百年文庫(31)
第31巻は「灯」(夏目漱石「琴のそら音」 ラフカディオ・ハーン・平井呈一訳「きみ子」 正岡子規「飯待つ間」「病」「熊手と提灯」「ラムプの影」)
<結婚を控えた男が友人と語り合ううち、風邪で寝込む許婚者の要諦が気になり始める。春の冷たい雨の中、家へと急ぐ男の不安は果てなく広がり…(「琴のそら音」)
芸者街から忽然と姿を消した名妓「きみ子」。激動の維新期に覚悟をもって生きぬいた女性の潔い愛の物語(「きみ子」)
初冬の月夜、人力車にのって坂を下る病の子規が、人並みとまばゆい灯りを突き抜けていく美しい瞬間(「熊手と提灯」他三篇)。抒情深き文章世界。>
「琴のそら音」は漱石初期の作品で、死の寸前に死者が親しい人の元を訪れるという話を聞いた男が、インフルエンザで臥せっている婚約者のことが急になり始め、提灯の灯りや犬の遠吠えなどに不安を覚えるさまを描いている。内田百閒の「とおぼえ」は本作に刺激されて書かれたような気がしたのだが、さて、どうなのだろう。
「きみ子」は名妓とほめそやされた女の半生記。女の人格が出来過ぎていて(美化され過ぎて)現実感がないのが難だが、日本人の美しい心を描こうとしたハーンの意気込みが伝わってくる作品。ラストは見事な着地に成功していて、鼻につんとくるものがある。
正岡子規の四篇は掌編小説で、一つの出来事を丹念に「写生」したもの。特に「らむぷの影」は、細部はこう描くのだという見本のような作品で、眼にするものがみな人の顔に見える現象を描いている。書き出しはこうだ。
<病の牀に仰向けに寐てつまらなさに天井を睨んでいると天井板の木目が人の顔が見える。それは一つのある節穴が人の眼のように見えてそのぐるりの木目が不思議に顔の輪郭を形作って居る。その顔が始終目について気になっていけないので、今度は右向きに横に寐ると、襖にある雲形の模様が天狗の顔に見える。いかにもうるさいと思うてその顔を心で打ち消してみると、襖の下の隅にある水か何かのしみがまた横顔の輪郭を成して居る。仕方が無いから試みに左向きに寐てみると、ガラス越しに上野の杉も森が見えてその森の隙間に向こうの空が透いて見える。その隙間の空が人の顔になって居る。ちょうど画探しの画のようで横顔がやや逆さになって見えるのは少し風変りの顔だ。再び仰向けになって、今度は顔の無い方の天井の隅を睨んで居ると、馬鹿に大きな顔が忽然と現れて来る>
「大きな顔」はらむぷの灯影に現れたものだが、ここかららむぷの灯影に現れる様々な顔について描かれていくのだが、こういうのを「粘って書く」とでも言うのだろう。生半可な気持ちではできない「業」だと思う。
<著者略歴
夏目漱石 なつめ・そうせき 1867-1916
江戸・牛込生まれ。本名は金之助。大学卒業後、教師生活や英国留学を経て、1905年に『吾輩は猫である』を発表。07年、東京朝日新聞社入社後は、小説はすべて朝日新聞に掲載された。作品に『三四郎』『それから』『こころ』など。
ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn 1850-1904
ギリシャ生まれの作家、批評家。イギリスで育ち、19歳でアメリカに渡る。新聞記者として長年活躍した後、1890年に来日、96年に帰化して小泉八雲に改名。その著作を通じて日本を世界に紹介した。代表作に『心』『骨董』『怪談』など。
正岡子規 まさおか・しき 1867-1902
伊予・松山生まれ。本名は常規(つねのり)。新聞「日本」や俳誌「ホトトギス」を舞台に、俳句や短歌の革新をおこなって、多くの俳人・歌人に影響を与えた。評論や随筆でもすぐれた作品を残している。代表作に『墨汁一滴』『病牀六尺』など。