電車とバスでGo!その8~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く~ 鎌倉・金沢編~

鶴岡八幡宮~大河ドラマ館も設置される武家の都鎌倉の象徴~

画像:横須賀・三浦半島はおろか日本中に影響を与えた佐様、八幡宮と並ぶ武家の都鎌倉の象徴@【11.16~20】5日間連続出演者発表!2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」より

源 頼朝(みなもと の よりとも、旧字体:源 賴朝)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将、政治家。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。

源頼朝@Wikipediaより

まずは源頼朝公と共に武家の都鎌倉の象徴ともいえる鶴岡八幡宮を見ていきます。

画像:鶴岡八幡宮@鎌倉市観光協会HPより

始まりは、鎌倉幕府を築いた源頼朝公の祖先源頼義が、京都の石清水八幡宮を勧請(神様の御分霊を他の地に還し祀ること)したことです。頼義は石清水八幡宮を篤く信仰しており、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀りました。
その後、源頼朝公が現在の地にお還しし、鶴岡八幡宮の基礎を造りました。~中略~
八幡神を祀る神社は、全国に4万社以上あると言われています。古くより源氏の氏神とされ、「武運の神」としても全国で信仰されました。
鶴岡八幡宮では、「応神天皇」、「神功皇后」、「比売神」の三柱の神様を御祭神としてお祀りしております。

鶴岡八幡宮の始まり@鶴岡八幡宮公式HPより

鶴岡八幡宮、源頼朝と言うより鎌倉・室町時代と言う日本の中世の東京である鎌倉の象徴ともいえる場所であり、鎌倉開府から800年以上たった現在でも多くの人が訪れてにぎわう場所です。もともとは八幡太郎義家、新羅三郎義光(佐竹(武田)系源氏の開祖)の父にあたる源頼義が今の杉並区にある大宮八幡宮などに京都の石清水八幡宮を勧請した事でその先祖に習って頼朝が由比ガ浜に源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀ったのが始まりとされていて、その後全国に4万社以上にまで広まりました。ちなみに全国のセブンイレブンが2万店と言われている事からも沖縄や北海道も含め日本全国で草の根で信仰されていたのが分かります。

二の鳥居

それでは歩いていきます。華やかな小町通もよいですが正式な参拝ルートに思えるので二の鳥居から向かいます。八幡宮から真直ぐ続く結構長い参道はなかなか引き締まるものです。

そして二の鳥居からずっと進むとメイン(?)の鳥居に到着します。古都鎌倉の象徴ともいえる場所だけにさすがに人が多かったです。そしてずっと本宮までずっと真直ぐと言うのも良い感じです。

さて鳥居から本宮へのルートにはこのように見事な橋がありますがどうやら「このはしわたるべからず」と言った感じです。きっと頓智を聞かせて「はしがダメなら真ん中」とすると京の都とは別の反応が返ってきそうなので素直に隣の橋を通ります。橋の下ピーナッツ型の池があり右には弁天様があります。良く考えるとあとで紹介する称名寺にも似た意匠がありますので池を橋で渡るというのは鎌倉時代の流行だったのかもしれません。

続いて進むと舞殿となります。静御前が義経を慕い、心をこめて舞った若宮廻廊跡に建っているとの事で場所としては源平合戦期の伝説のステージと同じ場所に立った舞殿です。政治と宗教と芸能、それと兄弟・恋愛の様々な感情それらがないまぜになった伝説の舞台に思いをはせたいところです。

そして本殿にたどり着きます。混雑の為写真は中途半端な場所となってしまいました。さて元祖東京の象徴鶴岡八幡宮、でっかく「天下を我が手に」とでも願いたいところですが、ここは群馬県高崎市にある山名八幡宮に参拝した時に願っているお願いをアレンジして「坂東以東11か国を我が手に」とでも願っておこうと思います。天下(近畿)よりも贅沢だという突込みはなしでお願いします。

大河ドラマ館と関連イベント

続いては大河ドラマ館へ向かいます。真ん中を通ると怖そうな見事な橋の先を進むとこのような看板があるので左折します。

そして進むと鎌倉時代の象徴に似つかわしくない現代的な建物が見えてきます。鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムと言う建物で、ここが「鎌倉殿の13人」の大河ドラマ館となります。大河ドラマ館と言うと何故か「花燃ゆ」のものにもいった事がありますが、その際は確か群馬県庁でした。主人公の勤務先なのである意味正しいですが、洒落ているという意味では「鎌倉殿の13人」に軍配が上がります。

少々ピンボケしてしまったのが残念ですが、いつもはヒゲの人に無茶振りされている主人公が珍しく堂々としたかっこよい大看板で出迎えてくれます。チケットは現地購入も可能ですが、出来ればこちらのサイトから事前購入すると無難だと思います。

いつもヒゲの人にこき使われお疲れ様です

大河ドラマ館では主要な登場人物の立て看板や衣装、各登場人物の紹介がなされるデジタルサイネージなど充実した展示がなされています。堂々とした大看板と違い普段着の主人公義時を見ると「いつもヒゲの人にこき使われお疲れ様です」と労いたい気持ちになります。

横須賀市公認謀将参上

そしてわれらが横須賀市公認謀将、三浦義村もいます。後ろは謀将らしく悪巧みを相談するスペースでなくメイキングや時代背景などの動画が公開されるシアターで多くの観客を集めていました。私もその1人ですが、なかなか面白かったです。横須賀市公認謀将は最後まで付き合ってくれそうですが、後鳥羽上皇をはじめ後半戦にも魅力的な面々が出てくると思いますので何度言っても楽しめそうです。

2022年3月1日(火)~2023年1月9日(月・祝)
鎌倉殿の13人大河ドラマ館
開館時間:9:30 ~ 17:00(最終入館16:30)
料金:大人 1,000円(高校生以上)、小人 500円(小・中学生、未就学児は無料)、チケット購入はこちらから
割引対象者:身体障害者手帳(介護者は無料)、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳を所持されている方
鎌倉国宝館・鎌倉歴史文化交流館:大河ドラマ館入館時にお渡しするパンフレットの提示で(平常展 各大人300円 小人100円)へ各1回無料で入場できます。 (2023年3月31日まで)
コメント:鎌倉殿の13人の大河ドラマ館はこの鶴岡八幡宮内に設置され3月から来年1月9日までオープンします。伊豆の国市のものも含め是非ご来場ください。
3月10日(木)~2023年2月28日(火)
「鎌倉駅の13印」プロジェクト始まります!
場所:JR 鎌倉駅 東口改札
内容:鎌倉駅の月ごとに絵柄が変わる駅スタンプと今回作成した「特別な 13 印目」を集めていただき、1 年を通して鎌倉の景色や景観を楽しんでいただくプロジェクトです。13 種類の印が押せる駅スタンプ帳「鎌倉駅印帳」の無料配布や、「鎌倉駅印帳」に関連したイベントを実施していきます。

アクセス
鶴岡八幡宮(大河ドラマ館、鎌倉国宝館)
京急金沢八景駅より京急バス鎌倉駅行八幡宮バス停下車
JR横須賀線、江ノ島電鉄線鎌倉駅下車徒歩
鎌倉歴史文化交流館
JR横須賀線、江ノ島電鉄線鎌倉駅下車徒歩
京急金沢八景駅より京急バス鎌倉駅行鎌倉駅バス停下車
長谷寺
江ノ島電鉄線長谷寺駅下車徒歩
JR鎌倉駅より京急バス大船・鎌倉山・江の島行き、諏訪ヶ谷循環、江ノ電バス桔梗山、湘南車庫、藤沢駅行バス長谷観音バス停下車
※江ノ電バスは三浦半島1DAY・2DAYきっぷ三浦半島まるごときっぷ範囲外です

参考
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮@鎌倉市観光協会HP
鎌倉殿の13人大河ドラマ館
鶴岡八幡宮@鎌倉タイムス
鶴岡八幡宮@鎌倉手帳
鎌倉国宝館
鎌倉歴史文化交流館
安里八幡宮@沖縄県神社庁

琵琶島神社~北条政子が誘致した金沢八景の名刹~

恐妻か、良妻か、弁天様か?

北条 政子(ほうじょう まさこ、平政子(たいらの まさこ)、保元2年(1157年) – 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻。

北条政子@Wikipediaより

続いては頼朝公の正室であり、ある意味「鎌倉殿の13人」のメインヒロインとも言える北条政子に縁の地を少し見ていきます。

金沢八景、シーサイドライン〇景、琵琶島神社

治承4年、源頼朝が三島明神を勧請して瀬戸神社を創建した時に、夫人の北条政子が夫にならって、日頃信仰する琵琶湖の竹生島弁財天を勧請して、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられています。
祭神は立ち姿なので「立身弁財天」、また、島の形が琵琶に似ているので「琵琶島弁財天」とも呼ばれています。
源頼朝が瀬戸神社参拝のため、平潟湾で禊(みそぎ)をした時に衣服を掛けた石なので「呉服石」とも、「福石」とも呼ばれたと伝えられています。

琵琶島神社@横浜金沢観光協会より

京急に金沢八景と言う駅があります。歌川広重を始めとする多くの浮世絵師が名所絵として描いた金沢八景がルーツなのですが、今は埋め立てで失われた光景も多いです。その中で間違いなく八景の1つだったのだろうなと思わせる光景がシーサイドラインの車内などから拝めるこの琵琶島神社です。実際造られたのが鎌倉時代と考えるとあの時代に人工島と参道、神社を建立したと言うのはやはり尼将軍の権威と教養、またこの金沢区、鎌倉と同様の海に近い伊豆半島に育った人らしいセンスを感じさせます。ただ夫である頼朝公が弁天様に浮気しないかを心配しそうですが。

鳥居と松並木の参道

この神社へは金沢八景駅から少し歩いたコンビニ脇から向かいます。鳥居をくぐると参道の両脇を立派な松並木が飾り、鎌倉時代の人工島へ向かいます。

小さな橋を渡ると神社に到着

そして石灯籠の先にある橋を渡り神社に到着です。ちなみに訪れた際は賽銭箱は閉じられていて向かいの瀬戸神社でとの事でした。天下の尼将軍も現在は財布のひもをしっかり者の夫に握られているようです。

写真:周辺は周辺は漁師町兼シーサイドのマンション街

周辺には漁船が見え漁師町とシーサイドのマンション群が望めます。横須賀市の追浜~金沢八景~シーサイドライン沿線は美味しいお寿司屋さんの話なども聞く事が多いので聖地巡礼のついでに美味しい江戸前の海の幸に舌鼓を打つのもよいと思います。

瀬戸神社

琵琶島神社入口から見える瀬戸神社、奥さんの神社の大向さんです

鎌倉時代、幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊をこの「せと」の聖地に祭り、篤く信仰しました。
社殿の造営もおこなわれ、今日のような神社の景観ができ上がったのは概ねこの頃のことです。
以後、金沢(六浦)の地は港町として発展し、鎌倉と関東一円を東京湾や利根川を水系利用して結ぶ水上物流の集散地となりましたから、執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。
ことに江戸時代には徳川家康は社領百石を寄進しています。
そして武家のみならず、名勝金沢八景の中心の神社として江戸の町民にまで広く崇敬者はひろがり、文人墨客も多く当社を訪れました。

由緒@金沢八景瀬戸神社

そして北条政子が琵琶島神社を作ったのと前後してできたのがこの瀬戸神社です。こちらは北条政子ではなく源頼朝が三島大社の分霊をもともと当地の聖地である瀬戸神社に祀ったもので、以降も足利氏、後北条氏、徳川家康と関東の支配者からの崇敬や保護を受けいつしか景勝地金沢八景の中心として武士だけでなく町人にも愛される場所となりました。

入口からすぐに本殿

神社の鳥居を入り少し進むとあっという間に本殿です。横須賀・三浦半島の神社は結構上下が多いのでありがたいところです。琵琶島神社の分もお参りを済ませておきます。

本田の先には洞窟に設けられた可愛らしい稲荷神社も

そして本殿の先を少し進むと洞窟の中に小さな稲荷神社があります。可愛らしいので参拝しようとしたら先客がいましたのでその終了を待ってからお参りしました。衣笠城址の稲荷神社はいくのも大変で背景の物語も壮大ですが、これくらいだと親しみやすいところです。
電車&バスでGo!その2~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 大矢部編~

アクセス
京急・シーサイドライン:金沢八景駅下車徒歩
JR鎌倉駅より京急バス金沢八景行きバス終点下車徒歩

参考サイト
横浜金沢観光協会
鎌倉殿×横浜金沢@横浜金沢観光協会
琵琶島神社@横浜金沢観光協会
琵琶島弁財天@鎌倉手帳
金沢八景瀬戸神社
瀬戸神社@横浜金沢観光協会
瀬戸神社@鎌倉手帳

称名寺&金沢文庫~義時の孫が遺したもの~

本人の演者が発表されていないのでおじいちゃんが代理@鎌倉殿の13人@NHK

北条 実時(ほうじょう さねとき)は、鎌倉時代中期の武将。北条氏一門。金沢流北条氏の実質初代で、金沢 実時(かねさわ さねとき)とも。父は北条実泰。母は天野政景の娘。

北条実時@Wikipedia

さて続いて北条義時の縁の地…と行きたいところですが、金沢区には義時の孫にあたる北条実時が作った国の史跡に指定されている名刹がありますのでそちらを紹介します。ただこの実時、おじいちゃんが大河ドラマの主役になる前に孫が大河ドラマに出演しています。「太平記」で執権を務めた北条貞顕、児玉清さんの演技もよかったです。また彼の妹は足利尊氏の父足利貞氏に嫁いでいます。(2022/3/5修正)ので、実時の子孫は天下を取ったことになります。

写真:住宅地内に地味なたたずまいで存在する称名寺

金沢山(きんたくさん) 称名寺 (真言律宗)
金沢北条氏一門の菩提寺。
鎌倉幕府の要人・北条実時が六浦荘金沢の屋敷内に建てた持仏堂から発展が起源とされます。
実時の孫・貞顕の時代には三重の塔を含む七堂伽藍を完備した大寺院として全盛期を迎えました。

称名寺@横浜金沢観光協会より

さてまず訪れるのは称名寺、住宅地の中にあるたたずまいは国の指定する史跡と思えないほど地味です。とは言え丘陵部にあり、少し行くと海にも向かえるという立地は鎌倉時代の名刹と言うのを感じさせます。

写真:称名寺通用門、左右は高さ4mの仁王像が守りを固めています。

朱塗りの赤門をくぐると桜並木の参道が続き、突き当りには仁王門。
鎌倉時代に造られた高さ4mの大きな仁王像が出迎えます。

称名寺@横浜金沢観光協会より

桜並木の賛同を通ると高さ4mの仁王像が出迎えてくれる仁王門があります。地味ですが無骨なのが鎌倉時代の史跡であることを感じさせてくれます。

写真:阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した「浄土庭園」

仁王門横の通用門を入ると、阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した「浄土庭園」が広がります。

称名寺@横浜金沢観光協会より

そして仁王門を抜けると中之島・反橋・平橋と3つの朱色の橋をかけた大きな池阿字ヶ池を中心とした見事な庭園が出迎えます。浄土庭園と言う庭園でその名にたがわぬものがあります。

写真:浄土庭園を過ぎると金堂・釈迦堂・鐘楼(称名晩鐘)があり、境内には創設者実時の銅像も

浄土庭園の向こうには、緑豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背に金堂・釈迦堂・鐘楼(称名晩鐘)があります。
春の桜、初夏の黄菖蒲、秋の紅葉と四季折々の景観が美しく訪れる人の憩いの場所となっています。

例年5月初めに境内で薪能が開演されます。

称名寺@横浜金沢観光協会より

さて浄土庭園を抜けると本堂ともいえる金堂・釈迦堂・鐘楼(称名晩鐘)があります。また境内には設者実時の銅像もあり、義時の孫がどんな感じだったのかも見て取れます。実際浄土庭園や参道、また緑豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)と自然豊かな市民の憩いの場であり、四季折々の光景が楽しめる場です。
また5月のGWには薪能が開演されていますので初夏の夜に見事な庭園をバックにした薪能を堪能するというのも贅沢な楽しみ方かもしれません。

写真:実時が遺したもう1つの遺産、今は県立の金沢文庫

中世の金沢文庫は、称名寺と小山を隔てた場所に造られたとされる、我が国で現存する最古の武家文庫です。
ここには、金沢北条氏の歴代が蓄積した文書・記録・和漢の典籍が保管されていました。
称名寺とはトンネル(中世の隧道)でつながっています。
鎌倉幕府が滅亡した後に接収をまぬがれた書物や書類は、 称名寺で保管されました。~中略~
館内には、数々の国宝・文化財の絵画・古文書等の外に、1階奥に称名寺金堂の内部が復元されています。
中央に金色に輝く弥勒菩薩(レプリカ)、その背後には弥勒来迎図(復元模写)弥勒浄土図(復元模写)が色鮮やかに蘇り、浄土の世界を体感できる空間となっています。

県立金沢文庫@横浜金沢観光協会より

続いては実時が遺したもう1つの遺産金沢文庫へ向かいます。金沢文庫は日本最古の武家文庫であり、実時とその子孫である金沢北条氏によって収集された文書・記録・和漢の典籍が保管されていました。現在の金沢文庫は平成2年に現在の場所に建てられ、数々の国宝・文化財などの貴重な資料や称名寺の近藤の内部が復元される等ある意味で称名寺とセットの遺跡の資料保存場所としても機能しています。

営業時間:9:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜、祝日の翌日、年末年始(12/29~1/3)
料金:20才以上(学生除く)250円、20才未満・学生150円(団体割引あり)、65才以上・高校生100円

枯山水を思わせる庭

現在は資料館と言う意味合いが大きいですし建物自体も後世に作られたものですが小さいながらも鎌倉時代を思わせる庭もあります。少し息を抜きたい時はこちらへどうぞ

アクセス
京急線金沢文庫駅東口より京急バス柴町行き称名寺バス停下車
シーサイドライン海の公園柴口駅下車徒歩

参考
横浜金沢観光協会
鎌倉殿×横浜金沢@横浜金沢観光協会
称名寺@横浜金沢観光協会
県立金沢文庫@横浜金沢観光協会
称名寺@鎌倉タイム
称 名 寺@鎌倉手帳
県立金沢文庫
金沢文庫@鎌倉手帳
称名寺薪能実行委員会
第25回称名寺薪能 金澤能(令和4年5月3日(祝日・火曜日))の前売券販売について@金沢区
薪能 ~称名寺~@IS-AMU Log.

富岡八幡宮

富岡八幡宮@横浜金沢観光協会より

当宮はおよそ八百年前、建久二年(1191)に源頼朝公が当郷鎮護の為摂津の西宮の恵比寿様をお祀りしたのが始めで、のち安貞元年(1227)には八幡大神を併せ祀り、社名も八幡宮と改めました。
鎌倉からはちょうど鬼門の方角に当たる海に面した小山に祀られていて、社も鬼門を向いており、鎌倉幕府の厄災防除の神としても祀られた神社です。
また八幡宮の山が応長(1311)の大津波から部落を守った事から『波除八幡(なみよけはちまん)』とも称ばれ、広く江戸方面からも信仰を集め、深川・富岡八幡宮へ御分霊された事は有名です。 

由緒・御祭神@富岡八幡宮より

さて続いては富岡八幡宮、鎌倉幕府の鬼門封じの為に西宮の恵比須様を祀ったのが始まりで、江戸幕府における日光東照宮の様なポジションにある場所と言った感じです。東照宮のような派手さはありませんが、大津波から地域を守った実績を持ち、『波除八幡(なみよけはちまん)』の名で江戸にも知られて深川にも分霊されたそうです。
こんなところにも質実剛健な鎌倉らしさを感じます。

アクセス
京急線京急富岡駅※シーサイドライン並木北駅下車徒歩
※富岡八幡宮に関しては三浦半島1DAY・2DAYきっぷ三浦半島まるごときっぷ のフリー区間範囲外ですので別途切符購入等をお願いします。

参考リンク
富岡八幡宮
富岡八幡宮@横浜金沢観光協会
富岡八幡宮@鎌倉手帳

朝比奈切通し~和田義盛の息子が一晩で切り開いた切通し~

ほぉ!いい面構えだ!!ティンと来た!!!

朝比奈 義秀(あさひな よしひで)は、鎌倉時代初期の武将・御家人。安房国朝夷郡に領地としたことで朝比奈を苗字とする。朝比奈氏(和田氏一族)の当主。~中略~
正治2年(1200年)9月、小壺の浜で2代将軍・源頼家が若い御家人と共に笠懸をし、船を出して酒宴を催していた際、水練の達者と聞き及ぶ義秀にその芸を見せるよう命じた。義秀は海に飛び込み、10回往還し、次いで海の底へ潜り、三匹の鮫を抱きかかえて浮かび上がり力を示した。頼家がその技を賞して奥州産の名馬を賜おうとすると、この馬はかねてより兄・和田常盛が所望していたものなので、常盛は相撲ならば弟には負けないと言い出し、浜で相撲の対決をした。双方大力で容易に勝敗は決しなかったため、北条義時が間に入って引き分けさせたが、常盛は衣を着替える間もなく馬に飛び乗って去ってしまった。義秀は大いに悔しがり、その座にいた者は大笑いした。
義秀の大力の話は『曽我物語』にもあり、また鎌倉の朝夷奈切通(朝比奈切通し)は義秀が一夜で切り開いたものという伝説もある。

朝比奈義秀@Wikipediaより

続いては現在絶賛活躍中の坂東武者和田義盛の息子にあたる朝比奈 義秀に縁の地の紹介です。朝比奈義秀は怪力で知られ、この朝比奈の切通しや水練では鮫を3匹抱えて帰ってくるなどどこまで正しいかは分かりませんが、ただ父義盛譲りの武勇で合戦での活躍が語られる武将だったそうです。

画像:横浜金沢観光協会より

現在、鎌倉霊園を経て鎌倉行きのバスが通っている県道は、昭和31年に開通したものです。
それ以前の旧道は、朝比奈バス停のすぐ先から左の谷あいをのぼり、鎌倉の十二所へ下りて行く山道で、「朝夷奈切通し」と言い、鎌倉七切通しの一つで、国の指定史跡になっています。
和田義盛の三男・朝夷奈三郎義秀が一晩で切り開いたという伝説からこの名がついています。
この地域を直接支配した鎌倉幕府は、1240年この峠道の開削にかかりました。工事は翌年竣工しましたが、執権北条泰時(やすとき)は自ら現場に出てきて監督し、督励のため自分の乗馬で土石を運ばせたりしたので、見る者はみな営々として働いたといいます。
この道が開かれると、北条氏にとっては江戸の内海や北からの物資はすべて六浦から鎌倉に入り、しかも房総の大族千葉氏と共に、三浦氏を牽制するのに非常に有利になりました。
また、昔の金沢は、その頃から幕末に至るまで生活必需品の塩の産地であり、十二所の光触寺(こうそくじ)にある塩なめ地蔵は、かつて金沢の塩売りがこの峠を越えて鎌倉へ商いに出るとき、お初穂の塩を供えたと言われています。

朝夷奈切通し(朝比奈切通し)@横浜金沢観光協会より

さて伝説では朝夷奈三郎義秀が一日で完成させたこの切通ですが、そんな伝説とは裏腹に六浦金沢地区は江戸湾方面からの物資の集積地帯であり、生活必需品である塩の産地でもあり、その運搬の経路だったために北条氏も気合を入れて整備したそうです。本来であれば金沢区は旧武蔵国、鎌倉市は旧相模国と昔の感覚では国境をまたぐ道ではありましたが、それでも東京である鎌倉への運輸連絡は重要できちんと経路を整備していたというのは今京急が高速で神奈川県の横浜・横須賀と東京都の品川、都営浅草線と直通しての東京都心と言うルートが整備されているところにも通じるものがあります。

アクセス
京急線金沢八景駅より京急バス鎌倉駅行朝比奈バス停下車
JR横須賀線,江ノ電鎌倉駅より京急バス金沢八景駅行朝比奈バス停下車

参考
横浜金沢観光協会
鎌倉殿×横浜金沢@横浜金沢観光協会
朝夷奈切通し(朝比奈切通し)@横浜金沢観光協会
鎌倉七口:朝夷奈切通@鎌倉手帳
鎌倉七切通し@鎌倉タイム

上総広常~元祖上総介?~

登場人物@NHK鎌倉殿の13人より

坂東武士団で最も頼りになり最も危険な男。二万騎ともいわれる大軍勢を率いており、頼朝が合流を切望するが、その去就は読めない。

登場人物@NHK鎌倉殿の13人より

さて坂東一の大物、上総広常、ドラマでは義澄、時政と並ぶ坂東の大物として、また「ぶえい」の掛け声に代表される気さくな人柄でファンの中で大きな人気を博しました。ここではそんな広常縁の地を少し紹介します。

朝比奈バス停のすぐそばです

横浜市金沢区の朝比奈のバス通りにある五輪塔(「上総介塔」)は、上総介広常の墓ともいわれています。金沢八景行きのバス停から歩道沿いに行くとすぐですので切通しなどへ向かう途中に寄り道してみてみるのもどうでしょうか?
アクセス
京急線金沢八景駅より京急バス鎌倉駅行朝比奈バス停下車
JR横須賀線,江ノ電鎌倉駅より京急バス金沢八景駅行朝比奈バス停下車

また少し距離があり相武国境も超えるのですが、広常の屋敷跡が比較的近い場所にあります。十二所神社バス停から朝比奈切通し方面へ歩いていける朝比奈の滝周辺にあったと言われています。ハイキングがてら訪れてみるのもよいかと思います。
アクセス
京急線金沢八景駅より京急バス鎌倉駅行十二所神社バス停下車
JR横須賀線,江ノ電鎌倉駅より京急バス金沢八景駅、鎌倉霊園正門大刀洗行朝比奈バス停下車

そして広常に関係あるかは分かりませんが、梶原大刀洗水と言う名水も近くにあります。どうやら梶原景時が誰かを斬った際に太刀を洗った水らしいのですが、そんな水が名水として親しまれているのを見ると坂東武士のDNAを感じます。ちなみに梶原景時の名目的な子孫と思われる梶原政景は江戸時代の初期佐竹義宜に仕え秋田霞城の縄張りを行い、鎌倉時代以降戦乱の地であった関東の築城術を現代に伝えているらしいです。
アクセス
京急線金沢八景駅より京急バス鎌倉駅行十二所神社バス停下車
JR横須賀線,江ノ電鎌倉駅より京急バス金沢八景駅、鎌倉霊園正門大刀洗行朝比奈バス停下車

参考
上総介塔@横浜金沢観光協会
上総介広常の五輪塔@鎌倉手帳
上総介広常屋敷跡@鎌倉タイムス
梶原太刀洗水@鎌倉手帳
源頼朝のための願文・・・上総介広常(okadoのブログ)

関連イベント

イベント情報

~11月27日(日)
運慶800年遠忌記念特別展「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」
場所:県立金沢文庫(京急金沢文庫駅、シーサイドライン海の公園南口駅下車徒歩)
時間:9:00~16:30
観覧料:一般800円、学生及び20歳未満:600円、65歳以上:200円、高校生:100円
内容:夏休み横須賀美術館で行われた運慶展が金沢文庫でも開催されます。三浦義村、和田義盛ら三浦氏の攻防と運慶をはじめとする鎌倉時代前後の仏師の仕事を見に行きましょう。
参考
電車とバスで行ってみたその1:横須賀美術館特別展 運慶 鎌倉幕府と三浦一族

~12/26(月)
「いざ、神奈川!デジタルラリー ~鎌倉殿×13人の御家人たち 「ゆかりの地」めぐり~」
内容:神奈川県内の「ゆかりの地」を巡ってスタンプをGETしよう!獲得ポイント数に応じて賞品が当たる抽選に応募できます。
チェックポイント:神奈川県内の「ゆかりの地」134か所(第一幕50か所、第二幕39か所、第三幕45か所)

11月12日(土)14日(月)18日(金)21日(月)22日(火)23日(祝)25日(金)26日(土)
オープントップバスで行く!三浦半島「鎌倉殿」ゆかりの地めぐり
集合場所:鶴岡八幡宮(鎌倉発鎌倉着(14、18日)三浦着(12,23,26日)、横須賀着(21日、22日、25日)
出発時間:9:00
料金:3300円
予約:10月19日受付開始(以降各コース30日前からの予約開始)
内容:鎌倉・三浦半島の鎌倉殿ゆかりの地を開放的なオープントップバスでめぐるツアーをこの秋限定で実施します!全コース、通常は非公開の運慶仏を拝観できるプレミアムコースです。すべて鎌倉発。着地は鎌倉/三浦/横須賀の3パターンあります。(コースによって実施日が異なります。)
参考:電車とバスでGo!その5~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 三浦編~

横浜金沢観光協会アドトレインを運行します!
・シーサイドラインでは、「横浜金沢」の魅力発信を強化するために「横浜金沢観光協会」アドトレイン(2編成)を運行しています!「横浜金沢観光協会」アドトレインでは、横浜金沢観光協会の主要事業の紹介や現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿13人」とのゆかりの地を紹介する「鎌倉殿×横浜金沢」や「横浜金澤七福神」、「横浜金沢ブランド」などを紹介します。

鎌倉殿×横浜テクノタワーホテル
・横浜テクノタワーホテルは、八景島・金沢文庫・横浜・鎌倉へ好アクセスと見晴らしのよい客室とレストランが自慢のホテルです。今、ホテルでは NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人のゆかりの地にちなんだフェアを開催中です。是非、お越しください。
場所:横浜テクノタワーホテル(シーサイドライン産業振興センター駅駅下車、京急金沢文庫駅より金沢工業団地循環バス産業振興センター前バス停下車)
内容
鎌倉殿×横浜金沢×鉄板焼レストラン八景 特別コース(8920円@鉄板焼きレストラン 八景(18F))
鎌倉殿×横浜金沢×リューバンカフェ 地産地消ランチコース(3630円@リューバンカフェ(2F))

周遊に便利な切符

金沢八景~鎌倉を結ぶバス路線には上記りんどう号も走ります。

ここまで紹介した聖地を巡る場合以下の切符が便利です。ただし京急線電車か京急線バスのみ使用可能ですので他の交通機関を利用される際は別途切符購入等をお願いします。
※富岡八幡宮、江ノ電バス路線に関しては三浦半島1DAY・2DAYきっぷ三浦半島まるごときっぷ のフリー区間範囲外ですので別途切符購入等をお願いします。

バス路線地図
京急バス
金沢地区
鎌倉・江の島地区
江ノ電バス

三浦半島1DAY・2DAYきっぷ | おトクなきっぷ | 京浜急行電鉄(KEIKYU)

電車:発駅~金沢部文庫駅の往復、金沢文庫駅以南の京急線電車使いたい放題
バス:三浦半島地区の指定バス路線が使いたい放題
値段(1DAY):品川駅~1960円、京急川崎~1640円、横浜~1440円、フリー区間内各駅:1110円
値段(2DAY):品川駅~2070円、京急川崎~1860円、横浜~1660円

三浦半島まるごときっぷ | 三浦半島のおトクなきっぷ | 京浜急行電鉄(KEIKYU)
デジタル三浦半島まるごときっぷ
電車・バス:三浦半島2DAYきっぷと同じ
グルメ:横須賀海軍カレー本舗を含む横須賀のグルメが味わえます。(1名様1回限り)
アクティビティ・お土産:ボードウォークのそばにある温泉、観音崎京急ホテル SPASSOを含む指定の施設・お土産が利用できます。 (1名様1回限り)

値段

参考:デジタルみさきまぐろきっぷ・デジタル三浦半島まるごときっぷ 発売開始!

京急線・京急バス1日フリーパス
電車・バス:京急線全線および京急バス全線(空港・中距離バスを除く)が24時間乗り放題(PASMOで使用可能、泉岳寺駅では購入できませんのでご注意を)
値段:大人3,000円(税込)小児1,500円(税込)

鎌倉駅周辺バス地図
金沢八景文庫両駅周辺バス地図

参考:一日乗車券をもって横須賀・三浦半島へGo!!

参考リンク

鎌倉殿の13人@NHK
 【11.16~20】5日間連続出演者発表!2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
鎌倉殿の13人伊豆の国大河ドラマ館(伊豆箱根鉄道韮山駅下車、入場料一般400円、中学生以下100円)
鎌倉殿の13人大河ドラマ館(3月1日オープン@鶴岡八幡宮、JR横須賀線、江ノ電鎌倉駅より徒歩、京急線金沢八景駅より鎌倉駅行バス八幡宮バス停下車入場料一般1000円、中学生以下500円)
鎌倉殿×13人の御家人たち「ゆかりの地」めぐり@観光かながわNOW 
横須賀市観光協会
 三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
 三浦一族 散策コース紹介@横須賀市 
 三浦一族カレンダー2022
横浜金沢観光協会
横浜で、鎌倉時代を旅しよう!@横浜観光情報
衣笠観光協会
衣笠商店街
 三浦一党出陣 武者行列 2018/4/22(日)@衣笠商店街写真日記
久里浜観光協会
 久里浜エリアの三浦一族ゆかりの地@久里浜観光協会
満昌寺
三浦市観光協会
電車とバスでGo!その2~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 大矢部編~
電車とバスでGo!その5~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 三浦編~

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電車とバスでGo!その2~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 大矢部編~

画像:横須賀・三浦半島にゆかりの深い三浦氏の三浦義村は山本耕史さん、和田義盛は横田栄司さんが演じます。@【11.16~20】5日間連続出演者発表!2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」より

華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き──

源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男 二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。

新都鎌倉を舞台に繰り広げられる、パワーゲーム。
義時は、どんなカードを切っていくのか──

【11.16~20】5日間連続出演者発表!2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」より

十三人の合議制(じゅうさんにんのごうぎせい)は、源頼朝の死後に発足した鎌倉幕府の集団指導体制である。嘉禄元年(1225年)に設置された評定衆の原型とされる。

十三人の合議制@Wikipediaより

2022年の大河ドラマは鎌倉幕府の初期源頼朝の死後発足した集団指導体制13人の合議制を描いた「鎌倉殿の13人」となりました。そしてその13人の主役のうちの三浦義村、和田義盛の2人は横須賀・三浦半島に縁の深い三浦氏の武将です。ここではこの2人を中心にこのドラマに縁の深い場所言うなればこの大河ドラマの聖地を少し紹介していきます。

目次
 EVENT
 満昌寺~頼朝公により作られた三浦氏中興の祖三浦大介義明公を祀った名刹~
 近殿神社~三浦義村を祀り、地域に根付いた神社~
 薬王院旧跡~三浦大介義明なき後三浦氏を率い鎌倉幕府開府に貢献した三浦介喜澄の墓所~
 清雲寺~義明前3代の魂が眠る場所~
 腹切松公園~老将終焉の地~
  大矢部地区アクセス
 衣笠城~何故三浦氏の本拠地にお稲荷さんがあるのか?~
 大善寺
 満願寺~鵯越の勇将が創建した名刹~
 佐原城址~末裔が戦国時代にも名を轟かした佐原氏の本拠地~
 怒田城址
 曹源寺
 アクセス
 飲食・お土産
  衣笠駅周辺
  大矢部地区
  北久里浜駅周辺
 他の聖地も含めた「鎌倉殿の13人」をより楽しむ為の関連リンク

EVENT

イベント情報

10月26日(土)〜12月13日(金)
「三浦一族」企画展
場所:衣笠仲通り商店街ガレリア会館(JR衣笠駅、京急横須賀中央駅より京急バス衣笠駅行衣笠駅、衣笠十字路バス停下車)
時間:10:30~16:30
内容:横須賀美術館で開催される「運慶展」と連携したキャンペーンの一環として、より多くの方に三浦一族を知っていただくために、三浦一族の紹介や関連する仏像等の資料、「和田義盛」にスポットを当てた資料などのパネル展示を行います。
(1)パネル展示(予定)
・三浦一族とは、三浦一族人物列伝、衣笠で起きた源平の合戦「衣笠合戦」、和田義盛と和田合戦合戦図 特大パネルの展示
(2)特別展示(11月中下旬予定)
・大河ドラマ「鎌倉殿の13人」衣装展示
(3)ギャラリートーク(11月下旬予定)  
・山城ガールむつみさんによる三浦一族解説
参考
電車とバスで行ってみたその2:三浦一族展と衣笠商店街

配布中
「三浦一族の歴史-横須賀から全国へ 歴史を彩った名族-」冊子
内容:NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で注目の、「三浦一族」について、放送を機に興味を持った方や歴史に馴染みのない方にも読みやすく、わかりやすく知ることができる冊子を制作しました。横須賀と三浦一族の関係や、主要人物の紹介、地元に残る数多くの痕跡などを紹介しています。執筆者は、現地ガイドやYouTube配信などで若年層からも支持を集める山城ガールむつみさん、表紙絵は本市のHIRAKU(アーティスト村)に在住する平面作家の水戸部春菜さんが手掛けました。
配布場所:横須賀市役所、横須賀美術館、横須賀市観光案内所、衣笠商店街、行政センター

満昌寺~頼朝公により作られた三浦氏中興の祖三浦大介義明公を祀った名刹~

写真:横須賀・三浦半島で小学校時代を過ごした人間だったら授業で聞いたことがあるかも、三浦大介義明を祭った名刹満昌寺

当山は建久5年(1194)、三浦大介義明を開基として源頼朝が建立して820年余の星霜をへた名刹である。
この年は義明が逝って14年もたったが、頼朝は伊豆の挙兵のおりに老大をなげうち、幕府開闢の礎になった無二の忠臣義明の霊に一字を献じたかったのであろう。

沿革@満昌寺より

まず向かうのは今回の大河の2人の主役、三浦義村、和田義盛から見たら祖父にあたる三浦大介義明を祀った名刹満昌寺です。このお寺は義明の死後14年経った1194年に征夷大将軍である源頼朝自らが建立したお寺です。このエピソードだけでもどれだけ頼朝が義明の忠義に感謝し、その子孫である三浦一族に重きを置いていたかがわかると思います。

写真:雲龍殿と書かれた本堂には三浦氏の家紋三浦三つ引きのあしらわれた水がめ(?)が

まずは本堂へと向かいます。雲龍殿と書かれた本堂の前にの水がめには丸の中に三の文字が入った家紋が施されています。これは三浦氏の家紋で三浦三つ引きと呼ばれるものです。大河ドラマに詳しいオールドファンなら1986年の大河ドラマ独眼竜政宗で伊達のライバルである蘆名氏の家紋も同じではなかったかとお気づきになられるかと思いますが、蘆名氏は三浦氏の末裔であり、政宗と同年代の蘆名盛隆は史実では一族をまとめる為に三浦介の官位を得ています。

写真:頼朝公お手植えのつつじ

本堂向かって左を見ますと石垣に囲まれた小さな庭が見えます。これは義明の菩提を弔うため征夷大将軍源頼朝公自ら植えたつつじとの事です。寺院の建立だけでなくこういったこともしている事から頼朝公からの義明への感謝の気持ちが見て取れます。またこの木の枝先に頭を入れると「頭痛持ちが治る」と言い伝えられているそうです。

写真:モミジの美しい階段を上っていく

続いてつつじの庭を通り過ぎて山の方に向かいます。来訪したのは冬場でしたがモミジの美しい参道です。

写真:参道には怖そうな門番が…

そのモミジの美しい階段を上っていくと怖そうな門番が左右1人ずつ見受けられます。義明公の子供や孫には鵯越で先陣を切った佐原義連や和田義盛など武勇で知られた武将が多いだけにこの門番も見た目以上に強そうに見えます。

写真:門番だけでなく弁天様(?)やお坊さんもお出迎え

そして門番だけでなく弁天様(?)や多くのお坊様(?)も出迎えます。これだけの石像からのおもてなしを受けるとどんなVIPがいるのかワクワクします。

写真:三浦大介義明の墓所

そしてたどり着いたのは当たり前かもしれませんが三浦大介義明公の墓所となります。子の墓所は2019年の台風災害により損失の危機にありましたが、クラウドファンディングによる多数の方の支援により復旧しました。

義明は三浦庄司義継の嫡男。世襲の官である相模介に任じ、三浦大介を称しました。三浦介の称号は武家の名誉称号として、こののち三浦氏宗家に世襲されました。
義明は一族団結のもとに、周辺豪族との姻戚関係を築き、房総の各地にもその勢力を拡大し、三浦一族発展の基盤をかためました。治承4年(1180)源頼朝の挙兵で、衣笠城は河越重頼・畠山重忠ほか平氏勢に囲まれました。ときに三浦大介義明89歳「老命を武衛(頼朝のこと)に投げうって子孫の勲功に募らん」と、義澄ら一族を頼朝のもとに赴かせ、ひとり源家再興に殉じました。
この義明の決断で三浦一族はその勢力を保ち、頼朝の安房(千葉県)再起の原動力となったのです。

三浦一族の主な人物・系図@横須賀市より

三浦大介義明は三浦義村、和田義盛、佐原義連らで有名な三浦氏の中興の祖ともいえる人物で、相模介を任官し、婚姻を利用した勢力拡大策により三浦氏を鎌倉のある相模の有力勢力に作り上げました。
その最期では石橋山の戦いで敗れ安房に逃れていた源頼朝を助けるべく、一族郎党を頼朝の元に向かわせ1人衣笠城にこもって平氏方と戦いました。
敗れはしたものの敗戦によって危機に陥っていた一族が頼朝の元に馳せ参じたことが三浦氏を鎌倉時代初期北条氏に次ぐ有力な存在にし、その為に自らの命すらささげた義明に対し頼朝公は寺院を建立しお手植えのつつじで報いたとも言えます。

写真:1212年和田義盛によって創建された御霊神社、現在お寺の宝物殿も兼ねております。

ここまで駆け足で見てきましたが、これらはすべて常時公開の寺宝となります。そして写真の御霊神社に安置されている国の重文三浦義明坐像や三浦氏に関わる歴史的な資料、刀剣、天井や襖絵等の多くの寺宝に関しては予約及び拝観料が必要になります。

満昌寺の公式Youtube動画とても丁寧です

参考
満昌寺
沿革@満昌寺
参拝・見学について@満昌寺
第29回「神奈川県横須賀市」@大河ドラマ鎌倉殿の13人紀行
三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
伝三浦義明廟所@横須賀市
満昌寺@鎌倉タイムス
満昌寺@鎌倉遺構探索
満 昌 寺@鎌倉手帳

近殿神社~三浦義村を祀り、地域に根付いた神社~

写真:主役の一人三浦義村を祭った近殿神社~この日は大掃除中~

続いて向かうのは今回の大河の主役の1人三浦義村を祀った近殿神社です。

三浦義村(?一1239)『三浦一族の最盛期を築いた謀将』
義村は三浦義澄の嫡男。通称平六。その生年は不詳。駿河守・幕府評定衆。頼朝挙兵に父義澄とともに転戦しました。義澄は重厚篤実な武士として知られましたが、義村は北条氏と連帯し、そのしたたかな政治手腕を発揮して、北条氏に次ぐ実力者として繁栄をきわめました。
正治元年(1199)頼朝の没後、北条氏は執権体制強化のために、有力御家人を相ついで誅殺していきました。この間義村は北条氏に加担して、その連帯は変わることがありませんでした。

三浦一族の主な人物・系図@横須賀市より

三浦義村は佐原義連、和田義盛と言った武にたけた武将が多い三浦氏において政治的な手腕が評価される謀将であり、多くの有力御家人が粛清された鎌倉時代前期において、三浦氏を北条氏に次ぐ有力勢力として義明以降の勢力を維持・拡大してきた武将です。

写真:賽銭箱には三浦三つ引紋

そして義明公の孫であり、三浦氏の棟梁の証である三浦介を引き継いだ義村を祀った神社らしく、賽銭箱には三浦三つ引紋が堂々と描かれています。

写真:地域の方のご厚意によりぼんぼりをつけて撮影できました

この神社は三浦義村と言う鎌倉時代の有力者を祀る神社と言う面と同時に地域のコミュニティの場でもあります。神社の敷地内に町内会の寄り合い所が置かれ、訪れた日も地域の人たちがボランティアで清掃中でした。この写真はそんな掃除中の皆様のご厚意によりぼんぼりをつけてもらって撮影したものです。訪れる際は「地域にお邪魔する」と言う事を忘れずにお願いします。

参考
三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
第29回「神奈川県横須賀市」@大河ドラマ鎌倉殿の13人紀行
近殿神社@鎌倉タイムス
薬王寺跡@鎌倉遺構探索
近 殿 神 社@鎌倉手帳

薬王院旧跡~三浦大介義明なき後三浦氏を率い鎌倉幕府開府に貢献した三浦介喜澄の墓所~

https://www.oricon.co.jp/news/2191786/full/ より
写真:住宅街に突如現れる場所のため要注意

近殿神社から住宅地の中の道をを進むと住宅街が少し途切れた場所に上の様な「薬王寺旧跡」と言う表示があります。これは近殿神社の祭神三浦義村の父親であり、満昌寺に祀られた三浦大介義明の次男で三浦介を継いだ後継者である三浦義澄の墓所になります。

写真:薬王寺旧跡の解説、少し読みづらいです。

三浦義澄(1127一1200)『源頼朝の信任厚く、幕府を支えた智将』
義澄は三浦義明の次男。通称荒次郎。三浦介・相模守護。三浦郡矢部郷に在住しました。義澄は頼朝挙兵で衣笠城に囲まれましたが、義明の指示で一族とともに安房(千葉県)に渡り、頼朝軍に合流しました。敗残の頼朝軍は、三浦勢に歓喜したのです。
鎌倉入りをはたした頼朝は、累代に亘る三浦一族の忠誠に篤く報いました。義澄は幕府御家人の長老の一人として重きをなし、和田義盛・佐原義連ら庶流の興隆もめざましいものがありました。建久3年(1192)義澄は、鶴岡八幡宮において、頼朝の征夷大将軍叙任・除書請取りの大役をはたし、その面目絶妙なりと称えられました。

三浦一族の主な人物・系図@横須賀市より

三浦義澄は父三浦大介義明が衣笠城で体を張って敵と対峙している間に父の奮闘を生かすために三浦一族を引き連れ安房に渡り窮地に陥っていた頼朝と合流し、頼朝公の天下取りに三浦氏が大活躍する地ならしをした武将です。2011年の大河ドラマ「平清盛」で頼朝公に馳せ参じ「父は立派に戦い討ち死にしました」と告げる老将が出てきますが、それが義澄になります。甥である和田義盛や弟である佐原義連のような派手な活躍はさすがに見られませんが、棟梁として父義明の遺志を継ぎ、義盛、義連を源平合戦と言う大舞台に連れて行ったという意味では三浦介の名を引き継ぐにふさわしい人物だったと言えるでしょう。

写真:寺は無くなったもののお墓は残った…

そんな義澄の墓所ですが、近殿神社や満昌寺とは対照的に宅地化の波に飲み込まれたのか、お寺は無くなってしまいました。しかしお墓自体は残り地元の人からお供え物もきちんと備えられているなど、地味ながらも死後820年経っても供養されている様子が見て取れます。

参考
三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
薬王寺旧跡@横須賀市
第29回「神奈川県横須賀市」@大河ドラマ鎌倉殿の13人紀行
薬王寺跡@鎌倉タイムス
薬王寺跡@鎌倉遺構探索
薬王寺跡@鎌倉手帳

清雲寺~義明前3代の魂が眠る場所~

三浦一族の本拠となる横須賀市大矢部に清雲寺は所在します。『新横須賀市史』(以下市史)によれば、三浦為継の開基とありました。為通の没年が天仁元年(1108)なので、お寺の創建はそれ以前ということになります。為継は、源頼朝の平家討伐のための挙兵の際に衣笠城で自刃した義明の祖父にあたる人物です。

清雲寺@鎌倉遺構探索より

さて三浦氏にとって義明・義澄・義村の3代は源平合戦に関わり、鎌倉時代に有力な勢力になった関係で有名ですが、その前三浦氏が三浦半島を本拠とした言って見れば開祖とも言われる人たちがいます。三浦為通・為継・義継の3代です。その3代にかかわりがあるのがこの清雲寺となります。創建は義明の祖父にあたる為継あるいは父である義継と言われています。

さて清雲寺は横須賀公園墓地の近くの小高い丘の上にあります。少し急な階段がありますが、衣笠城への慣らしと考えて登っていきましょう。夏場だったせいか、草木が多いので少しごちゃごちゃしています。本尊は観音菩薩像(国重文)でまた横須賀美術館でも出展された毘沙門天立像がある意味先代の本尊となっています。

三浦為継とその一党とは三浦氏初代為通、二代為継、三代義継をいう。
この地には中央の三浦為継墓と伝える五輪塔が存在したが、昭和14年(1939年)に付近にある深谷の円通寺跡やぐら群から為通、義継の墓と伝える五輪塔を移転し、三代の墓として祀ったものである。
左右いずれかが為通、義継の墓か不明であるがいずれも凝灰岩製で鎌倉時代の様式を示している。
為通は関東平氏の流れをくみ康平6年(1063年)源義家より三浦の地を賜り、衣笠城を築いた武将で、為継、義継も源氏に従い武勇に優れた名だたる武将であった。

伝三浦為継とその一党の廟所(でんみうらためつぐとそのいっとうのびょうしょ)@横須賀市より

さてお寺の裏には三浦氏初代為通、二代為継、三代義継の廟所と伝わる場所があります。

三浦為通
源頼義に従軍し前九年の役で武功を挙げました。それにより相模国三浦郡に領地をもらったと伝わり、三浦氏開祖とされています。
三浦為継
源義家に従軍し後三年の役で活躍しました。鎌倉権五郎景政が右目を射られたため為継が景政の顔に足をかけて矢を抜こうとしたところ、景政が「矢が当たって死ぬのは本望だが、顔に足をかけられるのは武士の端だ」と言ったため、地面に膝をついて矢を抜いた逸話が有名です。

「三浦一族の歴史」より

相模国三浦郡を治め、在庁官人として活躍[1]。1144年(天養元年)には、子の義明や在庁官人の中村宗平らと共に大庭御厨へ侵攻した(大庭御厨濫行事件)。また三浦荘司と称し、三浦郷を寄進して三浦荘を成立させた[1] 。1104年(長治元年)には父為継のために清雲寺を創建した [4]。

三浦義継@Wikipediaより

初代為通、2代為継がそれぞれ前九年の役、後三年の役で活躍し、三浦半島を拠点として相模の有力者としての地位を確立する創業、義継がその守成を行い、その後の義明・義澄・義村・義盛らの活躍に繋がっていくと考えると地味ではあっても深い場所ではないかなと思います。

参考
伝三浦為継とその一党の廟所(でんみうらためつぐとそのいっとうのびょうしょ)@横須賀市
清雲寺@鎌倉遺構探索
清雲寺@鎌倉タイム
清雲寺@鎌倉手帳

腹切松公園~老将終焉の地~

写真:老将終焉の地

最後に向かうは満昌寺に祀られた三浦大介義明公の最期の地腹切松公園、当時数えで89歳の三浦大介義明公が1人で山城衣笠城で籠城した後敗北して確実に1㎞以上あるであろうこの地で腹を切り果てた場所と言われています。100人以上の武士たちと1日戦い、その後1㎞以上移動したと言うだけ当時世界最強ともいわれた鎌倉武士のタフさを感じることができます。

写真:記念碑が建てられ死後800年経っても地域の人から祀られる義明公

そしてこの地は現在公園として整備され、子供たちが遊ぶ姿も見て取れます。近殿神社もそうですが、鎌倉時代前期北条氏に次ぐ勢力を誇る三浦氏の聖地、特に満昌寺を中心とした大矢部地区の聖地は地域の日常に溶け込んだ場所が多いのが特徴です。訪れる際はそこに気を使いつつそこを楽しんでいただければ幸いです。

参考
三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
三浦大介腹切りの松@鎌倉タイムス

大矢部地区アクセス


・京急横須賀中央駅、あるいは衣笠十字路(JR衣笠駅から衣笠商店街を抜けてすぐ)バス停より
 YRP野比駅・長井・湘南なぎさの丘・横須賀市民病院・三浦海岸駅・三崎口駅・三崎東岡・三崎港行バスで衣笠城址バス停下車徒歩
・衣笠十字路バス停(JR衣笠駅から衣笠商店街を抜けてすぐ)より
 YRP野比駅行きバスで満昌寺・大矢部3丁目・衣笠城址バス停下車
・YRP野比駅より
 衣笠十字路行バスで満昌寺・大矢部3丁目・衣笠城址バス停下車
・北久里浜駅より
 大矢部新岩戸循環あるいは大矢部新岩戸団地経由YRP野比駅行バスで大矢部3丁目バス停下車

衣笠城~何故三浦氏の本拠地にお稲荷さんがあるのか?~

写真:衣笠城追手口遺址の碑

さて追加と言うわけでもないですが大矢部から近い三浦氏の本拠地衣笠城に向かってみます。満昌寺の前の通りを横横道路衣笠ICへ向けて進みICへの入り口を通り過ぎると上の追手口遺址の碑が見えてきます。バスだと衣笠城址のバス停から歩きとなります。ここでは源平合戦の初期に行われた衣笠城合戦において三浦義澄、佐原義連が平家方の大軍と向かい合ったそうです。

写真:衣笠城址入り口

そしてさらに進むと上の看板の衣笠城址の入り口が見えてきます。この辺は衣笠ICを中心に大きな道路がいくつかできた為昔に比べて地形が変わっていて今はこの急な階段が入り口となります。

写真:山道を向かう

そして階段を上ると昔から多分変わっていないであろうハイキングコースに出ます。ここからは桜の名所衣笠山公園や三浦半島最高峰大楠山に続くハイキングコースに繋がっています。そして私は久しぶりに訪れたこのハイキングコースで…迷いました。

写真:衣笠城址にある稲荷社

さて迷ってたどり着いたのは写真の稲荷社、古い城跡には神社があるというパターンは多いですが衣笠城址の氏神は別の神社なのでそういったわけではないと思われます。それでは何故なのでしょうか?

動画:満昌寺住職による三浦義明公と狐の因縁に関する解説

その事について満昌寺住職が非常にわかりやすい解説をしてくれています。簡単に言えばこのお城の城主で衣笠城合戦の主役ともいうべき三浦大介義明公が九尾の狐である玉藻の前の退治をした将軍の1人だったとの事です。若くしては自慢の弓で妖怪退治、結婚してからは毛利元就、伊達稙宗、ハプスブルク家もびっくりの婚姻外交を繰り広げて東日本の要所相模の国の覇権を握り、90近い高齢の際は一人で堅城に籠って大軍と対峙するという鎌倉武士の手本ともいえる人生を歩んでいく事になるのですがその義明公の象徴と言えるのがこの衣笠城とこの小さな稲荷社なのです。もし三浦大介義明公をはじめとする三浦氏に興味を持たれたらここを訪れてみるのをお勧めします。失敗すると民家の敷地に迷い込む可能性もありますし、住宅地域でもありますのでそこに気を使いつつそこを楽しんでいただければ幸いです。

動画:迷わず真面目に三浦一族・畠山軍の足取りを追った動画です。

さてこれではあまりに間抜けなので真面目に衣笠城を歩いた方の動画を紹介しておきます。山城ガール むつみさんによる衣笠合戦歩きの動画です。小坪合戦からの三浦一族、畠山軍の動向を追いつつ平作方面の搦手から衣笠城を歩いていく真面目な動画です。衣笠合戦をまじめに追いたい方はこちらも参照ください。

大善寺

天平元年(西暦729 年)に諸国行脚中の僧、行基が自ら彫刻した不動明王を祭り金峯蔵王権現としたことに始まるといわれ、大善寺はその別当だったと伝えられています。不動尊は、二代為継が後三年の役に出陣したとき、戦場に現れ為継を守ったと伝えられ、現在蔵王権現社も不動堂も残っていませんが、不動明王蔵は大善寺に本尊として祭られています。

大善寺@衣笠観光協会

続いて、ここも三浦氏とつながりのあるお寺、前九年の役での戦功で三浦氏開祖の三浦為通がこの衣笠の地を賜ったころにはあったお寺であり、三浦氏の本拠地衣笠城に近かった事もあり、三浦氏の学問所と言う役割もあったという話もあります。そして福寿寺のお地蔵さんもそうですがここの不動尊は三浦氏2代目為継が後三年の役で戦っている時に力になってくれたというエピソードもあります。こうして見ると三浦半島の神様は過酷な戦場を好む性格を持っているのかもしれません。

厳しい坂道こんな坂ばかりの場所で育てば・・・

さて聖地と言うわけではないですが、衣笠城址のバス停から衣笠城址・大善寺への道すがらにはこんな急坂があります・・・。というより少なくない割合がこんな急な上り下りとなっています。源平合戦のクライマックスの一つに鵯越があるのですが、その中で三浦一族の佐原義連が「こんな坂三浦半島にはよくある事」と物おじせずに先陣を切るエピソードがあります。この坂を歩いて大善寺・衣笠城址へ向かうと納得してしまいます。いつも書いている事ですが、聖地は住宅地の中にありますので周辺の方のご迷惑にならない様、また当時の坂東武士たちが歩いた道を追体験してみてください。

地図:私の様に迷わないために参照してください

参考
衣笠城跡(きぬがさじょうあと)@横須賀市
三浦一族 散策コース紹介@横須賀市
第29回「神奈川県横須賀市」@大河ドラマ鎌倉殿の13人紀行
衣笠城址@ここはヨコスカ
三浦一族のエピソード@神奈川県
大善寺@衣笠観光協会
衣笠城址@鎌倉タイム
衣笠城址@鎌倉手帳
大善寺@鎌倉手帳
山城ガールむつみの「むっチャンネル」

衣笠城地区アクセス
・京急横須賀中央駅、あるいは衣笠十字路(JR衣笠駅から衣笠商店街を抜けてすぐ)バス停より
 YRP野比駅・長井・湘南なぎさの丘・横須賀市民病院・三浦海岸駅・三崎口駅・三崎東岡・三崎港行バスで衣笠城址バス停下車徒歩
・YRP野比駅より
 衣笠十字路行バスで衣笠城址バス停下車

満願寺~鵯越の勇将が創建した名刹~

ときうさの烏帽子親縁のお寺
枯山水のお庭と枝垂桜がきれいでした。

義連は三浦義明の子。通称十郎。三浦郡佐原郷に在住。左衛門尉。平氏追討一ノ谷・鵯越の合戦では、先陣を駆けて勇名をはせました。~中略~
ついで北条時政の三男時房の元服に、加冠の役をつとめるなど、北条氏との調協にもぬかりはなかったのです。佐原氏は三浦氏宗家・和田氏にならぶ豪族として発展していきました。~中略~
こうして、「佐原流三浦氏」は、盛時からさらに270年、戦国時代の初頭、永正13年(1516)三浦道寸義同(よしあつ)が新井城に滅亡するまで、動乱の時代を相模の雄族として活躍しました。

三浦一族の主な人物・系図@横須賀市より

さて追加と言うわけではないのですが、「鎌倉殿の13人」ではあまり出番がないので取り上げてはいなかったのですが、鎌倉時代以後の歴史を考えるとある意味で義澄、義村親子や和田義盛と言う「鎌倉殿の13人」で活躍する面々以上に重要になってくる人物佐原十郎義連に縁の場所の紹介です。満昌寺の紹介で出てきた「独眼竜政宗」の蘆名氏、北条早雲と激しく争った三浦同寸・義意親子の直接のご先祖にあたる人物で、それに恥じぬ武勇を誇る人間です。鵯越の逆落としで有名な一の谷の合戦では先陣をかけて一説では「こんな坂道三浦ではいくらでもある」と平然と駆け下りた話もあります。馬を担いで鵯越を敢行する畠山重忠と共に「鎌倉殿の13人」でどの様に描かれるかは分かりませんが楽しみな所です。

満願寺 岩戸山。臨済宗で、佐原十郎義連の創建。正面に中島三郎助筆の松尾芭蕉句碑がある。本尊の木造観音菩薩像や地蔵菩薩像は、高さ200cm以上あり、鎌倉時代初期に造立したといわれ、国の重要文化財に指定されている。また観音堂の右隣には、佐原十郎義連の墓と伝わる五輪塔がある。毎年3月、「春の文化展」が開催され、地元の文化活動にも精力している。(収蔵庫拝観は要予約)

満願寺[まんがんじ]@久里浜観光協会より

奥の階段を上ると佐原十郎義連の墓と伝わる五輪塔があります。後ろは崖となっていて義連が勇名をはせた鵯越を思い起こさせます。後ろの崖の上は山を切り開いて宅地が作られているので当時とは地形が違っていますが、こんなところを本拠地にしているからこそ鵯越にも物怖じせずに戦えたのか納得してしまいます。

三浦浄心『北条五代記』には、背丈は7尺5寸(227センチ)と伝え、最期の合戦で身につけた甲冑は鉄の厚さが2分(6センチ)、白樫の丸太を1丈2寸(364センチ)に筒切りにしたものを八角に削り、それに節金を通した棒(金砕棒)をもって戦い、逃げる者を追い詰めて兜の頭上を打つとみぢんに砕けて胴に達し、横に払うと一振りで5人、10人が押し潰され、棒に当たって死んだものは500余名になった。

三浦義意@Wikipediaより

そして満願寺の収蔵物で有名なのは鎌倉初期に造立されたと言われる重要文化財である高さ2メートルを超える地蔵菩薩像や観音菩薩像、ものすごく大きいですが高さ2メートルと言うと義連の子孫で北条早雲と激しく争った三浦義意を思い出してしまいます。もしかしたら義連の夢枕に義意が出て来てびっくりして地蔵菩薩像を作り、奥さんがいないと可哀そうだから観音菩薩を作った…としたら面白いと思いますがどうでしょうか?

住宅地の中にある満願寺ですが、お庭もなかなか充実しています。本堂前の枯山水をはじめ、限られたスペースにも竹林など充実した自然環境があります。巡礼がてらのんびりお散歩と洒落込んでみるのもよいかもしれません。満願寺周辺にある岩戸川は夏場は蛍の名所ととしても知られています。聖地巡礼のついでに蛍を見に行くのも風流かもしれません。ただ周辺は住宅地域でもありますのでそこに気を使いつつそこを楽しんでいただければ幸いです。

参考
満願寺
満願寺[まんがんじ]@久里浜観光協会
くりはまニュース2015/6/3@久里浜観光協会
久里浜エリアの三浦一族ゆかりの地@久里浜観光協会
三浦一族 散策コース紹介@横須賀市
三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
満願寺@鎌倉タイムス
横須賀市岩戸の満願寺@三浦半島歴史散歩
横須賀市岩戸 「満願寺」@黒船写真館

アクセス
・北久里浜駅より
 大矢部新岩戸循環あるいは岩戸経由YRP野比駅行バスで岩戸バス停下車
・YRP野比駅より
 岩戸経由北久里浜・JR久里浜駅行バス岩戸バス停下車

佐原城址~末裔が戦国時代にも名を轟かした佐原氏の本拠地~

彼女の複雑な人生の末辿りついたお城(?) https://www.oricon.co.jp/news/2237729/photo/2/ より
横浜横須賀道路開業後少し寂しい光景に

佐原城は、衣笠を拠点としていた三浦氏の第4代目・三浦大介義明の末子、佐原十郎義連の居城でした。
自然の地形を上手に利用して築城されており、怒田城とともに衣笠城の当面を固めていました。
城主の佐原十郎義連は、弓箭(きゅうせん)練達の士として知られていて、源頼朝の寝所の護衛や、源平合戦では源義経に従い、一ノ谷の戦い(1183)の「鵯(ひよどり)越の逆落とし」で真っ先に駆け下りた武勇が「平家物語」に描かれています。

佐原城址@久里浜観光協会より

佐原城は満願寺の際に出てきた佐原十郎義連の居城です。佐原城は衣笠城から見ると海へ当面を固める城でした。現在は横浜横須賀道路の延伸によりこじんまりとした石碑を中心とした場所となっています。

城址の石碑

矢部禅尼(やべぜんに、文治3年(1187年) – 建長8年4月10日(1256年5月6日))は、鎌倉時代前期から中期にかけての三浦一族の女性。
建久5年(1194年)2月に13歳の泰時が元服した際、源頼朝の命により三浦義澄の孫から良い娘を選んで泰時と娶せる事が決められる。この8年後の建仁2年(1202年)8月23日、義澄の嫡男義村の娘(のちの矢部禅尼)が泰時に嫁ぎ、翌年長男の時氏が産まれるが、後に泰時と離別している。時期は不明だが、泰時の後妻である安保実員の娘が泰時の次男時実を建暦2年(1212年)に産んでいる事から、それ以前には離縁したものと考えられる。離縁の理由は特に不仲が生じたわけでもなく不明である。
その後、三浦氏佐原流の佐原盛連に再嫁して三子(蘆名光盛・加納(三浦)盛時・新宮時連)を産み、夫・盛連の死後は三浦矢部郷に帰って出家し、法名禅阿、矢部禅尼と称した。嘉禎3年(1237年)6月、幕府から矢部禅尼に和泉国吉井郷が与えられ、孫の時頼が三浦矢部郷まで下文を届ける使いをしている。

矢部禅尼@wikipediaより

そして鎌倉殿の13人で佐原氏関連で出てきそうな人物としては矢部禅尼が挙げられます。ドラマ的には多分三浦義村が八重に養育を丸投げした女児ではないかと言われています。彼女は最初とある重要人物に嫁ぐのですが、その後義連の息子盛連に嫁ぎ戦国時代伊達氏と婚姻を繰り返し有力な同盟相手として奥州探題(陸奥国の覇者)である伊達氏と共に陸奥の国に君臨する会津蘆名氏の祖である蘆名光盛等3人の子供に恵まれることになります。最終的に彼女は矢部の郷で余生を過ごすこととなるのですがこの矢部の郷を大矢部(ちなみに小矢部と言う場所も近所にあります)とすると彼女は父義村や義澄、義明ら幕府成立に活躍した三浦の先人たちに思いをはせて過ごしたのかもしれません。

地元町内会による説明文

さて石碑の周りには地元町内会による案内があります。彼らの子孫には北条早雲と激しった三浦道寸、義意親子や伊達氏の娘を嫁に迎え、奥州探題伊達晴宗(政宗祖父)と友好な関係を続き、陸奥第2の勢力として全盛期を築いた蘆名盛氏等戦国時代にも活躍した人物も多いだけに地域の誇りなのかもしれません。ただ周辺は住宅地域でもありますのでそこに気を使いつつそこを楽しんでいただければ幸いです。

参考
久里浜エリアの三浦一族ゆかりの地@久里浜観光協会
三浦一族 散策コース紹介@横須賀市
三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
三浦一族に関する人物紹介@神奈川県
相模 佐原城@城郭放浪記
【横須賀市】佐原十郎義連の居城「佐原城跡」に行ってきました!@号外WEB

アクセス
・北久里浜駅より
大矢部新岩戸循環、大矢部新岩戸団地経由YRP野比駅行、岩戸経由YRP野比駅行、工業団地経由久里浜駅行バスで佐原橋バス停下車
・京急・JR久里浜駅より
大矢部新岩戸循環、大矢部新岩戸団地経由YRP野比駅行、岩戸経由YRP野比駅行、工業団地経由北久里浜駅行バスで佐原橋バス停下車
・YRP野比駅より
大矢部新岩戸団地経由北久里浜駅/JR久里浜行、岩戸経由北久里浜駅/JR久里浜行バスで佐原橋バス停下車

怒田城址

吉井貝塚のある山は、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した三浦一族の水軍の基地である、怒田城(沼田城)の跡です。
船を置いた一帯が、現在、「舟倉」という地名となって残っています。~中略~
治承4年(1180)8月26日、三浦一族は源頼朝に加勢し、平家方と合戦をするために衣笠城に立てこもっていた。しかし、源平盛衰記によると、当初、和田義盛は吉井城山に比定されている怒田城で敵を迎え撃つことを主張したと書かれている。それは、城の周りが岩山で、一方のみが海に向いた要害堅固な地であるという理由からであった。

8.怒田城址@横須賀市より

怒田城は衣笠城~満昌寺~佐原城を結ぶラインを延長した久里浜地区にあったお城です。今の久里浜地区は江戸時代の新田開発等で埋め立てられ地形が変わってしまいましたが少し佐原寄りに「舟倉」と言う地名がある事が示す通り源平合戦時にはこの地区まで久里浜湾が入り組んでいて、三浦氏の水軍基地として機能していたようです。
衣笠城合戦時には和田義盛が「衣笠城でなく怒田城で敵を迎え撃とう」と主張した事からも海に面した怒田城は衣笠城とは違った形の堅城だったと思われます。

実際のお城を見ると小高い丘を登り、二の丸があり、更に空堀を超えて本丸に向かう構造となっていて、なかなか攻略が難しそうです。またこの辺りは吉井貝塚と言う遺跡でもあり縄文時代早期から中期にかけての土器、石器、骨角器等が多量に出土し、この地が古くからの土地である事が分かっています。

鉄道好きにはうれしい光景

また眼下には京急久里浜線の線路が望め鉄道好きにはうれしい光景となっています。実際和田義盛がこの城で籠城しようとしたのも、この眺めの良さと湾口の丘陵地帯と言う事で大軍でも細長く進軍するしかない、そうなれば弓の達人和田義盛であれば進軍してくる敵軍をどんどん射るのは朝飯前だったんだろうなと思います。

山城ガールむつみさんの動画でも取り上げられています。

アクセス
・京急・JR久里浜駅より徒歩
※付近は住宅街ですのでそこに気を使いつつそこを楽しんでいただければ幸いです。

参考
8.怒田城址@横須賀市
吉井貝塚を中心とした遺跡@横須賀市
怒田城址@横須賀市観光情報
怒田城@攻城団
怒田城址(怒田城跡)&吉井貝塚 | 三浦水軍の拠点跡と縄文から古墳時代までの遺跡@三浦半島日和

曹源寺

奈良時代に行基が建立したと伝わる古刹です。法隆寺様式の大寺院だったことが分かっています。源実朝が生まれる際、三浦義澄が北条政子の安産祈願を行うなど、三浦氏から篤い信仰を受けていました。
鎌倉時代初期には慶派によって作られたとされる木造十二神将立像は、国指定重要文化財に登録されています。

三浦一族の歴史より

さて続いて行くは衣笠駅近くの曹源寺、こちらは大矢部地区の各寺社が三浦氏の菩提寺と言った性格を持つのに対し、源実朝出産時の安産祈願を行ったという少し違った縁を持っています。「鎌倉殿の13人」で言えば頼朝の子供が生まれる際の安産祈願を三浦義村が行っている絵と言うのは少しユーモラスに感じます。

このお寺には横須賀美術館特別展にも出展した木造十二神将立像があります。4天王の様に5人いないといけないという説はなく干支にあわせた12人となっています。ちなみに小さいながらも立派な庭が整備されています。ついでに可愛らしいお地蔵さまがあり、お寺の由緒から考えると安産の御利益があるかもしれません。

参考
曹 源 寺@鎌倉手帳

アクセス
京急横須賀中央駅バス停より
聖徳寺坂上経由衣笠駅・長井・湘南なぎさの丘・横須賀市民病院・三浦海岸駅・三崎口駅・三崎東岡・三崎港行バスで曹源寺バス停下車徒歩
衣笠駅バス停より
聖徳寺坂上経由横須賀駅行バスで曹源寺バス停下車徒歩
衣笠十字路バス停より
横須賀駅行バスで曹源寺バス停下車徒歩

アクセス

写真:隔年で三浦氏の武者行列が行われる衣笠商店街、ここをぬけた衣笠十字路からのアクセスが便利です。

三浦半島1DAY・2DAYきっぷあるいは三浦半島まるごときっぷが利用可能です。

京急横須賀中央駅、あるいは衣笠十字路(JR衣笠駅から衣笠商店街を抜けてすぐ)バス停より
YRP野比駅・長井・湘南なぎさの丘・横須賀市民病院・三浦海岸駅・三崎口駅・三崎東岡・三崎港行バスで衣笠城址バス停下車徒歩

衣笠十字路バス停(JR衣笠駅から衣笠商店街を抜けてすぐ)より
YRP野比駅行きバスで満昌寺・大矢部3丁目・衣笠城址バス停下車

YRP野比駅より
衣笠十字路行バスで満昌寺・大矢部3丁目・衣笠城址バス停下車

北久里浜駅より
大矢部新岩戸循環あるいは大矢部新岩戸団地経由YRP野比駅行バスで大矢部3丁目バス停下車

満願寺
北久里浜駅より
大矢部新岩戸循環あるいは岩戸経由YRP野比駅行バスで岩戸バス停下車
YRP野比駅より
岩戸経由北久里浜・JR久里浜駅行バス岩戸バス停下車

佐原城址
北久里浜駅より
大矢部新岩戸循環、大矢部新岩戸団地経由YRP野比駅行、岩戸経由YRP野比駅行、工業団地経由久里浜駅行バスで佐原橋バス停下車
京急・JR久里浜駅より
大矢部新岩戸循環、大矢部新岩戸団地経由YRP野比駅行、岩戸経由YRP野比駅行、工業団地経由北久里浜駅行バスで佐原橋バス停下車
YRP野比駅より
大矢部新岩戸団地経由北久里浜駅/JR久里浜行、岩戸経由北久里浜駅/JR久里浜行バスで佐原橋バス停下車

怒田城址
京急・JR久里浜駅より徒歩

参考:周辺地区バス路線図
金沢文庫・横須賀エリア
三浦・三崎エリア

お得な乗車券他
三浦半島1DAY・2DAYきっぷ
内容:上大岡駅以北の京急線各駅~金沢文庫までの京急線電車往復+金沢文庫以南の京急線電車全線、京急バス指定路線乗り放題

三浦半島まるごときっぷ
デジタル三浦半島まるごときっぷ
内容:三浦半島2DAYきっぷの内容に+指定店舗で使えるグルメチケット、指定施設・お土産店で使えるチケットがついた豪華版です。

京急線・京急バス1日フリーパス
電車・バス:京急線全線および京急バス全線(空港・中距離バスを除く)が24時間乗り放題(PASMOで使用可能、泉岳寺駅では購入できませんのでご注意を)
値段:大人3,000円(税込)小児1,500円(税込)

三浦COCOON
内容:横須賀、三浦、逗子、葉山、鎌倉など、三浦半島地域の地元の方々と一緒に「COCOONファミリー」を結成し、三浦半島での様々なすごしかた提案を行うウェブサイトです。旅前における、三浦半島での体験アクティビティの検索から予約・決済、旅中における最適な移動手段やすごしかたの提供など、ワンストップで便利な観光体験を提供します。

参考:一日乗車券をもって横須賀・三浦半島へGo!!

アクセスマップ

三浦一族 散策コース紹介@横須賀市より

飲食・お土産

衣笠駅周辺

山城ガールむつみさんによる案内板の解説
衣笠商店街の和菓子司いづみやとメガネのささき

衣笠城址の城下町とも言える衣笠商店街でお土産を買うというのも手かもしれません。上の写真の和菓子司いづみやでは創作和菓子も多く横須賀市のコンテストなどで入賞しているお菓子もあるのでお勧めです。また下のささきでは三浦一族眼鏡ふきが反橋されていますので興味のある方はどうぞ

写真:衣笠城ハイキング後の空腹に玉寿々のかつ丼

ちなみに衣笠商店街ではお腹がすいたのでかつ丼を食しました。衣笠商店街の玉寿々と言うお蕎麦屋さんで、名物は味付け油揚げと長ネギをたまごでとじた衣笠丼との事、お腹がすいたのでかつ丼と洒落込んでみましたが、今度はそちらも食してみたいところです。

参考
電車とバスで行ってみたその2:三浦一族展と衣笠商店街
電車とバスで行ってみたその4:20230219衣笠 High Free Fess2023と衣笠商店街、さかくら総本家
玉寿々@横須賀市観光協会
玉寿々@食べログ
和菓子司いづみや
メガネのささき

大矢部地区

写真:鰻と言えばうな萩(上)、割烹料理店壱乃庵(下)

大矢部地区でグルメを楽しむとしたら上の2店舗あたりでしょうか、かつては温泉がある事でも話題になったうな萩と割烹料理店の壱乃庵です。うな萩は美味しいですが、さすがにウナギの専門店で少しお高め、壱乃庵は庶民的な価格です。お好みでどうぞ
うな萩 【温泉うなぎ】@Instagram
うな萩@食べログ
壱乃庵@食べログ

写真:和菓子司いづみや大矢部店

続いてお土産は別ページでも取り上げたいづみやはどうでしょうか?個人的には家の用事で水羊羹を買いに言った思い出もあります。贅沢とまでは言いませんがお客さんに出しても恥ずかしくない丁寧な造りのお菓子がウリです。
和菓子司いづみや

なかなか美味しそう

さて最近開業したとろり天使のわらびもちもなかなか美味しいです。チェーン店でいろんなところに立地しているのでお土産物としては少し難ありかもしれませんがお茶請けとしてはなかなか良いかなと思います。
とろり天使のわらびもち

北久里浜駅周辺

何故か横須賀中央にも進出したきたくり家所謂家系ラーメンです。

さて北久里浜地区のお店も少し紹介します。まずは家系ラーメンのきたくり家、この名前ながら横須賀中央にも進出しているお店です。お味は基本を押さえた家系ラーメンで次郎系とまで言わなくてもボリュームを求める事も可能です。上下の激しい大矢部地区を巡る腹ごしらえにどうぞ
きたくり家
きたくり家 本店@食べログ 

アニメ系聖地巡礼でおなじみですが大河ドラマでの聖地巡礼でもどうぞ

続いてお土産物屋さんとしてはさかくら総本家もお勧めです。こちらはアニメの聖地巡礼をする人にはなじみかもしれませんが、多少値は張りますがどら焼きなどもお土産には喜ばると思います。
さかくら総本家

他の聖地も含めた「鎌倉殿の13人」をより楽しむ為の関連リンク

こちらの動画も参考になります。


鎌倉殿の13人@NHK
 【11.16~20】5日間連続出演者発表!2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
鎌倉殿の13人伊豆の国大河ドラマ館(伊豆箱根鉄道韮山駅下車、入場料一般400円、中学生以下100円)
鎌倉殿の13人大河ドラマ館(3月1日オープン@鶴岡八幡宮、JR横須賀線、江ノ電鎌倉駅より徒歩、京急線金沢八景駅より鎌倉駅行バス八幡宮バス停下車入場料一般1000円、中学生以下500円)
鎌倉殿×13人の御家人たち「ゆかりの地」めぐり@観光かながわNOW 
横須賀市観光協会
横須賀市観光情報
 三浦一族の主な人物・系図@横須賀市
 三浦一族 散策コース紹介@横須賀市 
 三浦一族カレンダー2022
横須賀美術館
 開館15周年記念 800年遠忌記念特別展運慶 鎌倉幕府と三浦一族
 三浦一族ゆかりの地 散策マップ
横浜金沢観光協会
横浜で、鎌倉時代を旅しよう!@横浜観光情報
衣笠観光協会
衣笠商店街
 三浦一党出陣 武者行列 2018/4/22(日)@衣笠商店街写真日記
久里浜観光協会
 久里浜エリアの三浦一族ゆかりの地@久里浜観光協会
満昌寺
山城ガールむつみ
三浦市観光協会
電車とバスでGo!その5~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く 三浦編~
電車とバスでGo!その8~2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」聖地を行く~ 鎌倉・金沢編~

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