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郡山城(大和郡山市)の天守台へは、隣接する櫓(やぐら)からつながる地下通路があった可能性が浮上し... 郡山城(大和郡山市)の天守台へは、隣接する櫓(やぐら)からつながる地下通路があった可能性が浮上し、市教委が現地調査を始めた。城を描いた絵図面には、天守台までのルートの記載はないが、周囲を石垣と石塁に囲まれ天守台には、階段がありそうな場所にだけ石塁が途切れており、絵図面を所蔵する城内の柳沢文庫の担当者は「櫓から天守台の地下に入り、そこから上がる構造だったのでは」と指摘する。市教委の調査は8月まで続く予定。謎の通路の解明なるか-。 郡山城は豊臣秀吉の弟・秀長が居城とした。天守閣が存在したことを示す文献はあるが、すでに江戸時代にはなくなっていたとされ、天守台だけが現代も残っている。 天守台の石垣が老朽化しているため、市は平成29年3月までの修復作業を始めており、並行して市教委が今年3月から現地の発掘調査を進めている。 柳沢文庫が所蔵する、幕末から明治時代にかけて描かれたとされる城の絵図面「郡山城