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新発見の手記が伝える原爆の被害 8月11日 17時40分 昭和20年8月9日に長崎に原子爆弾が投下されてか... 新発見の手記が伝える原爆の被害 8月11日 17時40分 昭和20年8月9日に長崎に原子爆弾が投下されてから69年。 原爆の被害の甚大さを今に伝える建物が長崎市に残されています。 爆心地から西に500メートルに位置する旧城山国民学校の校舎です。 奇跡的に助かった教頭が被爆直後の学校の様子を書き残した手記が、新たに見つかりました。 手記は私たちに何を語りかけるのか、長崎放送局の山元康司記者が取材しました。 すべて無くなった場所に残った校舎 長崎市の住宅が立ち並ぶ地域の一角に城山小学校があります。 戦前は「城山国民学校」と呼ばれ、鉄筋コンクリートの校舎の中でおよそ2000人の小学生が学んでいました。 昭和20年夏、子どもたちは戦況の悪化で自宅待機を命じられていました。 昭和20年8月9日、子どものいなくなった学校には、先生たちと事務所を構えていた三菱兵器製作所に動員された若い女性た
2014/08/12 リンク