ケンケン山・蓬莱山 ~日本で唯一湖上で暮らす沖島~
今日は桃の節句の雛祭り。
県内の低山の雪もどんどん溶けて、ひと雨ごとに春が近づいているが、
春の使者たちの出番にはまだ少し早いようだ。
それなら県外に遠征しようとネットで探していたところ、この山に目が留まる。
ケンケン山(見景山)(沖島)
日本最大の湖琵琶湖に浮かぶ島で、日本で唯一淡水湖にある有人島でもある。
世界的にも湖上で生活する島は珍しく、この沖島を含め4つほどしかないそうだ。
沖島のことは以前から知っていたが、このケンケン山をハイクできるとは知らず、
今回の遠征先に即決してしまった(笑)
今日は曇りで午前中は若干晴れ間もあるようだが、天気は下り坂で夕方から雨の予報。
6時に自宅を出発してR8で滋賀県に入り、木之本からさざなみ街道(県道44・331)へ。
琵琶湖岸を走るさざなみ街道は信号が少なく快走できるが、取り締まりも多いのでご注意を。
秀吉公の大出世の舞台となった長浜城(復元)前を通過(8:21)
県道2に変わり、彦根までは朝の通勤ラッシュで多少混雑していた。
沖島には近江八幡市の堀切港から定期船(おきしま通船)で渡る。
彦根中心部を抜けた時点で出航時刻(9:15)の30分前。 う~ん間に合うかな?
9:07 堀切港(標高約85m)
来島者用の駐車場(※)はなく、港内の駐車場は全て島民専用。
たとえスペースが空いていても駐車は厳禁。
※現在、沖島町自治会で来島者用駐車場の設置を検討しているそうです。
これは予習済だったので、港の少し上にある路肩に停めさせていただく。
ここは大して広くなく、2~3台ほどしか停められません。
ほかにも港手前に2箇所ほどありますが、あくまでも自己責任で。
急いで登山靴に履き替え、桟橋に走っていく。
乗りま~す! まだ出ないで~! って言いながら、のんきに写真撮っている私(笑)
出航時刻(9:15)1分前に滑り込みセーフ!(9:14)
ぜぇぜぇ、 あれ? まだ出ないんですか?
なんでも接続するバス(9:17着)を待つので、この時間帯は出航が少し遅れるそうだ。
な~んだ、走って損した(笑)
朝昼はほぼ1時間に1便あるが、10時から16時までは2時間ごとになっている。
島内をハイクするだけなら1時間半ほどなので、健脚の方なら次の10時の便(10:15)で渡っても、
12時の便(12:00)で戻れるだろうが、亀足の私の場合2時間だとかなりキツく、
帰りは早くても14時の便(14:00)になってしまう。
天気が下り坂で帰りは12時の便に乗りたいので、どうしてもこの便(9:15)は外せなかった。
なお日曜日は7時台の便が欠航なのでご注意を。
こじんまりした船内はベンチ式の座席で、定員は50名。
この日の乗客は私を含め10名で、中には金髪のギャル(古っ!)の姿も。
乗船券(500円)は船内で購入するシステムで、船員の方が回ってくる。
沖島自治会が運営されており、よほどの荒天でない限り毎日運航している。
定刻より3分遅れで堀切港を出航(15:18)
島を撮影するには右舷側の座席の方が良い。
9:28 沖島港(標高約86m)
僅か10分の短い船旅で沖島港に到着。
どうやらさっきの金髪ギャルはこの島の住民の方のようです(笑)
ここで沖島について改めて説明。
沖島は琵琶湖の沖合約1.5kmに浮かぶ、周囲約6.8km、面積約1.53㎢の小さな島で、
約6万年前に近江盆地の陥没の際にできたと謂われている。
和銅6(713)年に近江の国守でもあった藤原不比等が、当時瀛津島(おきつしま)と呼ばれていたこの島に、
奥津嶋神社を建立したのが始まりとされ、のちに不比等の孫の藤原仲麻呂(恵美押勝)が天平宝字8(764)年に孝謙上皇と道鏡に対して反乱を起こした際に、妻子とともに一時隠れ住んだとも謂われる。
古くから”神の島”として、湖上を行き交う舟人から崇拝されており、万葉集など和歌にも詠まれている。
柿本人麻呂
「淡海(あふみ)の海 沖つ島山 奥まけて 吾(あ)が思ふ妹が 言の繁けく」
(淡海の海(=琵琶湖)の沖にある島山のその遥か遠くまで望むように、将来をかけて私が思う貴女なのに、なんとも人の噂がうるさいことです)
※「沖まへて」が「奥まけて」に転じたとされ、”遥か遠く”と”将来をかけて”をかけている。
紫式部
「おいつしま 守りの神や いますらん 波もさわがぬ わらわえの浦」
(おいつ島を守る神様が諌めたのだろうか、波も静かなわらわえの浦だ)
※おいつ島に「老い」を、わらわえの浦に「童(わらわ)」をかけた歌で、童なのに静かなことを皮肉っている。
一般的に住民が棲みついたのは、平安末期の保元・平治の乱(1156~1160)の際に源氏の落武者七名がこの島に落ち延びたことが起源とされ、現在の住民はその末裔だとも謂われている。
室町期には湖上交通の要衝として見張番所や関所が設けられ、島民は船舶の監視や取締を命ぜられた。
沖島には現在(H25年)、約130世帯、約320名が居住されているが、
過疎化・高齢化が進んでおり、この10年で100名近くも減ってしまったようだ。
本土との間に橋がないため、住民の足は船。
漁船や小型ボートを含め150艘近くあり、ほぼ1戸に1艘のマイカーならぬマイボート。
漁業が主要産業で、のちに10kmほど先の安土山に城を構えた織田信長が、浅井攻め(元亀騒乱)の際に島民の助力を受け、その恩賞として感状と琵琶湖一里四方を独占漁場とする漁業特権が与えられた。
その後も航路の警備、輸送等の重要な任務を務める見返りとして、時の権力者から漁業特権を認められ、終戦時まで約400年近くも続いた。
島内にはこのような細い路地が多いので、自動車は1台もありません。
ちなみに画像の路はホンミチと呼ばれる島のメインストリートだそうです(笑)
車がないので島内での住民の足は、もっぱら三輪自転車。
安定性があり、荷物もたくさん運べるので重宝しているそうだ。
ハイク前に港にある公衆トイレで用を済ます。
ぽっちゃん便所かと不安だったが、集落排水が整備されており、キレイな水洗式だった。
慌てて準備したため、用意してきた地図を車に忘れてきてしまった。
掲示板にあった見どころMAPを撮影して地図代わりにしよう(笑)
案内板に従い、登山口へ。
ケンケン山は見景山(けんけいやま)が訛ったと謂われている。
通りに日用雑貨品を売るようなお店は見当たらず(※)、自販機が数台あるのみ。
値段は消費税増税前の価格と良心的。もしかして改定し忘れているのかな?(笑)
※雑貨屋さんは細い路地の中にあるようですが、住民以外はまずわからないような外観だそうです。
港から公園までは車が通れるほどの広い道になっている。
”おはようございます” 付近にいらした住民の方に挨拶。
源氏の末裔と謂われるだけあって、どこかやんごとなきお顔立ちのような気がする(笑)
沖島コミュニティセンターの前を通って、コンクリート舗装された細い路地へ。
一見すると民家への入口のように思えて、チョッと戸惑うかも。
9:39 ケンケン山登り口(標高約89m)
標高220mほどの山だが、琵琶湖自体が標高約80mなので、標高差としては僅か140mほど。
登山口脇の民家にはチキチキマシーンに出てくるケンケンのような犬がいて、やたら吠えていた。
だからケンケン山っていうんだ!(ってそんなわけないだろっ!)
右手には僅かながらの平地に、軒がひしめき合うように民家が立ち並ぶ。
左手の急斜面にはこれまた所狭しとお墓が立ち並ぶ。
お墓の洗浄や供養花のために、水道も引かれている。
蛇口をひねると水が出たが、飲用可かどうかは不明。
墓地の脇には色鮮やかな八朔がたわわに実っていた。
沖島では八朔や夏みかんが栽培され、漁協会館で柑橘ゼリー(季節限定)が販売されている。
道中には所々にこのような説明板が掲示されていた。
どうやらこのコースは自然学習の場にもなっているようだ。
9:46 ケンケン山登山道分岐(標高約128m)
ここで道が二手に分かれる。
ここからが登山道らしく、真っ直ぐ進むのが通常の登山道で、
左側が山頂への近道だが、急な登りとなっている。
右に行きたいところだが、Mの掟に従い左手の近道へ(笑)
急な登りと書いてあった通り、斜面を直登していく。
ヒーヒー、やっぱり向こうにいけば良かった・・・
9:53 登山道合流点(標高約153m)
ここで先ほどの道と合流。
程なくするとなだらかになり、稜線部に入る。
稜線部は道幅が広く、下草などもキレイに刈られている。
途中S字型の土橋のような箇所も。
沖島にはかつて山城があったとされるので、もしかするとその遺構なのかも。
9:58 お花見広場(ケンケン山)(標高約180m)
ケンケン山の前峰にある広場。
北側にはまだ雪の残る比良山系が望め、
南側に長命寺山(333m)や堀切港などが望めた。
ここでは休憩せずに、次のホオジロ広場に向かいます(9:59)
この区間もなだらかな稜線歩きが続く。
カゴノキ:鹿子の樹といいます。なぜでしょう?
答えは、樹皮が点々と剥がれ落ちた様子が、シカの子供の斑点模様(鹿の子)に似ているからです。
10:09 ホオジロ広場(ケンケン山)(標高約197m)
登り口から30分でとうちゃこ。山頂広場には誰も居なかった。
正確にはケンケン山山頂(210m)はここから西側に50mほど戻ったところにあるが、
現在の登山道は山頂直下を巻いているため、藪漕ぎとなるようだ。
広場名はおそらく、この山に生息する野鳥のホオジロ(頬白)に由来すると思われる。
けっしてこの近くの水域にホオジロザメが出没するのではないようだ(笑)
木が切り払われているので、先ほどのお花見広場より眺望が良い。
この日は曇天で霞んでいたが、天気が良いと対岸に湖上の赤鳥居で有名な白髭神社が望めるらしい。
なおこの島にある瀛津島神社と湖西の白髭神社、近江八幡の日牟禮(ひむれ)八幡宮が一直線上に並ぶことから、
古代日本のレイラインという説も。
一画にアルプスの少女ハイジに出てくるようなブランコを発見!
乗ってみようかと思ったが、この立札で思い留まる。
小学生3~4人分ぐらいはあるから、やっぱりマズいだろう(笑)
ひと息入れた後、見晴らし広場へ(10:12)
先ほどまでと打って変わり、道幅が狭くなり下草も茂ってくる。
倒木が道を塞いでいる箇所もあった。
漸次整備されているようだが、この辺りはまだ手が回っていないようだ。
10:20 見晴らし広場(蓬莱山)(標高約220m)
ホオジロ広場から10分もかからず到着。ここにも誰も居なかった。
地理院地図では尾山とされているが、地元ではもっぱら蓬莱山(ほうらいさん)と呼んでいる。
ここには三角点(二等・沖之島村)があるはずなのだが、見当たらなかった。
見晴らし広場という割には北側の眺めはあまり良くなく、南側の近江八幡方面が望めるぐらい。
湖からは10時台の沖島に向かう定期船のエンジン音が聞こえてきた。
ユズリハ(楪)
ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木。
春先に若葉が出た後に、譲るように前年の古葉が落ちることからこう名付けられた。
お昼は眺めの良いホオジロ広場でとることにする(10:27)
なお見晴らし広場から湖水浴場付近や弁財天側に降りる道もあるようだ。
路面が掘り返された跡を何箇所か見かける。
最近対岸の伊崎側からイノシシくんが泳いでくるらしく、被害に頭を悩ませているそうだ。
10:34 ホオジロ広場(標高約197m)
風はほとんどないが、気温が低いのでじっとしていると肌寒い。
身体をポカポカさせるために、このカップ麺を持ってきた。
蒙古タンメン中本 北極ラーメン 極辛味噌
東京の人気ラーメン店の激辛ラーメンを再現しており、数年前に1度現物を食べたことがあり、
オリジナルは激辛度10の超~キケンな代物。
なお周りにあるお寿司やポテトサラダは舌休め用です(笑)
見るからに狂暴な色合いです。
ヒィ― ハァ――
通常市販されているカップ麺レベルでは、間違いなく1、2を争う辛さ。
でもただ辛いだけでなく、辛いのだが旨いという、所謂”旨辛味”。
舌休めが功を奏し、スープも全て完飲したが、明日の朝が少し恐ろしい。。。(笑)
帰りの便(12:00発)のこともあるので、そろそろ降りることにしよう(11:11)
ここから沖島小学校側に降りるコースもあるので、こちらをチョイス。
こちらの方が比較的なだらかで、概ね整備されているが、
1箇所大きな倒木が道を塞いだ箇所があった。
木の下を匍匐前進するように進むしかなく、この日一番の難所でした(笑)
小学校が見えてきた。
11:20 ケンケン山登り口(小学校コース)(標高約98m)
下りは9分。
3コースしかないが、プールもあるようだ。
11:22 沖島小学校(標高約86m)
もちろん日本で唯一湖上にある小学校で、世界でも沖島だけとも謂われている。
平成26年度現在、児童11名、教職員8名で、複式学級で授業が行われている。
学校前にも桟橋があり、なんでも船で運ばれてきた給食を当番児童がリヤカーで運ぶらしい。
創立は明治8(1875)年と今年で140周年を迎え、現校舎は平成7(1995)年に新築移転された。
今どき木造校舎とは珍しいが、しっかり耐震補強もされていた。
この沖島小学校は特認校になっていて、近江八幡市内全ての学区から越境通学できる。
なお定期船や港の掲示板に貼ってあった観光客へのお願いには、
最近児童の顔がそのまま写っている画像がネット上にアップされていることが少なくなく、
大変困っているとのこと。
写真撮影の際には、児童や住民の顔などが写らないようにマナーを守って撮影しましょう。
小学校を抜けて港方面へ。
山上ではまだ春の訪れをあまり感じられなかったが、
麓では早春の使者たちが咲き誇っていた。
右に行くとホンミチで、左は湖岸沿いの道となり、左へ進む。
聴こえてくるのは、波の音やカワウの鳴き声、漁船のエンジン音など。
ここはまるで昭和から時間が止まったかのように、ゆるやかな時が流れている。
漁を終えた漁船が続々と港に戻ってきていた。
港の一画にある消防艇庫。
沖島には消防車や救急車がないため、この消防艇おきしまが島民の安全と生活を守っている。
ところで艇の字が間違っていると思うんですが。。。
それにしても三輪自転車の多いこと。
サドルが濡れないように空き缶や金タライで覆うのが沖島流?(笑)
お酒の空き瓶もハンパないです(笑)
やはり湖(うみ)の漢たちはたくさん飲むんですね。島内には酒屋も1軒ありました。
まだ出航まで30分ほどあるので、島を散策する(11:32)
おきしま資料館
沖島の歴史や生活用品、漁具などが展示されているが、今回は時間がないのでパス。
おきしま資料館(入場200円) 10:00~16:00 月曜休館
瀛津島神社方面に行ってみます。
脇の路地に足を踏み入れると、時間の渦に引き込まれそうな感じ。
私の大好きな映画「時をかける少女」(もちろん原田知世主演のヤツ)のワンシーンに出てきそうな風景だった。
近江八幡沖島郵便局
日本で唯一の湖上郵便局で、ATMも設置されている。
なおこの郵便局の消印は漁船や沖島などをデザインしたオリジナルで、
来島記念に自宅宛に投函される方もいるそうだ。
11:36 瀛(奥)津嶋神社(おくつしまじんじゃ)(標高約98m)
奥津嶋神社は、神功皇后の三韓征伐の際に宗像(むなかた)大社に参詣したという故事にあやかり、
藤原不比等が建立したと謂われている。
建立当初は現在の弁財天(厳島神社)がある中手地区にあったが、その後現在の地に移転された。
なお鳥居の額束に書かれた社標は、”憲政の神様”と呼ばれた尾崎行雄(咢堂)の書とされる。
宗像三女神の主神、奥津嶋比売命(おくつしまひめ=多紀理毘売命(たきりびめ))が祀られている。
ハイクの無事の御礼をさせていただく。
境内からは港やケンケン山、蓬莱山などが望める。
神社の背後にある頭山(あたまやま:139m)は南北朝期に南朝方の山城だったと謂われる。
ここも登ってみたかったが、時間がないので今回はパス。
再び路地に入り、島の北側へ(11:40)
11:41 願證寺(がんしょうじ)(標高約88m)
浄土真宗本願寺派の寺院で山号は絶景山。
開基は源氏落武者の末裔とされる西居某で、蓮如上人に帰依し釈願證の法名を授かった。
路地の奥にある木戸をくぐると、島の北側に出て、
目の前には琵琶湖が広がる(11:42)
もう少し眺めていたいが、時間が迫ってきたのでそろそろ港に戻ろう。
「もう時間がないわ、どうして時間は過ぎていくの?」 by芳山和子
沖島漁業会館にある即売所。
湖島婦貴(ことぶき)の会という漁協の婦人部の方が運営されている。
琵琶湖で取れたニゴロブナを発酵させた名物のふなずし(500円)や
ウロリ若煮、イサザ若煮、えび豆若煮といった佃煮(1パック500円)などが販売されている。
ウロリはヨシノボリの稚魚で、ゴリとも呼ばれる。
またイサザは琵琶湖固有種のハゼの一種で、えび豆はスジエビと呼ばれる小海老と大豆を煮たもの。
なお予約すればお弁当や沖島どんぶりなどもいただける。
お土産にウロリ若煮とおきしまえびせんべい(しお味)を購入。
ウロリ若煮はイカナゴの釘煮のような感じで、甘くてご飯のお伴に最適です。
出航時刻が近づいてきたので桟橋へ(11:51)
定刻となり堀切港に向けて出航(12:00)
帰りは20名ほど乗船。
小さな島だが、3時間弱の短い滞在ではあっという間に時間が過ぎてしまった。
「過ぎていくもんじゃない…… 時間は、やってくるものなんだ」 by深町一夫
12:10 堀切港(標高約85m)
港ではにゃんこが出迎えてくれた。
桟橋に停泊していたこのボート。
観光地のようなシャレた店はなく、ごく普通の生活がそこかしこに溢れている沖島。
1300年以上の歴史と伝統を受け継ぎ、古き良き漁村の風景が今も残る沖島。
里山・里湖が間近に広がり、自然と触れ合える沖島。
すっかり気に入ってしまい、今度はゆっくりと訪れてみたい。
今回歩いたコース (クリックすると大きくなります)
やっぱり、山っていいね!
ケンケン山(見景山)(210m)・蓬莱山(尾山)(220m)
標高差131m
登り 41分、下り 16分、TOTAL 2時間32分
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