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小学校ではやんちゃ坊主で毎日のように怒られていたが、子供の頃から運動神経が良くサッカーや野球をし... 小学校ではやんちゃ坊主で毎日のように怒られていたが、子供の頃から運動神経が良くサッカーや野球をしていた[1]。入学した中学にサッカー部がなかったことから野球部に入部。高校でも野球部に所属し、3年生の春に県大会決勝で津田恒実も登板した南陽工と対戦して準優勝、その後の中国地区大会で優勝している[1]。 大学でも野球部に所属し、ポジションは二塁手だった。ただしほとんど活躍できず、リーグ戦では、2回代打として出場したものの凡退したほか代走1回に終わった[注 1][1]。大学時代の野球部の同期には和泉実と木暮洋がいた。 大学2年生の頃に仲代達矢主宰の無名塾に興味を持ったが、親から大学卒業を説得されて一旦取りやめた[1]。その後4年生の頃に留年が決まり、「自分は将来どうなりたいのか」と考えた末、改めて俳優を目指し始める[1]。野球部を引退した4年生の秋に演劇研究所に通い始め、5年生の時に残りの単位を取