声優はなくならない

前にも書いたが、僕は映画を見るときには監督で、アニメを見るときには(だいたい)制作会社で選ぶのだが、映画に関していえば、たとえば松重豊とか吉田朝とかのザズー系の俳優とかが出るとちょっと気になってみてみようと思わないこともない。同様に見るアニメを選ぶときに声優というのが大きなポイントとなる人は少なくないのではないだろうか。…ってなことを考えていたら見つけたのがこの記事。

愛・蔵太の少し調べて書く日記 - これからいらなくなる仕事は、声優と漫画家のアシスタント

まあコメントとか読むと書いているご本人が声優に関しては「いなくならないと思う」とおっしゃっているので、この記事自体がどうこうというよりも、それをきっかけにちょっと考えたことを。

コメント欄のほかの方の意見を見ていると、声の合成技術などでは声優の演技は再現できないだろうという意見が多かった。しかし僕は声優は全く別の理由でも決してなくなることがないだろうと思う。というのは、いまの声優ってのは声をあてる以外の重要な役割をになっているように思えるからだ。一言でいうと広告塔ということになるだろうか。どうやら2chなどを見ていると、アニヲタという人たちとは別に声優ヲタという人たちも存在するらしい。彼らがアニメの消費ということに関してどのような行動をとっているのかはわからないが、少なくとも声優たちが彼らをアニメに惹きつけているということはいえるのではないだろうか。たとえば『ぼくらの』のアニメ化に関して、マンガを読んでいた僕なら、鬼頭作品をまたアニメ化するなんてすごいな、『なるたる』は途中までだったからよかったけど…、みたいなことを考える。だけど中には、あ、能登が出るんだ、能登かわいいよ能登、とかいって見る人もいるかもしれない。そして声優は作品と視聴者だけではなくて、作品相互をも結びつける。ニコニコ動画には同じ声優が演じている違うアニメの複数のキャラを比較する動画がいくつかあるが、そういうかたちで視聴者は声優をもって異なる複数のアニメ作品、あるいはキャラを結びつけたりする。京アニにいたっては自ら積極的にその結びつけをすることで、今回の『らき☆すた』第16話のように平野綾がこなたと(こなたがコスプレした)ハルヒを同時に演じることが可能になる。弾幕がすごかったところを見ると相当評判が良いのだろう。

それともうひとつ。ラジオの広告力は侮れないと思う。なんといっても思い浮かぶのは『うたわれるもの』だろう。僕はラジオの存在を知る前に本編を見たので、全然わからなかったが、『うたわれるものらじお』の訴求力はすごかったらしい。じじつ2chやニコニコ動画などを見ると、『うたわれるものらじお』を聞いていて、『うたわれるもの』見始めた、という人も多かったようだ。別に具体的に数字は知らんが、本編が終わったあともその作品について宣伝し続けるこういったラジオは当然後のDVDの売り上げにも影響を与えるだろう。このような媒体を利用するためには声優は欠かせない。そしてこのラジオもそうだが、アニメのメディアミックス的な展開において声優は最も重要な役割を果たしている。すぐ思いつくのは歌だな。『涼宮ハルヒの憂鬱』を見るまでは「キャラソン」というものがあることを知らなかった。またドラマCDなんてものもあるし、これらすべてを声優が結んでいることになる。あとイベントとかもあるだろうし。

つまり、広告媒体としての訴求力と、メディアミックス的な展開をする上で担う役割のために、本業の演技がいかに技術的に代替可能なものになったとしても、声優という職業はなくなることはないだろう。こういう考え方をして初めて、たとえば『ぽてまよ』におけるぽてまよやぐちゅ子、あるいは『天元突破グレンラガン』におけるブータといったほとんどまともに喋らないキャラになぜ主役級の声優が当てられているのかが理解できる、と思う。