人間の運命は無数の変数に乱舞し続けるもの。誰ひとり例外なく、ひと時たりとも留まることの許されない流転の中にあります。けれども、戦後日本で、これほどまでに多くの人の運命が収斂した瞬間はなかったかもしれません。2011年3月11日14時46分18.1秒。その変数にさらされた「わたし」という定数それぞれの「いま/ここ」を訪ねます。
シリーズ
20110311144618.1 あの瞬間とわたし
完結
全14回 完結
震災の日、鈴木宗男氏が”塀の中”で綴った「獄中日記」
東日本大震災で日本が混乱にある中、元衆院議員・鈴木宗男氏は栃木県の刑務所にいた。テレビなどの情報から遮断された生活を送っていた鈴木氏は、あの日をどう迎え、何を考えたのか。当時の「獄中日記」を見せてもらいながら、回顧する。
木の屋石巻水産・木村社長「あの時の日本人は素晴らしいんです」
全国の人たちは社名よりも「くじらの大和煮」の缶詰で知っている方のほうが多いかもしれません。震災では工場は崩壊し、倉庫にあった商品の大部分が流されてしまいました。出荷待ちの缶詰は約100万缶ありましたが、その半分以上が失われてしまいました。
「かもめの玉子」さいとう製菓が乗り越えた2度の津波
岩手銘菓「かもめの玉子」のさいとう製菓は、大船渡を襲った1960年、2011年の二度の津波を乗り越えてきた。津波によって大船渡にとどまり、家業を三陸有数の企業に育てた齊藤社長。復興には「大船渡にしかないもの」が必要だという。
トモダチ作戦、米兵はシャワーすら浴びなかった
被災民の救助、被災地の復旧を考えた時、最初に行なわなければならなかったことの一つが、物流インフラの復旧だった。物流が機能しなければ、救護物資も救援物資も、被災者の元に届けることができない。仙台空港復旧プロジェクトを振り返る。
南相馬を照らす「左手のピアニスト」舘野泉氏
「鍵盤の詩人」と言われ、右半身不随になった後も、フィンランドと日本を拠点に活躍する「左手のピアニスト」舘野泉氏。福島県南相馬市のホールの名誉館長として、被災地支援を続けてきた。
喉元過ぎれば…「データを失う怖さ」を再認識してほしい
震災後に、津波で潮水に浸かった情報機器のデータ復旧を手がけたAOSテクノロジーズ。同社の佐々木隆仁社長に、データ復旧のエピソードと、震災から得られた教訓を聞いた。同氏は、データを守るにはバックアップしかないと訴える。
杉本彩さん「震災のトラウマを抱えるペットに光を」
3.11後、被災地で飼い主などの見つからないペットの保護活動を続けている女優・杉本彩氏。震災直後には自身が被災地から7匹の猫を引き取り、育てている。動物愛護活動家としても有名な杉本氏が、被災したペットたちから感じたこととは。
『いちえふ』作者「取材じゃなく“就活”で福島原発に行った」
「やられた」と感じたジャーナリストは相当多かったのではないでしょうか。福島第一原子力発電所の収束作業に現場作業員として潜り込み、その実態を「マンガ」で世に問う『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』。
石原慎太郎氏:今、明かす「天罰発言」の真意
東日本大震災の発生当時、石原都知事はハイパーレスキュー隊の派遣や震災瓦礫の受け入れなど、被災地の復旧に大きく貢献した。一方で、いわゆる「天罰発言」で批判も浴びた。当時の自分の言動を、石原氏本人は今、どう総括するのか。
原発を造る側の責任と、消えた議事録
福島と同レベルの地震振動と津波に直面した、東北電力・女川原子力発電所は事故を起こさなかった。つまり、施設としての原子力発電所はあれだけの地震と津波に耐えるように設計することが十分に可能だった。
考え続けている。原子力発電は本当に危険か?
正確には「原子力発電は危険」なのではなく「原子力には原子力特有の危険性がある」ということだ。そして、原子力工学が決して危険に対して無策でいたわけではないということも見えてくる。
大川小の真実「検証方法変えないと解明は困難」
東日本大震災から7年。児童74人、教職員10人が津波で犠牲になった大川小の惨事を取材してきたが、真相はうやむやなままだ。子供たちの証言は公文書上ではなかったことにされるなど、「検証委員会」は迷走した。検証委員会の委員長を務めた専門家さえも「検証が不十分だと言われるのはその通りだ」…
三陸の水産加工業「震災前を超える」挑んだ7年
気仙沼市で水産加工業を営む阿部長商店の阿部泰浩社長が、震災後の苦しかった7年間を振り返る。加工工場は津浪で壊滅的な被害を受けたが、社員の解雇はせずに皆で頑張ってきた。その甲斐あって、ちょうど今春から新たな事業を始める。海外のイスラム教徒向けの水産加工品の輸出を開始するのだ。
陸上自衛隊トップ、辞任覚悟の出動命令
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。多くの死者を出した一方で、約1万9000人が救助され命を長らえた。その7割を救助したのが自衛隊だ。