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第40回大会は、記念大会として初めて全国の都道府県と沖縄の47代表が出そろった。この大会から延長... 第40回大会は、記念大会として初めて全国の都道府県と沖縄の47代表が出そろった。この大会から延長戦についての規定が設けられ、勝負がつかなくても18回で打ち切り、翌日再試合を行うこととなった。その適用第1号がこの大会の準々決勝、徳島商―魚津(富山)。徳島商・板東、魚津・村椿の投げ合いとして知られる名勝負だ。なぜこの規定が生まれたのか。きっかけをつくったのも実は板東だった。 58年春の四国大会。板東は高知商戦で延長16回を投げた。さらに翌日、今度は高松商を相手に延長25回を投げぬいた。これを見た役員が日本高野連の理事会で訴えたのが、延長18回打ち切りの規定新設につながったのである。 そんな記録をつくるほど、板東は点を取られない投手だった。身長こそ170センチ満たないが、全身を使ったダイナミックな投法で三振の山を築いた。初戦の秋田商戦では17奪三振。続く3回戦の八女(福岡)戦でも15奪三振と危な