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地方の起業環境に足りないのはリスクマネー

起業家をこれまで300人近く育ててきて、ビジネスの源泉はある程度できてきました。

どこであろうと面白いことができる世界線を作ろうとしている身としては、地方が面白くなるために、いま一番欠けているのは、シードマネーの供給源なのかな、と感じています。

VCがバックについてシードマネーを供給します、といいつつ資料を見せていただくとイグジットは自社株買いだし、期間は数年だし、リスクマネーとしての性格は薄い、なんて地方ファンドはよくあります。

地方のスタートアップにとって、選択肢がデット(負債)しかないというのは、機会損失が大きいなー、と感じる。

地方に限らず、日本全体としてM&AなりIPOでイグジットさせた経験があるマネージャーが少ないことが遠因なんでしょうが、なんかもったいない。

自分が面倒を見てあげている子たちには、エクイティ(資本)が必要なら引っ張ってあげられるけど、どうやら当たり前じゃないことに最近ようやく気がついたもので笑

地銀が全国でファンド子会社を設立していたりしますが、やってることは実質銀行と同じで、正直なところを申し上げてもっと自社の人材育成に力をいれて欲しい面が多いです。

起業人材のプールは、起業志民プロジェクトに限らず地方にもたくさんできてきました。
あとは事業の目利きができて、イグジットまで伴走できる人材。次のフェーズはここですね。

熱狂できる仕事。人生で最も必要なものはこれだ

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没頭とか、ハマるとか言い替えても構わないけれど、ガチで寝食を忘れて熱狂できる仕事を見つけることができるかどうか。人生の幸福度は、この一点によるところが大きいだろう。

自分は、ともかく周囲から珍獣扱いされるレベルで休まずに何かやり続けるタイプです笑

休暇というものをちっとも使わないので、就職してからというもの、夏季休暇とか、有給休暇の類をほとんど使ったことがありません。
ことしは確実に皆勤賞です。まぁ、普通に過労死ラインを超えてない月はない、というレベルにはイっちゃってます笑

思い切り楽しんで、全力で熱狂している仕事なんで、正直つらいとか思いません。

そのせいで、人事には普通に怒られるのですが、まぁ、そんなん気にしてられません。
だって、熱狂してるんですから!

熱狂は、ハマり度をブーストする

楽しいことをやってると、疲れるという感じもなく、ガンガン攻めの姿勢で突き進んでしまいます

鬼攻めでゴリゴリやっちゃうせいで、事業はどんどん上手くいくし、成功し続けるもんだから、ますます熱狂してしまう、プラスのスパイラルに陥ります。
ここまで到達しちゃうと、まぁ抜け出せません笑

ゲームをプレイしてて、上手くなるとますます楽しくなりますよね?
技術が上達して、自己承認欲求が満たされることで、ますますやってて楽しくなってしまい、さらにハマりまくる
このループに入ると、後はもうサルのようにやり続けちゃいます。

熱狂は、さらなるハマりを呼ぶ、最高のブースターパックなのです。

仕事終わりに「きょうもやりきった!」と言えるか?

疲労はもちろん多少はあります。さすがに人間ですので笑

けれども、その疲労感を一瞬で消し去る魔法のキーワードがあります。
それが「きょうもやりきった!」と一言つぶやいて仕事を終えることです。

自分の中で、一日のやりきった感を認める。
そして実際にやりきって、全力で実績を、爪痕を残す

自己満足。そう言ってしまえば身も蓋もないけれど、満足感で一日を終えることは、めちゃくちゃ大事です。
これのある無しで、翌日のコンディションが大違い。

やりきった感があると、翌日に疲労は残らない。

熱狂しよう。そして日々やりきろう。
そこから先には、最高のパフォーマンスしかない。

さぁ、未来をはじめよう。

楽しいこと以外やるの禁止。それが最強のルール

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うちの起業志民プロジェクトには、ルール的なものが、一つしかありません。

それは

楽しいこと以外やるの禁止

実にシンプルです。

王道を行く。それが成功への近道

法律やルールには、大きく2つのパターンがあります。

  • 「〜〜をしてはいけない」という禁止型
  • 「〜〜をしても良い」という肯定型

法解釈の点でいうと、禁止型のルールでは「書いてあること以外はやって良いよ」という肯定のメッセージになるのに対して、肯定型のルールは「書いてないことはやってはいけない」という否定の意味合いになります。

なんとも面白いものです。

一般的に、日本の法律は後者で考えられる事例が多数派なのに対して、欧米は前者が多いですね。

どちらの方が自由度が高いか、答えは考えるまでもありませんよね

法の元祖と言えば、刑罰を定めたものですね。
有名どころでは、「目には目を歯には歯を」のハムラビ法典であったり、漢の高祖の「人を殺せば死刑。人を傷つけたものは処罰。人の物を盗んだものは処罰」の法三章ですな。
もちろん原始社会の話ですけど、人の行動を掣肘するべきなのは、悪いことをするな、ということくらいで良い、というのが法の元祖であり、王道なのです。

起業志民プロジェクトにおいても、ルールを設けるなら王道を行くシンプルなものでいい。
そして同時に、メンバーにとっての幸福を追求したものでなくてはならない。

それこそが、成功への最短距離です。

楽しいことだけをしよう

人生において、もっとも追求すべきことは誰もが等しく幸せになることに他なりません
そこには、苦痛があってはならない。

誰もが楽しいことをする。楽しいことを仕事にする。

そうしたことを誰もが自由に選択できるようにすることが、起業志民プロジェクトのミッションです。

であれば、ルールはたった一つでいい。

楽しいこと以外やるの禁止

シンプルすぎるかもしれないけれど、この世界線において示すべきビジョンはこれで必要十分。

さぁ、未来をはじめよう。

人生を全力で楽しむ、たった一つの冴えたやり方

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昨日、中学生を相手に仕事論を語るというミッションを与えられ、普段からアヴァンギャルドwな発言ばかりしてる人なので、そんなんでも良いんですか? と一応お断りを入れた上で参加してきました。

なにしろ相手は純真な中学生です。しかも1年生!
ちょっとだけ話す方も気を使わなきゃいけないのかな、とも思いましたが、大人の本音を聞くという意味合いもあるそうなので、最終的にはいつもどおりのスタイルで押しとおすことにしました。そういつもの完全フリーダムスタイルです笑

食い扶持を稼ぐことは目的じゃない

20人くらいの子たちと話すシステムだったんですが、驚いたのは中1にして"仕事=食い扶持を稼ぐ手段"という図式を持っていたこと。
教育なのか、環境なのか、それともその両方なのか。

すでに職業観として、仕事とはそういうものだ、という大きな先入観を持っていました。悪い言い方をすれば諦念のような。

驚きはしましたが、ある程度は想定内。中1とはいえ、やはり自分の中に社会を持っています。
周囲の環境であったり、自分の身近な大人がそういう考えを持っているのを見ていれば、こういうキャリア観を持つのも当然ですね。

なんかすげぇもったいないな、と感じるし、みんな大いなる誤解をしている。

キャリア教育って子どもにするもんじゃなく、まずは大人たちのこういう誤解を解くところから始まるんじゃないかなー、などと考えさせられました。

何を誤解しているのか?
それは、仕事って最高に楽しいものだ!っていうことです。

仕事は人生最強のエンタメ

人が生きている中で、最も多くの時間を費やすのは、間違いなく仕事です。

人生で最も多くを占める時間が、楽しくないものであったら、人生の大半が不幸になってしまいます。それってすげぇ不幸じゃないですか?

楽しいこと、好きなことをやってる時間は、誰もが幸せになれます。

仕事が楽しければ、人生もまた愉しいものになります。
そう、人は楽しいことこそ仕事にすべきなのです。

そんなのできるワケないじゃん! なんて声が聞こえてきそうですけど、そう思ってる人はもちろんできません。

プロスポーツ選手や、将棋のプロ棋士、ミュージシャン。「好き」を仕事にしている人たちなんて、いくらでもいます

ブロガー、ユーチューバー、プロゲーマー。
そんな新しい生き方もたくさん出てきました。

ものづくりが好きな人は、工場で働いたっていい。その会社の製品が大好きな人は、それを売る仕事をしたっていい。

あなたの「好き」は何ですか? 答えはもう、自分の中にあります。
後はそれをするかどうかだけ。

もっと好きなことをしよう。

もっと楽しいことをしよう。

もっとワクワクすることだけをしよう。

さぁ、未来をはじめよう。

「リスクを取る」ということは、博打を打つことではない

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日本人はリスク、という言葉がなぜか大好きです。

  • それってリスク高いんじゃないの?
  • そんなリスクを背負うなんて馬鹿げてる
  • 誰がそのリスクの責任を取るんだ!

なんて感じに、日常的にみんなリスクってやつを使います。
でもこれって、みんなリスクって単語の意味を誤解してるんです。

リスクとは単なる可能性

risk という単語は危険、なんて訳されることが通例ですが、オックスフォード現代英英辞典によると

the probability of something bad happening at some time in the future
(将来において何らかの悪い事態が起こる可能性)

と、定義されています。

そう、リスクってあくまで可能性の話なんです。

なぜか日本では、リスク=危険=悪という謎の図式が跋扈しており、リスクを取って行動する、なんて言うとイコールあいつは博打打ちだ、みたいな感じに見られてしまいます。

あくまでリスクというのは、可能性の話なのです。

リスクを管理することが、リスクテイカーの本領

誰もが、悪い事態が起こることを良しとすることはありません。
冒頭のように、悪い事態が起こる可能性が100%のまま突き進むのは、間違いなくやめたほうが良いでしょう。

悪い事態になる可能性を30%とか十分に許容できる範囲にまで落としたうえで実行する。それがリスクを取る、っていうことなのです。

ちなみにこれが、リスクテイカーの権化であるシリコンバレー的な脳みそになると

実行が遅れることで、他社に先を越されることこそがリスクだ!

ってなことになります笑

ベースになる価値観が違うと、こうも違うもんですねー。

悪い事態が起こる可能性は、十分に管理する。それが成功への近道です。

さぁ、未来をはじめよう。

何かを始めることは、習慣化という小さなスイッチを切り替えること

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自分を思い通りにコントロールするのって、案外難しいもんです。

ダイエットをしよう。健康のために痩せよう。あの可愛い服を着るためにあと◯キロ減量しよう。
論理的にも、感情的にも納得できるアジェンダだというのに、世のほとんどの人は、この意思を完遂することができません

ブログ更新なんかもそうですね笑

日課として組み込むことができるかどうか、まさにこの一点なんじゃないと思います。

夏休みの宿題が終わらないのも、まさにこれ。学校が休みの間に勉強をする、という習慣づけができるかどうか。
嫌いなことではじめからやる気がないものは仕方がないとしても、ダイエットや宿題なんかだと最初は少しはやる気があるというもの笑

この最初のフェーズで習慣化をすることができれば、仕組み化は割と容易です。

スイッチが、重くならないうちに、小さな成功を積み重ねる。
最初のうちに、ワークブックを1ページやった、2キロウォーキングをした。
なんでも良いから成功したことで、自分に実績を積み重ねるのです。

むしろこのフェーズの成功は、小さければ小さいほど良いです。

習慣というスイッチは、軽くて小さいほど気軽に押せます。

最初から高いハードルを設定したって、ふんぎりがつきませんもの笑

小さな習慣。毎日3ページもやらなくていい。1ページでいい。そんな軽い習慣づけさえできれば、あとはしめたもんです。

小学生にだってできる
習慣づけについては、そんくらいにまでハードルをダウンさせることが何よりも大事です。

やる気がある、思い立ったそのときに、もう仕組みをつくってしまう。
その仕組みは、小学生にだってできるレベルにする。

これだけで、割とどうにかなっちゃうもんです。

後は、その小さなスイッチを毎日押すだけ。
小学生にだってできることを、できないなんて言えませんもの。

さぁ、未来をはじめよう。

これから目指すべきは「住んで楽しいまち」ではなく、「働いて楽しいまち」だ!

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商業ベースで主導して行われるまちづくりというものは、得てしてこの「住んで楽しいまち」になりがちですな。

もちろんそれは経済的発展という側面から見ると、決して悪いなんてことではなく、むしろ成功というべきでしょう。
無策のツケがたたって空洞化するまち、なんてのに比べたらなんぼかマシですが、中長期的な視点からすると、この経済的視点だけだといろいろ困ることが出てきます

その大きな問題が、住み継ぎが行われない、っていうことです。

かつてニュータウンなんて呼ばれて開発しまくった郊外の住宅地なんかも、今じゃゴーストタウン化してるところが全国各地にありまくり状態で、過疎地の限界集落と同じ現象が起こっています。

都内でも、タワマンがにょきにょき立ってますけど、あれって50年後はどーなるんでしょうね? 建物まるごと限界集落になる、なんて未来予想図もあながち外れてないんじゃないでしょうか。

ヒトが住み続けるには、住むことではなく「働くこと」を重視しないといけません。
誰もが自由に出入りできて、誰もが好きなことを追求している。そんな新しい働き方をできる起業志民プロジェクトのようなプラットフォームが、まちに満ちている地方というのは、まだそう多くないのではないでしょうか。

楽しいことだけをして、もっと面白いことをやる。そういうプラットフォームを世界中につくり出す

次の目標は、このへんかな、と考えてます。

人はライスワークのみで生きるにあらず。もっと楽しく働こう。

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働くこと=楽しくないこと、という図式は、いつになったら払拭できるのだろうか、と4年も起業志民プロジェクトをやっても見通しすら見えません笑

まだまだ新しすぎて、一般化するまでには時間はかかるかもしれませんが、ヒトはそもそもラクな方、楽しい方に流されがちな生き物です。

それなら、時間はかかるかもしれませんが、この考え方は社会に広く受け容れられることになるでしょう。
じゃなかったら日本人、ちょっとドMすぎます笑

未来はもう、すぐそこまで来ています。

まだ「褒められたい病」で消耗してるの? 自分がおもしろい生き方が最強!

褒められたい。称賛を浴びたい。認められたい。

レベルの差こそあれ、こうした感覚は誰もがココロの何処かにもっている基本的な欲求の一つで、アメリカの心理学者であるマズローが提唱した、通称「欲求段階説」で有名です。

超絶ざっくりいうと、↓の図に示した5つの段階があって、下位の欲求が満たされると上位の欲求が生まれる、というもの。

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それぞれの欲求は、こんな感じ。

Stage1.生理的欲求 (physiological need)

食べたい、飲みたい、寝たいなど

Stage2.安全の欲求 (safety need)

風雨から逃れたい、健康でいたいなど

Stage3.所属と愛の欲求 (social need/love and belonging)

集団に所属したい、仲間が欲しいなど

Stage4.承認の欲求 (esteem)

他者から認められたい、尊敬されたいなど

Stage5.自己実現の欲求 (self actualization)

自分の能力を発揮して、社会で活躍をしたいなど

専門家の見地からは、けっこう議論の余地があるされているよようですが、心理学の教科書なんかには、ほぼ必ずと言ってもいいほど頻出する有名なやつですねー。

ムダにかっちょええ感じに作っちゃいましたが、↑の図みたいなやつは、見たことがあると思います。

誤解されがちなのですが、何も下位ステージの欲求が完全に満たされないと上位の欲求が生まれない、というワケではなく、安全の欲求が充足されていなくても、所属と愛の欲求は生まれる、といった状態はごく普通です。

承認の欲求と、どう付き合うか?

この5段階の中でも、ステップ4の承認の欲求は、SNS時代の人間は特にこの欲求が強いと言われてます。

この辺の病理については、↓の当たりがよく解説されています。

上記の本以外にも、さまざまな書籍がありますが、どれもだいたい同じような対処法が書いてあります。

いわく他人の評価を軸にするのではなく、自分で自分を評価するようにしようとか、自分に自信を持とうなんてことが書いてあるのですが、まぁ無理ゲーです。

少なくとも、褒められたい病に囚われている人には、こうしたアドバイスは不向きです。

私は、基本的に他人からの評価には興味があまりないので、こうした承認の欲求なんてものと無縁で生きているんですが、先日Twitterで

と、聞かれてなんとなく自分の過去を振り返ってみましたが、ああそういえば、と思い当たったことがありました。

信頼の崩壊から、自己の確立へ

中学生のとき(30年以上前だw)に、濡れ衣で学校の教師に鼻血が出るまでぶん殴られたことがあるんですけど、その時にその教師からお前は劣等感の塊だという趣旨な感じのことを言われたのですが、言われてみれば確かに当時はどちらかというと優等生(自称)な感じで、先生の顔色やら評価を気にしまくるタイプのビビリな人間でした。

評価軸は自分の中にはなく、すべてテストであったり先生からのお褒めの言葉、つまりは他者の評価に従属するだけの人間。つまりは褒められたい病にドはまりしてたワケです。
まぁ、中学生だからしゃーないんですがw

今の自分を知る人たちは、誰も信じないでしょーけど笑

純真な中学生wだった当時の自分にとっては、従来の価値感を全否定される、すげぇ事件です。
なんせ自分の評価軸を預けていた、つまりは信頼する相手から、自分の存在を全否定されたんですから。やってもいないことをやったことにされ、ぶん殴られて鼻血を流しながら反省文を書かせられた。今となっては大したことじゃありませんけど、思い起こせば普通にひでぇ話です。

ここで、純真な中学生にありがちな通常の反応としては、さらに従属を深めて相手の信頼を勝ち取る方向に行くところなんでしょううけど、自分の場合はそうなりませんでした。

先生なんて頼ってもなんも意味はない。自立するしかねーじゃん!
と、自分の中の価値基準を転換したのです。

カケラも納得できずに、微塵もやってもいない濡れ衣を着せられたら、とてもじゃないけどマトモじゃいられない。

あんま意識してはいませんでしたが、たぶん、これが大きなターニングポイントだったのかなー、なんて思います。

ゼロからイチへ、そして自己超越へ

たぶん、この件がなくても自分は最終的にこうなっただろう、とは思いますが、転換を早める契機になったことは事実でしょう。

他人の目とか、評価なんかを気にすることなく、自分のが楽しいと思うことをやりまくることで、気がついたら褒められたい病からは解放されていた気がします。

もちろん一朝一夕に転換できたわけではなく、なにもないゼロの自分に小さい成功をたくさん積み重ねたうえで、価値基準の転換ができました。

何もなしに、いきなり価値基準を転換なんて、できるはずはありません。必要なのは、思索ではなく行動です

ビジネスの上だけでも、いろんな事業を手がけたり、さまざまなプロジェクトを成功に導くことなんかをさんざんやらかしてきました。

やるべきことを、しっかりとやりさえすれば、結果は必ず付いてくる。
努力の方向性さえ間違わなければ、誰でも成功するのは簡単です。

評価軸を他者に依存する生き方っていうのは、正直なところ健全とは言えません。
何しろそれは、自分の人生を生きていない、他人の人生を生きるに等しい行為なのですから。

自分がおもしろい、楽しいと思うことに注力するのって、最高に充実した生き方の一つです。
自分だけでやるのも楽しいですけど、おもしろいことをやろうとしてる人を手伝ったり、ちょっと楽しそうなアイディアを持ってる人を助けて超やべぇことに発展させたりするのも、すげぇ楽しいです。

マズローは晩年、5段階のさらに上位に自己超越 (Self-transcendence)という第6段階を提唱しています。

これは、ざっくり言うと利他性、とでも言うべきもので、他者や自己を超えた存在に向けて奉仕をすることを指すものとされ、社会全体を面白くしたい、みんなでもっと楽しいことをしたい、といった思いは、ここに行き着くものと考えられます。

誤解を恐れずに言えば、見返りを求める taker ではなく、ただひたすら与える側になる giver になることは、マズローの欲求段階説の最終型、ってことですね。

自分がおもしろい生き方こそが最強!

思い起こせば、今でも誰よりも行動しまくっていますが、近ごろは誰かにガンガンおもしろい生き方をさせることに人生のリソースを注力しまくっています

そんな思いの一環として、自由な生き方をできる人を増やすプロジェクトをやっていますが、他人の目なんか気にしないで、自分が楽しいと感じることができる生き方さえしていれば、褒められたい病からは、割と軽く開放されます

自分のやりたいこと、野望、夢、呼び方はなんでも良いけど、これらの情熱を伴う感情に対して、最強に誠実に生きていくことは、めちゃ大事です。

内なる自分の声に忠実に生きることは、Stage1.生理的欲求に応えることにも等しい行為と言えます。
こうした感情は、抑えることが難しいほどに強いものであり、最大限に叶えないと自分が自分でなくなっちゃいます。

おもしろいと感じること、やべぇと感じる心には、忠実に生きなくてはなりません。
それは自分ではない、誰かの人生を生きることに他ならないのですから

さぁ、未来をはじめよう。

クラウドファンディングは新時代の共助プラットフォームだ

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地方におけるお金の流れは、実に限定的です。

自己資金、銀行融資、役所の補助金。まぁ、この3つでほぼすべてと言っていいくらいですな。

実に流動性がなく、自分のとこにカネがなければ、借りるか、補助金に頼るしかない、みたいに思ってる人が全くもって大多数、というのが紛れもない地方の現実のイチ側面です。

都市部であれば、事業をするとなればここに投資家やベンチャーキャピタルなんかが加わってきますが、地方にはまだまだそうした環境が行き届いていません。

ここに新たな風を起こしているのがネット時代における、新しい資金の流れ。クラウドファンディングです

クラウドファンディングについては、今さら説明するまでもありませんね。

クラウドファンディング(英語: Crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語である。ソーシャルファンディングとも呼ばれる。

要するに、ネット経由で不特定多数の人から資金調達をするというもので、原型となったのは17世紀ごろの書籍印刷のために寄付を募ったもの、と言われていますが、日本では、もっと昔からクラウドファンディングの原型的な金融モデルが存在しました。
勧進と呼ばれる、大仏や仏閣を建立するために僧侶が寄付を募る手法であったり、無尽や頼母子講などと呼ばれる地域内の相互扶助組織です。

これらは、平安時代〜鎌倉時代から行われていたとされ、実は日本はクラウドファンディングの超先進国だったんですね。

特定の領主の庇護下に置かれることで、一時的には安定を得ることができても、その人がいなくなっちゃえば、独力で生きていけなくなっちゃう。 これって、めちゃめちゃリスキーな生き方ですよね?

リスクヘッジをしつつ、自分たちのチカラで生きていくために、こうした手法が考えられた。これって本来あるべき自治のカタチのひとつです。

自治って言うと、国や自治体といった、行政のやるべきもの、っていう考えが一般的かもしれませんが、自治には本来3つの段階があると言われています。

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自分のチカラでどうにかする自助。まさに自己責任の世界で、何でもかんでも自分でどうにかする、というものです。

とはいえ、いくら頑張っても、ひとりのチカラはたかが知れていますよね。
一人で解決できない課題を解決するために行う次の段階が、共助。規模の大小はともかく、コミュニティのチカラを使うことを指すものです。地域の自治会とか、団地の管理組合なんかが、これに当たりますし、この共助の最小単位が、家族です

自分で、どうにかできないし、地域のチカラでもどうにもできない。そういった問題の解決に取り組むのが、公助。いわゆる行政のしごとです。

クラウドファンディングの原型とも言うべき、勧進や頼母子講の本質が自治であるならば、クラウドファンディングの本質もまた、自治であるはずです

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↑は、少し前にスパルタキャンプのメンバーが始めたpolccaで、学費を援助してあげたい、という思いに賛同して、みんなでポチポチとボタンを押したもので、この学生さんのことは知らなくても、信頼する友人が推してるんだから、きっといい人なんだろう、まったくの通りすがりだけれどもみんなが支援してるんだからきっといい人なんだろう、ってな感じのノリでポチポチとリンクを踏んだ結果、というワケですな。

平安時代には、諸国を歩いて寺社を建立するための寄付を募るのに大変な時間と労力を費やしていましたが、現代ならそんな労力をかけずとも「みんなでイケてる大仏をつくろうぜ!賛同してくれる人はこのリンクをタップして!!」とSNSに投稿するだけで済んじゃいます

このネット上に形成されたソーシャルグラフやクラスタこそが、現代における地域であり、そこで互いの信頼関係というゆるいつながりに立脚して行われる新しい時代の自治の一つのカタチなのです。

クラウドファンディングは資金の流れをもっと自由に、なめらかにするものであると同時に、実は新しい時代における自治の基盤、共助のプラットフォームなのです。

これに気がついてる人が、まだあんまりいないみたいだったんで、なんとなくまとめてみました笑

さぁ、未来の自治をはじめよう。

アイディアは、実現することで価値を生む

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意識の高いイベントなどでおなじみの、アイディアを出すだけの議論がめちゃ好きじゃありません。

楽しげにやってる人たちを見ても、何が楽しいのか、さっぱりわからずにいるのですが、アウトプットを前提としない議論は、正直つまんないです。

これ、ふだんの会議なんかでも同じで、いつまでに・誰が・何をするかを決めないと、ダラダラとトークが続くだけでガチで不毛です。

アイディアを出すなら、それを実現する方法と、実際にやるプレイヤーさえも一緒に決めちゃいましょう。

そうすることで、一気に単なるアイディア出しから、現実を変革するという一番楽しいフェーズに入ることができます

面白いことをやろう。そのために必要なことをしよう。未来は、その先にあるのだから。

さぁ、未来をはじめよう。

人を大事にしない組織は、まぁ、ダメになるよね

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組織の中で生きてると、つまらない人間関係の争いごとがたくさんある。
内部での権力闘争だったり、外部から足をすくおうとしたり、さまざまなパターンはあれど、どれも相手にした方の負け、という構図は共通している。

面白いもので、たいがいの組織はこの宿命からは逃れられない。新進気鋭のベンチャー企業でさえ、草創期から拡大期くらいに入って人が増えてくると、組織内部でのプレゼンスを高めたりとか、つまんないことに腐心しないとやりたいこともできなくなったりする、というお話をよく聞きます。

組織と人は、不可分のものです。
けれども、よく勘違いされがちなのですが、組織があっての人があるのではなく、人があって組織がある、という点です。

組織はなくても、人は生きられますが、人がなくして組織は成り立ちえない。
組織がもっとも大事にすべきなのは、人なのです

内部の主導権争いや外部からの揚げ足取りで干されたり、追放されたりするといった、人を大事にしない姿勢を見せると、中にいる他の人も明日は我が身と萎縮するだけです。

そんな組織で、活躍できるはずもなく、デキる人から順に去っていく。
よくあるダメな末路をたどることになります。

どんな組織であっても、人を大切にしないと、普通にダメになります。
もしも、あなたの関わっている組織がこんな状況なら、さっさと距離を置くことをオススメします、というお話です。

まずやってみることこそが、成長と成功を約束する

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なかなか成長しない人に欠けているのは、まさにこの姿勢です。
まずはやってみる。そしてダメだったら改善するなり、他のやり方をさぐる。この考え方を身に着けているかどうかで、その人の生き方さえも左右してしまいます。

行動するかどうか。一歩踏み出すかどうか。ここで悩み、踏みとどまってしまっては、何も変わるわけがない。
ゲームのスタートボタンを押してもいないのに、クリアできる可能性はゼロに決まってます

成長も、成功も、すべてはスタートボタンを押すことから始まります。

スパルタキャンプに集まってくるメンバーたちが、いい例です。
たったの16日しか経っていないのに、自分たちでオリジナルのウェブサービスを作ろうとしています。

16日前までは、コードの書き方なんてぜんぜん分からないメンバーばかりだったとうのに、です。

彼らは、スパルタキャンプにエントリーする、という決断をしたことで自分の人生に革命を起こしました

社会にムーブメントを起こすことは大変ですが、自分で決断を下すことは容易です。
文字どおり、決めて断ち切ることから始まります。

成長も、成功も、すべては行動からしか始まり得ません。

答えはもう、あなたの心の中にあります。

評論家に用はない。なるべきは革命家だ!

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先日、どうやったらそんなに次々と新奇性のある事業をできるんですか? という質問をされたので、ちょっと解答してみます。

まぁ、新奇性とか言うてる時点でおもろないな、とは思いましたが笑

書きながら頭の中を整理してみましょう。

もちろん抵抗は普通にあります

組織内でなにか新しいことをやらかそうとすると、まぁ、つまらないことを言うてくる人がいます

「他でやっているところはあるのか」
「あちらとは、どこがどう違うのか」
「なぜ今やらなかやいけないのか」
「人は増員できないぞ」
「外部への説明はどうやるんだ」

などなど...割としょーもない話が多くあります。

別に、こんな反応がある組織はダメな組織!なんて結論付ける気もありません。
成熟した組織体であれば、当然の反応ですので、反応があること自体にはさして意味はありません

問題となるのは、こうした行動にブレーキをかける評論家に対抗する、アクセラレーターたる革命家が組織内に不在なことです

変革を諦めることは衰退への片道切符

まさに質問にあった新奇性、つまりは先例のない事業を始めることを許容できるかどうか、風土や空気と言い換えても良いですが、この要素のあるなしによって、その組織体の未来は決まります。

そう、繁栄か衰退か、という二択です。

もちろん組織すべてが革命家だと、スケールはできません。
全員イノベーターでも成り立つ組織なんて、創業期のベンチャーくらいなもんです笑
はっきり言って、収拾がつきませんwwwww

閉鎖的で、保守的な組織であっても、ほんのわずかな余白があれば、みんなを巻き込んで変革を遂げることはできます

余白がなければつくればいい

この余白が自分の組織にあるなら、答えは簡単です。さっさと行動すりゃあいいんです。

ないのなら、次にやるべきことも自然と見えてきますね。
ないものはつくればいい。新規事業を起こそうっていう人なら、この発想に至るのは簡単でしょう。

自分がいつもやるのは、ブレーキをかけられたときに空気を読んで実行をやめるんじゃなく、外野を無視して実行して成果を出すことです。それも文句を言わなくなるレベルで圧倒的な成果です

こうすると、強制的に余白は広がり、いっぺんやってしまえば皆さんの大好きな「先例」ができます笑

革命のもともとの意味は「天命が革(あらた)まる」ことです。

出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打ちようがありません笑

評論家になって、人にブレーキをかけてるだけじゃ、変革は絶対に起きません。

なるべきなのは、革命家です。

あなたがなりたいのは、どっちですか?

成長したければ、自分よりすごい連中とつきあおう

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人はいくつになっても成長することができます。

いやいや、年を取ったらそんなの無理に決まってる!なんて声も聞こえてきそうですが、それはあなたが日常的に付き合う人たちが、固定化してるってだけの話に過ぎません。

子どもが成長するのは、みんな当たり前だと思ってますが、なぜか大人が成長する、って話になると「いやー、そんなん無理だよ、もう年だし」なんてアタマから否定しにかかってきます。

はっきり断言しましょうね。大人になったら成長できない、なんてのは単なる思い込みです

年齢に関係なく、人が成長するには必要なものがあります。自分の上を行く、ライバルの存在です。

少年マンガの世界ではライバルの登場はおやくそくですが、実はリアルの世界でもライバルの存在は、めちゃ重要なファクターなのです。

ライバル抜きには子どもだって成長できない

日本における教育の現場は制度疲労を起こしまくって時代に合わなくなっていますが、学校っていう仕組みそのものは、ギリシア・ローマの時代から連綿と続くだけ合って、成長するには非常に有効なのです。

教室という狭い空間に自分と同年代の仲間が集められ、その中で競い合う。まさにここにいるのはみな成長のライバルたちに他なりません。

皆さんも、学校に通っていた当時には常にテストやスポーツで意識していたライバルが必ず一人はいたはずです。

成長のためには、実はけっこう、良い仕組みなのです。

大人が成長できないのは、ライバル不在のせい

大人になると、得てして交友関係が固定化します

仕事関係でつきあう人も、職場を除けば、そう多くはないでしょう。営業職みたいに相手は多くても、教室にいたときのように濃密に関係を結ぶなんていう人は、同じ会社の人くらいではないでしょうか。

そんな会社の人たちは、ほぼ固定した関係になりがちです。

会社内の固定化したつきあいだと、あいつは自分よりできるけど、こっちは明らかに仕事ができないやつ、みたいな先入観から逃れることは、誰にとっても非常に難しい。

そんな環境じゃ、成長できないのも、当たり前です

俺より強い奴に会いに行く

言わずと知れた、対戦格闘ゲームの金字塔ストリートファイターIIのキャッチコピーですね。

主人公のリュウは、自分より強い相手を求めて世界中をさすらう格闘家です。

まさにリュウのように、自分よりすげぇ奴と、競い合うことさえできれば、いくつになっても成長はできます。

スパルタキャンプを目指してくるメンバーを見てると、実に感じます。

オンラインでは得られない、リアルの狭い空間に押し込められたメンバーが濃密な空間を共有することで、あり得ないほどの成長を遂げます

自分よりすげぇ奴。そんな仲間を数多く持てば、いくつになっても、どこに住んでいようとも成長することは、たやすいことです。

すごくない奴とばかり付き合っているから、成長できないだけです。

さぁ、次のステージへ行こう。
後は行動するだけです。

才能がある人は、正しく努力する方法を知っているだけ

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よく「あの人は天才だから」とか「自分には才能がないから」という言質で、諦めにしか聞こえないことを言う人たちがいます。
けれども、本当にそうなのでしょうか?

何の努力もせずに最初からハイパーに上手い人なんて、この世のどこにもいません

才能がある人、というのは、正しく努力する方法を知っている、というだけなのです。

メジャーリーガー・ダルビッシュ選手の練習に対するスタンスを示すツイートです。

2010年と、かなり以前にされたツイートですが、天才と称され、世界のトップを争うアスリートたちの基本的なスタンスは、みなこの一言に収斂するのではないでしょうか。

精神論とか、筋論なんて、どうでもいい。
ともかく、やるべきことに向かって、そこに向かって最短距離で、もっとも楽をしてたどり着く

目標に向かって、最高効率で到達することができる。それをめちゃ自然に行えるのが、天才と呼ばれる人たちなのです。

正しく努力して、正しく怠ける。もっとも勤勉にして、もっとも怠惰な人たち。それを知っていることが、才能なのです。

正しく努力する方法なんて、いくらでもあります。 ITで起業したければ、スパルタキャンプに参加すればいいだけだし、その他の道も、まずは第一人者の人たちの練習を真似すればいい。

正しい努力、正しい怠惰。この2つを身に付けることができれば、今日からあなたも天才です。

自分のアタマで考えて、自分でまずは実践してみる。そんな態度を身に付けること。
まずはそれが、天才への近道です。

批判なんていらない。いいところを褒めよう

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日本人って、ともかく人を褒めるのが、むやみとヘタですよね。
褒めるのが恥ずかしいからなんでしょうか?

部下であれ、近所の人であれ、テレビの向こうの政治家であれ、ともかく批判はするけれどいい仕事をしたときに褒めそやすということがない

Twitterなんかを見てると、まさにそう。

なんでなんでしょう?

褒められるのが嫌いな人は、いない

怒られるのって、みんな大嫌いですよね?
たまに特殊な趣味で好きな人もいるらしいですが、残念ながら身の回りににいないので、ヒアリングはしたことはないのです笑

一方で、褒められるのが嫌い、という人はまずいません
もしいらっしゃったら、コメント欄で教えてください笑

褒められるのは、みんな大好きなのに、ひとを褒めることをしない。

いったいなぜでしょう?

褒められる機会は、成長とともに減っていく

一方、子育てでは、皆さん普通にめちゃ褒めしますよね?
うちも、情け容赦なくめちゃ褒めしてます笑

毎日の宿題で、ちょっとした問題を問いたら花丸をつけたり、「やったね!」ってハイタッチしたり。学校の中にいるときはすごく褒められる機会が多いです。

ところがこれも、小学校くらいがピークです。
学齢が上がるにつれて、「できて当たり前」というものが増え、できないことを批判する、というシーンが増えていきます

掃除をしても「よくやった」と褒められることもなく、むしろテストで悪い点を取ったり、練習試合でミスをして詰られる。

そういう環境で飼い慣らされたら、学校を卒業して、会社に属したりしても、そりゃあ確かに褒めることなんてしません。

だって、自分が褒められることがないのに、ひとを賞賛したりしませんもの

当たり前で褒められない、なんてことはない

普通のことを普通にやっても、そりゃあ誰かに褒められるワケなんてないじゃない!
とか思ってるそこのあなた。それは大きな間違いです。

ものすごく仕事ができない、そんな部下を毎日怒鳴り散らしてるかもしれません。
でもその部下の人って、その仕事が向いてないだけで、違うことには長けているかもしれません。

当たり前のことでも、しっかりできる人は大切です。

毎日同じことを、均質のクオリティでやることも、一つの才能です

素直に賞賛することは、重要なファクター

まずは褒めることからはじめよう。

そのために、褒めることができるところを、よく観察することからはじめてください。

「これいいね!」でも「さすがいい仕事するね!」とか、簡単な一言で構いません。

褒めるうちに、自分も褒められるようになります。

批判なんて、どうせ相手に不快な思いをさせるだけで、何の役にも立ちません

素直に賞賛できる人は、周囲にプラスとなります。

もっと人を褒めましょう。そこからきっと、新しい世界が開けるはずです。

スパルタキャンプは日本を変える。そんなつもりでやってるよ?

スパルタキャンプ Ruby on Rails編が、2018年2月21日までエントリーを受付中ですが、ほんとに面白いです。

年齢構成も職業も、住む地域さえもばらばら。ガチで北海道から九州までエントリーをいただいています

日本を面白くしたい。世の中を地方からひっくり返したい。世界を面白くしたい。

そんな人たちに、技術を、希望すればビジネスも教えます。こんな仕組みが日本中にあれば、世界はもっと面白くなる

ないなら、つくればいい。

日本の働き方を革命したい。そんな人のエントリー、お待ちしてます。

苦手の克服なんて、リソースの無駄遣い

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仕事上で、よく「苦手を克服しよう!」なんてつまんないお題目を掲げる研修なんかがあると思います。

はっきり言いますが、そんなものは単なる組織リソースの浪費、ムダ使い以外の何者でもありません

まぁ、ココロの贅肉です。
なんでこんなつまんねーことのために、講師を頼む経費をかけたり、従業員の時間を割いて平気でいるのか。

学校のテストであれば、いくら得意でも上限は100点しかない。満点を取れる以上の頑張りはムダです。

けれども、テストではない、世の中というフィールドに出ると、満点という概念はなくなります。

学校っていう草野球では100点までしか評価できないフィールドでは仕方がありませんが、メジャーリーグなら、それは1万点になるかもしれない

これが世の中の面白いところです。
苦手の克服なんて、伸び代の低いもんに多大なリソースをつぎ込んで、普通レベルになることを喜ぶよりも、好きなこと、得意なことを伸ばすことにリソースをつぎ込んで、メジャーリーガーを目指した方がいいに決まってます

時間というリソースは、その人の命と等価です。
命を無駄遣いするなんて、とんでもない!

あなたの命、ムダにしてませんか?

言葉は借り物でもいい。アウトプットすることで変わるものがある

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文化庁の国語に関する世論調査によると、月に1冊も本を読まない人の割合が、全体のほぼ半数にも及ぶ、と報告されています。

これまで本や新聞を読むことに当てられていたであろう時間は、ニュースやSNSといったスマホのスクリーン上という新しいカタチで読むことに使われていると考えられます。

スマホによって、一日に読む文字数そのものは、おそらく以前よりも増えているのではないでしょうか。

一方で、これだけインプットする情報量は増加しているというのに、自らの考えをカタチにする人は、ごくわずかです。

なぜ、こんなにもアウトプットをする人が少ないのでしょう。

自分の考えをまとめて、文字というカタチにするプロセスを踏むだけで、一つの大きな効果が生まれてきます。

漠然とした思いを言語化する、というフィルターを通すことは、慣れるまでに非常に労力を必要とします。
この言葉にするチカラは、残念ながら一朝一夕には身に付くものではありません。

ひたすら書く。考えて、書いて。また次も考えて、書く。これを愚直に続ける以外には方法はないのです。

逆説的に言うと、この「考えて、書く」というルールさえ守れば、誰もが身に付けることができる類の能力でもあります。

自分の言葉でないと、語っちゃいけない、なんてルールはありません。
どんな文豪だって、最初は模倣から始まります。

ただひたすらに書いて、ただひたむきに考えて、また書く。

アウトプットするだけで、必ず変わるものがあります。

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