スーパーロボットいろいろ

ご無沙汰しております。

アニメを見なくなって久しかったのですが、ちょっと某所でアニメについて発表しなければいけない事態になってしまいまして、またちょくちょく見だしています。こちらにもまた書くことになろうかと思います。そんなに頻繁にではないかと思いますが。

まあとはいえアニメについての知識がない僕としては、話す内容はここに書いてきたことをまとめることしかできないので、その路線で考えてます。そして話す時間も相当限られているので、大雑把な概説をするぐらいでしょうか。結論としてはリアルロボットとは本質的にロボットの否定であり、その意味でロボットアニメとはスーパーロボットアニメでしかない、ということになるかなと思います。この観点から昨今ロボットアニメが減っていることも説明がつくのではないかなと。まあそのあたりは『タクト』とかを見てからですが。

そしてその上でリアルロボットアニメに積極的に関わった富野由悠季、高橋良輔、河森正治、押井守らがどういうことをしたかを語る、って感じでいこうと思うんですが、問題はこれを20分で語れるかってところなんですよね…。

まあそのへんの話についてはおいおい考えていこうかと思います。そんなわけでここ最近見たのは、『超獣機神ダンクーガ』TV版およびOVA版、『獣装機攻ダンクーガノヴァ』、『勇者ライディーン』、『マジンガーZ』、でいま見いてるのが『グレートマジンガー』、『巨神ゴーグ』。比較的スーパーロボット系を中心にみてきたけど、やはりリアルロボットを知るにはそういうのも見ておかなければいけないな、ということで。近いうちに『ゲッターロボ』関係も見ておくべきかとも思ってます。これらの作品、とりわけ『機動戦士ガンダム』以前(と言っていいのかな)の作品を見て漠然と思ったのは、リアルロボットについてここで問うてきた問いはあまり通用しないのかなということだ。例えばとりわけ押井が強調したようなロボットの操縦可能性(基本的に熟練すれば誰にでも操縦できなければいけないということ)とか、あるいはロボットの量産可能性とかについてはあまりあまり明確になっていない感じがあった。つまり本質的に量産できるのかできないのか、あるいは誰にでも操縦可能なものなのかそうでないのかはっきりしない。設定上詰めてないのかなという感じだ。『マジンガーZ』でアフロダイAが破壊されたのちダイアナンAが作られたが、アフロダイAをやや戦闘向けに改良したものなのか、あるいは同じロボットを作ることができないのか判然としなかったように思う。もちろん演出上の必然性、今でいえばキャラ立ちさせる必要性があるのはわかるのだが。操縦可能性についても、兜甲児は最初ちゃんと操縦できなかったわけだが、では他の人はどうなのか、無粋な言い方をすれば甲児が怪我をしたときに他の人が操縦できるようにしておかなければいけなかったのではないか。つまり設定上の問題か演出上の問題かがアニメを見た限りだとはっきりと分かれていないように思える。

もしこういった区別がはっきりと出てきたことがリアルロボットの出現と関連するなら、リアルロボットが操縦可能性と量産可能性によって規定されるというのではなく、リアルロボットという問いは操縦可能かそうでないか、量産可能かそうでないかという選択肢を生み出したということになるかもしれない。新たな設定を生み出したのではなく、新たな問いを生み出したということになる。

まあそんなわけで、ガンダム以前のスーパーロボットものも見いておかないといけないなと思いました。長くてきついんですが…。