2015年3月12日に公開した記事を再掲載しました。

 「やられた」と感じたジャーナリスト、編集者は相当多かったのではないでしょうか。

 福島第一原子力発電所の収束作業に現場作業員として潜り込み、その実態を自ら体験、そしてその成果を、「マンガ」で世に問う。マンガ週刊誌「モーニング」(講談社)で2013年10月31日号に初めて掲載された『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』は、硬派なテーマを、圧倒的なリアリティにペーソスを絡めて紹介するルポとして人気を集め、昨年4月の単行本第1巻は新人としては異例の15万部スタート。その後も不定期連載を重ねて第2巻が今年2月に発売されました。

『いちえふ』1巻(左)、2巻(右)

 私も編集者の端くれとして、「こんな手があったのか、思いついたヤツは天才だ」と唸りました。こう思う誰しもの頭に浮かぶのは、『自動車絶望工場』(鎌田慧)でありましょう。1973年に出た、トヨタ自動車の本社工場に期間工として働いたジャーナリストによる、工場現場の過酷さを徹底的に批判した潜入ルポです。事態の大きさ、重さを考えれば、『いちえふ』は、それを凌ぐ企画といえる。それを、マンガという、人に説明するのに最適な方法で軽やかにやるなんて…。

 こんな企画を思いついた竜田一人(たつた・かずと、潜入取材のため仮名)さんは、いったいどんな人なんだろう。『いちえふ』を描くまでは(失礼ながら)、売れないマンガ家だったとのこと。3.11でこういう人生の変わり方をした人も珍しい。ご当人は「高給と好奇心とほんのちょっとの義侠心」で現地入りしただけで、マンガにしようとは考えていなかったと他のインタビューではお答えになっているのですが、本当でしょうか? やっかみ半分、好奇心半分で、お話を聞きに行きました。

(聞き手は 山中 浩之)

よろしくお願いいたします。写真…は、もちろんNGなんですよね。ええと、今年50歳になられる?

(以下、画像は全て©竜田一人。拡大画像ではそのページの全コマがご覧頂けます)

竜田:もう50歳になりました。

じゃあ、私と同世代ですね。マンガ家を目指されたのはいつ頃ですか。私と同じようなマンガを読んできたんじゃないかと思うんですが。

竜田:マンガは子供のころから好きで読んでいましたし、小学校のころは「マンガ家になりたい」の気持ちは多少ありましたけどね。好きだったのは、矢口高雄さん。

あ、釣りバカ…

竜田:じゃなくて『釣りキチ三平』。

マンガにも本気になれず、就職しましたが…

失礼しました、ハマちゃんじゃなくて三平君のほうですね。インタビューを読んでいたら、時代劇マンガの平田弘史さんがお好きとか。

竜田:そうですね。平田弘史先生は大学のころですかね。

さすがに小学校から読んでいるわけないですよね。

竜田:小学生があれを読んだらちょっと気持ち悪いですよね(笑)。学生時代に読んで衝撃を受けまして。当時たしか全集が刊行され始めて。貧乏だったんですけど、まあ、無理して買いました。

マンガ研究会とか入りました?

竜田:ちゃんとしたサークルもあったんです。そこは某I先生が出たりする立派なところなんですけど、そういうところではなくて同好会みたいな、全然漫研とは呼べない程度のところで。それもちょこちょこやっていた程度で、本気でこれでプロになれるともあんまり思ってなかったし。でも「なれたらいいな」ぐらいで、たまに新人賞に応募するみたいな。

応募はしていた。今回『いちえふ』を持ち込まれた「モーニング」とかにも?

竜田:モーニングは読んではいましたね。『ああ播磨灘』(さだやす圭)が始まったころ。

ものすごいころじゃないですか。『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ)も同じ時期でしたね。

竜田:「モーニング」にも(新人賞応募に)出したかな、分からないけど、若いころだから。そのころは本当に下手くそだったので。

じゃあ、卒業してから普通に就職されたんですか。

竜田:1回普通の会社に入ったんですよ。新卒で。そこを3カ月か4カ月ぐらいで辞めちゃって。

おお、短いですね。小田嶋隆さんみたいだ。

竜田:これはちょっと性に合わないなと思って。

何の会社だったんですか。

竜田:住宅設備か何かの。どんな業界なのか知りもしないで、たまたま就職活動をしているときに、合同説明会でひっかかって、たまたま受けたら受かって。だからこういう仕事をしたいとか、こういう業界に入りたいみたいなのは全然なくて。

何で3カ月だったんですか。

竜田:行ってみたら、ちょっとサラリーマンは性に合わないな、ということだったんですかね。結構店でバイトしたりもしていたので、働くこと自体にはそんなに抵抗はなかったんですけど、何だろうな。

内勤だったら、外に出られないこととか。

竜田:座って机に向かってこつこつやっているのはいいんですよ。別に今だってやっているんだから(笑)。それ自体は嫌いではないんだけど、みんなで1つのオフィスにいて、大勢がいてみんなで机に向かっている、というのが何か嫌なんです。

何か嫌、では学校はどうでした?

竜田:学校も嫌だったんですよ、俺。大学卒業するのに5年かかりました(笑)。

相当サボったと。サボって何を?

竜田:映画を見てました。本当に年間100本ぐらいは見た。学生のころに黒澤明から小津安二郎も全部見たし。当時はビデオが高かったけれど、名画座がまだいっぱいあったので、1年でだいたいのところは見られる。

 なので、会社を辞めてから伝手を探して、映画やテレビの制作部のアシスタント仕事を。

あっ、制作部。それは以前、「秘密結社 鷹の爪」の蛙男商会さんからお話を聞いたことが。肉体も精神も極限までこき使われる地獄のような仕事だと。

竜田:制作部は地獄のような仕事、確かに。テレビのドラマとかになると、スケジュールはきついし、予算はないしね。要するに撮影部とか美術部とか、そういう技術系はだいたい分かるじゃないですか。「こういうフィルターを持ってこい」とかそういう、必要な対応、対策が。それ以外の、じゃあ、ここを撮影するために駐車中のクルマが邪魔だから片付けて、みたいな、そういう雑務が全部制作部に来ちゃう。特に大事なのは弁当の手配ですね。何があろうとスタッフに飯を食わせるというのが一番の重要任務ですので。

弁当の手配から撮影現場の確保にロケ用の車の運転までと寝る暇がない。蛙男商会さんは、徹夜明けでそのまま渋谷の待ち合わせ場所まで車を運転していって、サイドブレーキをがっと引いた瞬間に5分寝る、そういう生活だったと言っていましたが。

竜田:寝ている時間の半分は車中、みたいなね。夏は長野の農家でレタスを作る手伝いを住み込みでやって、冬は東京に戻って制作現場、と、そんな感じの生活を5~6年続けましたかね。

30歳直前、久々のマンガが賞を取って

5年ぐらいやって、ちょっとモードを変えた?

竜田:そうですね。20代、もうどん詰まりぐらいになって、さすがにいつまでもこんなことやっていられないなと思いつつ、まあ、だからといって何をしようという当てもなく。でもそんな中でちょっとマンガを1本描いてみたら、それが某社さんでたまたま新人賞か何かをもらって。

ほお! どんなマンガだったんですか。

竜田:プロレスラーがマージャンを打つ(笑)。

盲牌するとパイが潰れちゃうみたいな。

竜田:しょせんそういうマニアックな話なのであまり一般受けしない。だから連載じゃなくて「面白いのが描けたら載せるよ」みたいな感じで。それで食えるわけもなく、まだやっぱりほかのバイトをしながら。もう畑には行きませんでしたが。

その間働いたところで覚えていらっしゃるところってあります?

竜田:まあ、いろいろですね。やっぱり多かったのは映像系の仕事ですね。テレビドラマとか、劇場映画ではなくて、企業の宣伝や施設の解説、教材、紹介といったVP(Video Package)の。地方に行って泊まり込んで、記録映像を撮って、現地の博物館でかける展示映像とかですね。

おっ、その仕事は面白そうですね。

竜田:面白かったですね。VPとか教材というのは、「見る人にどう説明するか」が勝負ですから。これは今の『いちえふ』での、例えばこのマスクとかをどう説明しようとか、そういう時にはこの経験は結構役に立っているような気がします。(『いちえふ』は)ある意味、マンガというよりVPを作っているような面がある。

あ、確かに。

竜田:言葉だけでは伝えられない、伝えにくいこともいっぱいあって、絵にしてしまえば一目瞭然、みたいなものがたくさんあるので。

一目瞭然ですよね。誤解がぐっと減りそうですよね。

竜田:福島第一原子力発電所の収束作業の現場を説明をするのに、マンガがこれほど適しているというのは、描いてみて再認識したところがありますね。

説明するときのコツみたいなものとか、何かありますか。

竜田:何だろうな。ネームの段階、ラフで編集部の篠原さんと相談している時点では、何をどう説明すれば伝わるのか、全然分からないです(笑)。

人に見せるって大事ですね。

竜田:そうそう。俺は働いてきて見ているものだから、もう分かっちゃっていてそのつもりで描いちゃうんだけど、知らない人が見たら全然分からないものとか、こんな説明じゃ分からないというのがやっぱりあるので。だから他者の視点というのは大事ですね。

で、某社の受賞で本格的にマンガのお仕事が始まってからは?

竜田:確かこのときぎりぎり30歳前でしたが、1本載ったぐらいじゃ全然食えるようにならないので、この業界。そこから頑張ってがんがん面白いのを描いて載せられればいいんでけど、そこまでの力がなかったということですね。まあ、力とか、運とかいろいろありますけどね。

じゃあ、人に説明する映像を撮る仕事と、時々マンガみたいな感じだったわけですか。

竜田:そうですね。でもマンガがあんまりぱっとしなくて、そのうち「しょうがない」といってちょっとエロマンガを描くようになって、2年ぐらいエロをやっていました。

おお!

竜田:いや、目を輝かせてもらっても(笑)。この絵柄なので、最近あるような萌え系のちょっとアニメっぽいようなのではなくて、昔からあるようなタイプのエロマンガですね。

エロマンガも2年ほど描きました

例えば、ケン月影先生とか。

竜田:そうそう。ケン月影先生とか。その名前が日経ビジネスの記者さんから出るとは思いませんでした(笑)。

いいじゃないですか、あの絵はすごく好きなんです。

竜田:実は、本当に「平田弘史」と並ぶぐらいのアイドルです、ケン月影さん、俺の中で。

最近、「ビッグコミック」(小学館)で、竹久夢二と伊藤晴雨のお話を描いておられて…(『万華鏡』)。

竜田:というわけで、ケン月影先生が描くような感じの伝統的なマンガを、伝統的な雑誌に描いていました。

年に何本ぐらい書いていたんですか。

竜田:月1でしたね。

食べていけたのでしょうか。

竜田:マンガを描いているときというのは時間を食われて金も使わないですから、食えるぎりぎりぐらい。まあ、生きているだけですね。

ネタを考えるのが大変じゃないですか。

竜田:でもその時々の時事ネタみたいなのを拾っていくと、意外に発想が出てきたりするので、そんなでもなかったですね。タイガースが優勝したから、じゃあ、甲子園球場でいたしているとか、そういう単純な話です(笑)。

なるほど。じゃあ、どうして辞められたんでしょう。2年以上だって続けられたはずですよね。

竜田:そうですね。やろうと思えばできたんでしょうけど、たまたま描いていた雑誌が休刊になって、もういいかなというときに、コンビニで売っている安いマンガ本の、最初何だったかな。何かスポーツ関係のドキュメンタリーの仕事が、昔お付き合いのあった編集さんから回ってきたので、そういうのをやるようになったんですね。

何のスポーツのドキュメンタリー物を描いたんですか。

竜田:うーん、野球かプロレスかどっちかだと思いますけど。

そんないいかげんな。

竜田:最初プロレスだったかな。何本描いたんですかね。でもスポーツ物だけで10本以上は描いたかな。もっと描いているかな。20本ぐらい描いたかな、分からないですけど。

それらはいわゆる単行本にはならなかったんですか。

竜田:一応、出た本は自分では持っていますけど、単著の単行本は『いちえふ』が初めてです。

単行本が出ないまま、マンガ家としてのキャリアがだんだん長くなってきて。

竜田:そうですね。何だかんだで結構やりましたよね。ただ、2009年くらいになると、その手の仕事すらなくなってきた。そのころにはドキュメンタリーのほかに裏社会の実録物みたいな、そういうのもいろいろやっていたんですが、それもだんだん声がかからなくなってきて。

つまり震災前には、マンガ家としてのお仕事はだいぶ減っていたということですか。

竜田:もう2010年ぐらいにほぼ廃業状態でしたね。これじゃちょっとやっていけないからと、近所にあった会社に入って、一応サラリーマンだったんですよ。ご迷惑がかかるといけないので、すみませんが業種や社名は伏せさせてください。

久しぶりの“社会人”生活はいかがでしたか。

竜田:やっぱりこれも性に合わなくて。

合わなかったんですか。

竜田:全然合わなくて。業務上、子供とコミュニケーションを取る必要が出てくるんですが、子供は苦手で、うん。わりと子供には好かれるんですけどねえ。

竜田さん、素で好かれそうですよ。

竜田:好かれるんですけど、仕事で子供と接するというのがなかなか難しくて。それで、「もうさすがに持たないから辞めようかな」と考えていたときに地震が起きたんです。

子供たちに「大丈夫なの?」と聞かれて

じゃあ、やや盛って言うと、本当に人生に行き詰まったところで地震。

竜田:そうそう。だから本当、どうにもならないしどうしようかな、というときに地震が起きました。

ちなみに、どこに居ました?

竜田:職場に向かうために、駅に向かって歩いているときに地震が来て、そのときはわりと広めのところにいたので、別にそこで何か降ってくるとかそういうこともなく、わりと冷静に。近くの建物とか揺れているのを見て、おお、すごい地震だと。

ご自身や、ご家族には被害は。

竜田:自分自身や、家族とかにも被害は基本的にはなかったので、当日はまだそんなにショックを受けたわけでもない。その日も仕事に行ったけど当然、お客なんて誰も来なくて。

 会社は結局休みにもならず、次の日からまた苦手な子供の対応をするわけですが、津波や原発事故が報じられて、どうしても話題はその方向になる。親御さんでも、すごい不安になっている人がいて「原子炉はまた爆発するの?」みたいなことを聞いてくる子もいたりして、そうなるとこっちも適当なことを言えないので、持てる限りの力を使って調べるわけですよ。だから調べましたね、あの当時。

真偽取り混ぜていろいろな情報がありましたよね。

竜田:もうデマばっかりで。その中でどれが信用できそうかなと真面目に考えて、なるべく東電発表とか政府発表とか1次情報に当たるようにして、最初のころは全然知識がないのでよく分からないんですけど、照合していくと正しいことを言っていそうな人が見えてくる。例えば「Twitter」で言ったら早野(龍五)さん(原子物理学者)とか、野尻(美保子)さん(素粒子物理学者)とか。

ああ、読んでました。

竜田:早野さんとか野尻さんとかが頼りになりそうだと分かる一方で、明らかに煽っている言い方をする人がいて、いっぱい見てくるとだんだん区別がつくようになってくる。

子供たちと接するところにいたら、そういうことを真剣に考えますよね。

竜田:そう。お客さんたちの中にはやっぱり不安になっている人がいましたので、そういう人たちにある程度正確なことを説明するには、自分で調べなきゃいけなくて、それで調べてある程度の知識ができたというのがでかかったですね。あ、だから、やっぱり数ある職業遍歴の中の1つが多少『いちえふ』の役に立っているんですね。

子供に聞かれる立場にいたことと、説明スキルを磨いていたことですね。

竜田:子供に聞かれて、説明するために勉強したことがまあひとつのきっかけになって、どうせ働くならああいうところで働いてみたいなと思ったんです。その時点で社長に「辞めさせてくれ」と。

ううん、とはいえ、やっぱりその行動には結構なジャンプを感じます。私、ぶっちゃけしか聞けないので聞いちゃいますけど、『いちえふ』を読んだ時に「こういう手があったか」と思ったんですよ。『自動車絶望工場』をいまやるとこうなるのか、と。

竜田:よく引き合いに出されますけど、俺、読んでないですよ。

マンガを描くために福島に行ったのではない、となんども言っている方に、今更聞くのも不躾ではありますが、どうなんでしょう。

竜田:まったくなくはないですよ、それは。もともとマンガを描いていたわけですから。でも、「被災地で働きたい」というのが大前提で、福島第一で、と限定していたわけでもないんです。

まず「被災地で働きたい」と。

そもそも就職するのが1年がかり

竜田:宮城でも岩手でも、がれき撤去でも何でもよかったんですね。そんな中で条件に合うのがたまたま1F(福島第一の現地での呼称。「フクイチ」とは言わないのだという)の仕事というのが、宿舎付きが多かった。それが何よりでかくて。東京から職を探して行く以上、通いではなく住むところ込みでないとだめなので、宿舎付きの仕事を探しているうちに、たまたまそういう会社に入ることになったという。行くときも1Fに入れるという保証もなくて。

そうでした、第1巻で、そもそも現地の住み込みの職を見つけるのに1年がかりだったという話を読んで驚きました。

竜田:そうですよ。しかも、住み込みを始めてからも1Fの仕事がなかなか入らなくて、「やることがないなら」と、別の土地の土木現場に回されたりして。

とはいえ、言い方を変えてみれば、1年近く振り回されながらも原発の現場で働けるまで粘ったわけですよね。

竜田:待ちきれずにやめた人もたくさんいましたが、現地以外からこの仕事に来た中には「ここまで待たされて、被災地の仕事ができないまま帰れるか」と意地になっていた人が俺以外にもいましたよ。もちろん、その時点で全然描くつもりがなかったかといえば、そうではなく、面白いことがあったらそれは描くべ、というのはありましたね。

取材だと思って行かないとこんなにいっぱい細かいことを覚えていられないはず、という気もするんですけど。

竜田:まあ、それはだから職業病です。

職業病か、記憶で描けちゃいますか?

竜田:うん。だから意識の片隅にでもそういうのがあれば、「ここはちゃんと覚えておこう」とか、写真が撮れるところだったら撮っておこう、となりますからね。結構、1Fの外で撮った写真がたくさんあって、これが役に立っています。でもやっぱり帰ってくると、「ああ、あそこを撮っておけばよかった」というのがいっぱいあってね。

 遠いからおいそれとまたロケハンに行くというわけにはいかないし、ちょっと苦労していますけど。とはいえ、マンガ家としての視点もそうだし、やっぱり映像をやっていたおかげで、「その場所にいてここを撮るならどう撮る」みたいなアングルは、たぶん無意識に考えています。

なるほど。あと、建機とか玉掛けとか溶接とか、いろいろ免許を取って行かれているじゃないですか。

竜田:はい。これもやっぱり狙って行っているみたいに見えますかね。それは仕事を探している間に条件を見ていくと。重機とか溶接とか(免許が)あるやつは雇うよ、みたいなのが、ハローワークの求人票に書いてあるので、「これがあるとすんなり向こうに行けるかもしれないな」というので取ったんですよ。

ああ…つまり、本当に取材以前に“就活”だったと。

竜田:完全に就職活動ですよね。ひとつだけ『いちえふ』につながっているとしたら、福島というところを選択肢から外さなかったというところですね。あそこはやめようみたいなのはまったくなかったので、むしろあそこが一番困っているだろうから行きたい、ぐらいの気持ちでした。

そこで働いてその後は、みたいなことは考えてなかったんですか。

竜田:いつもわりと考えてないです(笑)。常にそうなんですけどね。取りあえず今仕事をするとしたらどうするんだという、それだけですよね。そのわりにこらえ性がなくて、「これは合わない」とすぐ辞めちゃうという(笑)。

なるほど、「今仕事するならどうするんだ」。サラリーマンやっているとそういう発想というのがいつの間にかなくなっていますね。明日の仕事は勝手に向こうからやってくる、みたいに感じるようになって。

竜田:そうですね。でもそれが普通だと思いますけどね。

そうなんでしょうけど。自分自身が3.11以降に福島に行ったことがない人間なので、一番分かりやすいサンプルだと思うんですけど、例えば、震災の映像を見た日は「ボランティアに行こうかな」とか思っていても、たちまち、やって来る明日、日常に押し流されていくわけじゃないですか。

竜田:わりと浪花節の人間なので、福島への義理、みたいなのを結構感じたりしてました。そんな必要はないんですけどね。そこまでのものではない。ないとは思うんだけど、もしそれ以上の理由があるとしたら、やっぱり、その当時の世間の風潮に対する反発ですよ。

いわゆる風評被害。自分自身に向けられていなくても、そういうのにむかっと来る人ですか。

竜田:それはありますね。他人がそういうことを言われて俺が怒るのは変だし、そういう“義憤に駆られる”ことの危険もよく分かるんだけど。俺がこうやってデマを攻撃しているのと、事故当時から東電を攻撃しているやつ、それは裏表みたいなもので。

開拓地での、普通の暮らし

それは自分に厳しすぎるでしょう。

竜田:でも、そんなものだという自覚もあるんです。それを自覚しないと危ないと思ってます。だけどどうしてもやっぱりそういうものに対して反発を感じるというのが、ガキのころから結構あったので。

 震災以後、会社を辞めるまでの間は、早く現地に行きたいけど、でも今の職場を放り出すわけにはいかなくて、実際に辞めるのは夏の終わりぐらいなんです。その間何にもできなかったというのはやっぱり、すごくつらかったですね。

つらかったですか。

竜田:つらかったですね。

その間に忘れたり、摩滅したりはしなかったんですね。

竜田:うん。むしろ「こんなところで何やっているんだ」という思いは募っていきましたね。ひどいデマが相変わらず飛んでいましたし。

そういうような憤りの持ち方って、原発の前に何か持ったことってあります?

竜田:ここまではなかったですね。

好奇心というか、「面白そう」というのもあったでしょう。

竜田:まあ、面白そうですよね。すごい不謹慎な言い方ですけど、マンガにも描きましたが、あそこは日本に突然生まれたフロンティア、開拓地という面もあります(第2巻 133ページ)。何が起こるか本当に分からない状況と、自ら未来を切り開いていく気概と。それを見てみたい、そこで働いてみたい。この気持ちは本当に好奇心ですよね。被災者の方には、本当に申し訳ないとは思いますけど。

でも、「みんなが沈鬱な顔だ、ひどい、大変だ、苦しい、苦しい」いう視点だけで描いていたら、おそらく“福島はなかったことにしよう”という気持ちに、私を含めて普通の人はなると思うんですよ。

竜田:行ってみれば、現地の人たちは笑って普通に暮らしているわけで。被災地で働くために首都圏を出て郡山の駅を降りて、あ、全然普通じゃんという。東京で言われているイメージとは違うんだなというのをそこで再確認しましたね。現地に行ったのはもう震災から2年も過ぎていたので、そんないつまでも人間、泣いて暮らしているわけではないというのは頭の中では分かっているんですけど、実際に自分の目で見ると、やっぱりそうなんだよなと再確認したところはありますね。


しかも、現場の“普通の暮らし”が面白い。

竜田:原発作業員って奴隷みたいにこき使われている、あるいは、世界を救う英雄みたいに言われたりする。だけど実際行ってみたら普通のおっさんが普通に働いているだけで、飯を食って酒飲んで、パチンコをしてという人たちだよという。

しかも地元のおっちゃんたちなんですね。

竜田:ほぼ9割方地元の人で、結構年配の方も多くて。

ということで、面白かったから描くべ、となったと。淡々と作業員の目から見た日常を描く、という基本方針はどういう経緯で。

竜田:いや、あそこで俺が見てきたことだけを描いていったら、おっさんの生活にしかならない(笑)。俺もおっさんだし、周りにいたのもおっさんだし、だからおっさんのことしか描けない。若い女の子とか出てこないので。

そういえば出てこないですよね、若い女性。

竜田:非常に弱いですね、このマンガ。そういう意味では。せめてタイトルだけでもと思って、ひらがな4文字にして、ちょっと萌えアニメっぽい感じにしてみたんですけど。

ひらがなのタイトルにしたのはそんな理由なんですか?

竜田:「1F」という業界用語をタイトルにしちゃういやらしさみたいなのも、本当は自分でも分かっているんです。でも今までのイメージをちょっとでも覆そう…とまでは言いませんが、実際にそこに生活があって普通に暮らしているよというのを表現するには、平仮名で『いちえふ』というのがいいのかなと思ったんですよね。あと「フクイチ」って言うやつなんか、現地にはいねえと(笑)。

 日常を描く、というのはたまたまそうなっただけで、それしか書けなかった。特に日常の話については。というか見てきたこと以外を書いちゃうとウソになっちゃうので、なのでこのトーンで描くしかないんですよね。マンガとしては弱くなるかもしれないけれど。

あっ、そういえばインタビューで「マンガ家という意識は今はあまりない」とおっしゃってましたよね。先ほどおっしゃっていた話に沿っていえば、VPとはまた違うんでしょうけど、「人に物を説明するポジションだな、俺は」という、そういう感じでしょうか。

竜田:そうですね。それはでかいですね。VPとか教材とかで「自分の主張はこうだ!」と、前面に出すわけにはいかないじゃないですか。

確かに(笑)。

竜田:そういうものを作り慣れているから、このトーンになったというのはあると思います。

でも、教材だって、ちゃんと面白くなかったら先を見てくれないわけですもんね。

竜田:うん。

そこのバランスが絶妙です。

世の中には、こういうところで働く人もいるんだよ

竜田:面白くなったかどうかはちょっと自分では分からないので、面白いと言っていただけるのが非常にうれしい。

うちには中学3年生の息子と小学3年生の娘がいるんですが、『いちえふ』をリビングに置いておいたら、昨日1日中、ふたりとも齧りついて読んでいましたよ。

竜田:小学生にも読んでもらえるというのはうれしいですね。

働くおじさんたちのマンガとして、ちゃんと楽しく読んでいる。

竜田:そうそう。実は、職員たちの紹介マンガだと思ってます。だから原発の実態がどうのこうのというのはあんまりないんですよ。「世の中にはこういうところで働いている人がいるよ」というだけの話なので。

一方、このマンガを読むと「被爆の許容量の縛りと、作業スキルの高い人の貴重さ」が、収束作業を続けていくための大問題になっていることがものすごく分かります。

竜田:そう言ってくださる方はいらっしゃいますね。

マンガでグラインダーを使っている「おじちゃんの顔」があって、ストーリーと絡めてみると「そうか、このおじちゃんは危険な現場を任されるくらい腕が良いのに、もう働けないんだ」と分かる。エース級の人がどんどん現場にいられなくなる。もちろん、線量の限度を上げてはいけない。となると、どこかで計画的に原発作業の人員を育てないと、こんなのじきにパンクするぞ、と素人でも理解できる。

運命を変えたのは、義憤?

職場仲間や、地元の人とかそういう人も、ずいぶんアットホームというか温かく描かれていますけれど。

竜田:うん。俺が会ったのはみんないい人ばっかりだったので、それはラッキーでしたね。本当にこんなものは運ですよね。行った先でどういう人と出会うかって。福島はみんないい人だなんてわけはないし、実際そんなによくもない人もいるんですけど(笑)、でも基本的に俺が会ったのはみんないい人でしたね。

トンカツを食わせてもらう話、いいじゃないですか。

竜田:いいでしょう。本当にいろいろな人にお世話になって。仕事はもちろんですが、そういう意味でもあの震災は俺の運命を変えたかなと。

しつこいんですが、まさにその運命を変える行動のもとにあったのが、マンガ家としての職業意識ではなかったとしたら、義憤なんでしょうか。あるいは、「逆境に自らを置きたい」という気持ちとか。

竜田:いや、逆境には強くないですよ、最初の会社から逃げ出したように、むしろすぐ逃げる方だと思います。

義憤の方はどうですか、いわば人のための怒りじゃないですか、義憤って。そういうものを発露する人って、これまでにも、小さくても同じようなことをやっているんじゃないかなという気がするんですけどね。

竜田:いや、むしろそういうことはこれまでなかったと思いますね。

そういうタイプじゃなかったんですか。

竜田:怒りっぽい人間なので、いろいろ社会情勢とかに対して怒ってはきたかもしれないです。けれど、別にそれで行動に移すわけでもなく、だから会社をすぐ辞めちゃったり、その後も何かはっきり定職とかに就くわけでもなく、だらだら暮らしてきたので…むしろそういう自分が嫌だったというところがあるかもしれないですね。

ああ。

竜田:仕事にしても、震災にしても、自分は何かしたのかと。先ほどの、仕事やマンガの煮詰まり感というか、どん詰まり感みたいなものが行動につながったというのもあると思います。だから本当に「俺はこういうことが起こっても何もできていない」というもどかしさみたいなのはずっと感じていました。

本当に好きになっちゃいました

この先、この『いちえふ』以外のいわゆるマンガを描くおつもりというのは。

竜田:今のところ何も考えてないですね。これで手いっぱいなので。これで手いっぱいだし、向こうでも働きたいし。

本当に向こうで働くのが好きになっちゃったんですか。

竜田:そうですね。今でも、だから、今すぐにでも向こうに行って働きたいですね。

わお(笑)。

竜田:特に今年の分の線量(作業員としての年間被爆許容量)がまだ余っているので。10ミリシーベルトぐらい。ちょっとこれはもったいないですよね。最後まで使い切れないというのが。

ということはあれですか、結論として、1Fの収束作業というお仕事は、竜田さんにものすごく合っていたということですか。

竜田:めっちゃ合っていますね。俺にとっては。

本当ですか。マンガを描いているよりも?

竜田:いま編集さんがいないから言えるけど(笑)。マンガを描いているよりは、福島にいる方がいいです。正直に言って。

傍白

「マンガ家として1Fに行ったのではない。作業員がマンガを描いたのだ」

 ということが、竜田さんのお話を聞いた率直な印象だ。さらに言葉を増やすなら「1Fをマンガ家が描くのではなくて、1F作業員としてマンガで説明する係」を自分の仕事として見いだしたのだ、ということなのだろう。

 3.11は人々から人生を、生活を、仕事を無慈悲に奪い去った。一方で、これまでにはなかったフロンティアとして、新しい仕事を生み出してもいる。それを喜ぶわけにはもちろんいかないが、安易な“絶望”からは何も生まれまい。

 マンガを含めて「自分に合った仕事」という手応えを得たことがなかったという竜田さんは、そのフロンティアで天職に出会ってしまったのだ。

 被災地が真のフロンティアとなるのは、収束作業の終了の日だろう。それを描いて最終回を迎えたいという竜田さんの願いが、1日も早く叶いますように。

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