感ではなにもわかりません。しかし、バスのなかであろうが放射線には関係ないのだということをあらためて実感しました。
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ふたつめの見学先、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館では、やや駆け足ながら、津波の被害の強さをまざまざと見せつける現物や、更地になった周囲の状況を見ることができました。
はじめに導入シアターで映像を見ました。ナレーションは、先ごろ亡くなられた福島出身の西田敏行さんでした。
そのあと、スロープで上がっていきます。壁には、関連年表が。チェルノブイリ原発事故については、ウクライナ語での呼び方である「チョルノービリ」を先に記載してありました。
事故前後の地域と原発の関係を示す展示です。「原子力の利用」という言葉を習字で書いているのですね。ポジティブに捉えられていたことがわかります。
左下のカバンには、「アトムふくしま」の文字が入っています。原子力に関する標語も入っているそうです。自治体かどこかから子どもたちに配布されたものなのでしょうか。津波にさらわれ、伝承館が建つ前の泥の下に埋もれていたものだそうです。
右下は、「原子力を考える日」という体験学習の感想文だそう。原発のおかげで出稼ぎの必要がなくなり、豊かになったという文章を書く子もいたそうです。
津波にさらわれた道路標識やポスト。
人がいなくなって、野生動物に食い荒らされた人家のふすまや缶詰。動物って、缶詰に食べ物があるかもと予想がつくのですね!?
市民ボランティアによる放射線量の測定記録。奥の黄色いのは、ウクライナから届いた線量計だそうです。
ウクライナからは、子どもたちの励ましの手紙も届きました。
このほかにも、対策本部の様子や、避難の様子が生々しく伝わる現物の展示などもありました。
◇1階には、近くの請戸小学校で使われていたグランドピアノが置いてありました。
請戸小学校は1階が津波に破壊されたのですが、2階の音楽室にあったこのピアノは少し浸水したものの、その後も使われていたそうです。請戸小学校が震災遺構として整備されて公開されるにあたって、ピアノはこちらが借り受けて展示しているそう。
請戸小学校の遺構は、このあと見学しました。次で記事にします。
◇お隣の双葉町産業交流センターの屋上展望台から伝承館を見た図。
建物の端に見える赤い物体は、津波で破壊された消防車です。こんな力が働くのですね…!
ツアーに先立って、新聞報道で、伝承館付近が公園に整備されるに伴って、いまだ引き取り手が現れない墓石が処分されると知り、痕跡が見えないかと目を凝らしましたが、すでに土地の整備が終わっていたのか、それらしきものが見れなかったのは残念でした。
津波被害のあった場所に住宅地を再建するわけにはいかないですが、整った公園にしてしまうのも最善の策ではないように思います。引き取れない墓石を残す方が、起こったことと、のちのちへの影響を語ってくれてよかったのではと思いました。
伝承館では、東日本大震災関連の施設のパンフレットやチラシをたくさん置いてありました。すべてを回ることは無理でしょうが、機会をつくって、少しずつ訪れて行きたいです。
私が図録を買っている間に、ウエムスがすばやくガチャガチャの缶バッジを買っておいてくれました。一番欲しかったのは出ませんでしたが、うまくすべて違う柄のを引き当ててくれました。
太陽光で働くモニタリングポスト(空間の放射線量を継続して計る機械)。モニタリングポストは、ほかの場所でもいくつも目にしました。
このあたり一帯は、前述のとおり、復興祈念公園になるそうです。
大きな工場(倉庫?)がポツンとある以外、ガラーンとしたなかをバスで走り、請戸小学校震災遺構へと移動しました。
つづく。