「孤独」と「四畳半」
斯波六郎氏の「中国文学による孤独感」によれば、今日、私たちが使っているような精神的な意味での「孤独」という熟語が、中国に現れたのは、二世紀の中頃で、それ以前は物質上の生活で頼りないものを意味していたのだそうだ。そして自分だけの問題としての、他には理由のないたった一人だけの気持ち、自分は孤独であると感じる気持ちが孤独感であり、その奥底にあるものは生命の不安感(死は人間を待ち受けている)ではないかと推論している。さらに続けて、その不安感は憂愁となって表れ、それはまた苦悩でもあると。
「人の生くるや、憂えと倶に生く」(荘子)
斯波氏はまた次のように述べている
<しかし、孤独感はいつでも一人の時起こるかと言えば、そうではなく、多勢の中でも起こるものである。
荘子に「多勢の中にいながら、どうしても周囲の人々と打ち解けて融合することを好まぬ人がある、是を、陸沈の者という」(則陽篇)と言う意味のことが書いてある。水に沈むのは当然であるが「陸において沈む」は、人々の中にいながらそれらと融合できないことを喩えたのである。
さて、孤独感は他人から拒否された時、或いは拒否されたと感じた時、換言すれば、自分の思いが他に通じないで、自分だけが取り残された感じを持って、自分で自分を眺める時に生じる心持である。もっとも、孤独感の生ずる自己凝視は感情を主として、そして多くの場合寂寥感を伴うものである>
それにしても、二世紀の中頃にもう孤独という言葉が使われていたなんて、人間の寂しさの根の深さを思わせる。
森見登見彦「四畳半王国見聞録」は、四畳半を舞台にした7編の短編集だが、私が歳をとったせいか、あるいは豊かになったせいか、そのどちらもあてはまるのだろうが、誇大妄想的なレトリックを駆使して四畳半を体系化かつ神格化させる文章について行けない。結局3編読んだところで、残りは斜め読みしてしまった。この人の「夜は短し歩けよ乙女」は面白く読めたので、それから何作か読んでみたが、まともに読んだのは「太陽の塔」ぐらいだ。四畳半で何年も干していない布団にくるまって、昼夜逆転の生活をしていたときに読んでいたら、多分「むさぼる」ように「うん、うん、そうだ、異議なし!」などと興奮して読んだかもしれないが。本も恋と同じでやはり「読む」には旬というものがある。それが喜ぶべきか悲しむべきかは別にしても、だ。
<精神の貴族は行動しない」「シュレディンガーの猫がどうした!何様のつもりだ!」「これ以上暑くなるんだったら、涼しい国に亡命してやるからなコンチクショウ」「敵に回すと怖ろしい男だったんだなあ」「ふふん。誰がそんな妄想を信じるかしら」「四畳半統括委員会の口車に乗ってはダメ!」「鴨川ってこんなに暗かったっけ」――世界は阿呆神が支配する。
「ついに証明した! 俺にはやはり恋人がいた!」。二年間の悪戦苦闘の末、数学氏はそう叫んだ。果たして運命の女性の実在を数式で導き出せるのか(「大日本凡人會」)。水玉ブリーフ、モザイク先輩、マンドリン辻説法、見渡すかぎり阿呆ばっかり。そして、クリスマスイブ、鴨川で奇跡が起きる――。森見登美彦の真骨頂、京都を舞台に描く、笑いと妄想の連作短編集。>