最近の読書。

丸山真男の回顧談、上巻と中村うさぎ「美人とは何か?」を読み終える。
私は昔から5冊ぐらい同時進行で読む悪いくせがあるので、ちゃんと書いとかんと数年後、
「中村うさぎがナチスと日本軍は後世に遺すようなものは何一つ作らなかったと言った」とか
「丸山真男がブスはブスにデブはデブに手厳しいと書いた」と言いかねん。
こうやって脳内でちゃんぽんになってるもの、きっと多い。
妻夫木君と柴咲コウちゃんで「どろろ」をやってるらしいんで、手塚治虫の原作をダーリンに借りて読んだけど、
なーんだ、ちっとも色っぽい話じゃないじゃないか。「どろろ」は幼児だし、
なんで柴咲コウちゃんなんだろう。(好きだけど)なんでまた妖怪なんだ?昔妖怪ブームがあったのか、
とダーリンに聞くと「水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」を知らんか」からはじまって語る語る、ウンチク話し、
いや、つかれた。ついでなんで私は初めて「ゲゲゲの鬼太郎」をマンガで読む。
なんせ、私がうまれる前のマンガですしね、一番、はじめの作らしい
(「墓場の鬼太郎」がもともとだったとダーリンが横で、、)のを読んで、フーン、悪いけど
手塚治虫の「どろろ」より水木先生(あ、ダーリンの口調がうつった)の方が作品として遥かに深いなあ。
こういうマンガを読んで当時の子供は大きくなったんだなあ、これがいい事なのか悪いのか、よくわからんが。
水木先生のマンガはダーリンと結婚してはじめて「近藤勇」とガダルカナルかどこかの戦記物を読んで、
「あ、すごい」と思った。こんなすごいもんだと思わなかったんだよ、だって「目玉オヤジ」だし。
「ゲゲゲの鬼太郎」にしても、このおどろおどろしい背景の細かさってすごい臨場感がある。
やはり戦争で片腕を失った人と阪大の医学校卒とでは全然、物事の受け取り方が違うんだな、
こんなふうに人の根源的な恐れにわけいって来る絵はそうそう描けない。
(と、思う、私はマンガも詳しくないからなあ)
話しにしても心の葛藤が、あの独特の絵であらわされていると、妙に胸に迫るものがある。
うーん、さすが水木「先生」。
「マガジン」の「ワンダースリー」がどうのこうのとうるさいダーリンの話しはともかく、
昔の子供達が読んでたマンガの方が今の子供達より質として上なのかも、こういうのって大事じゃないかな。
影響として絶大なような、、とは言うものの、もう40になる私が「ゲゲゲの鬼太郎」を
ほとんど知らないわけなんで、まあ世界が変わるのも無理もない。
でも「エー?ゲゲゲの鬼太郎?」の先入観があっても、いいものは「いい」と思わせるんだからすごいかも。
普遍的なものって、きっとある。
ところで、戦争で人を殺さざるをえなかった人に向かって「人殺しに人殺しと言って何が悪い」と開き直る事と、
柳沢発言について「悪い事に悪いと言って何が悪い」を、同じ事だと言いたいような検索記録を読んだが、
どちらにせよ「言ってはいけない事を言った」という点について、どのように「分類」するのか。
私は人の命に関わるものに対してはそれほどスタンスをかえずに向き合っているつもりなので、
全てを混沌に叩き込む「ことば遊び」にはもうつきあわない。
「柳沢発言に反応する女は痛い」的薄ら笑いと変わらない曖昧は少し哀しい。