このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

乞食が見られなくなったわけの憶測

趣味のWebデザイン 2007-10-15 乞食はどこへ消えた?(魚拓)

↑のネタ元:EP: end-point 科学に佇む心と身体Pt.2「自律からホームレス、自立と女のホームレス」(以下つづきを押さないと一括表示できないようなので注意。)

徳保氏の「自立志向の強まりが云々、」というくだりはネタ元には見あたらない。ここだけ取り出すと、ホームレス側が自立志向を強めたとも読めるが、雨宮氏サイドの文章は、たとえばエントリ末の

…「自立してあたりまえ」のような錯誤はいつからこう、蔓延するようになったんだろう?

という言葉を見る限り、社会の側が「自立志向」を重視するようになった、ないし、中高年男に自立を強制していることを問題視しているように見える。

徳保氏の認識で気になるのは、

所詮は個人の価値観の選択の問題に過ぎないわけで、筋さえ曲げれば死なずに済むわけだ。
私の知る限り、「社会に戻っておいでよ」「困ったことがあったら頼ってくださいよ。あなたに死なれちゃ困るんですよ、私も」みたいなことは、政府もボランティアの人々も、散々やってきているわけで。まだまだ足りない、ですか? その匙加減だけが争点なのかなあ?

というあたり。社会は手を差し伸べているから、筋を曲げてそれに乗りさえすれば少なくとも死は免れる、というわけだが、差し伸べられているという社会というか国家(ボランティアとか善意の人は確かにいるので区別のためにこう書く。)の手は、私が感じたところでは形だけで本音とは思えない。本音は「見えないところでひっそり死んでくれ」あたりではないのだろうか。どこかの個人や団体ではなく、国家ないし社会に頼ろうとした(生保を取ろうとした)時にどう対応されたかは「転落日記」に書いた。死にたくないので色々手を尽くしたが、それでしぶしぶ保護を認めてもらったと理解している。事情があってネットには書けなかった水面下での足掻きをしなかったら、おそらく今年の初めに私はこごえ死んでいただろう。



※徳保氏側の関連エントリ

「情けは人のためならず」が誤解される世の中ですが

生き方のルール

生きるより大事なことなんか何もないとという人がホームレスをやっているなら、乞食がもっとたくさんいていい

それはどうだろうか。



現代日本社会の大多数ないしその総意としての国家の本音はやはり、"(中高年)男は自立すべきで、自立してない奴に金など恵んで甘やかしてはいけない"というマッチョなものだと感じている。インターネット上での"物"乞いは乞"食"ではないだろうから乞食をやった経験はないと言っていいだろうと思うが、時間当たりの収益はおそらく空き缶拾いとかの労働より劣るのではないだろうか。(そうでなければ、管理者に追い払われるとか、暴行されるないし上がりを強奪される可能性が高いなどの事情があることも考えられる。)そのへんが乞食をほとんど見ない理由だと憶測する。