無頼派?
16歳のとき石川啄木の「一握の砂」を読んで歌人を志したという石田比呂志さんに「こんな歌、こんな歌人が主流になるのなら、私は真っ先に東京は青山の茂吉(斉藤茂吉)墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい」と言わしめた穂村弘さんの歌を私は嫌いではない、というか、少し真似していくつか短歌を創ったこともある。こんな歌もたまにはいいかもしれない。
猫投げるぐらいがなによ本気出して怒りゃハミガキしぼりきるわよ
終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
あほやねん、あほやねん、桂銀淑が繰り返すまたつらき真理を(穂村 弘)
さて、ここで白状しておくと、私はこの石田比呂志さんが好きである。理由を言えば嘘くさくなるのでやめておくが、「(私が)自分で使わなかった人生を生きているから」とだけ言っておく。こんな短歌を詠む人だ
曲芸団(サーカス)のぶらんこ乗りの姐ちゃんと駆け落ちしたいような日の暮
春宵の酒場にひとり酒啜る誰か来んかなあ誰あれも来るな
酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも
人間とて金と同じでさびしがりやですから集まるところに集まる
短歌を詠む知人の女性が石田さんに会った時の話をしてくれたのだが、私が覚えているのは、その女性の手をとり、じっとみつめたまま「手のひらを優しく撫でまわした」ということだ。ちなみに彼女は知的ではあるが、「女らしさ」には少し欠けているというのが、私の評なのだが。
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