偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

「古本供養」


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「古本供養」(出久根達郎)は、古本に関するエッセイで著者の子供の頃や古本屋に勤め始めたころの思い出など、著者の身の回りの事や、古書にまつわるエピソード、書評など雑多なエッセイが46編収められている。印象的だったのは「切手少年の頃」の、勤めていた古書店の社長が、夜学に通わせて欲しいと申し出た出久根少年にこう諭す場面だ。

「物を売る商売だから、昼間だけ働いてもらうというわけにはいかない。しかし勉強は何も学校に通わねばできぬものではない。(中略)

古本屋には本がある。この本が学校であり、教師と考えればよい。すると本の数だけ学校があって、教師がいるわけだ。君はよりどりみどりである。こんな幸せが他にあるか。古本屋は学校と教師を売っているんだ」

私が二十代の半ばごろまで、こういうことを教えてくれる「大人」が結構いた。それがいつの間にか自分が教えるような立場になっても、未だに「教えて欲しがっている」ままの自分が恥ずかしくなる。

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