エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
コメント一覧は非表示に設定されています。
(詳しくはこちら)
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
多くの人にはすでに身についている感覚なのかもしれませんが、わたしは最近になってやっと聖書の世界に... 多くの人にはすでに身についている感覚なのかもしれませんが、わたしは最近になってやっと聖書の世界に触れたので、いまさらながら、なるほど思うことばかり。今日書くのは、「自分を縛る自分以外のもの」について。わたしがこれまでモヤモヤしてきたことは、もしかたら「契約」がなかったから? と思いました。契約の相手が神なのか人なのかはさておき、とにかく契約がない。 (モヤモヤの例) 秀吉が草履をあたためることが無私の行為かというと違う気がするのに、だったらラブかというとそうでもなく、でも「うっわー。あざとーい」という感じでもなく(なんなら魂から湧いた行為・美談のように)語られること 親切をされたことで段取りを変えなければならない都合が発生した際に、困惑を表明できないうえに「よかれと思っやった」といわれること 「頼んでないのにやってるね」と思えばいい話なのですが、なぜそう思えないかというと、契約の概念がない