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「ものを作ったことに対する対価は支払われるべきだ」という制度の話が、どこかで「愛があるなら対価を... 「ものを作ったことに対する対価は支払われるべきだ」という制度の話が、どこかで「愛があるなら対価を払うよね」みたいな話にねじくれるのが不思議すぎだ。 「愛があるなら対価」論では、可処分所得100万円の人と可処分所得10万円の人の愛は10倍違うってことになるような気がするが、それは屁理屈だろうか。 この屁理屈もしょうもないが、この屁理屈への返答が「そこはそれ、自分の身の丈にあった金額を払えばいいじゃないですか」とかなりがちで、もっとしょうもない。可処分所得に一定の率を掛けただけの金額…いやそれでは不公平だから…累進ドネション制とかになるでしょうか…。 愛と呼んでいるものを、自分の生活の自由度を下げる(カネを払う)ということで表現してますけど、それは本質的には不自然ですよね、ということだ。 たしかにその不自由さによって、「ありがたい」「大事にする」という気持ちになるかも知れないけど、それは自演の
2008/01/31 リンク