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1988年4月22日、新日本プロレス那覇大会で藤波辰巳(当時)が“飛龍革命”を起こした。 藤波はアントニオ... 1988年4月22日、新日本プロレス那覇大会で藤波辰巳(当時)が“飛龍革命”を起こした。 藤波はアントニオ猪木とのタッグでベイダー&マサ斎藤と対戦。9分24秒、反則勝ちを収めた後の控室で強烈な自己主張をやってのけた。4・27大阪&5・7有明でベイダーと対戦する猪木にその座を譲るように迫ったのである。 以下は猪木と藤波のやり取りの抜粋。 藤波 すみませんでした。 猪木 いや、今日はオレの方がすまん。 藤波 ベイダーとシングルでやらせてください。今日、ボクは何もやってないです。もう、いい加減に許してください。これからは自分でやりますよ、真っすぐ。自分の思うことをやります。はっきり言って、大阪と東京の連戦(今の猪木では)無理です。自分が今日こんな形で、言える立場じゃないけど、オレらは何なんですか、オレらは? 猪木 本気かい? 命、懸けられるか? 命を。勝負だぜ、オマエ。 藤波 もう何年続いた?
2025/01/05 リンク