「山本周五郎全集」を読んで(10)
「山本周五郎全集12 天地静大」
幕末、東北の小藩の青年が、藩内の王政復古派と佐幕派の政治対立に惑わされることなく、自らの夢を貫こうと生きていく姿を描いた新聞連載(昭和34年12月から約10か月間)小説。連載にあたっての作者の言葉。
<現代の青少年が、人口過多、オートメーション化による就職難、原子戦などの難問に直面しているように、幕末、明治維新の大変革時代の青少年たちも、同じように不安や疑惑や絶望に当面したことと思う。
私はこの小説で主役を演じる昌平黌の学生たちに託して、この「激しい変革」に当面しての不安やおびえや絶望にもめげず、自分の信念を守って、こつこつと文明を開拓してゆく青年たちのことを書きたいと思います>
主人公をめぐる三人の女性のうち、のちに妻となる女性像が「日本婦道記」に登場する女性たちと一線を画し、新しい女性像を描いて魅力的だ。
「山本周五郎全集13 彦左衛門外記 町奉行日記
「彦左衛門外記」(山本周五郎)は、山本さんには珍しいユーモア小説でちょっとおふざけが過ぎるのでは、と思わないでもない。だが、ユーモアも最初はくすくす笑っていられるが、それが長く続くと途中で飽きてくるものらしい(もちろん私だけかもしれないが)。後半はダレて斜め読みになってしまった。特筆すべきは、文中主人公がこんな思いを吐露する場面だ。
<憎むべき悪人ども奸物、なんと云っても飽き足りないくらいであるが、そういう悪人であっても「日が昏れると酒を飲まずにはいられない」とか、「女房が機嫌よく起きてくれればいいが」などという人間らしい弱さやかなしさ、家常茶飯の心配をもっている>
この思いは山本さんの小説に共通している。それぞれ人はその立場によりそれぞれの「事情」がある。それらを勘案するのはたとえ「お人好し」と言われようとも、一方だけを責めるのは間違っているという作者の言葉が聞こえてくる。
「町奉行日記」は、藩の管轄する領内に治外法権化した「濠外」を一掃する命を受けた主人公が、そこから莫大な利益を受けている藩の人物から妨害を受けながらも。その命を全うする姿を描くミステリー仕立ての物語。「
「平安喜遊集」は、「今昔物語」等を原典とする「平安朝もの」と作者が評する5つの短編集。同じ「今昔物語」を原典とした芥川龍之介の短編に比べると、娯楽性が強い分「お話」めいていて退屈だった。