注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
例の「談話」というやつが発表されて、ふと思ったことがある。 あべぴょんが米議会で演説したときにも感... 例の「談話」というやつが発表されて、ふと思ったことがある。 あべぴょんが米議会で演説したときにも感じたことだ。 「あなたがなにを話そうと、だれも聞きはしません」と院長はきっぱり言いました。「人々が講演のほんとうの内容に興味を持つことはめったにない。彼らはただ、あなたの口調や身振りや表情から、あなたが正直者であるか否かを探りたがるだけです」 (カート・ヴォネガット『ヴォネガット、大いに語る』飛田茂雄訳より) 演説というものは、その内容よりもそれを語る人間の「中身」があらわになる。 あべぴょんの場合、30秒もしゃべるとたちまち「幼稚さ」があらわれてくる。 私が「安倍晋三」と書かずに「あべぴょん」と書くのは、その「幼稚さ」に非常にしっくり来るからだ。おまけにこの呼称は自民党公認である。 ではなぜ、その「幼稚さ」を抱えた人間が支持されてしまうのか。 それは「保守」というものが「幼稚さを許す」かのよ
2016/12/02 リンク