百年文庫(87)
第87巻は「風」(徳富蘆花「漁師の娘」 宮本常一「土佐源氏」 若山牧水「みなかみ紀行」)
<春は霞、夏は風吹き寄せて空を裂く夕立。四季刻々と移り変わる筑波の山へ語りかけるように、娘・お光は清らかな歌声を響かせる。老夫婦の愛と、しかし癒されることのない孤独な影が胸を打つ「漁師の娘」。盲目の元馬喰には、忘れられない或る女性との思い出があった。「記憶の文化」を求め、全国各地を訪ね歩いた「土佐源氏」。土地の風に吹かれ、深まる秋に心躍る上州・利根川行。旅を愛し、酒を愛した歌人・若山牧水の紀行文「みなかみ紀行」。失われゆく日本がまざまざと蘇る三篇>
「漁師の娘」は、霞ヶ浦の南にある浮島という小さな島に住む漁師の夫婦に拾われた娘の物語で「かぐや姫」伝説の漁師版といったところ。
「土佐源氏」は、橋の下に住む乞食の盲目の老人から聞き書きした、「ばくろう」の半生記。著者の宮本常一(1907~1981年)は「遠野物語」の柳田国男と同じく地域の習俗の聞き書きをし、「常民」の生活と文化を克明に記録した作家として知られている。若い頃「忘れられた日本人」を読んでいるのだが、本作もそれに収録されていたというのだが、ほとんど記憶になかった。当時の私にとっては、「読まなければならない本」でしかなかったのだろう。それにしても、何とまあ生き生きとしていることだろう、この「聞き書き」は。 「みなかみ紀行」は、1922年10月に自宅を出発し、利根川源流を訪ね、長野、群馬、栃木を巡った24日間の旅を綴った紀行文と、その旅の途中で詠んだ歌が収録されている。
「旅ほど好ましいものはない。斯うして旅に関して筆を執っていると早やもう心の中には其処等の山川草木のみずみずしい姿がはっきりと影を投げて来ているのである」(序文)。
旅と酒を愛した牧水の、旅の記録だが、私には途中で挿入される歌が興味深かった。カメラのシャッターを切るように、風景を切り取っているだけのような稚拙な歌にしか思えないのだが、歌に詠まずにはいられない高揚があったのでは、と推測される。歌心は少年の心に通じるものがあるのだろう。
<著者略歴
徳冨蘆花 とくとみ・ろか 1868-1927
熊本県葦北郡水俣生まれ。本名・健次郎。同志社英学校中退後、兄・蘇峰の設立した民友社に勤務し、『不如帰』で作家の地位を確立。半農生活を送りながら創作活動を続けた。その他の作品に『自然と人生』『黒潮』など。
宮本常一 みやもと・つねいち 1907-1981
山口県大島郡に生まれる。教員時代より地域習俗の聞き書きを開始、全国各地の民間伝承を克明に記録した。代表作に『忘れられた日本人』『日本の離島』(日本エッセイスト・クラブ賞)など。『宮本常一著作集』で今和次郎賞受賞。
若山牧水 わかやま・ぼくすい 1885-1928
宮崎県東臼杵郡生まれ。本名・繁。早稲田大学を卒業後、尾上柴舟に師事。歌誌「創作」を主宰し、自然主義歌人として活躍。おもな歌集に『海の声』『別離』『死か芸術か』、紀行集に『みなかみ紀行』など。