陸軍の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 22:07 UTC 版)
「タイ・フランス領インドシナ紛争」の記事における「陸軍の戦い」の解説
一方陸軍の動きは遅く、動いたのは年が明けてからだった。1941年1月6日、タイ軍は仏印領内のルアンプラバン地方(現ラオス)・バッタンバン地方(現カンボジア)に20個大隊で侵攻開始した。対する仏印軍は10個大隊で、しかも重火器が不足していたためタイ軍に圧倒され敗北を重ね多くの死者、行方不明者を出し撤退するなど、タイ軍が勝利をおさめた。 この敗北を受けて、仏印軍はベトナム兵の戦時動員を行いタイ軍を領内の奥深くに誘引し反転反抗をする戦略を立て、1月16日カンボジアのバッタンバンで仏印軍は反撃を開始した。これに対しタイ軍はヴィッカース 6トン戦車を装備する2個戦車中隊から成る機甲部隊を投入し仏印軍を押し返すが、救援に駆けつけた外人部隊(オチキス 25mm対戦車砲2門・シュナイダー75mm榴弾砲(英語版)1門装備)の攻撃により6トン戦車3台が撃破されタイ軍の攻勢は停滞した。 この反撃をきっかけに仏印軍はタイ軍を一時的に押し戻したものの、物量に勝るタイ軍はフランス軍に対してさらなる攻撃を加え、本国が占領下におかれ兵士の追加もままならないフランス軍は数多くの戦死者や負傷者を出すこととなった。
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