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宮城県多賀城市教委は28日、国特別史跡多賀城跡の南西に広がる同市の山王遺跡から、城外の幹線道路「... 宮城県多賀城市教委は28日、国特別史跡多賀城跡の南西に広がる同市の山王遺跡から、城外の幹線道路「東西大路」に平行する平安時代の道路跡や、同時代の漆紙文書などが見つかったと発表した。漆紙文書からは戸籍の筆頭者に当たる「戸頭」の文字も確認され、市教委は「国府として数多くの行政文書を扱った多賀城の性格を知る上で重要な発見」としている。 調査区は、同市山王毛上の約700平方メートル。山王地区公民館の体育館建て替え工事に伴う昨年10月からの調査で、東西大路の北120―130メートルに位置する「北1東西道路跡」(道幅約2.5メートル)を発掘した。漆紙文書は、道路跡北側のごみ捨て用の穴から7点が見つかった。 市教委によると、漆紙文書は10世紀の前半から中ごろのものとみられる。墨の跡が確認できた文書は「丈部田主(はせつかべのたぬし)」といった人名と、その人物の戸籍の筆頭者を表す「戸頭」の字が見られ、何
2009/05/30 リンク