偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

百年文庫(80)

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 第80巻は「冥」(メルヴィル・杉浦銀策訳「バイオリン弾き」 トラークル・中村朝子訳「夢の国」 H・ジェイムズ・大津栄一郎訳「にぎやかな街角」)

 <よれよれの帽子に、疵だらけのバイオリン。富や名声に執着せず、ただ純粋な音色を求める男のもう一つの幸福を描いた「バイオリン弾き」。病身のマリアに向けた幾千もの薔薇の花。小さな田舎町で過したあの八週間は、ぼくにとって「特別な人生」だった…「夢の国」。もし、あの時あの場所を離れずにいたら、私はどんな人間になっていただろう。故郷ニューヨークに戻った初老の男が、自らの人生にふたたび巡りあう物語の「にぎやかな街角」。豊に時が重なり合う、海外作品三篇。>

 「バイオリン弾き」は、「というわけでぼくの詩は酷評によって地獄に叩き落とされ、不滅の名声もぼくとは無縁のものとなってしまった!」と、唐突な書き出しで始まる、詩を書いている青年が、「身体だけが大人になった子供」のようなバイオリン弾きに出会い、その音色に魅せられていく話。著者のメルヴィルといえば、英米文学の三大悲劇と称される「白鯨」(他の二作は「リア王」「嵐が丘」)が思い浮かぶが、私は読んでいない。巻末の「人と作品」によれば、出版当時は不評で真価が認められたのは、半世紀以上経ってからという。再評価のきっかけになったのは死後30年を経て刊行されたレイモンド・ウィーバによる評論「ハーマン・メルヴィル、航海者にして神秘家」と、同じウィーバ編で刊行された全16巻の著作集だというのだから、メルヴィルの成功は、本人よりも、このウィーバという人の功績だろう。

 「夢の国」は、病身の従妹マリアと過ごした八週間を描いた詩編。ラスト近く、マリアの死を語っている場面が美しい。

 <ある日、ぼくがまた、窓へと歩み寄り、その窓辺に、マリアが いつものように 坐っていたときに、彼女の顔が 死につつまれて、蒼ざめ、こわばっているのを ぼくは見た。太陽の光が 彼女の 淡い、やわらかな姿をかすめ、そのほどけた金髪は 風になびいていた。そして、彼女の命は病気によって奪われたのではなく、明らかな原因もなく、彼女は死んでしまったかのようにぼくには思われた。――それはひとつの謎のようだった。ぼくは、最後の薔薇を 彼女の手に置き、彼女は それを 墓の中へと携えていった>

 「にぎやかな街角」は、ヨーロッパで三十年を過し故郷のニューヨークに帰ってきた男が、かつて住んでいた家の中をめぐり歩き、ヨーロッパに行かないで、そのままこの生まれた家にいたもう一人の自分の幻影をみるお話。著者はほぼ五十年に及んだ作家生活で長編二十篇、百を超える中・短篇のほか、戯曲、文芸評論などを精力的に執筆。「哲学のような小説を書く」と夏目漱石に紹介され、「言葉の魔術師」と呼ばれた。のちにジョイスやプルーストに影響を与えた心理小説の祖ともされている。

 <著者略歴

メルヴィルHerman Melville 1819-1891
ニューヨーク生まれの作家。銀行員、教員など職を転々とした後、捕鯨船の船員として南太平洋に赴く。海洋小説『タイピー』で作家デビュー。代表作に小説『白鯨』『バートルビー』、長篇詩『クラレル』など。

トラークル Georg Trakl 1887-1914
オーストリアの詩人。ザルツブルクに生まれ、学生時代は象徴派詩人の影響下に詩作・劇作を始める。ウィーン大学で薬学を学び、薬剤官の傍ら作品を発表。酒と薬物中毒に苦しみ、27年の短い生涯を終えた。作品集として『夢の中のセバスティアン』『黄金の盃から』など。

H・ジェイムズ Henry James 1843-1916
ニューヨーク生まれの作家。ハーバード大学を中退後、執筆活動に入り『デイジー・ミラー』で成功を収める。小説のほか戯曲、批評、旅行記など精力的に執筆、最晩年、活動拠点であったイギリスに帰化した。その他の作品に『ある婦人の肖像』 『ねじの回転』『鳩の翼』など。

 

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