編集Yです。いつもご愛読ありがとうございます。
昨年(2008年)の秋、10人のプロが3時間、自らの創作を語る「劇的3時間SHOW(今年のリンクはこちら)」というイベントにお誘いがありました。もちろん私が話すのではありません。個人制作のFLASHアニメで地上波テレビにデビューし、劇場映画まで創りあげた蛙男商会ことFROGMAN氏(詳しい略歴は後記)から、3時間のお話の相手にとご所望されたのでした。
当時、ちょうど公開されていた劇場版作品「秘密結社鷹の爪THE MOVIE2 私を愛した黒烏龍茶~」をまだ見ていなかったので、とにかくこれを見てからと常磐道を飛ばして常陸那珂のシネコンへ。正直、ガラガラじゃないのと案じていたら満席で、普段は使わない最前列が開放されたおかげでなんとか潜り込めました。で、映画の趣味は人それぞれですが、場内は沸きに沸いて、私も思いっきり笑い転げました(あとでFROGMAN氏に聞いたら、「いや、地方によっては思いっきりハズしたこともありますよ」とのこと)。
FROGMAN氏とは、テレビでデビューした直後から何度かお会いしていましたが(過去記事は「談話室たけくま」)、この人、やっぱり面白い。改めてそう確信して、お相手を引き受けさせていただくことにしたのでした。そして、会場となったスパイラルホールでの3時間は、意外なエピソードと唸るような考え方の連続で、あっという間に過ぎてしまいました。
どこかで、この内容を世に出せないかと思っていたら、この「劇的3時間SHOW」のトークが『劇的クリエイティブ講座』として書籍にまとまることになりました。そこで、版元のイースト・プレスさんにかけあって、FROGMAN氏のお話を抜粋して、ここにご紹介させていただく次第です。
この本で登場するクリエイター(敬称略)は以下の通りです。
- 佐藤可士和
- 川上未映子
- 松任谷正隆
- 大宮エリー
- 藤村忠寿
- FROGMAN
- 石川光久
- 堤幸彦
豪華絢爛といって差し支えないと思いますし、その中にFROGMAN氏を加えた慧眼はさすがだなと思います(チケットの売れ行きは、「水曜どうでしょう」の藤村氏と並んでトップ級だったそうです)。どの方のお話もハズレなく面白いので、本記事をお読みになってご興味があったら、手に取られて損はないと、いち読者としても思います。
それでは、FROGMAN氏のお話をどうぞお楽しみください。なお、版元さんへの敬意として、書籍に掲載されている分量の約半分に圧縮しておりますこと、小見出しに変更を加えておりますこと、そして、本書籍の魅力のひとつでもある、とても丁寧な注釈をあえてカットさせていただきましたことを、お知らせしておきます。
* * *
【開場アナウンス】2008年10月13日 原宿スパイラルホール
今夜ご登場いただくのは、映像クリエイターFROGMAN(フロッグマン)さんです。
1971年、東京生まれ。映画の制作スタッフとして経験を積んだ後、アニメーションソフトFLASHを駆使したWEBアニメ『菅井くんと家族石』を2004年に発表。その後、2006年に地上波で放送した「THE FROGMAN SHOW」が大ブレイク。以後、TBSニュース23内のアニメコーナー「蛙男劇場」、NHKトップランナーのオープニングムービーなど、精力的に作品を発表していらっしゃいます。
2007年、「劇場版秘密結社鷹の爪THE MOVIE 総統は二度死ぬ」で映画デビューを果たし、NY国際インディペンデント映画祭アニメーション部門の最優秀作品賞と監督賞を受賞されました。そして2008年5月には「秘密結社鷹の爪THE MOVIE2 私を愛した黒烏龍茶」が、2009年元旦には、監督・脚本を務める「ピューと吹く!ジャガー」が東宝シネマズ六本木ヒルズで公開。
わずか5年の間にFLASHアニメから劇場公開へと猛スピードで駆け抜けてきたFROGMANとはどのような方なのでしょうか。
それではさっそくお迎えいたしましょう。FROGMANさん、どうぞお入りください。
FROGMAN(以下FG) はじめまして。ご紹介いただきましたFROGMANでございます。映画の舞台挨拶などはやったことがあるんですけれども、今日は業界関係の方やクリエイターの方なんかもいらっしゃって、すごく緊張しているんですけど、頑張ろうと思いますので3時間お付き合いください。
今日お話するのはですね、いかにしてイチ映画制作スタッフだった僕が、もう180度転換してパソコンに向かって映像を作ることになっていったのかということと、それから今後のコンテンツビジネスについて、ゲストもお招きしているので、一緒に皆さんと考えていければと思っております。
今こうして東京で活動しておりますけど、実は島根県在住です。実際には会社も東京にありまして、会社の近くに部屋を借りて暮らしているんですけれども、運転免許証も島根県になっておりまして、税金も島根県に払っております。最初島根県の人に「ふるさと納税して下さい」って言われたんですけれども、「いや、僕、島根県に住所置いてるから、ちゃんと島根に払ってますよ」と。
うちの作品は元々島根県にアイデンティティを置いて作っておりまして、『鷹の爪』のキャラクター吉田くんも島根県出身ということで登場してきます。後ほど、島根県と蛙男商会についてお話しすると思いますけど、大きなキーワードとして「島根県」というのを覚えておいていただきたいと思います。
それでは一人でぶつぶつ喋っていてもあれなんで、ゲストを二人お呼びしたいと思います。一人は私のパートナーで、株式会社DLEの代表取締役・社長であります椎木(隆太)と、もう一人は日経ビジネスオンラインの副編集長(当時)の山中さん。たびたびうちのことを記事に取り上げていただいてます。ご登場いただきたいと思います。どうぞ。(椎木氏、山中氏、登場)
山中 (高校を出て)最初から映画会社に入ったんですか。
FG 映画監督ってどうやってなればいいのか全然わからなかったんで、とにかく「映画」ってついてる会社に入れば何とかなるだろうと思って、読売映画社ってところに入ったんです。
山中 ……そこは映画会社じゃないですよね。
FG 映画の間に入るニュースだったり、「読売新聞ニュース」という新聞の紙面を背景にして、キャスターの方が読むっていうニュース番組があったんですが、僕はずっとその新聞紙面をテレビカメラで撮ってたんですよ(笑)。
山中 さすがに気づかれたわけですよね、これはどうも違うって。
映画会社に入ろうとしたら、派遣になっちゃった!
FG 1年くらいやって、このままだとカメラマンになっちゃうと思って辞めました。でも、カメラはカメラで楽しかったんですよ。レンズって広角や望遠があって、シャッタースピードを変えるとこうなるんだとか、いろいろ参考になったんですけど、やっぱり映画監督になりたかったんで。
それで、フリーターになって「フロムA」を読んでいるうちに、東映の関連会社でアームっていう、東映で働くフリーランスの人たちを派遣するいわゆる派遣会社なんですが、そこに登録して、そこから劇映画の世界に入るわけですね。
山中 どんなお仕事をされてたんですか。
FG 映画監督になるためにはいろんなパートを知らなきゃいけないだろうと言われて、最初は照明の助手をやらされまして、次は制作部の助手。これはいわゆる撮影の段取り屋さんなんですよ。ロケ現場を見つけたり、スタッフが滞りなくちゃんと集合場所に来るように「明日何時です」って電話したり、車や弁当や泊まるところを手配したり、警察に引っ張られたりとかいうのもあるんですけど(笑)、そういう対外的な、いわゆる撮影隊の縁の下の力持ちみたいなことをやらされてたんです。
撮影部は撮影のこと、照明部は照明のことと、みんなそれぞれの専門職があるんですけれども、それだけじゃ埋め切れないいろんなスキマがあるじゃないですか。そのスキマを埋めるのが制作部なんです。だからもう多岐にわたるんですよね。トイレットペーパーがないという時も我々の仕事なんですよ。
山中 やりがいはありましたか?
FG きつかったですけど楽しかったです。制作部の仕事をやって一番よかったのは、映画のいわゆるスタートから完成までを全部ひととおり見ることが出来たということですよね。
撮影部にいたらアシスタントは本当に現場しか知らないんですけど、制作部は企画がこう上がって来て、最初の初稿が上がったところから完成まで、ともすれば宣伝部から配給の手伝いなんかも出来るんですよね。どういう人たちが関わって、どうやってこの映画は出来ていくのか、どういうところにお金を使っているのか、どこでトラブルが起きるのかを見ることが出来たっていうのはすごくいい経験でした。
どんなに辛くても、とにかくそこにいるしかなかった
山中 でも相当きつかったんじゃないですか?
FG きつかったですね。本当にきつくて、なんでこんなに割の合わないことをやらなきゃいけないんだろうと思ってました。その時にどこでも寝れるという習性を身につけました。例えば夜中の2時に終了。でも翌朝6時集合って言われたら4時間しかないじゃないですか。家帰ってたら時間なくなっちゃうんですよ。だったらもう直接次の集合場所――例えば新宿スバルビル前とか、渋谷パンテオン前とかあるんですけど、そこに行って車止めて寝るんですよ。5分でもいいから長く寝なきゃいけない。
山中 サイドブレーキをガッと引いて……。
FG そう。ガッと引いた瞬間に寝る。夏だろうが冬だろうがどこでも寝る。それは我々制作部の生きるための鉄則でしたね。
山中 これは、ずっと続けていたら監督になれるとか、そういう思いがあったから耐えられたんですか?
FG いや、それよりも映画界ってここしかないんですよ。もしこれが映画じゃなくて、例えばどっかのラーメン屋さんに勤めて、対人関係やお店自体が嫌だと思えば、別のラーメン屋さんに移れるんですけども、僕らって基本的にフリーランスなんで「日本映画が嫌だ」と思ったら、映画業界一生関わり持てなくなっちゃうんですよね。意地でも映画やろうと思ってたんで、辞めるにも辞められなかった。
山中 とにかくそこにいるしかない。
FG ええ。映画業界ってそんなに広くないですから、いつか絶対また嫌な奴とも仕事しなきゃいけない。ですから、そこはもうどんなに理不尽なことを言われようが、条件の悪いことを言われようが、しがみついていくしかないなと。
山中 なるほど。しかしそこまで思い詰めていた方がなぜ島根に引っ込まれたんですか。
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