注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
相生橋を背に「あの日」見た光景を証言する蔵田淑子さん。「人の気配は なく『原爆のにおい』としか言え... 相生橋を背に「あの日」見た光景を証言する蔵田淑子さん。「人の気配は なく『原爆のにおい』としか言えない、においが満ちていました」 原爆投下の翌日、ドームそばの相生橋で米兵捕虜が電柱に吊(つ る)されていた―。「原爆秘話」の一つである。逃げるところを市 民につかまり、なぶり殺されたらしい…。口伝えで語り継がれるう ちに尾ひれもつき、また、それをまことしやかに話す人がいる。 米軍は長い間、自国の兵士がキノコ雲の下にいたことを否定して いたが、一九八三年に「陸軍八人と海軍二人の捕虜が原爆で犠牲に なった」と公式に認めた。が、実数を含めてなぞは多い。市が七一 年編さんした『広島原爆戦災誌』には「被爆直後、死体処理前に、 相生橋東詰め北側の電柱の柱の下に、アメリカ兵の捕虜が死んでい たが…」と、簡単な記述が残るだけだ。 電柱に針金でくくる 「ええ、若い兵隊さんが電柱の根元に
2009/08/07 リンク