Yes,We Can.

 バラク・オバマ氏がアメリカの新しい大統領になった。

 で、「CHANGE」という彼の選挙キャッチフレーズが、各メディアで度々引用されるわけなのだが、私はこれを、ついつい「チャンゲ」と読んでしまう。

 何回見ても同じだ。思わず「チャンゲ」と発音しそうになって、あやうく「チェンジ」と言い直す。いつもそうだ。英語の文脈の中に「change」という単語が入っている場合は、なんとかなるのだが、単独で、しかも大文字表記の形で単語だけを表記されると、どうしてもローマ字読みしてしまうのである。あるいはこのあたりが昭和世代の限界なのかもしれない。淋しい話だ。

 さすがに、「ONE」を「オネ」と読むことはない。でも、「MORE」については、いまだに第一候補が「モレ」だったりする。これはどうしようもない。たぶん、アメリカに半年ぐらい住まないと直らないのだと思う。

 若い人たちはどうなのだろう。

 私が抱いている感じでは、20代でも「チャンゲ」という音韻を脳内に反響させている組の人々が、半分ぐらいはいるような気がするのだが。というのも、最近の若い人たちは、アメリカに対しておそろしく冷淡だから。

 そう。彼らは、アメリカを軽視している。

 たとえば、2ちゃんねる株式板に常駐する人々は、二言目には「ダメリカ」ないしは「ダメ理科」という言葉を使う。意味するところは、モロに「ダメなアメリカ」、さらに踏み込んだ語感としては「酸素と二酸化炭素の区別もつかない、理科音痴のアメリカ人」ぐらい。

 でもって、そのダメなアメリカの人々の態度は、「プリオン」ということになる。

 つまり彼らは、「バカなアメリカ人」「投資好きなくせに経済の毛の字(経済に毛が生えているのか?)も知らない国民」「返せる見込みもないローンを組んで、払えなくなってみると、世界の不条理にびっくりしている牛肉民」「世界経済の特定危険部位であるところのメタボピーポー」ぐらいな意味で、この言葉を使っているのである。

「まーたプリオンが狼狽売りするから……」
「オレの糖蜜がプリオン利確の餌食に……」

 という感じ。じつにひどい。
 差別用語だよね。ある意味。一国の国民丸ごとをスポンジ脳扱いなわけだから。

 おそらく、株をやっている連中からすれば、この度の金融恐慌(←だよね?)の原因を作った彼の国の人々に対して、あたたかい気持ちにはなれないのであろう。どうしてキミらの野放図な借金のトバッチリでオレの資産が半減してるんだ? と。まあ気持ちはわかる。でも、ここまでムゴい言い方は、私の世代の人間には思い浮かばない。驚きだ。

 頼もしい、と?
 どうだろう。
 単なる夜郎自大にも見える。

 あるいは、嫌韓嫌中キャンペーンを推進中のネトウヨの皆さんがはじめた新しい展開、という感じ。

 あえて言えば、侮米、だろうか。反米とは明らかに違う。下から見上げる形で抵抗したり、対等の立場で反発しているのではない。明らかに上から見下している。その目線の置き方が新しい。というよりも、私などには見当もつかない。

 私自身は、アメリカ万歳の人間ではない。どちらかといえば、立ち位置としては反米かもしれない。

 でも、反米であれ親米であれ、私の世代の人間にとって、アメリカは巨大な存在だった。背骨の中に一本「アメリカ」という座標軸が貫通している感じ。だから、好きでも嫌いでも、アメリカを無視することはできなかった。まして、「プリオン」などと、まるで「生まれつき知能を欠いた民族」みたいな扱いで要約することは、到底考えられなかった。

 が、どうやら、30歳より下の人々にとって、アメリカは、ワンオブゼムに過ぎない。

 だから、21世紀にはいって以来、アメリカ音楽はまるで売れないし、ハリウッド映画も集客できなくなっている。ファッションの世界でも「I love NY」だとか「UCLA」だとかを胸に大書したTシャツは、すっかり姿を消した。

 実際、今の時代のJ-POPは、われわれが若い時代に聴いていた和製ポップス(「ニューミュージック」とか呼ばれていた)とは、比較の対象にさえならないほど水準が高い。その意味では、若い人たちが「いまさら、英語の曲なんか聴いてもなあ」と、そう思う気持ちも理解できないではない。

 映画やファッションにしたって、必ずしもアメリカが世界一というわけじゃない。それもわかる。

 アメリカ製のダメな音楽や、アメリカ制作のつまらないドラマや、ハリウッドからやってくるデキの悪い映画をありがたがる必要はない。当然だ。

 でも、玉石混淆ではあっても、最高峰の作品は、いまでもアメリカ(あるいは、「海外」)からやってくるはずじゃないのか? その、最高のモノを見ないと、人生がもったいないと、キミたち思わないのか?

 ……と、そういうことを言ってもムダなのだろうな。どうせ。
 現実に、アメリカは、デカいだけの、なんだかだらしない国になってきているわけだし。

 問題は、アメリカがどこへ行くのか、ではない。指標としてのアメリカを失ったわれわれに、新たな「世界」の基準があるのかどうか、ということだ。

 無いのだとすると、これはちょっと深刻なことになる。

 私たちが若かった頃、日本の現状に絶望することと、アメリカに憧れることは、同義語でこそなかったものの、精神の運動としてはひとつのものだった。

 だから、現実のアメリカがどうだったのであれ、アメリカに憧れたり、アメリカ移住を夢見ることで、私たちは、現状の苦境や、日本社会のせせこましさや、職場のつきあいの面倒くささから一時的に逃避することができたのである。そういうふうに、アメリカは、追い詰められた人々にとってのガス抜きの空気穴として機能し、独房で暮らす人間にとっての天窓みたいなものとして、わたくしどもに光をもたらしてくれていたのである。

 それが、プリオンだったてなことになると、いったい、若い連中はどこに逃避すれば良いんだ? 逃げ場が無いじゃないか。

 昨今の日本人について、先日、ある大臣が「内向きな単一民族」であるという意味の発言をして、問題になった(←結局辞任しましたね)が、「単一民族」云々はともかくとして、「内向き」である度合いは、たしかに強まっていると思う。

 もっとも、昭和の時代の日本人が今の人々より若干外向きだったのだとして、そこで言う「外」のほとんどすべてはアメリカだった。とすると、われわれの国際感覚は、むしろ植民地根性に近い心性だったのかもしれない。いずれにしても哀れな話だ。

 さて、「CHANGE」だが、このキャッチフレーズについて触れる話の中で、サム・クックの「A change is gonna come」を引用する人がまったく現れないことに、私は、ちょっと意外な感じを抱いている。

 というのも、初の黒人大統領になろうという人が、「change」という言葉を持って来るに当たって、その脳裏にサム・クックが浮かんでいなかったということは、どうしても考えにくいからだ。

 これは、わたくしどもブラックミュージックかぶれの日本人にとっては常識に属することだ。

 説明する。

 サム・クックは、1960年代に活躍したアメリカのR&Bシンガーで、当時としてはかなり政治的な黒人ミュージシャンだった。

 ちなみに、ウィキペディアの解説では、以下のように描写されている。

「クックは黒人の権利に対する意識が高く、公民権運動にも積極的な関わりを持ち、マルコムXやモハメド・アリとも親交を深める。1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。1964年12月11日、ロサンゼルスのモーテルで管理人に射殺される。33歳。その死を巡っては謎も多いといわれる。 (モーテルに連れ込んだ売春婦に金や服を盗まれ、仕方なく裸で売春婦を追いかけ、その後銃で撃たれたとの説もあり)」

 もちろん、私は、上記の事実をリアルタイムで知っていたわけではない。

 が、『マルコムX自伝』を読んだ者にとって、あるいは映画「アリ」を見た者にとって、このこと(サム・クックのメッセージとその不可解な死)は、やはり常識だったのである。

 ……と、この手の話題を振ること自体、もしかしたらアメリカかぶれっぽく映るのかもしれない。

 まあ、そう思われても仕方がない部分はある。
 私が「CHANGE」という言葉を見た時、サム・クックの話をしたくなったのは、半分ぐらい、自分の知識をひけらかしたかったからなのであろうからして。

 知ったかぶりついでに、知っていることを全部吐き出しておく。

 オバマの「Yes,We Can」は、「We Shall Over Come」(←1960年代公民権運動のテーマソング的な歌。)を踏まえていると思う。

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