偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

たまに詩を読んで(6)

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 「二十歳のころ」(立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ)という本の中で、詩人の茨木のり子さんが、読売新聞主催の戯曲募集に応募して佳作入選になった縁で、永いお付き合いをするようになった、女優の山本安英さんとの交流について次のように語っている。

 <私が山本さんから得たものはとても大きいんですね。そのころは四十くらいでいらしたけど、人間が生きていく基本みたいなもの、親やら先生からは得られないような大事なものを、私は山本さんからたくさんいただいたと思ってるんです。

 生き方の根本みたいなものって、どういうのが一番いいかなあ。あのね、私、山本さんの色紙を一枚持っていたんです。生前、あまり色紙をお書きにならなくて、現在夕鶴記念館に寄贈したのですが、それは、

「静かにいくものは すこやかに行く 健やかにいくものは とおく行く」

 っていうんです。> 

 そして、その山本さんに贈った詩が「汲む」である。

 

 「汲む」(茨木のり子)

 ―Y・Yに

 

大人になるというのは

すれっからしになることだと

思い込んでいた少女の頃

立居振舞いの美しい

発音の正確な

素敵な女の人と会いました

そのひとは私の背のびを見すかしたように

なにげない話に言いました

 

初々しさが大切なの

人に対しても世の中に対しても

人を人とも思わなくなったとき

堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

 

私はどきんとした

そして深く悟りました

 

大人になってもどきまぎしたっていいんだな

ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

失語症 なめらかでないしぐさ

子供の悪態にさえ傷ついてしまう

頼りない生牡蠣のような感受性

それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

外に向かってひらかれるのこそ難しい

あらゆる仕事

すべてのいい仕事の核には

震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・

わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました

たちかえり

今もときどきその意味を

ひっそり汲むことがあるのです

 

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