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アメリカ映画に衝撃を受け、やがて映像の時代が来るとの思いから日本大学藝術学部映画学科に入学し、実... アメリカ映画に衝撃を受け、やがて映像の時代が来るとの思いから日本大学藝術学部映画学科に入学し、実習の創作としてシナリオを書く。その時に書いた『雲の果て』(1991年に刊行された『雲の涯』の基となる)という作品が、講師として来ていた松竹映画専属のシナリオライター八木沢武孝の目に留まり『江古田文学』に掲載するよう推薦されたが、その頃の文芸学科の学生たちには「シナリオは文学ではない」という風潮が強く掲載を拒否された。しかし『江古田文学』には映画学科からも製作実習費が出ていたことから映画学科の学生たちが抗議し、映画学科からは宗田の作品だけが何とか掲載された。 その後、八木沢の依頼で助手をするようになり、やがて摂津茂和原作の映画『台風息子』(東映)の脚色の下書きなどを書くようになる。当時はまだ無名だったため、八木沢武孝のクレジットで配給されている。 その後、八木沢の仕事が減ってきたこともあり、大学時
2015/02/28 リンク