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自分の幸福を喜んでくれる人がいるのは幸せなことだというけれど、 わたしにとっては、自分の不幸を誰も... 自分の幸福を喜んでくれる人がいるのは幸せなことだというけれど、 わたしにとっては、自分の不幸を誰も悲しまない状態に持っていくインセンティブのほうが高い。 苦しみは喜びと相殺せず、 喜びもそれが消え去るときには苦しみに変わる。 私見だが、生きるという状態にはもともと傾斜がついているのだ。 坂を登れば喜びが増え、 坂を下れば苦しみが増える。 しかし、だれもが最後には坂の上で一人で立っている力を失って、 坂を転がり落ち、苦しみの底を踏み割って、 最後にようやく安寧を得ることが出来る。 生きるとは変化することだ。 そして、何もしなければ坂の下に向かって引く力によって、自動的に苦しみが増えていくことになる。 わかりやすいのが飢餓だ。何も食べなければ飢えに苦しむことになる。 いつか、ディックの小説に「キップル」という言葉が出てきた。からっぽのマッチ、ガムの包み紙、きのうの新聞、いつかそういう役に立たな
2019/04/06 リンク